渡島半島に位置し、日本海と太平洋の2つの海に面している八雲町。漁業と酪農が盛んな町として知られています。高台からは広々とした海と牧草地帯が見渡すことができ、時間がゆっくり流れているように感じられます。今回は、この八雲町にある「コミュニティホーム八雲」へお邪魔しました。全道各地に医療・介護の施設を展開している渓仁会グループの介護老人保健施設として、100人を超えるスタッフが勤務しています。介護、看護、リハビリの部署からそれぞれ職員の方に集まってもらい、職場のことや仕事への想いなどを伺いました。
豊かで平和な理想郷を願って付けた地名「八雲」。そんな町にある介護老人保健施設
キャンプ場などがある、八雲町の高台からの景色。晴れた日には噴火湾が一望
「コミュニティホーム八雲」は、JR八雲駅から車で5分ほどのところにあります。街路樹のほかは遮るものがない広々とした敷地内に、平屋の建物が建っています。「秋になると街路樹が色づいて、ここから見える眺めがとてもキレイなのです」と説明してくれたのは、今回取材に応じてくれるメンバーの1人、副施設長の安田智昌さん。この日はあいにくの曇り空でしたが、「実は割と曇りの日が多い町で、昔から地元の人は一週間のうちに八日曇るから八雲だなんて話しています」と笑います。
副施設長の安田智昌さん
実際は、尾張徳川家の17代当主である徳川慶勝が、古事記にある「八雲立つ出雲妻籠みに八重垣作るその八重垣を」という詩から、明治14年に八雲と命名したと記録が残っており、豊かで平和な理想郷を願っていたと言われています。
今回取材に応じてくれたのは、安田さんのほか、理学療法士の畠山優美さん、介護福祉士の松永涼さん、そして看護師の木村弥生さんの4人。それぞれ部署も年代も異なりますが、取材前から和気あいあいとした雰囲気が伝わってきます。また、建物の中が広々ゆったりしているためか、窮屈そうな印象は皆無。職員の方たちに余裕が感じられ、利用者の方も笑顔で楽しそうにしています。
もともと営林署の敷地だった場所で、周辺は緑がいっぱいです。ベンチでも1枚撮ってみました
仕事や職場を選んだ理由は三者三様。中には感動的なエピソードも
理学療法士の畠山さん以外は全員八雲町出身。仕事を選んだ理由、ここに就職するきっかけはそれぞれです。
「私は札幌で働いていたのですが、Uターンで八雲へ。ちょうど空きがあって事務職員として入社しました。福祉業界はここがはじめてで、入社当初は草刈りなども含む施設管理を任されていました」(安田さん)
見晴らしの良い、広々した施設内部
夫の仕事の都合で八雲へ移ってきたという畠山さんは、理学療法士のキャリア25年のベテラン。「10年ほど札幌で働いていましたが、そのあとはここで勤務しています」と話し、理学療法士を志すきっかけは、「子どものころ、病気をした祖母が『リハビリのための靴を買ってもらった』と、とても喜んでいる様子を見て、リハビリって何だろう? どうしてそんなにうれしそうなのだろう?と思ったのが、この業界に興味を持った第一歩でした」と振り返ります。
子育てと両立中。理学療法士の畠山さん
4人の中で一番の若手、26歳の介護福祉士・松永さんは、高校卒業後にここへ入社。働きながら資格を取得しました。「親戚がここに入所していて、お見舞いに訪れた際、男性介護士が仕事をしている様子を見て、カッコイイな!と思ったのがきっかけです。女性のイメージしかなかった介護職が男性でも活躍できるんだって思って。地元で働くならここがいいと決めていました」と話します。
26歳ながら、すでに経験は8年。介護福祉士の松永さん
看護師の木村さんは勤続21年。ここへ来る前は、町立の八雲総合病院に勤務していたそう。「病院を辞めたあと、ここの当時の看護部長から声がかかってこちらに転職しました。実は私ね、昔は歌って踊れるアイドルになりたかったの(笑)」と、まったく予想もしていなかったコメントに一堂大笑い。しかし、看護師を目指すことになったきっかけを伺うと、そこには思いもよらぬエピソードが...。
アイドルより看護師を選んだ!木村さん
「小学6年生のとき、病院で患者さんとの交流会があって、そこに入院していた同い年の女の子と文通を始めたんです。彼女は『将来看護婦になりたい』と手紙に書いていて、私はアイドルとか言っていましたけど、そこまで真剣に何かの職業に就きたいと当時は考えてはいなかったんです。ある日、彼女からの手紙に『もし、どうしてもやりたいことがなかったら、将来は看護師になって』と書かれていて...。それが最後の手紙になってしまいました」(木村さん)
同い年の子が亡くなるという悲しい現実に衝撃を受けた木村さん、「看護師になって」と書かれた手紙の内容がずっと心に残っていました。「そのあと、いろいろやってみたいことや、なりたいものはありましたけど、高校生のとき、看護師になろうって思いました」と話します。
幼なじみも同じ職場にいて心強いそう
20代から70代まで。幅広い年齢層の個性あふれる職員が勤務
職場の環境について伺うと、「風通しが良くて、チームワークがいい」と木村さん。介護、看護、リハビリとそれぞれ部署は異なりますが、コミュニケーションがしっかり取れていると話します。
「職員の年齢層の幅が広いのですが、世代を超えて仲がいいですね。また、女性が7割ほどで、産休や育休の取得率が高いのも特徴。それから、うち独自の福利厚生があります」と安田さん。たとえば、介護職によくある腰痛で悩んでいる人にはコルセットやアシストスーツ購入に関する補助を会社から出してくれます。このほかにも、町で開催するマラソン大会に出たいという人たちがいれば参加費の補助をしたり、コロナ禍前はバレーやバドミントンなどのサークル活動の支援もしたりしていたそう。
出会うスタッフさん、みなさん笑顔なのが印象的でした
利用者さんも思い思いに過ごし、ゆったりと時間が流れます
「また、柔軟な働き方ができる職場です」と安田さんは続けます。週に2、3日出勤という人もいれば、時短勤務の人などさまざま。小学生と中学生のお子さんがいる畠山さんも、15時15分までの時短勤務です。「子どもたちも大きくなってきたので、そろそろフルタイムに戻ってもいいかなと思っています」と話します。
さらに近年は、「介護助手」と呼ばれる方たちが大活躍しているそう。「介護業界全体で増えているのですが、元気な高齢者の方たちが介護職員のアシスタントに入ってくれています。定年退職をしたあとに来てくださっていて、うちでは70代の方たちが活躍中です」と安田さん。
実際に現場で介護助手の方たちと仕事をする機会が多い松永さんは、「77歳、78歳の方もいらっしゃるのですが、本当に助かっています。元気いっぱいですし、雑務を引き受けてくださるので、僕たちは介護の仕事に集中できます」と話します。利用者さんの話し相手になってくれるのはもちろん、さりげなくお茶を勧めたり、テーブルを拭いたり、ちょっとしたことですが、「かゆいところに手が届く動きは、社会人としても勉強になります」と松永さん。
介護助手の方とツーショット!身長差がありすぎて、松永さんに小さくなってもらいました(笑)
「年齢が近いこともあって、利用者さんも気軽に話ができるようです。その世代にしか分からないかつて流行したものの話題などで盛り上がったりしています」(安田さん)
「介護助手の方たちは利用者さんと職員の間に入って、話題を引き出すなど、うまく繋ぎ役をしてくださるのでありがたいです」(松永さん)
さらにいろいろ話を伺っていると、どうやらほかにも個性あふれるスタッフの方たちが揃っている様子。中にはハンターの方もいて、猟友会から要請があると熊撃ちにいくそうです。「農家をやっている利用者さんから『うちの畑に熊が出たから来て』と呼び出されたりもしていますよ」と安田さん。
狩猟免許をお持ちとのことで、まさに2足のわらじ
町を支えてきた利用者さんたちに敬意を払って仕事に取り組む
ここには、脳梗塞や脳卒中などで病院にいた方が退院後、自宅へ戻れるようになるまでリハビリを行うために入所しています。このほか、短期入所(ショートステイ)や通所リハ(デイケア)の利用者さんたちもいます。
「この地域ならではという点で言うと、一次産業に携わっている家の方が、家族総出で仕事にあたる繁忙期に、一時的におじいちゃんやおばあちゃんに短期入所してもらうケースが結構ありますね」(安田さん)
普段は家で介護をしていても、ホタテの養殖が家業の家は春先、稲作をしている農家は田植えと刈り取りの時期など、介護が難しい期間だけ季節限定で入所する方が多いそうです。
「利用者さんたちは皆さん、自分たちの大先輩にあたる方たち。常に敬意を払って接しています。その点は職員全員で話し合って、言葉使い、対応の仕方は気を付けています」(木村さん)
また、「老健は病院と異なり、1カ月から長い方で何年も入所している方がいます。長いスパンで関わっていくので、職員はどんな些細なことも見逃さないよう利用者さんを観察する力が必要となります。そして、ここで少しでも楽しく過ごしてもらえるように、みんなでいろいろアイデアを出し合っています」と木村さん。
その一つがカラオケであったり、季節ごとのイベントだったりします。取材中も途中から背後でカラオケ大会がはじまり、熱唱に次ぐ熱唱で、ホールがとても盛り上がっていました。コロナ禍前は毎年8月に夏まつりを開催。職員が利用者さんたちの前で披露する余興が人気だったそう。
「うちの職員はチームワークがいいので、『みんなでやろう』となったら、エイエイオーって感じで一生懸命練習するんですよ。今年、久しぶりに夏まつりが開催できることになって、利用者さんたちに笑ってもらえるよう目下練習中です」(木村さん)
今年は、Adoの「阿修羅ちゃん」というハードな曲に合わせて、歌って踊るそう。木村さんは、「利用者さんは演歌や民謡が好きなのですが、たまに若い人の曲で刺激を与えてあげると喜んでくれるんですよ。私は、歌って踊れるアイドルになるという夢をここで叶えさせてもらっています」と笑います。
すべては利用者さんに喜んでもらうため。大家族のようなアットホームなコミュニティ
「利用者の皆さんは知り合い同士の方が多くて、皆さんのプロフィールは周りから教えてもらっている感じです(笑)。町のことや町の人のことも利用者さんが教えてくれます」と畠山さん。こういう感じは札幌ではなかった感覚だと話します。
松永さんも木村さんも「都会と違ってみんな顔見知りなので、自分たちの小さい頃や若い頃を知っている利用者さんが多くて」と笑います。「おてんばだった頃の話とかをされると参りますよね」と木村さん。
「通所の利用者さんの送迎に行くと、車の中から海や畑の景色を見ながら、『今の時期はこういう作業をやっているんだよ』とか教えてくれるんです。一次産業に携わっていた利用者さんが多いので、町に住んでいても知らなかったことを教えてもらうことができ、僕自身すごく勉強になります」(松永さん)
利用者さんとのやり取りに温もりが感じられ、ここが世代を超えたコミュニティの場所になっているのだなと分かります。施設内はほとんど壁がなく、職員全員で利用者さんたちを見られるようになっているのも特徴です。
「都会の老健だと競合が多くて差別化が必要と言われますが、八雲くらいの田舎はそういう競争もほぼないから、本来在るべき介護や看護の仕事に集中できていると思います。時間の流れも都会とは違う気がしますね」(安田さん)
現場のスタッフさんの他、事務スタッフさんも多く活躍中です
皆さんの会話の中に、「利用者さんに喜んでもらう」「利用者さんが喜んでくれる」という言葉が頻繁に出てきます。松永さんは、趣味の道の駅巡りさえ、「行ってきた場所の話をすると利用者さんが喜んでくれるので」と、気が付くと利用者さんのことを考えて行動してしまうと笑います。
「いつか、町のお祭りの山車行列に職員で出たいと考えています。できれば、うち以外の福祉関係の施設とも協力して、各施設から数人ずつ集めて、衣装も揃えたりして参加できたらと。そして、その山車行列を利用者さんたちに見せてあげたいです。きっと喜んでくれると思うんです」と木村さん。チラリと安田さんのほうを見ると、「いいよ!いいよ!やろう!」と、早速安田さんからOKが出ていました。そんなやり取りからも、あらためてアットホームで風通しがいい職場であることがよく分かりました。
今から100年以上前、徳川慶勝が豊かで平和な理想郷を願って名付けた「八雲」という地名。幅広い世代の人たちが繋がり、まるで大きな家族のように互いを想い支え合う「コミュニティホーム八雲」も、豊かな場所の一つだなと感じました。
- 社会福祉法人渓仁会 コミュニティホーム八雲
- 住所
北海道二海郡八雲町栄町13番地1
- 電話
0137-65-2000
- URL