HOME>このまちのあの企業、あの製品>先代が拓いた会社と製品を受け継ぎ「これから」に向かう(株)鋼商

このまちのあの企業、あの製品
安平町

先代が拓いた会社と製品を受け継ぎ「これから」に向かう(株)鋼商20230322

先代が拓いた会社と製品を受け継ぎ「これから」に向かう(株)鋼商

安平町の(株)鋼商(こうしょう)は、宅地造成や道路などに土木工事で使う擁壁(ようへき)などのコンクリート製品、建物などの基礎として地中に打ち込むパイル(杭)やヒューム管などの接合・補強用金具を製造している会社です。創立者の先代社長は、個人で起業後、大手企業と技術提携や取引を行い、安全性が高く効率的な製品をつくるメーカーに会社を育て上げた人物。また追分に移転した会社の第一号として「安平町誘致企業会」の設立にも携わり、積極的に企業の誘致活動を行うなど安平町の産業の活性化にも貢献してきました。

2代目社長の大場誠之(おおば・さとし)さんは、「労働環境の変革」「省エネの推進」「高品質な製品の提供」「地域への貢献」などの取り組み目標を掲げて、SDGsの理念に沿った経営を行っています。先代の意志を受け継ぎながら、いまの時代に合った会社にと省力化や労働条件の改善を積極的に進めている大場社長。さらに、先代の右腕として、社内業務にいち早くDXを取り入れ経営の効率化を図ってきたコンクリート事業部長の下玉利(しもたまり)正信さんにも同席をしてもらい、お話を伺ってきました。

生活の基盤に欠かせないコンクリート製品づくり・金属加工を行う会社

鋼商では、私たちの生活に欠かせないコンクリートの製品や金属加工製品をつくっています。例えば、道路や宅地造成に使われるコンクリートの擁壁は、土砂崩れなどを防ぐために欠かせないものです。かつては、現場で擁壁をつくるしかなかったのですが、鋼商は工場で製造し、現場に持ち込めるプレキャストの鉄筋コンクリート造の擁壁を導入し、北海道で初めて大臣認定擁壁の製造認証を受けました。このプレキャスト擁壁を使うことで、現場での省力化や工期の短縮につながっています。現在は多様なタイプがあり、さまざまな現場での利用が可能になっています。


また、金属事業部ではパイルや下水道などに使われるヒューム管などのコンクリート製品をつないだり、補強したりする金属製品の接手を製造しています。こうした杭や擁壁、頑強さを保つための金具が、地震や土砂崩れなどの災害から私たちの暮らしを守っているのです。

kosho_hibana.png
同社では、NCマシニングセンタを導入して金属製品の自動成型を行うなど、品櫃の向上とともに省力化にも努めています。常によりよい製品づくりとともに、働きやすい会社づくりのための努力を続けているのです。

たった独りの起業から大手企業や自治体と取引するメーカーに成長

鋼商が取引をしている商社、技術提携をしている会社は名だたる企業ばかり。その製品は北海道庁や開発局、各市町村といった自治体、高速道路会社に納入されています。この会社、先代社長が裸一貫からの一代で築き上げたというから驚きです。たった独りの起業から、どのように事業を広げていったのでしょうか。

高度経済成長期に入った1961年、「鉄のまち」と呼ばれ、鉄工業で栄えていた室蘭市で、23歳の先代は鋼材の販売店を始めます。
より事業を拡大するため、単身で「超」のつく大手商社や製造会社を訪ねていき、粘り強く交渉を続け、提携や取引を結んでいきました。個人経営者だった先代が、どうやって大手会社に受け入れられたのでしょうか。大場社長は、相手にされなくても食い下がっていった父親の、真面目で一生懸命な性格によるものではと話します。1971年には登別に工場と事務所を構えて、基礎杭の金属加工や電柱の下請けから、金属加工業、コンクリート製品の製造など、現在手掛けている様々な事業の下地がつくられていきました。

kosho_kojo.png

同年には旧追分町にコンクリート工場を新設します。当時の旧追分町は「国鉄のまち」で、鉄道で使うケーブルを収めるコンクリート製のトラフをつくってみないかと誘われたのが移転のきっかけでした。現在の場所に本社社屋と2つ目の工場を構えたのが1977年、誠之さんが小学生の時だったそうです。下玉利部長が「当時は下水道のヒューム管や鋼製カラーをつくっていました。つくるほどに売れたので、ほとんど寝ないで仕事をして午前様で帰るのが普通でしたね」と懐かしそうに語ります。

鉄道の分岐点につくられた追分駅には、保線区、機関区と、当時はたくさんの現業機関が置かれていて住民のほとんどが国鉄の関係者だったそう。「炭鉱のまちみたいなものでしたよ。お風呂もタダで入れたしね」と当時の話で盛り上がっていました。

下玉利さんは先代の友人のような関係で、よく社長の自宅にも来ていたそうです。当時は高度経済成長期、工場の従業員たちの頑張りもあって、会社は順調に成長していきました。また、認定や認証を受けたことで会社の信頼度も高まり、製品が公共工事で多く使われるようになっていきます。1990年には岩手県に東北工場を新設しました。

無口だった父親から病床で事業継承

kosho_mainN.png

2代目になる大場社長は小樽の会社で働いていましたが、20代後半のころに父親である先代社長から「鋼商で営業職をするように」と手紙をもらって鋼商に入ります。先代から後継者としてさまざまなことを仕込まれたのかと思えば「仕事を教えてくれたのは、父親ではなく周りの社員たちでした。お客さん回りをしていて、そのお客さんからもいろいろと教えてもらった」とか。

父親から「後継者になれ」とも言われず、自分から「後継者になりたい」とも言わず、後を継いだのも「成り行きのようなところがありますね」と話す大場社長。子どものころから家にいることがほとんどなく、休みの日が苦手で「仕事の鬼」だったという先代は、身内に対してストレートに話すのが苦手な「昭和の男」だったのかもしれません。

「先代が亡くなったのは2年ほど前です。苦痛をコントロールする緩和ケアを受けていたのですが、その間、半年にわたって引き継ぎを受けました。それでもやはり、社長になってみれば経営というのは別の世界でしたね。1年目は大変でしたけれど、いまは3年目で少しは何とかなっているかな」

そう淡々と語る社長。先代の右腕であった下玉利部長から会社のいろいろな話を聞かせてもらっていることも、役に立っているそうです。

1代目、2代目を支え続ける社長の「右腕」

kosho_shimotamari.png
先代社長に引き続き現社長の右腕ともなっている、下玉利部長の経歴についても触れておきましょう。鹿児島県の種子島生まれで静岡県で育ち、東京の高校・大学へ。10歳年上のお兄さんの会社で運転手のバイトをしながら大学に通ったという苦労人です。と思えば、大学卒業後は、お兄さんの同級生だった人が住んでいる北海道の北広島市へ行き、


「半年ほど遊んでいたら帰りの飛行機代もなくなって、ススキノで旅費でも稼ごうとアルバイトをしていたら、埼玉から兄が飛んできて...」

と、穏やかな雰囲気の下玉利部長からは信じられないようなエピソードもお聞きしたのですが、ここは省略。北広島の知り合いの縁もあって鋼商に入社しました。

この会社で下玉利さんの隠れたDXの才能が開花します。製品の設計図や構造計算、官公庁に提出する書類など、早くからプログラムをExcelで独自に作成。

「だって、プログラムのソフトを買うと安くても百万とかするんですよ!それなら自分でやったほうが早いですよね」

と事もなげに答えます。いまでもプログラムを自分で作成しているという下玉利部長、62歳。手作業で3日かかっていた作業が、Excelの入力シートを作れば30分程度で済む。その浮いた時間を休日に当てて、お子さんが小さいころは温泉や遊園地に連れて行ったり、家族でディズニーランドにも行ったそう。社員に裁量が任されていて、割と自由なこの会社を気に入っていると話します。

製造業のイメージを良くする環境づくりに尽力

下玉利部長が言うように、「うちの会社の良いところは、割と自由なところですね」と大場社長は話します。


「会社のルールはあるけれど、その中で一人ひとりが向上心を持って『こうしたらもっと仕事がラクになるんじゃないかな』と考えてやっていける。そういった人が長続きしているんじゃないかと思います」

鋼商の求人面接はかなりユニークなところもあります。「給料明細を持ってきて、見せてくれるように言うんですよ」と大場社長。アルバイトをしていたという事務希望の方には、初任給がいくら欲しいかを聞きました。どちらも、本人の能力やスキルにきちんと見合ったお給料を出すためです。

「応募する人は縁があって面接に来られるのだから、スキルが高ければ1万円上乗せしますし、未経験だったら『これぐらいの金額からやってみよう。あとは頑張り次第で評価するよ』と話をしたりもします」

また、勤務時間が多かった初代社長の時代から、いまの時代に合わせるべく労働条件も見直しています。休日は、第一土曜以外は土日休みの週休2日制にしました。残業は基本的に本人の希望でやる・やらないを決められるようにしています。「もう昭和の時代じゃないしね」と笑うお二人。

「入社して、これから何十年も働くのに、無理をさせる必要もないと思っています。例えば両親と同居していて、それほど稼ぎにこだわることもないと考える人もいますし」と社長。

経験については、未経験でもOKな業務と、キャリアが必要な業務があり、例えばコンクリート部門は仕事を覚えるのに1~3年かかるため、経験者を優先して採用しているそうです。

kosho_lecture.png

多くの同業者トップと話をする機会が多いという大場社長は、中小のメーカー会社の深刻な人材不足を実感しているといいます。

「日本は、製造業でここまで成長してきた国なんですよね。でも、大企業は別として、ものづくりの会社は人の確保が非常に厳しい。それを考えると10年、20年先はどうなってしまうのかなと思ってしまいます」

そのためにも、昨年にはSDGs宣言を行い、率先して職場環境をかえようと努力を続けています。

鋼商の従業員は現在68名。今春は4人が入社予定で、現社員の父親の背中を見て入社を希望した高校新卒の息子さんもいるそうです。会社事務所の2階には社宅があるので、遠方からの人も住まいの心配をする必要がありません。

地中や建造物の内部にあって見えない、また普段は気に留めないけれど、確実に私たちの暮らしを守ってくれる製品づくりを続けている鋼商。「2代目社長を支えていきたい」と下玉利さんが語るように、向上心を持つスタッフたちが今日も会社で頑張っているに違いありません。

kosho_allstar_smile.png

株式会社 鋼商
株式会社 鋼商
住所

北海道勇払郡安平町追分弥生539番地2

電話

0145-25-3111

URL

https://cosho.jp/


先代が拓いた会社と製品を受け継ぎ「これから」に向かう(株)鋼商

この記事は2023年2月21日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。