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斜里町

創業から100年。森林を育て、守り、未来へ繋ぐ。佐藤製材工場20220912

創業から100年。森林を育て、守り、未来へ繋ぐ。佐藤製材工場

世界自然遺産の町・斜里町。豊かな自然に恵まれたこの町で、代々、木材を扱う仕事を営んできたのが「佐藤製材工場」です。今年度、創業100年を迎えたのを機に、4代目から5代目へバトンが託されました。時代の波に翻弄されかけた時期もありましたが、力強くたくましくこの地で木を育て、伐りだし、製材して販売するまでを一貫して行ってきました。造林から販売までを行っているところは道内でも数少なく、さらに道内では最古であろうと言われています。

今回は「佐藤製材工場」のこれまでの歩みを伺いつつ、現在力を入れていること、これからのことについて、先代社長であり現会長の佐藤年彦さんと、5代目社長に就任した娘の小田奈々さんに話を伺いました。

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大正時代、木製の屋根製造からはじまった会社

皆さんは「柾屋根(まさやね)」「柾葺き(まさぶき)」をご存知ですか? トタン屋根が登場する昭和中頃まで道内で主流だった屋根のことで、長さ30センチ、厚さ3ミリほどの木製の板を重ねたものです。本州では瓦屋根が中心でしたが、木材が豊富だった北海道ではこの柾屋根、柾葺きが長い間利用されてきました。佐藤製材工場は、もともとこの柾屋根の製造を行うために新潟から大正12年に入植。斜里の町の開拓とともに、辺りの柾屋根製造を一手に引き受けていました。当時はエゾマツで屋根材を作っていたといいます。
長い間、柾屋根一筋でやってきましたが、戦後少しずつ屋根材が鉄板に代わりはじめ、昭和20年代中盤から鉄板のトタン屋根が主流に。柾屋根を作っていた半分は板金業者に、半分は木材業者になっていったそうです。


「うちは木に愛着があって、木に携わりたいと思ったのだろうね。2代目のときに住宅用製材を作る木材業者の道を選びました」

と、4代目社長で現会長の年彦さんがいいます。

昭和26年に株式会社佐藤製材工場を設立し、住宅の構造材の一部などを手がけてきました。この頃から造林にも携わり、現在も林材部が自社所有の山林や国有林で植林や育林を行っています。

昭和44年、4代目となる年彦さんが入社

「佐藤の家は女系家族だったから、2代目のときに農協で働いていた人に帳場に入ってもらって、その人に3代目になってもらったんだよね。自分もその頃、婿養子で佐藤の家に入って、彼と仕事をしていました」と、年彦さん。

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2代目の娘・幸子さんの夫である年彦さんが入社した昭和44年頃は、海外産の安い木材が大量に輸入され始めた頃。従来の里山から木を切って製材し、工務店へ卸すというスタイルが一変します。佐藤製材工場も、一般工務店向けに木材を挽いていましたが、海外産の木材には価格面で太刀打ちできず、大手住宅メーカーの下請けに入り、構造材などの製材を行うように。

「いろいろ大変だったけれど、3代目が大手製紙会社の造林事業の仕事を取ってきたりして、会社を大きくしたんだよね。しかも彼は昭和54年から斜里の町長を2期務めて、町のために頑張っていたんだけどね...」



3期目はあることがきっかけで落選したそう。そのときのことを当時小学生だった5代目の小田奈々さんはよく覚えていると言います。

「バブル期の乱開発に反発するように、ちょうど自然環境保護に世の中の関心が集まり始めた頃でした。山で丈夫な木を育てるためには間引きが必要であるということが当時はあまり知られていなかったためか、自然保護団体の方たちが木の伐採に関して強く批判し、間伐材の伐採も違法伐採ではないかと批判の対象に...。私も製材会社の娘だということで、クマゲラやシマフクロウが絶滅したらお前の家のせいだと小学校でいじめられました」

それが原因で落選した3代目は、昭和62年、年彦さんに4代目のバトンを渡します。4代目に就任したものの、最初から順風満帆というではありませんでした。

大工にも利点が多い画期的な「プレカット」技術の導入



大手住宅メーカーの下請けで製材加工していましたが、妻の幸子さんが「原点に戻るべきでは」と提言し、翌年から地元の木を挽いて地元の工務店へ卸すスタイルに戻すことに。さらに、莫大な設備費用をかけ、「プレカット」という画期的な技術を導入することにします。プレカットとは、木材加工の工程をコンピューター制御で行う工場生産システム。CADで図面作成し、CAMで加工プログラムを作り、高性能のプレカット加工機で高品質な木材加工を実現するものです。

プレカットで木材を用意することで、これまで熟練した大工さんが柱や梁に墨付けをし、ノミや電気工具で施していた継手や仕口といった細工が必要なくなり、個人の加工技術の差による品質のバラツキもなくなるという利点が。実際、大工さんも人手不足なので、組み立てるだけでOKなプレカットは工務店の方たちにも評判になり、受注が一気に増えました。

札幌で就職した後、結婚して斜里に戻ってきた奈々さんが
「誰もできる人がいなかったので、自分がやるしかないと思って必死でCADを学びました」
と当時を振り返ります。

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平成6年には関連会社の「しれとこプレカットセンター」を設立しますが、平成9年に北海道拓殖銀行が破綻。「そのときは本当に大変だったけれど、当時の中小企業金融公庫や農林公庫(いずれも現在は日本政策金融公庫に統合)などのおかげで助かりました」と年彦さん。

とはいえ、設備投資をしている以上、採算を合わせなければなりません。

「私は新婚で妊婦だったのですが、会社を何とかしなければともう必死でした。大きなお腹で営業に飛び回っているのを見て、取引先から父に妊婦に何をさせているんだと注意の連絡がくるくらいでした」と奈々さん。彼女がそこまで必死になっていたのは、幼い頃から会社の経営方針や資金繰りを巡って、両親がよく衝突していたのを見ていたから。

「自分が何とかしなければという気持ちが強かったのでしょうね」と苦笑い。さらに、最愛の母・幸子さんが亡くなり、「ますます頑張らなきゃと思うようになった」と、がむしゃらに仕事に打ち込みます。

バイオマスボイラー導入など、環境保全にも配慮



奈々さんは女性目線を生かし、会社の中を改革していきます。まずは工場内をきれいにするところから。毎年3月に工務店や株主向けに木材の臨時即売会を行っていましたが、工場や倉庫を見た方から「きれいじゃないね」と言われたのを機に、誰が訪れても常にきれいな状態であるべきと清掃に力を入れ、きれいに整えるように。場所がきれいだと、ほかのイベント要素も盛り込めるようになり、「3月の即売会は、いつの間にか感謝祭のような雰囲気になりました」と奈々さん。
現在は住宅建材の展示会「住まいのビッグフェア」として開催され、毎年多くの方が訪れるそうです。

さらに、奈々さんの「もったいない精神」が発揮されたのは、売電用のソーラーパネルの導入でした。「たまたま知り合った電機メーカーの社長さんが、通常は売電用に使うソーラーパネルを工場で直接使っていると話しているのを聞いて、うちもそれを導入したいです!と話を進めました」と話します。現在は、工場で使用している電気の半分近くを自家発電でまかなっています。

「売り上げを伸ばすことも大事ですが、それよりも経費をいかに抑えるか知恵を絞ることも大切だと考えています。ソーラーパネルに関しては、最初は経費削減のためと思って導入しましたが、結果的に電気の地産地消を行っていて、環境保全にも繋がりました」と奈々さん。



ソーラーパネルのほかにも、環境保全への取り組みを率先して行っています。平成31年には北海道初の木材乾燥用「バイオマスボイラー」を導入。プレカットの製材時に出た端材を燃料とするボイラーで、年間で156万tのCO2の排出削減に貢献しています。
奈々さんは、「木を育て、森林を守ることも私たちの仕事。その上で環境保全も大切な仕事のひとつだと考えています」と話し、佐藤製材工場は「しれとこ100平方メートル運動」の森作りに携わったり、知床の自然を守る知床財団の活動も支援したりしています。

山林を守り、次世代へ継承していきたい木の文化



近年のウッドショックにより、海外からの木材輸入量が激減し、価格が高騰。斜里岳の麓に自社の山林を所有している佐藤製材工場は、

「元々うちの製材工場では100%北海道産材の原木を製材してきたので、今回のウッドショックで国産材の評価が上がり、うちとしては逆に良かった」と奈々さん。

現在もプレカットの受注は順調で、年彦さんが力を入れている北海道産材のカラマツを使った牛舎のプレカットも評判です。「アブがこないし、牛たちにとってもいい牛舎」と酪農家にも高評価なのだそう。

業績は順調に推移しているものの、慢性的な人手不足と森を守る人材育成という課題があります。学生のインターンや海外からの技能実習生なども積極的に受け入れていますが、なかなか解決には至らないそう。

年彦さんは、「これまでプレカットの工場を24時間稼働させていましたが、コロナ禍で人手がさらに減ったため、思い切ってロボットを使った工場を新設することにしました」と話します。24時間稼働の無人工場。社員は8時間労働で残業ナシという条件で働くことが可能に。「時代に合わせて、働く環境も変えていかないとね」と年彦さん。

sato-seizai39.pngロボットが24時間稼働する新工場を建築中。完成は来年2月の予定

今年3月に100周年を迎え、記念の式典には全国から127人もの人が集まってくれました。このタイミングで、年彦さんは社長業を奈々さんへバトンタッチ。

奈々さんは、「林業は全体的に労働者不足、後継者不足で疲弊している感じがありますが、それでも先人たちが残してくれた山林を守り、育て、私たちは頑張っていかなければなりません。私の子どもたちが跡を継いでくれるかはまだ分かりませんが、次世代にもしっかりこの山林を引き継ぎ、木の文化を継承していきたいです」と最後に話してくれました。

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株式会社佐藤製材工場
株式会社佐藤製材工場
住所

北海道斜里郡斜里町字中斜里18-29

電話

0152-23-2158

URL

http://www.okhotsk.or.jp/satohseizai/


創業から100年。森林を育て、守り、未来へ繋ぐ。佐藤製材工場

この記事は2022年6月13日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。