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このまちのあの企業、あの製品
岩見沢市

日本の農業機械の礎がここに!技術者魂の塊。本田農機工業(株)20210107

この記事は2021年1月7日に公開した情報です。

日本の農業機械の礎がここに!技術者魂の塊。本田農機工業(株)

農業機械の分野は、近年AIによる無人操縦など著しい進化を遂げています。ですが、その昔は全ての作業が、人の手によって行われていた時代が長く続いていたことは皆さんもご承知のとおりです。そんな農作業を少しでも楽にしたい。その思いから日本で初めて農作物の刈り取り・脱穀・選別の機能を一台で兼備した、大型農機具コンバインを開発するなど、農業の未来を創ってきた会社が本田農機工業株式会社さん。
本田と聞くとあの「ホンダ?」と思ってしまいますが、そうではなく、北海道岩見沢市栗沢町という農村地帯で、今もなお農家さんの悩みに寄り添い続けるハートフルな企業です。

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農業の傍ら機械開発?!「少しでも楽に」の想いを形に

「私の祖父は農家だったのですが、当時農作業に忙しい中、米の脱穀作業をもっとスムーズにしたい、なんとか楽にできないかなぁという想いから、脱穀機を改良したことがはじまりだったと聞いています」と、農業機械開発のきっかけについて教えてくれたのは、代表取締役社長の本田雅義さん。社長の祖父にあたる創業者 本田正之さんが、動力式脱穀機と水田除草機の製造・販売をはじめたのがはじまりだったそう。

「創業当時はまだ木製の機械だったんですよ。普通の農家の生まれだった祖父が、農業機械を作るための機械を開発するところから始まりました。最初は自家用として製造したものの、近所の農家から『うちの分も作って欲しい』というリクエストが相次いだことで販売を決めたようです」

昭和10年当時、この機械の存在は画期的だったようで、近隣の農家から道内各地へその噂が広がるほどだったとか。

hondanouki2.jpg代表取締役社長の本田雅義さん

「その後も祖父は農業を営みながら、『より便利に、もっと楽に』と、開発を進めてきました。足踏み式の脱穀機にモーターを付けた全自動式脱穀機、木製・手動だった除草機にエンジンを取り付けた駆動式除草機、そしてその勢いで日本初となるコンバインも製造しました。既にあるものを改良するならまだしも、何もない0から1を生み出す。しかも全て手作業で開発図面も機械も作成している。今からは想像できない苦労があっただろうなぁと思いますね」と開発当時の初代社長に想いを馳せます。

コンバインと言えば、北海道の水稲農業でも欠かすことのできない大型機械のひとつ。昭和30年にコンバインの開発に成功すると、その10年後には国内の大手メーカーもこぞってコンバインの販売をはじめるようになります。大手の参入と共にコンバインの開発はストップしたものの、現在に至るまで、顧客のニーズに寄り添った機械製品を製造・販売しています。

「資本力ではやはり大手には適いません。ですが、『常にお客様に寄り添った機械作りを』この想いを先代から引き継いでいるため、その視点は忘れないようにしています」と、農業者の家系だったからこそ、小回りの利くユーザーの想いに沿った製品を作り続けていることが伝わります。

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柔らかいものから硬いものへ、異業種からの大転身

生まれた時から、祖父とお父様が機械を作るところを見て育った本田社長。ちいさい頃は工場の敷地も遊び場のひとつだったとか。

「子どもの頃は迷惑かけてばかりでしたよ。空地に置いてあった鉄車輪で遊んでいたらそれがひっくり返って下敷きになっちゃって。大けがして病院に運ばれたりしていましたね。ホントヒヤヒヤさせたと思います(笑)」とやんちゃな幼少期を過ごしたそう。そんな環境で育ったのなら、子どもの頃から家業を継ぐよう教育されてきたのかと思いきや、そんなことはなく「母からはうちの仕事は大変だから継がせないって言われていたんですよ」と、意外な答えが。

「好きなことを仕事にしていいと言われていたので、ここを継ぐとは全く想像していませんでした。地元の高校卒業後は関西の大学へ進学して、そのまま大手衣料品メーカーに就職しました。洋服が好きだったので、アパレル業界の仕事は楽しかったですね。その後、化粧品事業にも取り組むこととなり、たまたま北海道支社へ転勤したのが、今となれば運命なんですかね」と、20代後半で北海道へと帰ってきます。

hondanouki4.jpg敷地内には、これまで時を重ねる度に、増築してきた工場が並んでいます

「両親は戻って来いなんて言わないんですけど、叔父や周りの人から『そろそろ戻らないのか?』と言われるようになって、それから結構考えました。元々興味のある分野ではないのに、本当に自分でいいのかという葛藤もありましたし。でも、その時両親のことを想ったのはもちろんですが、不思議と小さい頃からお世話になった栗沢の人やまちのことが浮かんできたんですよね」

そして、地域への想いについてこう続けます。

「子どもの頃はそんなこと考えもしませんでしたが、振り返ってみれば地域の人にたくさんお世話になって、育ててもらったなぁと。これからの人生、少しでもこの地域に恩返ししていけたら、そんな気持ちになりました。地域の農業者の方々に寄り添った先代や父のように、自分も地域に寄り添っていこう、そう覚悟できたことが私にとっての入社のきっかけですかね」と笑顔を見せます。「とは言え、実はプラモデルくらいしか作ったことなかったんですよ(笑)」と、これにはちょっと苦笑い。

「洋服の企画・製造管理はしていましたが、他に経験があるのは化粧品の営業担当くらい。そこから機械の世界への転職は、知識も何もないのでゼロからの挑戦でした」

そう入社を決心する頃には、ご両親も会社を継いで欲しいとお互いの想いも重なり、家族の笑顔と共に本田農業機械での新入社員生活がスタートしました。

hondanouki9.jpg歴史を感じるこちらは、これまで築き上げられてきた製品の開発図面たちです

雰囲気の良さに惹かれて営業マンの道へ

ここで、本田農業機械でお仕事されている方にも、仕事内容や会社の雰囲気などについて聞いてみます。

「入社したきっかけは、企業説明会の時ここのブースが一番雰囲気良さそうだったんですよ」

そう話すのは、もうすぐ入社3年目になる松倉健さん、22歳です。

「親戚が農業を営んでいたので、もしかしたら継ぐのかも?という思いもあり、農業の専門学校へ進学しました。そこでは機械に頼らずに手作業で農業をする術を学びましたが、正直大変でしたね(笑)その後、農業法人に就職したものの、このまま農作業しか知らないくていいのかなって自分の中で疑問になっちゃって。『もっと社会を見たい』そう考えた時、営業職なら社会のいろんな部分を見られるかな。せっかくなら農業機械がいいなと思っていたので、企業説明会でのこのご縁は、僕にとってすごくいいタイミングでした!」と笑顔を見せます。

hondanouki20.jpg営業の松倉健さん

営業経験のなかった松倉さんですが、本田社長の話によるとなかなか筋がいいのだとか。

「なんでもやってみようという仕事への向き合い方と、大変だろうけど、それを表に出さないし、見せない。将来に期待できるひとりですよ」と社長から褒められると、少し照れた様子の松倉さん。「1年目は先輩について廻り、2年目からは1人で行くようになったんですが、僕結構失敗もしていますよ」と謙遜しますが、素直なところが雰囲気からも伝わります。

「ビジネスパーソンとしての言葉使いがまだまだで、取引先の営業担当さんから『その言葉使いはない』と厳しいご指摘を受けました。もう真摯に反省して、その後マナー講座とかも受けて気を付けるようにしています」と、その時はかなり落ち込んだそう。

農業機械の営業と聞くと、農家さんへの個別営業を想像していましたが、実際は農業機械の製造メーカーといった大手企業が多いそう。ベテラン営業の方を相手に緊張するのも無理もありません。ですが、ビジネスマナー講座はもちろん、持前のバイタリティで経験不足をカバーしようと努力を重ねた松倉さん。前向きな姿勢は社内のみんなからも好評です。

「メーカーさんへの営業がメインなので、サービスエリアも広くて、自分は空知・留萌を担当しています。でもたまに、先輩のエリアで商談が決まると、施設機械の設置補助として自分も出張に同行できるんですよ。南は木古内町、北は名寄市へ宿泊付きで行けたのが嬉しかったですね!農作業だと出張はありえなかったので」と、新たな営業ライフを楽しんでいる様子にこちらも嬉しくなります。

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困った時はすぐに相談できる、風とおしの良さも魅力のひとつ

ところで施設機械の設置とは具体的にどういったお仕事なのでしょうか。

「ここで言う施設機械とは、農協などが運営しているお米や穀類の貯蔵施設内にある『昇降機』という大型機械にあたります。当社では、その施設で扱う収量やスペースに合わせた最適な組み合わせを設計・ご提案し、設置しています。小さいものでも高さ6m、大きいものだと10mを越えるものもあるので、かなり大がかりな作業ですよ」と、営業ではあるものの現場での作業や指示出しも行うそう。高さ10mと言うと建物なら3~4階の高さ!それは慣れるまで怖そう。と、取材陣が心配していると「実は僕、高所恐怖症で・・・」と松倉さん。

hondanouki22.jpgこれらは商品パンフレットの一部

わわわ!それは大変と思いきや、「入社当初は設備を支える担当からはじめさせてもらいました。でも、周りの先輩がやっているのを見ていたら、怖いとか言っていられない気持ちになるんですよね。で、やらなきゃ!と自分を奮い立たせてやっています。それでもさすがにどうしても無理な高さの時は、正直にお願しますって言っちゃいます。そしたら先輩方も任せろって言ってくれるんですよ。もう感謝しかないですね。その分、自分にできることは精一杯頑張るぞって気合も入ります」

できること、できないことを正直に相談できて、サポートしてくれる先輩に恵まれるというのは、仕事をするうえですごく幸せなことだなぁと、松倉さんのお話しから社内の風通しの良さがうかがえます。

「ここで仕事するようになって、本当に毎日楽しくて、今は仕事が趣味になりつつあります(笑)大きな施設機械を納品できた時の光景は圧巻で、農業を学んできた僕としてはこの仕事に携われて本当によかったですね。そして、社内に同世代の人もたくさんいるから、些細なことでも共感しあえるのもうれしいです」と、充実ぶりがうかがえる松倉さん。

最後にこれからの目標をうかがうと「今はまず誰に対しても素早い対応を心がけています。憧れている上司がいるので、その人みたいになりたいんですよ。仕事で数字も出して、自分より下の人への気遣いも忘れない。そして、その場の空気を和らげる技。どれを見ても本当にカッコイイ。そういう人を僕も目指します!」と、未来に目を輝かせる松倉さん。これからの活躍が楽しみです。

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工具の名前もわからない!?ボルトナットから覚える日々

さて、お話しはふたたび本田社長へと戻ります。
会社を継ぐことを決心した本田社長は、まず本田農機工業の重要部署、製造部へと配属されます。通常は社員の特性などを見ながら配属先を決めるそうですが、次期社長として働くことを見据えた先代の社長は、開発部以外全ての部署を経験するよう命じます。

「親が経営しているから仕事がわかるかというと、本当にそんなことはなく、まずは工具の名前を覚えることからはじまりました。ボルトナットくらいはわかると思っていたのに、実はそれも種類が豊富で、その違いを覚えることにもひと苦労しましたね」と、製造部門からはじまり、生産管理部、総務部、営業部を経て、平成22年代表取締役へと就任します。

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「本当にアットホームな雰囲気の会社で、どの部署もみんなやさしく教えてくれるから、私自身がすごく救われました。また、小さい会社なので、忙しい時期は他の部署から選抜で助っ人に入るなど、部署間の応援体制も整っています。そういった小回りが利く体制もうちの魅力だと現場を知ることで実感できました」と、社長自身が一社員としてゼロから経験しているからこそ、現場の実情やゼロから始める人の気持ちも手に取るようにわかるそう。それが現在も風通しの良さを維持している秘訣なのかもしれないと、お話しを聞いて感じました。

「よく中途採用は即戦力と言われますが、まっさらな人が成長していくのは教え甲斐もあるし、成長を感じられるので嬉しいんですよ。そう思っているため、最近は経験・未経験問わず毎年新入社員を入れるようにしています。そして、去年自分が教えてもらったことを今年は後輩の新入社員に教える。そうすることで、相手にわかってもらうために、自分自身がきちんと理解して説明できるようになるから、教える側も理解が深まる。するとすごくいい循環が起こるんですよ。若い人が入社してくれると、会社の雰囲気も明るくなるし、いいこと尽くしです」と、若手の育成にも積極的に取り組み、今では地域外からの入社希望も増えたのだとか。

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とは言え、機械を作るとなると、理系の中でもかなりの専門分野。全く知識のない人が機械の仕事をしたいと思って、すぐにできるようになるものなのでしょうか?

「そう思いますよね。私も最初は工業系の大学出身者に来て欲しいと思っていました。ですが、文学部出身の女性から『機械の開発に興味があるから入社したい』と申し込まれた時、やってみなきゃわからないと思い採用しました。すると、こちらの想像を超えて、入社後すぐにCADも覚えて今は開発部の戦力としてバリバリ頑張ってくれています。経験があるほうがいいのは確かですが、経験がなくても入社後育てる環境と本人のやる気があれば大丈夫なんだと確信しました」

社長が話すアットホームな会社というのは、ただ仲が良いだけではなく、人を大切にして、きちんと育てる、そういう家族みたいな温かさがあるのだということが、このお話しからとても伝わりました。また、新しい人を採用することにはもうひとつの想いがあります。
「ここで働く人が栗沢町で暮らしてくれたら、人口対策にもなり、地域の活性に繋がる。そう考えて、町内で暮らす職員には住居費の上乗せ支給も実施しています」と、独自の取り組みで地域を応援します。

「また、自分自身も商工会の役員や、小学校のPTA役員など、地域とのつながりを大切にしています。企業としてできること、個人としてできること。まちの一員として、できることをしていきたいですね」

hondanouki24.jpg工場一の大ベテラン仁平さん。熟練の技術も拝見させていただきました

ハイテクだけじゃない ローテクが救う農業の未来

今もなお新製品開発時は、まず農業機械を開発するための機械を開発するという、メカニックの精鋭が集まる本田農機工業のこれからについてお話しをうかがいます。

「現在の主力は松倉くんの話にも出た昇降機施設で、売上全体の5割を占めています。というのも、実は北海道では当社を含め2社しかこの機械を作っていません。また、何かあった時迅速な修理対応などフォローも必要なので、需要もある。この分野はこれからも伸ばしたいですね」と、北海道内でも引っ張りだこの様子。

そして小型農業機械においては、道内はもちろん、本州にも2つの代理店を構えるなど、各地に本田ファンがいることが強みになっているのだとか。ちなみに近年AIを取り入れた機械が主流になりつつありますが、その点はどのように取り組まれているのでしょうか。

hondanouki16.jpg種籾(たねもみ)用の脱水機も全国へ出荷されます

「本来なら幅広い技術に対応できるようにするべきなのかもしれませんが、AIを導入するためには開発費用もかかります。また、最近は規模の大きな農業法人が増えてきているため、AI装備の大型機械に需要があることも承知しています。ですが、必ずしもハイテクだからいい機械なのではなく、ローテクでも本当に役に立つ商品がある。それを作り続けられるのがうちの技術をいかせる強みだと考えています。これからも地域密着企業として、農家さんの声を聞いて、『こんなものが欲しい』という声を形にしていきたいですね。そして職員にとってもここで良かったと思ってもらえる企業でありたいです」

地域に恩返しをしたい。社長となった今もその想いを忘れることなく、地域も社員も大切にしながら、堅実に農業者の今と向き合い続ける姿からは、凛々しさとやさしさが溢れていました。

日本中に本田農機の想いが詰まった機械が届くように、社長の想いに共感した人が、これからもこのまちにやってくる。そんな未来がずっと続いて欲しいと思いました。

本田農機工業株式会社
本田農機工業株式会社
住所

北海道岩見沢市栗沢町北本町74番地

電話

0126-45-2211

URL

https://www.honda-nouki.com/


日本の農業機械の礎がここに!技術者魂の塊。本田農機工業(株)

この記事は2020年10月22日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。