1954年創業。2022年で68年目を迎えた歴史ある会社にお邪魔したのは雪が深く降り積もる2月のことでした。
お邪魔したのは、トダテック株式会社。
この会社が拠点を構えるのは、札幌から車で1時間程のところにある南幌町。札幌から近い立地でありながら、農業が栄え、自然が豊かなまちです。 話を聞けば、もとは札幌の中心である中央区から歴史は始まり、その後白石区、そして南幌町へと場所を移してきたといいます。
移転の理由のひとつは、事業拡大のため。
50坪の敷地からスタートし、今では敷地面積なんと4,863坪!これだけの広い土地は、今や札幌ではなかなか見つけることができません。
さて、そんな広い敷地内には大きな工場が3つ。一体どんなものをつくっている会社なのでしょうか?
工場を覗いてみると、さまざまな種類の製品がつくられているのがわかりました。
ここでは主に、食品工場やゴミ処理施設で使われるような産業機械や、荷物の保管・移動に使われるコンテナ、ワイヤーロープなどが作られており、その品揃えの多さに取材陣もびっくり...。
例えば、お客様の倉庫のレイアウトに合わせ、空間を最大限に有効利用してもらうため設計から製作までを行うのがこの会社の特徴なんだとか。道内のお客様が中心で、行政・民間問わずお取引をしているそうです。
家業を継ぐと決めたワケ
まずはじめにお話を聞かせてくださったのは社長の戸舘佳佑(とだて けいすけ)さん。おじいさまの代から受け継ぎ、3代目です。 2017年の5月にこの家業を継いだ戸舘社長ですが、もともと継ぐつもりはなかった、と話します。
こちらが戸舘社長。35歳の若き社長です。
「もともと普通にサラリーマンをしていたんです。継ぐのは、まさに『青天の霹靂』でしたね」
それには、先代が2017年に癌で亡くなったのが大きなきっかけだったと言います。
「両親からは、継ぐ継がないはどちらでもいいと言われていたんです。当時は一部上場の企業で働いていたし、それならずっとサラリーマンとして働いていた方がいいという話もされていました。でも、父親の病気が発覚して、余命半年と宣告された時には、急遽帰ろうと決めました。いつも父の背中を見てきた中で『いつかは帰るべきなのかも』と、どこかでは思っていたんです」
こうして先代のお父様の病気が発覚した時に、覚悟を決めたという戸舘社長。 会社を、そして、従業員を守ると決心し、代々続いてきた事業を廃業させることなく、今も続けられているのは、まさに親孝行ですね。
新社長による革新
社長に就任してから何か変えた部分はあるのでしょうか?と聞いてみると...
「自分で言うのもあれなんですけど(笑)かなりたくさん変えてきました」と、にんまり。
「まず、ひとつが仕事のやり方です。『できない理由禁止』というスローガンを立てました。今までは『人が足りないからできない』とか『どうやったらいいか分からないからできない』とか、新しい分野に対してどうしたらいいか分からないという意見が多かったんです。私たちのような中小企業のメリットは、社長との距離が近いこと。毎日社長と会えるんですよ。そのメリットを活かすべく、社長と一緒に『じゃあどうやったらできるのか』を一緒に考えて、導いていく。そうすると、今までできなかったこと、できないと思っていたことができるようになって、みんなの自信になる」
前職では社長と会う機会なんてほとんどなかった、と話す戸舘社長。
それまで大手の会社で働いていた戸舘社長だからこその観点なのかもしれません。
そして、新たに人事評価制度をつくりました。
「例えば、工場長の人事評価制度には『人を育てる』というパートをつくりました。部下が、自分よりできるようになってもらった方が、生産量も倍になるし、その方が楽になるんだよ、というところを伝え、評価の最大にしました」
優しそうに微笑む工場長
この人事評価制度により『賃金の見える化』もできました。
これまでトダテックには、どうやったら自分の給与がアップするのかという判断基準がなかったのです。 それに対し戸舘社長はこう言葉を継ぎます。
「なんであの人より自分の給与は低いのか?など、見えなきゃいけないと思いました。そうじゃないと、将来の自分のビジョンが見えないですよね」
「できない理由禁止」から、人事評価制度の導入...
社員の今までの意識を変えることは到底簡単なことではありません。しかし、それをやらなければと戸舘社長は突き進んでいったのです。
「利益が出たら、社員に還元するというのが私のモットーです。だからこそ、ここ4年は決算賞与という、業績に応じた臨時ボーナスを出しています。業績が悪かったら出さないよっていうのもあって(笑)、じゃあいかに業績を上げていくか?という、みんなのやる気にも繋がりますよね」
こうした経営方針を変えていく中で、もともといた社員の方々との亀裂は生まれなかったのか気になるところですが...
「ありがたいことに、それはなかったですね。従業員のみなさんに支えられたと思っています...って、従業員の本音は聞いてみないと分からないけど(笑)」と笑う戸舘社長。
では、そんな社長の姿を、近くで見ている社員の方にもお話を聞いてみました。
同い年の社長の背中を見て
颯爽と私たちの前に現れたのは、営業主任の豊原雄太さん。取材当時35歳の、入社7年目。前職は住宅関係の営業に就いていたそうです。転職のきっかけは「異業種、違う環境で、自分の営業の力を試してみたいと思った」と話します。
こちらが豊原さんです。
トダテックへの入社を決めた理由は一体何だったのでしょうか。
「自社で製品をつくっているので、営業と工場、同じ社内でコミュニケーションを取って働けるのが良いなと思いました」と話し、実際にそのコミュニケーションの取れやすさが、仕事の効率アップにも繋がっているのを感じているそう。
「営業から戻ってきて、工場に行って、自分の目で進捗など確認できますし、だからこそ、お客さんにも途中経過をしっかり伝えられるので、安心させることもできます」
もともとは全くの違う業種の営業だったため、入社した当初はお客さんが何を言っているのか分からない...なんてこともあったそうですが、場数を踏む経験はもちろん、先輩や上司に同席をしてもらい、自分の中の知識をどんどん貯めていきました。
豊原さんが言うには「分からないことが聞きやすい環境」と、職場の雰囲気について話します。
さて、そんな豊原さんは2代目の前社長の時代から、このトダテックで働いているということですが、社長が変わったことによって何か感じたことなどあるのでしょうか?
「これまで何も変わらないで、ずーっとやってきた流れもあって、代替わりのタイミングでいろいろな挑戦が行われたと思います。工場の方々も、良い提案をすれば、採用されるんだってことに気づいた。だからこそ、みんな積極的に動いて、意見を出し合ったり、『今月はもう忙しくてパンクしそうだから、新しい仕事は受けられない』といったことも、現社長の想いが浸透していって、みんな言わなくなっていきました。その環境になったことで、今まで以上に売上も増えるし、早く終わらせないと次の仕事ができないから、みんなで作業効率も考えなきゃいけない。大きく変わりましたね」
「方向性が変わったりとか、受注する内容が変わったりとか、現社長の以前の職場関係から今までにないような大きな製作物案件も増えたり、今まで以上に工場とのコミュニケーションを取っていかなければ難しくなりました。みんなと、どうやっていけばいいかと、話し合う機会が増えたんです」
それは、社長が全部引っ張っていってくれたというのが大きい、と豊原さんは言いました。
実は豊原さん、社長とは同い年。
学年で言えば、豊原さんの方が1つ上なのだとか!
そんな同い年の社長のことをこう話します。
「まわりからは『若い社長』って言われるけど私は年がどうとかは感じたことがないんです。なんでもアドバイスをくれて、信頼でき、先頭に立ち、一番努力をしている尊敬できる社長です」
営業部では一番の若手の豊原さん。工場にいる後輩たちには、「今日天気いいね」の一言でも、気にかけて声をかけるように意識しているのだとか。
また、トダテックの社員の9割は札幌市内やお隣江別市から通勤しているそうですが、豊原さんは残りの1割である南幌町民!出身は石狩市で、もともとは車で通勤していたそう。しかし、冬は雪も多く、いっそ南幌町に住んでしまおうと引っ越してきたといいます。
南幌町での暮らしも、「車があれば、不便は感じない」と話し、その住み心地の良さに満足しているようです。
インドネシアから北海道へ
トダテックでは技能実習生を受け入れるようになって3年程。2022年春にも一人新たにインドネシアから来る予定なのだとか。
技能実習生を受け入れるようになったきっかけについて、戸舘社長はこう話します。
「教える立場の人間を増やしたかったというところもありますし、あとは人手不足と言われている中で、技能実習生が来てくれれば3年は必ず働いてもらえる保証がある。つまり、人手不足になるタイミングが分かるからこそ、計画的に人事を組むことができます」
また、理由はそれだけではなく、その国の人々の未来も考えてのこと。
「安い賃金で人を雇える、というのは大間違いです。『技能を継承する』というのが、技能実習生の最大の目的です。祖国に帰って、自分で事業を興したいとか、そういう目的がある人が多いんですよ。覚えるのも早いし、バイタリティがあります」
仕事の面だけでなく、住まいについての用意や、買い物、ゴミの分別についての生活面のサポートもしている他、せっかく北海道に来てくれたのだからとインドネシアでは出来ないスキーなどのアクティビティも体験させているのだとか!
「インドネシアで雪なんて降らないですからね!うちの母親が特に面倒を見てあげていて、札幌のテレビ塔に連れて行ってあげたりと、そういうところでコミュニケーションもはかっています」
では、実際にインドネシアからやって来た方にお話を聞いてみましょう。
2019年にやってきたトニー・イスワニさん。インドネシア西ジャワ州の出身です。まもなく23歳になろうとしている彼は、溶接のお仕事が大好きなんだとか。
こちらがトニーさんです。笑顔がとってもキュート!
「溶接の仕事はインドネシアでも1年くらいやっていました。日本に来て、キレイに、仕事は早く、そういった良いスキルを学ぶことができていると思います」
そう話すトニーさんは、とっても日本語がお上手
「簡単な言葉は分かるけど、難しい言葉は分からない」と言いますが、会社の人たちが常に親切になんでも教えてくれる環境のおかげで、言葉の壁だけではなく、仕事面もうまくやっていけているようです。
溶接中の様子
そんな遠く離れたインドネシアから、北海道の南幌町にやってきたトニーさんにとって、北海道はどんな印象でしょうか?
「初めて雪を見た時は楽しかったです。最初は『うわ、寒い!』と思いましたが(笑)。今は慣れたから大丈夫です。南幌町はなにもないですが(笑)、買い物はネットがあるから不便は感じません。北海道はキレイですし、食べ物も美味しいです。ラーメンが好きで、会社すぐ近くにあるラーメン屋さんで食べることもあります」
そう軽快に話してくださるトニーさんからは、日本での暮らしを、仕事を、とっても楽しんでいるのが伝わってきて、取材陣もなんだか嬉しくなりました。
トニーさんには、夢があります。
それは、母国インドネシアで溶接の工場をつくること。
目指せ、社長です。
「インドネシアで溶接の工場ができたら、母国に還元できる良いものをつくっていきたい。死ぬまでに絶対建てます(笑)」
そう笑うトニーさんの瞳の奥からは、バイタリティあふれる煌めきが溢れていました。
技能実習生の3年の期間がまもなく終わるトニーさんは、2022年4月に一度インドネシアに帰国し、ご結婚されるのだとか! また技能実習生として戻って来られる試験も見事合格し、2023年の2月にまたトダテックの社員として戻ってきてくれるそうです。
トニーさんがトダテックに戻ってきてくれるのをみんな楽しみに待っています!
社長を筆頭に温かい空気が流れる会社
戸舘社長に、どんな人と一緒に働きたいですか?と聞いてみました。「素直であること、自分を客観視できる人、なりたいビジョンとかを持っている人」それがあれば、経験は問わない、と戸舘社長は言います。
「どの業種も、経験うんぬんではなく、バイタリティがあるかだと思うんです。そこがないと成長できない。前向きな姿勢、そういう人材がいれば一番いいですね。そして、ものづくりの面白さだったり、一緒に喜べる人がいるとか、人との繋がりから、やりがいを抽出をしてほしいという私の願いがあります」
営業主任の豊原さんも仰っていました。
「自分がつくったものが納品された場所で使用され、うまく使われている時を見た時などにやりがいを感じられるはず。お子さんがいる方は『これお父さんがつくった機械だよ』って伝えることもできます。外から見えない機械であっても、大きな食品メーカーさんの工場だと、工場見学で連れて行って見せることができるんです!」
自分たちがつくったものが、しっかりとお客様の場所で動いている。 それを、仲間たちと手を取り合い、時に知識を振り絞って、どうしたらうまくできるかと考えつくりだす日々の時間。想いの詰まった時間が、トダテックには流れています。
毎年クリスマスには、フライドチキンのボックスが社員全員に配られる粋なイベントも。中小企業であり、社長との距離が近いからこそのこれまた心温まる魅力のひとつなのかもしれませんね。
- トダテック株式会社
- 住所
北海道空知郡南幌町南10線西14番地(晩翠工業団地)
- 電話
011-378-3134
- URL
「クラウド継業プラットフォーム relay(リレイ)」にも事業継承事例として掲載中。