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このまちのあの企業、あの製品
白老町

長年の技術に新しい感性も取り入れながら木箱をつくる。三和製箱20230910

長年の技術に新しい感性も取り入れながら木箱をつくる。三和製箱

木箱に入ったものを手にすると、何だか気持ちがワクワクしますよね。ほかのパッケージにはない特別感があるからでしょうか。木箱に入っているものといえば、かつては魚介類、高級酒などが代表的でしたが、最近はメロンなどの果物をはじめ、チョコレートといった小さなものまで、ありとあらゆるものが、生産者や製造者の想いと一緒に木箱に詰められています。そして、その木箱にも箱を製造した人たちの職人としての想いが詰まっています。今回は、白老町で50年以上、木箱製造に携わってきた「(有)三和製箱」におじゃまし、これまでの歩みやこれからのことを伺ってきました。

創業から50年以上。家族で取り組んだ木箱の製造からスタート

JR白老駅から車で10分ほど、太平洋に近いところにある「三和製箱」。敷地内には、工場が3棟並んで建っており、外にはたくさんの木製パレットや原材料となる木材などが積まれていました。

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同社で使用しているのは道産材のトドマツがメイン。一部取引先の要望で異なる木を用いることもあるそうですが、できるだけ道産材を使うようにしています。それらは、十勝の上士幌町にある製材会社から仕入れ、乾燥させてから使用しています。「うちは乾燥機を使わず、自然に乾燥させるようにしています。乾燥機で乾かすと、木がねじれてしまうからね」と話すのは、社長の外崎浩司さん。先代である父親が昭和44年に創業した同社を4年ほど前に継ぎました。

sanwaseihako_shachointerview_0429.pngこちらが社長の外崎浩司さん

「父は白老の製材工場の目立て職人をしていました。自分を含めて5人子どもがいたのですが、父の稼ぎだけだと生活が厳しかったので、母が何かできることはないかと考えたのが、カニの脚の身を入れる折りと呼ばれる薄い木の箱作りでした」

当時、白老の虎杖浜では毛ガニがたくさん水揚げされていました。その脚をキレイに並べて入れる木箱を作り始めたのがはじまりだったそう。原材料となる木は、父親が務めていた製材工場から仕入れ、外崎社長はお兄さんと2人でその木をのみで(!)カットし、箱にするために小さな釘を打つ手伝いをしていました。

sanwaseihako_kugi_0353.png釘で箱をつくる作業も、いまでは機械化が進んでいます

「当時は、家で作っていたから、学校から帰るとすぐに木箱作りの手伝いでした。小さい釘は子どもの手のほうが打ちやすいから、釘打ちの担当は自分と兄。夏休みになると、朝からずっと手伝いをさせられるから、学校に行っているほうが楽しくて、夏休みなんて来なくていいといつも思っていました(笑)」

水産加工品に欠かせない木箱。地元だけでなく各地から依頼が殺到

毛ガニの次は、虎杖浜のタラコを入れる木箱にも着手します。当初は地元の水産加工業者とだけのやり取りでしたが、岩内町から身欠きニシンを入れる木箱を作ってほしいと依頼が舞い込むと、徐々に町外からの依頼も増えるようになります。

「岩内町には大きな水産加工場を営むところがいくつもあり、加工場1軒に対して箱屋が1軒という状況でしたね。ちょうど昭和55年頃かな。ニシンがまだ獲れていて、数の子もたくさんあったから、今度は数の子を入れる木箱も必要となって...。本当に忙しい日が続いていましたね」

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しばらくしてニシンの漁獲が落ちはじめますが、次はサケが次々と水揚げされるようになります。昭和60年ごろの話です。

「サケが獲れるようになったら、今度は塩イクラのための木箱の依頼が立て続けに入るようになりました」

すでに成人し、社員として三和製箱に勤務していた外崎社長は、ある日父親から東北地方へ営業に回るように言われます。「伝手も何もなく、いきなり行けと(笑)。岩手からずっと水産加工場を飛び込みで回って、現地の箱屋さんに繋いでもらったりしてね...。でも、そのときに東北の方たちと交流を深めることができて、結局仕事ももらえるようになったんだけど」と、懐かしそうに振り返ります。

そうした営業活動のかいもあり、仕事の発注が増え、箱を作る場所が手狭に。平成元年に現在の場所に移転します。自動製箱の大きな機械を導入し、塩イクラの箱は1日2万個作るのを目標に稼働させていたそうです。

「ちょうど、塩イクラやサケの木箱がピークの頃でした。秋に鮭が獲れ始めると、一気に注文が各地から入ってきて、毎日のように箱作りに追われ、その期間はずっと残業(笑)。箱はあってもお客さんのところに運ぶトラックが足りなくて、それをお客さんに伝えると、次の日の朝にはお客さんが用意したトラックがズラッと並んで待っていたようなこともありました。それくらい、サケがいっぱい獲れていたんですよね」

sanwaseihako_001.JPGあれ?サケを入れるには小さい・・・?そうなんです、こちらは鮭とばを入れる試作品なんだとか

水産加工以外のほかの業種にも着目。技術を生かし、木製什器などを製造

ところがある年から突然、塩イクラの箱の発注が激減します。消費者の好みが一気にイクラの醤油漬けに取って代わったのでした。

「塩イクラの需要がなくなって、水産加工場もすべて醤油漬けに製造を切り替えると、木箱は不要に...。10が1になるくらいに発注がなくなって、それはもう大変でしたよ」

木箱を作る技術を生かした新しい商品は何かないか。外崎社長は、水産加工以外のあらゆる業種の企業回りを始めます。

「ハウスメーカーやホームセンターなど、いろいろ回りました。その中で、『こういうの作れます?』と聞かれたら、できませんとは言わず、『絵を描いてくれたら、何でも作れますよ』と答えていました(笑)。絵を描いてもらって、そこから図面をおこして、実際に作ってみてとやっているうちに、木製のものをいろいろ作ってほしいと声がかかるようになりました」

長年培った箱作りの技術、木材に関する知識を生かし、依頼された木製什器やガーデニング用品などを次々と形にしていきました。するとそれらの発注が徐々に増えていきます。ちなみに、道内の有名ホームセンターのガーデニング売場で使われている木製什器の大半は同社で作ったものなのだそう。ちょうど取材に伺ったときは、次の冬に向け、木製の雪囲いの製造を行っていました。

sanwaseihako_mukashi_0396.png若かりしころの外崎社長と息子さん。自らが手がけた木製什器が並ぶホームセンターで記念に撮った1枚です

「営業をしながら、図面おこして、製造もやって...。お客さんからの要望にはできる限り、何でもトライしてきました。図面をおこすために、CADの使い方も覚えました。もちろん、従来の箱ものも作っています。水産加工品の需要が減ったと言ってもゼロではないので」

昨今は小ロットにも対応。人の手でより良い製品作りに取り組む

木箱の中でも、最近は糊を用いた木箱作りが増えているそう。釧路の水産加工会社から、塩イクラを輸送する際、金属探知機を通せる箱を作ってほしいという依頼があり、それ以来、同様の理由で糊付けの木箱を希望する顧客が増えています。

「釘を使っていたときは、機械で大量に箱が作れましたが、糊付けはそうはいかないため、ある程度技術力のある人手が必要になります。また、これを機に、現在は大型の設備投資はせずに人を採用する方向にシフトしています」

そういう考え方になったのには、いくつか訳がありました。ひとつは、今働いている地元のパートの方たち。

「男性、女性問わず、定年退職してからうちに来てくれている方がいるのですが、製造業に従事していた方たちも多く、これまでの経験を生かして活躍してくださっています。しかも、皆さんとても元気」と外崎社長。
仕事が丁寧で検品チェックもきちんとしているそう。「プロ意識が高く、本当にすごい」と感心します。

また、お孫さんのいる方たちは、お孫さんにお小遣いをあげたい、プレゼントを贈りたいという目的を持って仕事に励んでいるとのこと。

「だから、孫の運動会があるときや孫とどこかへ出かけるといったときなど、休みを取りやすいように環境は整備しています。ここでの仕事がパートさんたちの生きがいや喜びに繋がっているなら、そういうのを大事にしたいなと思って」と話します。

もうひとつの理由は、「大量生産の時代ではなくなってきている」ということ。

「昔は、機械でたくさんの木箱を毎日作ることに自分もやりがいを感じていました。でも、そういう時代ではなくなってきている」と感じているそう。「個人や小規模でもの作りをしている人たちが増え、うちにも小ロットの木箱の問い合わせが増えました。最初は、小ロットの仕事を請けるのは...と思っていましたが、うちの奥さんが、これから伸びていく可能性のある人たちの応援をする気持ちで請けたほうがいいってね」

実際、小ロットのメロンやワイン、チョコレートなどを入れる木箱の依頼を受け、ひとつずつ作っていくことに最近は面白みも感じているそう。さらに、端材などを使って、オリジナルの雑貨なども制作。事務所には、外崎社長が作ったティッシュケースやコースターなどが置かれていました。

60歳を過ぎてもまだまだ現役。製造業経験のあるパートさんたちの活躍

さて、パートで活躍しているスタッフのうち、福澤信子さん、一戸るりえさんに仕事についてお話を聞きました。2人は、地元の製紙工場で紙の加工と品質検査の仕事をしていた元同僚。定年退職後、外崎社長と前から知り合いだった福澤さんが、まずは働きはじめます。「ちょっと手伝いに来ない?と言われて、ちょっとのつもりが3年経ってしまいました」と笑います。その後、福澤さんが前の職場でも仲がよかった一戸さんにも声をかけ、一緒に働くことに。

sanwaseihako_partsanfutari0618.png青いエプロンの福澤信子さん(左)と、赤いエプロンの一戸るりえさん(右)。息ぴったりの仲良しコンビです

「家にいるより、仕事をして、体を動かしているほうがいいからね。最初はできないこともいっぱいあったけど、今はもの作りが楽しい」と一戸さんが話すと、「そうそう。もの作りが好きなんだよね。ここに来て初めて経験することもいっぱいあるけど、それがまた面白い」と福澤さん。職場の雰囲気は明るく、風通しもよく、和気あいあいとしているそう。働く時間の融通が利く、休みが取りやすいというのも2人にとっては働きやすさに繋がっていると言います。

パートとはいえ、長年製紙工場で品質チェックをしてきた2人。社長が話していた通り、プロ意識は高く、「任された以上の仕事はしないとね!」と福澤さんが元気よく言うと、「完成品はきちんとしたものを出したいよね」と一戸さん。「おばあちゃんたち、頑張ってます!」と笑顔で話してくれました。

アットホームな職場には若手の活躍の場も。バランスの良さが魅力

sanwaseihako_okusama0250.pngこちらが社長の奥様の妙子さん

妙子さんは、

「アットホームで、皆さん仲が良いのがうちの特徴のひとつかもしれません。社長も私も人を大事にしたいと思っているので、若い方も年配の方も、皆さんが楽しく、やりがいを感じながら仕事に取り組んでもらえたらと考えています。黙々と作業をするのが好きという方、細かい作業が得意な方、管理をするのが得意な方、それぞれの良いところを伸ばしていけるように配慮しています」

と話します。妙子さんは、取材時も取材チームが動きやすいようにあれこれ気を使ってくださり、その合間に従業員の方たちの休憩時間にも気を配るなど、とにかくよく気が付く方。妙子さんのこうした気働きと、外崎社長の豪快かつ親しみやすさがアットホームな雰囲気を作り上げているのかもしれません。

sanwaseihako_musuko_0481.pngこちらが長男の悦史さん

ベテラン勢はもちろん、若い方たちの採用も積極的に行いたいと外崎社長。若手代表でもあり、後継者候補でもある長男の悦史(よしひと)さんは、

「小さい頃から祖父が建てたこの工場でよく遊んでいました。僕としてはここをなくしたくないと思っています」と話します。

フィットネスインストラクターの仕事もしている悦史さんは、現在25歳。「木箱作りや木の製品製造を軸に、いつかこの場所からいろいろな雇用を生み出せたらと考えています。地元に仕事が増えれば、地元で生まれ育った人たちがここを離れる必要もなくなると思うので」と、地域の活性化や地域に貢献したいという想いも語ってくれました。

古き良き職人の心意気と、時代に応じた新しい感覚やチャレンジ精神。そのバランスがちょうどいい同社、これからの展開にも注目したいところです。

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(有)三和製箱
(有)三和製箱
住所

北海道白老郡白老町石山65-36

電話

0144-83-3839

URL

https://www.sanwaseihako.co.jp/


長年の技術に新しい感性も取り入れながら木箱をつくる。三和製箱

この記事は2023年8月22日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。