サロマ湖の名物といえば、なんといってもホタテ。オホーツク海の流氷による養分と、豊かな森林からのミネラルが混じり合うサロマ湖で育まれた養殖ホタテは、歯ごたえの良さと旨みが抜群!冬の時季に湖面の氷を割って水揚げされるカキも絶品です。 選別機などの機械で漁業をバックアップしているのが、佐呂間(さろま)町にある(株)森機械製作所。養殖の機械や産業用機械を開発・製作するほか、メンテナンス・修理も行っています。本社のスタッフは約20名、道南にも営業所があります。地元だけでなく、ふるさとに帰ってきて入社する人たちもいます。
「うちは、福利厚生がものすごくいいんですよ」「もっと早くUターンすれば良かった」と社員が口々にいう森機械製作所とは、一体どんな会社なのでしょうか?
漁師さんの「困りごと」のために、オーダーメードで機械を開発
森機械製作所の製造機械のほとんどは、ひとりひとりの漁師さんに合わせたオーダーメードです。会社のWebを見ると、なんと100種類近くもの製品画像が並んでいます。
「昔の漁師さんは『こうしたい』という要望が強くて、それに応じてつくっていたら多くなりました」と話す森光典社長。
いまでも、漁師さんの仕事が少しでも楽になるよう、便利に使ってもらえるような製品をつくりたいと、直接現場を回って機械の提案・設計を行うことをモットーにしています。
「うちは、部品を組み立てて製品化するのではなく、金属の切断、加工、曲げといった素材をつくるところから始めて製品化しています」と森社長。
企画・開発担当を設けることはなく、漁師さんが普段から現場で困ったり、苦労していることを皆でリサーチしています。 機械に故障や不具合が生じて修理に呼ばれたときこそ、まさに情報収集のチャンス。漁師さんの困りごとから製品の改良や、新しい機械の開発につなげていけるよう、常に社内で話し合っています。
「うちなら、どういう形のモノができるだろう、うちの技術でつくれて市場に出せるのは、どういうモノだろう...と考えるんですね。機械って、いろんなつくり方ができちゃうんですよ。その中で、価格やコストなどお客さまが最優先にしたいものを探って、探って、まずは試作品をつくるんです」
試作を重ねて、現場で使ってもらって価値を確かめる
その試作品を現場で使ってもらったりして、実用化にたどりつくのは2割ほど。大半は製品化には至らないといいます。
「それぐらいの無駄をしないと、やはりお客さまに提供できるような、価値のあるモノはできないんです。何度もつくって、その中からチラッと見えてくるものがある。それを伸ばしていって、やっと製品にできるんですね」
森機械製作所が取得した特許・意匠登録は37件にもなります
これまで開発・商品化した製品は、600~700ほどにもなるとか。ホタテの選別機のほか、貝に付着したゴミを洗浄する機械、貝を入れたカゴを高圧洗浄する機械など種類もいろいろ。選別機ひとつにしても、サイズ分けや生産量によりスペックが違ってきますし、不要なモノを取り除く用途といっても、ゴミの場合やヒトデかカニの場合は違ってきます。さらにオホーツク、噴火湾、青森といった海域の違いでも仕様が変わってくるそうです。ホタテだけではなく、カキやコンブ、定置網漁のサケ・マス用の機械もつくっているそうで、まさに取り扱い魚種が多彩多様なため、オーダーメードの仕事が大切になってくるのです。
ホタテのより分けが手作業の時代に、選別機をつくって大ヒット!
現社長の森光典さんは二代目で、先代の父親は自転車やオートバイを扱うお店を営んでいました。
「親父は器用な人で、電気器具から農機具まで何でも修理していました。器用貧乏というか、ちょっと変わった人でね、店はさっぱり儲からなくて、親父からは『跡なんか継がなくていい』と言われたんですよ」
隣町にある遠軽の高校を卒業後、溶接技術を教える札幌の専門学校で学びましたが
「どうしても佐呂間に帰りたくて。帰って、親父の店を継ぎました」
なるほど、森社長もUターン組だったのですね。
そんな中で、漁師さんの機械修理も行うようになり、浜との接点ができたそうです。 やがて、サロマ湖ではホタテの養殖化が本格化。生産量もどんどん上がり、貝の選別などがそれまでの手作業では間に合わなくなってきました。そこで、もうちょっとラクにできる方法はないかと、ホタテの選別機をつくってみることに。
「設計図も描けないから、ダンボールを切って型をつくって、材料の鉄をガスバーナーで切り出して、グラインダーで仕上げて、溶接して...、溶接は、学校で習った技術が役に立ちましたね」
手づくりでなんとか選別機をつくった結果、浜でも大ヒットの製品になりました。
漁師さんのニーズに応じて機械の仕様を変えます
ここでうまく行ったかと思いきや「うちは親父と二人きりだから、生産が追いつかないんですよ」。北見市の鉄工場に外注してみましたが、手が空いているときの、いわゆる合間仕事でつくられるために納期がかかり、価格も高くなってしまいます。 なんとかして、自分たちで機械をつくりたい。しかし、鉄工所のような技術は、ない。そこで、思い切って工場設備の機械化に乗り出します。
錆びやすい鉄からステンレス製の機械開発へ、苦難の道のり
さらに、森機械製作所にとって大きな転機となることがありました。当時、浜で使う機械はすべて鉄でつくられたもの。漁師をお客さんにした地元の鉄工所もたくさんありました。
「鉄で機械をつくると、時間が経つにつれて錆びて真っ赤になってしまうんですよ。それをペンキを塗ってごまかしていました。そんな折、私がたまたま流し台のCMで『ステンレスは錆びない』ことを売りにしているのを見て、ステンレスで機械をつくれないかと」
そうひらめいた森社長は、さっそくステンレス製の機械開発に乗り出します。
「うちみたいな後発は、何か取り柄がないと漁師さんたちにも振り向いてもらえない。これなら勝てる!と思いました」
しかし、すぐに難題があることに気付きます。当時の技術や道具では、ステンレスの扱いは非常に難しかったのです。「大変な苦労のはじまりでしたね」と苦笑いする森社長。鉄に使っていた工具では、ほとんど溶接ができない。切断もできない。穴も開けられない。
「外注するにしても、鉄用のドリルでやると、ステンレスはすごく粘るから、刃先が真っ先に焼けてすぐに使えなくなっちゃうんです。鉄板を切る機械も、刃が傷んでしまう。『ステンレスは無理』と、みんなに嫌がられました」
こうなったら、自社で製作をするしかない。森さんは覚悟を決めて、当時まだ珍しかったステンレス用の設備を少しずつ導入していきました。銀行の融資も厳しかったといいます。
「漁業という、特殊な客層を相手にする商売が、金融機関にはなかなか理解してもらえないんです。漁師は一人親方の集まりですし、水揚げがあって初めて支払いをするから、お金は年末にやっと回収できる。手形を落とすのも大変な時が何回もありました」
NC工作機械の導入で、職人頼りから未経験でも働ける会社に
苦労してつくったステンレス製の選別機の反応はどうたったのでしょうか。
「初めは高いと言われたけれど、4〜5年たって『おお、いいな』と言われてね。鉄だと真っ赤に錆びちゃうのが、きれいなのでペンキを塗らなくていい、長持ちするんで、今度は逆に『ステンレスでつくれ』と言われるようになりました」
ステンレス製作に対応できなかった鉄工所は、すべて撤退してしまったといいます。
また、自動工作機械への転換にはメリットもありました。森機械製作所でも従業員も5,6人抱えるようになりましたが、集まったのは元農家さんだったりと、機械技術に関しては未経験。そこで、個人の経験と腕に頼るのではなく、プログラムを入れておけば同じものを加工できるNC工作機械を導入します。スタッフは、オペレーターとして機械を操作すればいい。いまではこれが当たり前になっていますが、当時としては画期的でした。
NC工作機の導入で、経験に頼らず加工ができるようになりました
現在は、道南にある営業所も含めて、森機械製作所で働く従業員数は26名。現場で働く父親の姿を見て、「ここで働く!」と中学生の時に宣言した娘さんも、実際に旋盤工として入社したそうです。未経験者でもOKで、UターンやJターンで働く人も歓迎しているとか。実際に、一度ふるさとを離れた後、地元に戻って森機械製作所に入ったお二人に、お話を聞いてみました。
親のために札幌からJターン。北見市から通勤する柳さん
常務取締役の柳 寛さんは、お隣の遠軽(えんがる)町出身。札幌からのJターンで、いまは北見市から職場に通っています。
「一度は家から出たいと思って、札幌で就職したんです。酒類卸の会社で、営業や配送センターの商品管理など一通りは何でもやりました」
しかし、父親が亡くなり、ひとり残された母親のため、会社を辞めて遠軽に戻ることに。地元で仕事を探そうと、ハローワークで興味を持った会社のひとつが、森機械製作所でした。 知人が働いていたことも理由にあったそうですが、畑違いの業種で不安はなかったのか尋ねると、柳さんの父親の仕事が注文家具製造で、ご自身もものづくりが好きだったため、ほぼ心配はなかったとか。住まいのある北見市からも車で40~50分程度なので、十分通えると思ったそうです。
「いま、うちの会社には僕も含めて北見市から2人、遠軽町から3人が通勤しています。北見と遠軽から来る社員には、会社から車を買ってもらえて、ガソリン代以外のメンテンナンス費も会社が持ってくれるんですよ」と柳さん。
人口12万の北見市から、佐呂間町という小さなまちまで通勤することにした理由は、森機械製作所の待遇の良さにもあるといいます。
「福利厚生はいいですね。また、夏と冬のボーナスは定額ですが決算手当の割合が高いんです。僕も役員になるまでは『今年の決算手当はいくらくらいもらえるんだろう』って考えていた時期もあります」と笑います。
実際に入社して、漁師さん相手の仕事はどうだったのでしょうか。
「昔話になりますが、電話にでた途端に『怒鳴られた』こともありましたね。あとは、まだ陽の上らないうちに電話が来て『今から直しに来てくれ!』っていわれて現場に行ったこともあるよと、先輩から聞いたこともあります」
それは大変...と思ったら、
「いまは昔ながらの漁師さんっていないですね。子ども、孫の世代になってきているので、皆さん普通に接してくれる人たちです」とのこと。 会社でも、電話の受け付けを朝の5時からに変更したそうです。
「どうしてもすぐに現場へ行く必要があれば、交代日直の人間に伝えるようにしています。5時でも早いと思われるかもしれないけど、漁師さんもパートさんを雇っていたりするので、修理を待っている間、作業が進まなくてもパートさんの給料を払わなくちゃいけない。それに、漁師さんにとっては午前0時から漁を始めるところもあって、僕らには朝早くても、彼らにとっては普通に仕事をする時間なんです」
なるほど、お客である漁師さんの都合を考えながら、社員も無理をしなくていいように調整をしているのですね。
Uターンで着実に成長。休日はソロキャンプを楽しむ藤原さん
さて、次は若手のホープにお話を聞きましょう。藤原光一さんは29歳。札幌からUターンして3年半、いまは旋盤加工の作業を行いながら技術の習得に励んでいます。 佐呂間町の出身で、進学のため札幌へ。その後、店舗内装の現場監督や飲食店の仕事もしていたそうですが、札幌の暮らしはあまり合わなかったと話します。
「飲食店も辞め、自分の人生を考えたときに、地元に戻ろうと思いました」
そうしてふるさとに帰ったのは、25歳の時のことでした。藤原さんは、父親が勤めていた森機械製作所の面接を受けます。
「父は、僕が子どものころに交通事故で亡くなったんです。でも、社長には良くしてもらった、良い方だと聞いていました。母も仕事柄、事務所の人と接することがあり、とても感じの良い会社だと言っていました。だからこの会社で頑張ってみようと思ったんです」
面接の際に、森社長から「高専で2年間頑張って学んでみないか」といってもらい、4月からは手当をもらいながら北見高専技術専門学院に通うことになりました。
「高専が休みの日や夏休み、冬休みには工場でお手伝いをさせていただきました。工場で分からなかったことを学校で聞けたり、学校で学んだことをこちらで生かせたりと、学校と会社を往復できたことはとても良かったと思っています」
卒業して1年半たったいま、先輩とペアを組みながら藤原さんは旋盤加工の作業を行っています。
「円柱状のモノをつかんで回転させて削る加工ですけれど、教えてもらったことをやるだけで手いっぱい」の毎日だとか。
歳末手当の日に行われた面談では、社長から「もし先輩が長期間仕事を抜けることがあっても、その穴を完全に補えるようになってほしい」と言われたそうで、「いまはまだ難しいですけれど、ゆくゆくはそうなれるようにと思っています」と、やる気を見せます。
「これまで自分がどれだけ成長できたのかは、正直分からないです。でも、周りからは成長した、伸びたと思われるように頑張りたいというのはありますね」
普段の暮らしで不便なことは? と尋ねたところ、
「車も持っているし、佐呂間に帰ってきて不便というのは特にありません。あえて言えば、一人暮らしができるアパートが無いということかな。いまは実家で暮らしています」と答えてくれました。
趣味はソロキャンプとのことで、休日には近くにあるキムアネップ岬のキャンプ場によく通っているそうです。夕日とサンゴ草の名所ですね。
「大きな所だと、丸瀬布(まるせっぷ)や湧別にある五鹿山(ごかざん)公園のキャンプ場にも行きますね。自然のなかでなにをするでもなく、一人でボーッと過ごすのが好きなんです」
昔は凝っていたキャンプめしも、もっとゆっくりする時間を増やしたくて、カップラーメンやポテトチップで済ませているとか。大自然に身を浸してひたすらリラックス...それはそれで、贅沢な時間の使い方ですね。
「僕自身、もう少し早く佐呂間町に帰ってくれば良かったなと思っています」と、振り返る藤原さん。
「札幌での時間が無駄だったとは言いませんけれど、やはり自分にはこの町がとても合っているし、早く帰ってきてこの会社で経験を積み上げればよかったかな、と。いまは、教えてもらったことを早く正確にできるように、一生懸命にやりながら、土台を固めていきたいと思っています」
ゆくゆくは結婚して家庭を持っても、この会社で頑張っていきたい、そう話してくれました。
工夫をこらしてつくった機械で、漁師さんを支えられるというやり甲斐。福利厚生・給与面では会社がしっかりと支えてくれる...それが森機械製作所の魅力なのですね。こんな企業で働けるのなら、Uターン、Jターンする社員さんが多いのも納得です。こうした企業こそが、オホーツクという地域を支える底力なのでしょう。
- 株式会社森機械製作所
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北海道常呂郡佐呂間町字北264番地
- 電話
01587-2-3522
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