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このまちのあの企業、あの製品
むかわ町

開拓時代から続く、家族と家業の物語。(株)大江コンクリート20230601

開拓時代から続く、家族と家業の物語。(株)大江コンクリート

「ハンドホール」って、知っていますか?人が入れる大きさの「マンホール」なら、地面に設けられた鉄のふたでおなじみですよね。でも、マンホールのふたと思っていたものが、実は手を入れるサイズの「ハンドホール」かもしれません。どちらもコンクリートでつくられたボックスで、本体は地中に埋まっています。

ooe_handholecap.png地表に見える「ハンドホール」のフタ

このハンドホール製造で道内トップクラスのシェアを誇るのが、胆振管内むかわ町にある株式会社大江コンクリート。札幌営業所と合わせて社員は10名ほど、耐久性に優れ、顧客のニーズにあった製品が高く評価されているそうです。
くらしごと取材班は早速むかわ町へ。本社工場で製造の過程を見せていただき、さらにむかわの町で築いてきた会社やご家族のヒストリーついてもお話を聞かせて頂きました。

新球場でも使用!電柱の地中化に欠かせない「ハンドホール」

ハンドホールは、地中埋設の電線やケーブルのつなぎ目に、点検口として設置されているコンクリート製のボックスです。下水管などに使われるマンホールは人がすっぽりと入れますが、ハンドホールの箱は手を差し入れられるほどのサイズ。

建物や施設に電気を引き込む際や、周辺の景観を損ねないように電柱を地中化する際に使われることが多く、大江コンクリートの製品は北広島市の新球場にも納品されているそうです。

「電柱を地中化する大きなメリットが、ほかにもあるんですよ」と話すのは、工場を案内してくれた専務の大江哲哉さん。

「電線を地中に通しているので、北海道に多い着氷や着雪、強風で断線することがありません。また、災害にも強く、万が一断線しても地上よりも早く復旧できるという利点があります。そのような理由から、ビルや市役所などの主要な建物で地中化を行うことが多いんですよ」

とのこと。大江コンクリートさんのハンドホールは役所・官庁向けが6割を占めているそうです。

むかわ町から150㎞先にある、仁木(にき)町に納品するというハンドホールや、ほかにもたくさんのハンドホールが並んでいました。全部同じようでも、よく見れば配管を通す穴の数や大きさなどが違っています。

「納める現場によって配管の本数や太さが違うので、穴を開ける場所や個数もその都度変わります」と哲哉さん。


「ありがたいことに、お客様からは『大江さんの製品は安定していて仕上げがきれい』と、お褒めの言葉をいただいています」と哲哉さんは胸を張ります。

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哲哉さんは長年営業を担当しているだけあって、身振り手振りも交えながら、コンクリートのことやハンドホールの製造過程などをわかりやすく説明してくれます。寒冷地である北海道でも製品の強度や耐久性が保てるように、さらに見た目の美しさにも気を使いながら、最良の製品づくりに努めていることが伝わってきました。

大企業からも設計のアドバイスを求められる、社長の経験と頭脳

工場内を一通り見学させて頂いた後、哲哉専務と父の健社長、経理などを担当している母の眞知子さんに、お話を伺いました。

「この人は、本当に勉強家なんですよ。昔から、会社に必要だからと資格もたくさん取って...」と、眞知子さんは夫を尊敬の眼差しで見つめます。

ooe_kenshacho.png大江 健社長。豊富な知識に裏打ちされた言葉には説得力があります

健社長はJIS関連の講習会にも積極的に参加、空いた時間には社員にレクチャーを行って知識や情報を共有し、観楓会(かんぷうかい※)では行き先の周辺にあるJIS規格の会社を探して見学させてもらったほどだといいます。
※北海道で秋頃に行われる社員旅行

哲哉さんも子どもの時から、父親が毎晩のように懸命に学んでいる姿を見て尊敬の念を抱いてきたそうです。知識豊富な社長は、顧客に製品を納めるだけでなく、取引会社から設計のアドバイスを求められることも。ある大手企業からの悩みにアイデアを出して解決、感謝されることもありました。

そんな健社長が大江コンクリートに入ったきっかけは?と訊ねると、初代社長が技術者を探していたところ、工業高校に通っていた健さんを紹介されたのだといいます。試験係として採用された健さんは持ち前の研究心と勤勉さで仕事に取り組み、大江家の娘である眞知子さんと結婚。家庭を築きました。

当時の会社は、コンクリートの製造から、製品づくり、販売までを手掛けていました。「従業員がたくさんいて、下請けもあって...休みは月に1回ほどでした」と、当時を振り返る健さん。ちょうど日本が高度経済成長期の時代でした。

先祖は淡路島からの入植者。品質のために熱心に研究

さらに歴史をさかのぼれば、会社設立前の昭和初期に、初代社長の父・大江虎一さんが、個人でコンクリート事業を始めたのだといいます。眞知子さんはこう話してくれました。


「虎一は明治生まれで、淡路島からこの土地に最初の開拓者として入植してきたと聞いています。はじめは酪農をしていたそうで、私が子どものころはサイロもありました」

虎一さんは非常に研究熱心な人だったようで、会社に残る資料によるとコンクリートに関する強度試験を北海道大学に依頼して実施したり、下水に使うコンクリート管の試験データも残っています。その結果から独自の基準、規格を設けて製品をつくっていたといいます。

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JIS規格が制定されるよりもかなり前の戦前から、品質を確保するための規格づくりを自ら行っていたとは、なんとも先駆的ではありませんか。

祖父の一言が運命を変えた、哲哉さんの進路

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その血筋を引く専務の哲哉専務は、子ども時代から野球に勉強にと打ち込む文武両道タイプ。両親から「好きな道に進みなさい」といわれて育った哲哉さんは、東京農業大学に入学します。


「そのころは、北海道の安全でおいしい野菜を全国に広めるにはどうすればいいかと考えていて、進路を決めました。就職もそういった関係の会社を希望していましたね」と哲哉さん。

それがなぜ、実家のコンクリート会社に入ることにしたのでしょうか?

「私が大学3年生のとき、初代社長の祖父が倒れて入院したんです。私が病院へ見舞いに行くと『将来はどうするの?』と訊ねられました。そこで私は、もし就職が厳しかったら大江コンクリートを手伝おうかなと、冗談めかして答えたら、祖父は『それを聞いて、安心した』と」

この、祖父の言葉が、哲哉さんと会社の運命を決定づけました。哲哉さんは大江コンクリートに入ることを決めたのです。

「本当に大変な仕事だから、息子には苦労をさせたくないと思っていたんですよ」と母の眞知子さん。父である健社長も言葉を継ぎます。

「自分の代で会社をたたむことも考えていましたが、息子が会社に入るという。そんな息子に引っ張られるようにして、もう少し自分たちも限界までやるかと決めたんです」

東京農大を卒業後、哲哉さんは北海学園大学の工学部に1年間通い、コンクリートや構造計算など会社で必要なことを学びました。

「たまに息子が自分のところに来るんですよ。『この課題が解けないんだけれど』っていうから、教えてやる。私が『隠れ教授』ですよね」と、当時を思い出して健社長は笑顔。

「はい、教えてもらいました」と感謝する哲哉さん、とても良い親子関係であり、また師弟のようにも見えました。

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大江家では創業以来、誠実に事業を営んで来ましたが、その間には不景気の波や、取引先との関係で悔しい思いをしたこともあったとか。それでも、製品をハンドホールにいち早く特化したことや、これまで得てきた信用の積み重ねで経営は安定しています。残業もほぼなく、休みもしっかり取れる、従業員にとって働きやすい労働環境を提供できるようになりました。

先祖からの会社を、誇りと自信を持ってつないでいく

現在、哲哉さんは札幌に営業事業所を置き、ご夫妻で営んでいます。お客様は電気工事業者さんが多く、「こういうものをつくりたい」と相談されれば、見積もり用に自らCADで図面をすぐに作成して提示。そのスピード感とわかりやすさが喜ばれているといいます。

さらに、近い将来に3代目の社長となるべく準備を進めているそうで

「先祖から守ってきた歴史のある工場で、社会に貢献するハンドホールという製品づくりができることに誇りを持っています」と、熱い想いを語っていました。

母の眞知子さんが「そういえば」と話してくれました。

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「息子は小さいときからたまに工場に来ていましてね、鉄筋曲げをするのを手伝ってみたりしていたんですが、それを見ていた先代が私に『ちょっと来て、哲哉の様子見てみれ。うまいもんだぁ』と目を細めていたんですよ」

初代社長は、幼い哲哉さんの能力を見出していたようです。普段は経理を担当しているという眞知子さんも、製品に少しでも凹みなどが見付けると自ら直しを入れるそうで、「母が誰よりも早く見付け、たくさん直していますよ」と哲哉さん。こうした努力があるからこそ品質の高さを誇れるのですね。

勉強熱心で、取引先から厚い信頼を持つ大江 健社長、そんな夫を支え、あるときは引っ張り、会社と家庭を支え続ける奥様の眞知子さん。そして祖父の一言で家業へ入ることを決めた息子の哲哉さんも、いまは奥様と二人三脚で営業所を切り盛りしています。

かつて淡路島からむかわ町に入植して以来、脈々と受け継がれてきた歴史。お互いが尊敬し合い、支え合いながら家業を発展させ、未来に繋いでいく家族の姿に胸が熱くなりました。

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株式会社大江コンクリート
株式会社大江コンクリート
住所

【本社】北海道勇払郡むかわ町花園1丁目20番地
【札幌営業所】北海道札幌市厚別区上野幌3条4丁目10-14

電話

【本社】0145-42-2020
【札幌事業所】011-890-8000


開拓時代から続く、家族と家業の物語。(株)大江コンクリート

この記事は2023年3月28日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。