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このまちのあの企業、あの製品
厚真町

若い仲間が続々集い、町の森と林業を守る。有限会社丹羽林業20210719

この記事は2021年7月19日に公開した情報です。

若い仲間が続々集い、町の森と林業を守る。有限会社丹羽林業
今年度始動した「森の魅力発信し隊」!
若手林業・木材産業従事者を中心とした仲間が集い、日々情報交換をして盛り上がっています。
そんな「森の魅力発信し隊」のメンバーについて、ご紹介する記事の第1弾です!

「森の魅力発信し隊」についてはこちらをご覧ください

町の面積の約7割を森林が占める、林業のまち・厚真町。2018年に起こった胆振東部地震からの復興が進むこの町で、林業の新たな未来に向けて進む若い後継者がいると聞き、厚真町を訪ねました。全国的に担い手不足が叫ばれている林業ですが、若い社員や林業者も増えているといいます。その後継者である丹羽智大さんに話を聞きました。

祖父が興した家業の林業に従事

現在は厚真町で唯一、林業を営む会社となった有限会社丹羽林業。市街地から少し離れ、森に囲まれた静かな場所に本社があります。3代目次期社長が丹羽智大さんです。丹羽林業は、丹羽さんの祖父が創業し、父が受け継いでいる会社。丹羽さんも子どものころから、将来は家業を継ぐことを意識しており、大学は宇都宮大学農学部森林学科へ。その後、一度外の世界で学んでこようと、苫小牧でキノコを生産する会社へ就職し、3年間働きました。そして26歳の時に厚真に戻り、林業の道に入りました。

niwa_3.JPGこの日の取材は現場にもお邪魔させていただいてお話を伺いました。

学生時代はバドミントン部に所属し、体力には自信があったという丹羽さん。しかし、林業の仕事を始めると、自分の倍以上の年齢の社員にもついていけないことに愕然としたといいます。

「バドミントンとは使う筋肉が違い、最初はキツかったですね。だけどやらなければいけない、と奮起しました」

若手の仲間と協力しながら試行錯誤

周囲は50代以上のベテラン社員ばかりの中、当時は町の地域おこし協力隊として会社で研修をしていた永山尚貴さんがいたため、「彼がいてくれたから頑張れた」と丹羽さん。二人で現場の仕事のしかたについて普段から話をして、造林作業の効率化にも取り組みました。
例えば、木の植え付けは真っ直ぐに植えないと、その後の下草刈りの作業にも影響する重要な作業です。以前は木の棒を使って間隔を決めており、慣れていないと曲がってしまいます。そこで2点に旗を立てて端と端を結び、線に沿って植える方法を考案。他の社員にも提案すると、その方法を取り入れてくれたといいます。

そのように試行錯誤しながら林業の仕事を習得していき、8年ほどになる丹羽さん。

「林業は外で四季を感じたり、鳥の鳴き声を聞ける自然の中にいられるところがいいですね。一人作業が多いので、自分の裁量で考えながらできるのがいいところ。仕事の成果が目に見えるのも、達成感が得られます。今でも、『どうしてその木を倒したんだ』なんて怒られることもありますけど(笑)。まだまだ、わからないことばかりです」

niwa_11.JPGこちらが丹羽智大さん。色々なお話を聞かせてくださいました。

町で唯一の林業会社となり、期待を背負う

2018年の胆振東部地震の時は、山で皆伐の作業をしている期間でした。前日に台風があったため作業を休止し、翌日には再開しようと思っていた矢先に地震が起こり、土砂崩れにより丹羽林業の重機も3台が埋まってしまいました。人への被害はなかったものの、その山にはまだ入れず、重機は埋まったままです。

地震の前は数社残っていた厚真町の林業の会社も廃業してしまい、残ったのは丹羽林業のみ。丹羽林業には町からの期待も大きく、地域おこし協力隊として町に入り林業の仕事を経験する林業支援員の受け入れなどには必ず声が掛かります。
一方、今後のために世代交代を図るため、ここ5年ほどで若手社員を5人雇用しました。若手が増えることで、社内の雰囲気も明るくなったと丹羽さんはいいます。社員同士で飲みに行ったり、外で焼肉をする機会も増えました。

現社長で丹羽さんの父の裕文さんも、若手社員が入ってきてくれたことを喜んでいます。

niwa_6.JPG現社長の丹羽裕文さん。

「私が入社した時代から、社内の平均年齢は高かったのですが、息子が戻ってきてから、若手社員も入ってきてくれるようになりうれしいですね。今後も会社を続けていけそうだと安心すると同時に、町の林業を守るための受け皿としての責任も実感しています」

若い仲間が増えることが町の林業の活性化に

現在も森林組合などから来る仕事は多く、町内で担いきれない分はむかわ町などの会社に依頼しているのが現状です。一方、厚真町では町外から移住して個人で林業を担う人も増えており、現在は丹羽林業から独立し環境教育にも携わる永山さん、山が荒れないよう馬に荷物を引かせる馬搬で林業を行う西埜将世さんなど、社員だけでなくそういった若い仲間が増えることがうれしいと丹羽さんは話します。

「同業者の方と話すと、やり方がそれぞれ違ったりして刺激になります。切磋琢磨していくことで町の林業も良くなっていくと思うので、自分たちのスタイルに固執せず、そういった刺激も受けつつ変化していきたいですね」

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現在、新しく入社した社員は、全国森林組合連合会が実施主体として行う「緑の雇用」事業を利用し、3年間通いで研修を受けています。座学での集合研修やOJTを通して、林業の基礎を学んでおり、職人として現場で学ぶだけでなくそういった場も活用しています。

「山を傷つけずに育てる林業など、会社でもプロとしてやっていることではありますが、一人一人が学んで知識を持っていたら、さらに良くなると思います」

その切磋琢磨と、担い手不足の解消を厚真町内だけでなく広域に広げるべく、進めている活動があります。2019年に発足した胆振林業青年部で、丹羽さんは副会長を務めています。振興局単位でできた団体は道内でも初めてで、若手の担い手の確保と定着を推進するため、林業をPRしたり、会員同士で交流をしています。

「林業はわりと閉鎖的なので、お互いにどのようにやっているのか知らない状態でした。ここで交流が生まれることで、機械や作業方法の話などを気軽に聞けるようになりました。このつながりは大切にしていきたいですね」

niwa_20.JPGくらしごとでも関わらせていただいている「森の魅力発信し隊」のメンバーでもある丹羽さん。

地震が町の資源を見直すきっかけに

林業のPRのため、職域を超えた活動も始動しました。厚真町で木に関わる人たちが集まって2021年に設立した一般社団法人ATSUMANOKI96です。林業から流通、加工を担う人が連携して、「身近な木を身近で使おう」をコンセプトに活動しています。きっかけは2020年に開催したイベントで、胆振東部地震で倒壊した民家から出た100年場前の木材を使い、事前に参加者に材料を送ってヤスリで磨き、まな板を完成させるという内容でした。

林業の仲間の西埜さんや永山さんの他、厚真町での林業を経て製材業を営む中川貴之さん、町で学びながら起業準備をするローカルベンチャースクールに2021年に入った坂野昇平さん、移住者で木工作品を作るATSUMA CRAFT WOOD IKORの鈴木大輔さんも加わり、今後は厚真でとれた木を使った製品づくりを目指しています。

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一般社団法人ATSUMANOKI96の「96」は、胆振東部地震が起きた9月6日を表しています。

「地震がきっかけで、厚真町や林業の未来をより強く考えるようになり、このような活動が動きました。林業は人の目に触れることがないため、なかなか魅力が伝わりにくいと思います。山へのハードルを下げ、森の魅力をもっと発信していきたいですね」

従来の枠を超えて活動する丹羽さんの周りには、共感する仲間が集まりつつあります。厚真町から林業の魅力が広がることが楽しみになりました。

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若い人が町の林業を盛り上げていきたい

取材時に丹羽林業の外の作業スペースで、ナラ材の薪を作っていたのは、入社3年目の鈴木守門さん。士幌町出身で、以前は鞄メーカーのデザイナーとして、京都や中国の工場で働いた経験も持っています。地元では親が農業を営んでいましたが、鈴木さんが小学生の時に離農しました。

「若い時は都会に憧れて地元を出ましたが、外から見て改めて、親のやっていた仕事は大事な仕事だったのだと実感しました。そこで一次産業に興味を持ちましたが、環境問題に関心を持ったのもあり、農業ではなく林業の道に進んでみたいと思うようになりました」

鈴木さんは一念発起し、会社を辞めて林業を志し岐阜県立森林文化アカデミーに入学。2年間学びながら、就職を考えた時に、いつか帰りたいと思っていた北海道への就職が見えてきました。そして、知人の伝手をたどり、丹羽林業でインターンとして仕事を体験しました。そこでの2日間で、入社を決めたといいます。

niwa_4.JPGきれいに並べられた薪は、まず乾燥に1年程要します。

「当初は厚真町の名前すら知りませんでしたが、どこに行っても林業は初めてなので、チャレンジであることに変わりはありません。丹羽林業は若い社員もいて会社の雰囲気が良く、厚真町も若くてチャレンジしている移住者が多いと聞き、移住と入社を決めました」

以前働いていたメーカーの工場でも良い経験ができ、中国の大都会である広州市でも暮らしましたが、自然の中で働くことが自分には合っていると感じたという鈴木さん。

「まだまだ3年目なので、これから経験を積んでいきたいです。厚真町は、若い人がこれから盛り上げていくという雰囲気が良いですね。役場が林業に熱心なところも好感が持てました」

元々ものづくりが好きでご自宅のテーブルを自作したという鈴木さん。仕事以外でも厚真の木を使ったものづくりをしていけたら、と今後の希望は広がります。

niwa_5.JPGこちらが鈴木守門さんです。

「本当に木って倒れるんだ」と感動

森の中で豪快な音を響かせながら、木の伐採作業をしていたのは、入社1年目の板垣健太さん。以前は道内を転々としながら自動車整備の仕事をしていましたが、連日夜中まで続く作業に疲弊してしまい、違う道を模索するようになりました。
一次産業に興味を持ちましたが、「地道な作業が続く農業より、森で木を切り倒すダイナミックな林業が合っている」と思ったとか。板垣さんは苫小牧市出身で、当時は奥さんの地元の恵庭に住むことを検討していました。そこで地元にも近く林業が盛んな厚真町役場で話を聞くことに。すると、厚真で紹介された林業者から「自分が修行した滝上町で、林業を学んだらいいよ」とすすめられたといいます。

niwa_9.JPG木を伐倒する際には、周囲への合図をするための笛(呼子)を鳴らします。

実はこの紹介された林業者というのは、以前くらしごとでもご紹介させていただきましたoutwoods(アウトウッズ)の足立成亮さんでした。板垣さんはその後、滝上町で一から林業を学ぶべく、緑の雇用事業の研修も活用しながら、造林作業などに従事しました。

「山に入ってみて、機械を使って『本当に木って倒れるんだ』と感動しましたね。山の上で作業をしているとチェーンソーや重機の音が鳴り響き、それが止まった瞬間に訪れる静寂がとても気持ちよく感じました。冬のキーンと澄んだ空気も良かったです」

これからの厚真町の林業スタイルを模索

滝上町では3年間修行をして、その後に厚真町へ。その時はお子さんも生まれており、家族で厚真町での暮らしがスタートしました。

「滝上町でもそうでしたが、周りが自然に囲まれ伸び伸び自由に過ごせるところがいいですね。半面、苫小牧まで車で15分という利便性もあって暮らしやすいと思います。今は新しくきれいな公営住宅に住んでいますが、本当は古い家を直して住む暮らしに憧れています」

niwa_15.JPGこちらが板垣健太さん。

丹羽林業での仕事について尋ねると、「若い方が多く仕事も楽しいです。昔ながらの方法を知っている先輩から教わりつつ、若手主導で安全を重視した方法も取り入れています。今は、山をなるべく元の形にして次の世代に渡すことを考えています」と、仕事を楽しみつつ町の将来のことも考えていることを話してくれた板垣さん。

「若い人にもっと林業に興味を持ってもらうにはどうしたらいいかな、と家でお酒を飲みながら考えたりしています」

後継者の丹羽さん、移住して入社した鈴木さんや板垣さん、そしてさまざまな形で林業や木に向き合う周りの仲間と共に、これからの新しい厚真スタイルの山づくりが始まっています。

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有限会社丹羽林業
有限会社丹羽林業
住所

北海道勇払郡厚真町字豊丘269番地の8

電話

0145-28-3131


若い仲間が続々集い、町の森と林業を守る。有限会社丹羽林業

この記事は2021年6月8日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。