パッケージの箱に記された「カマンベールチーズはやきた」という文字。
北海道に暮らす人であれば、「ファンです」「知っています」という人も多いはず。今から30年以上前、果敢にチーズ作りに挑戦し、このカマンベールチーズを誕生させたのが「(有)プロセスグループ 夢民舎」。
夢民舎と書いて、「むーみんしゃ」と読むかわいらしい工房名です。
現在は、カマンベールチーズのほか、ブルーチーズ、モッツアレラ、カチョカバロなどを作っています。今回は、この夢民舎へおじゃまし、これまでのこと、これからのことを伺ってきました。
「はやきた」という名前が目立つ可愛らしいパッケージ
チーズ作りの灯火を消さない。その想いからスタート
今やすっかりチーズ大国となった北海道。道内各地にチーズ工房が誕生し、さまざまなチーズが作られています。北海道における本格的なチーズ作りが最初に行われたところがどこか皆さんは知っていますか?イメージ的に十勝と思われるかもしれませんが、実は旧早来町(現安平町)なのです。1933(昭和8)年、のちの雪印乳業、北海道製酪販売組合連合会によって日本初の大規模チーズ工場が建てられたのがはじまりでした。
ところが、1985(昭和60)年に施設の老朽化に伴い、チーズ工場は十勝の大樹町へ移転。早来でチーズ作りは行われなくなってしまいます。
しかし、「チーズ製造発祥の地として、その灯火を消すわけにいかない」という強い想いを抱いた町民がいました。それが、夢民舎の現社長・宮本正典さん。宮本さんのもとに、町内の酪農家や畑作農家、工場で働いていた技術者などが集まり、6人の有志によって会社を立ち上げ、ナチュラルチーズ作りに取り組みます。
職人気質の父が作る、名優も認めたこだわりのチーズ
「そのとき、父は50歳。町でレストラン経営などをしていたので、チーズ作りは未経験でした。それでも、ものを作ることが好きで、チーズ作りに情熱を傾けていました。根っからの職人気質なのでしょうね。今82歳ですが、つい最近まで現場でチーズ作りをしていたほどです」そう話すのは、宮本さんの娘で副社長を務める吉川絵理子さん。5年ほど前からチーズ工房の運営に携わっています。
こちらがとっても明るくて、優しい雰囲気の吉川さん。
「父がチーズをはじめたころ、私は札幌の学校に通っていて、卒業後も札幌で就職。自分がチーズに関わるとは思ってもいませんでした。うちはずっと自営業だったので、私自身は会社員になることに憧れていて」と笑います。
17年前、母親が切り盛りしている「レストランみやもと」の手伝いをするために町へ戻り、その後、チーズ工房へ。
「製造のほうは父と同じく職人タイプの弟が仕切ってくれているので、私は渉外や営業などを担当しています」とのこと。
職人気質で、もの作りが大好きという社長の宮本さん。カマンベール、ブルーチーズとこれまで手掛けてきたチーズは数々の賞を受賞。アイデアマンでもあり、新しい商品開発なども積極的に行ってきました。チーズ作りの際に出る生きた乳酸菌がたっぷりのホエーを有効活用しようと、ホエーを飲ませて育てた「夢民豚」なるブランド豚肉も育てています。
一般的な豚肉に比べると栄養価が高く、クセも少なく食べやすいと評判。レストランでもしゃぶしゃぶやハンバーグで提供しているほか、売店でも販売。チーズと並び、夢民豚の冷凍の餃子やハンバーグは人気だそう。
「父はこだわりが強くて(笑)。でもだからこそ、本当においしいものを生み出すことができているのだと思います」と吉川さん。実は、俳優の故・高倉健さんも同工房のチーズのファンで、宮本さんと親交があったそう。「高倉さんは舌が肥えていらして、ちょっと味が変わるとすぐに気付いてお手紙をくださったこともありました。父のこだわりも理解し、いつも応援してくださっていました」と振り返ります。
胆振東部地震があったから、気付くことができた大切なこと
吉川さんがチーズのほうに関わるようになってすぐのころ、北海道胆振東部地震が起きます。隣の厚真町で最大震度7を記録した大地震は、安平の町にも大きな被害をもたらしました。
「工房の機械も倒れ、水も止まってしまい、製造も営業もできない、これからどうしようと途方に暮れました。先が見えないと後ろ向きだったのですが、うちにいつも牛乳を納品してくれる牧場の方から、『牛たちを守って、ちゃんと乳を出せるようにしているから、大丈夫だよ』と連絡があったんです。そのとき、私たちも頑張らなければと勇気をもらいました」
そしてもう一つ、このときに大事なことに気付いたそう。
「これまでは牛乳が届くのは当たり前のように思っていたのですが、地震がきっかけで当たり前が当たり前ではないことに気付かされました。チーズを作るためには酪農家の方たちが大事に育てた牛たちの牛乳が必要。あらためて、深く感謝の気持ちが沸き上がってきました」
届いた牛乳を確認しています。
みんなで力を合わせ、チーズ作りを再開。これからは若手の育成にも力を入れていこうと、震災後に入社した若い社員も現在活躍中です。
未来を担う若手スタッフが活躍。想像以上に体力が必要なチーズ作り
そんな若手の一人が今年入社3年目となる菅原信一さん。地元の高校を卒業後、製造業に興味があり、入社しました。今は、さけるチーズやモッツアレラ、カチョカバロなどを製造している第二工場で仕事をしています。吉川さんは菅原さんのことを「モノ覚えがとてもよく、黙々と作業をこなす職人タイプ。とても頑張り屋さんです」と評価。これから期待している若手の一人だそう。
こちらが菅原さん。
最初からチーズに興味があったわけではなかったと話す菅原さん。「見学に来た際に面白そうだなと思ったのと、働いている皆さんが優しい方ばかりだったので、ここで働いてみたいなと思いました」と話します。実は、工房の主力でもあるカマンベールチーズは食べたことがなく、見学時に食べたカマンベール入りのコロッケが初体験。「チーズはピザのチーズくらいしか知らなかったので...」と笑いますが、食べたときに「こんなにおいしいんだ」と驚いたそうです。
「入社してすぐは、体力がなくてめちゃくちゃ大変でした仕事をしていくうちに徐々に筋力がついて、時間をかけずとも作業ができるようになりました。まだまだ華奢ですが...」と菅原さん。チーズ作りは想像以上に体力が必要。取材時は、豆腐状になった牛乳のカットや、加温しながら攪拌する作業中でしたが、その動きは全身を使ったもの。これは体力が必要だと見ていても分かります。
先輩やベテランのパートさんたちからの励ましなどもあるそうで、「筋肉ついてきたんじゃない?と言ってもらえたりして、なんとか頑張っています」と照れくさそうに話します。和気あいあいとした職場の雰囲気の良さが伝わってきます。
実は重労働なチーズづくり。
チーズ作りの面白さを実感中。セミハードタイプに挑戦してみたいという夢も
仕事をはじめてから、「乳酸菌の働き次第でチーズの品質が大きく変わるなど、チーズの世界の奥深さを知りました」と話す菅原さん。さらに「大きなチーズ会社だと、僕のような若手がメインの作業をさせてもらえることはないそうなのですが、ここは早いうちからどんどんチャレンジさせてもらえるのがうれしいです」と続けます。今は先輩の指導のもと、さらなる成長を目指し、日々経験を積んでいます。
その先輩、沖耕之介さんとは社員寮も一緒。寮でもチーズのことを教えてもらっているそう。菅原さんは、「沖さんは前職でハードチーズを専門に作っていた経験がある人。セミハードのこともいろいろ教えてくれて、いつか僕も一緒にセミハードチーズを作ってみたいです」と最後に語ってくれました。
こちらが沖さん。20代であれど、第2工場のリーダー的存在です。
世界中で知られるチーズ工房に成長させ、技術も想いも未来へ繋ぎたい
一年前、菅原さんの高校の同級生も入社し、3人の若手男性社員がキビキビと動いて、稼働させている第二工場。「それでも全体としては人手不足なのです」と吉川さん。パートさんを含めて22人ほどのスタッフがいますが、余裕を持った作業をするにはもう少し人材が必要とのこと。
「チーズ製造発祥の地として、チーズ作りの灯りを消してはならないと父たちがはじめた工房。これからもその灯りを灯し続けなければと思っています。父をはじめスタッフの高齢化もあり、これまで培ってきた技術をきちんと継承しなければならない時期にきているとも感じています。人手を増やし、若い人たちに技術も想いも引き継ぎ、さらに未来へ繋いでいくため、自分に何ができるか考える日々です」
女性陣、仲の良さとチームワークが光る現場です!!
そう話す吉川さん、昨年から海外への売り込みに着手し、アジアで行われた商談会などに参加。その甲斐があり、シンガポールの五つ星ホテルからすでに取扱いたいと連絡が入っているそう。今年に入ってすぐにタイでのプロモーションにも参加する予定でしたが、タイへ行く直前、腕を骨折するというアクシデントに見舞われます。
参加を諦めようとしましたが、サポートするのでぜひ来てほしいと乞われ、ギブスをした状態でタイに飛びました。
「頑張って行ってよかったと思いました。チーズの評判がよく、タイ人の通訳の方もこれはパリに持っていってもいいくらいだって言ってくださるほどで...。皆さんからの評価が高く、それがとてもうれしくて、うれしくて」と語ります。
「父は50歳で夢を抱いてチーズ作りを始めました。夢民舎というネーミングには、夢を持とうという想いも込められています。父はチーズ作りをはじめてから、ずっとキラキラしています。大変なことももちろんあったのですが、父を見ていて夢を持つというのは大事なことだなと思うのです」と吉川さん。
そして、「海外の商談会に出るようになってから、本場ヨーロッパにまで販路を拡大し、世界中の人にうちのチーズを食べてもらいたいという夢を私自身も持ち始めました。北海道のチーズといえば夢民舎と世界中の人に言ってもらえるように頑張りたいです!」と夢を語ってくれました。
吉川さんの夢には、たくさんの人たちに支えられチーズ作りができていることへの感謝の気持ち、次の世代の人たちに夢を持って仕事に取り組んでもらえるようにという願いも込められています。さらなる挑戦、さらなる飛躍に期待です。海外旅行へ行った際、旅先の食品店のショーケースに夢民舎のチーズを見かける日も遠くはないかもしれません。
- (有)プロセスグループ 夢民舎
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