琴似に根を張り20年。
神社ならではの厳格で閑静な空気の流れている横で、香ばしいスパイスの香りが広がっています。
ここは札幌市西区の琴似神社横にあるカレー屋さん『ぱお』。
琴似に縁のある人ならば誰もが知っている老舗カレー屋さん。可愛らしいピンクの象が目印です。
お店の由来を尋ねると「むかし多摩動物園にいた象の名前からいただいたの」と笑顔で話してくれるママさんは、山口栄子さん。
お店は2019年で20周年を迎えます。
入れ替わりの激しい繁華街の琴似で長くお店を続けられたワケとは何でしょう。
ずーっと側でお母さんを見続けてきた娘さんに聞くとその理由が少し見えてきました。
山口家の次女のどかさん。上にお姉さん、下に弟がいます。
「私が中学1年生の時にお店をオープンしたんですよ」と話してくれたのは次女の山口のどかさん。
「高校の定期代と携帯代は自分で稼げ!と言うのが山口家の教訓だったので(笑)、高校1年生の時からぱおで働き始めましたね。でも接客なんてしたこともなくて、手が震えながら接客したのを覚えてますよ。家では劇甘なお母さんもお店では厳しいですし。いたいけな15歳(笑)にはとても緊張する日々でしたよ」。
今では接客業の大ベテランとも言えるほど素敵な笑顔で対応するのどかさん。
取材中もひっきりなしにくるお客さんに親しげに声をかけます。
それでもバイトはバイト。ずっとぱおで働くなんて思ってもいなかったそうで。
「高校在学中も看予備に通ったりして、看護師になりたかったんです。でも高校3年のとき、スープカレーブームがやってきて、北海道物産展に出展する機会がたくさんあったんです。その物産展のためにバイトを雇ったんだけど、全国各地に出張続きの結構ハードな仕事で辞めちゃって。じゃあ私が行く!って言っちゃったんですよね。直感的に」。
この出来事がのどかさんの人生を変える経験になったのだとか。
「このときに・・・18歳にして売上を作ること、お金を稼ぐってことの楽しさを知っちゃったんですよね(笑)。一日何食売っていくらの売上になるっていう商売の原点みたいな経験をしていたら、学校に行って勉強して就職っていうのが遠くなっちゃったんです」とぶっちゃけます。
物産展での売上は、当時のブームも後押ししてかかなりのものだったそうで、商売人の娘として血が騒いでしまったのだと笑います。
「それで母とも相談して、進学はしないでぱおで働こうって決めたんです。母には反対されたけど(笑)」
お腹が減ってきます
当時の事をママさんに聞くと、山口家の中でだけどねと念を押しながら
「(山口家の中では)頭の良い学校に行った子だから、そのまま進学して欲しかったのよ。お店だってどうなるかわからないし。看護師なんて手に職つけたら食いっぱぐれないでしょ?だから猛反対。だけど、最後には彼女の意思を尊重して、高校卒業してからもぱおで働くようになったのよ」。
離れて気が付くぱおのすごさ
もともとデザインにも興味のあったというのどかさん。
独学でお店のメニュー表を作ったり、ホームページも作っています。
あと是非みなさんに読んでいただきたいものが『ぱおタイムズ』。
イラストもデザインも全てのどかさんが手がけています。
4コマ漫画のぱおちゃんがゆく、は95話目の超大作
そうこうしているうちに「うちのお店のメニューも作って!」なんて依頼が来るように。
「お店のご近所さんたちから声がかかったり、出入りしている業者さんや常連さんから声をかけてもらうことも。それで、このままじゃお願いしてくれる皆さんも不安だろうなと思って、自分のデザイン事務所も立ち上げちゃったんです」。
これはまさにご近所の商店街の皆さんとの関係作りが上手な証拠。そしてお客さんとの信頼関係のたまもの。丁寧な接客と誠実な対応が実を結んだのでしょう。
そしてデザインの勉強をもっとしたいと思ったのどかさんは30歳でついにぱおを出る決意を決めたと言います。
「今までも他のお店でバイトをしたことはありますが、主軸はいつもぱおだったので、転職活動をしたのも初めてで」と語ります。
ほどなくして、通販会社のWEBデザイナーとして雇用されたのどかさんは、ぱおのすごさを知ることになったと熱く話します。
「人生初のぱお以外の会社で働き始めて、マーケティングや顧客管理の事も勉強させてもらってサイトを作っていました。社内で顧客満足度をあげるためにどうしたらいいのかって話し合いをしているときに出てきた内容をぱおに当てはめたら・・・全部ぱおは出来てるって思ったんですよ」。
定期的にお店に来てくれる常連さん(ロイヤルカスタマー)と呼ばれるお客様が、数百人単位で頭に浮かんだというのどかさん。
「カレーが美味しいことはもちろんですが、お店にくれば適正な値段で、ちゃんとしたサービスを受けられるって信頼してもらえているお店だったんだなって改めて感じたんです。そして、それを計算せずに出来ているのがぱおのママ。お客さんの顔を覚えて、好きな辛さや好きなメニューを覚えて。自分たちが何気なくやってきたことって商売にとってすごく大事なことじゃん!(笑)って」。
もともと転職する前からも自分が辞めてしまったら味のレシピがもったいないと感じていたそうですが「レシピ以上の大切なものがお店にはある。これはなんとか続けていかなければ」と思っていた矢先の2018年9月6日。
北海道を大地震が襲ったのでした。
札幌を大停電が襲う。その時やれることとは
未明に起きた大地震。朝起きて外を見るとコンビニに入っていく人の多さにびっくりしたとのどかさんは言います。
「電気がつかなくて、みんな食べ物探してるんだなって。異常事態なんだってようやくわかってきて」と地震当日の事を話します。
幸運なことにお店の被害は電気だけが来ていない状況。ガスは使えたのでカレーを温められるしご飯も炊ける。
根っからの商売人のぱおのお二人は「みんな食べ物なくて困ってるよ!お弁当出そう!売れるよ多分!」という気持ちで真っ暗な中、懐中電灯を頭につけてママさんはカレーを作り始めたと言います。
10時くらいにカレー弁当を店頭で出したところお店の前には長蛇の列が出来たそう。
「まさかこんなに並ぶとは思わなくって、せいぜい20〜30人かなって。でもどんどん人が増えていって。もう冷蔵庫に頭つっこんで、アレも出せるかな、コレも出せるかなってなんとか出せるカレーを作ってましたね」とママさん。
カツカレーを作るママさん
「チキンは半分だし、具材はいつもよりも少なくしか提供できなかったの。でもとりあえず一人がお腹いっぱいになる量を出そうって。それで500円のお弁当を3時間で150食分。これがその日の限界だったんです。ご飯を炊くのにも時間がかかるからすっごく待たせちゃったんだけど。それでもカレーを売ってくれてありがとうって買う人みんなが言ってくれて。最初は商売人の根性だったのにとか、ちゃんとした量のものを提供できなかったしお待たせしちゃったっていう気持ちが最後までありましたね」と当時の事を振り返ります。
琴似というこの地で長く商売をしてきたからこそ「ぱおのカレーだったら安心して食べられる」と思って買う人が多かったことでしょう。長年ここでやってるお店という安心感と美味しいカレーが停電と余震の不安を少しでも緩和していたはず。
なによりこの美人親子のいつもと変わらない接客が心に沁みたのではないでしょうか。
当日は長女家族も加わり家族総動員。なんと11歳と3歳のママさんの孫も接客のお手伝い。
いざと言うときの家族の力を感じたと話します。
次の日も電気は復旧せず。この日はカレーラーメンを提供することにしたそうです。お弁当とは違い暗いお店の中での提供となったそうですが。
「明るく接客すればなんとかなるよねって」と母娘で笑いながらお店を開けることにしたのだとか。
このときもお客さんからお店を開けたことに感謝されたと言います。
「正直な話ね、こっちは最初は商売の気持ちでやってたから、なんだか申し訳なくて。この時の売上どうしよっかって思ってたときに、同じ町内の鰻の「名代志んぼ」さんに厚真町に炊き出しに行かないかって誘われたのよ」
いただいた感謝の気持ちを厚真町にも届けたい
2018年9月24日。避難所となっている厚真中学校へ炊き出しへと向かったのどかさん。
本当はルーカレーを提供しようとしたそうですが、声をかけてくれた鰻屋さんから「絶対のどごしが良くて刺激がある方がいい」と言われてスープカレーを提供することにしたのだとか。
それが大正解だったと話します。
「避難所で配給される食事が質素な献立が多いみたいで、辛いの食べたい〜って言ってくれて、辛みスパイスをたくさんかけて食べてる人たちがいて。すっごく喜ばれたんです。小さい子もお年寄りの人たちもたくさんいて。もう配りながらずっと涙こらえてて」と声を震わせます。
避難所での生活を実際に目の当たりにして、今回の地震で更に気持ちを強めた感情があると言います。
「私たちの仕事って、飲食店って、自分たちがやりたいからやってるだけで、一方通行なものだなと思っていたけれど、衣食住の食に通じていることだからライフラインになるんだなって感じたんです。思っていたよりもずっとずっとすごい商売だったんだなって」。
お店ではスパイスの量り売りもしています
北海道胆振東部地震をきっかけに、琴似地区で感謝された想いを昇華させるべく厚真町へと出かけたのどかさんですが、厚真町でも感謝されて人の温かさに触れることになったと語ります。
この感謝の想いを忘れることはないでしょう。
その想いを抱きながら毎日ママさんに言ってるんだとか。
「はやく店継がせてって言ってます(笑)。でもまだ継がせてもらえないみたい。まだまだ勉強しなきゃだめですね〜。ぱおでやりたいことはまだまだあるので、色々と頭の中で計画中っ」と次代のママさんは今もお店の将来を担うべく次なるサービスを考えています。
母としてお店を開業すること
琴似地区で長年地道に営業を続けてきた『ぱお』。
ママさんにこの場所でオープンすることに決めた当時のことを聞きました。
「今でも覚えているのは『なんでこんなかわるがわる潰れる場所にお店出すの?どうせ潰れるのに』って知らないおじさんに言われたの。この言葉を言われたことで『絶対潰さないぞ、潰してやるもんか』って思ったことは今でも心に残ってて、だから頑張って来られたのかも」。
子どもを育てながらの自分のお店を出すという決断は生半可なものではなかったはず。
そもそも専業主婦だったというママさん。カレー屋さんで働き出したのは「パートで働こうと思ったときに、上下関係の無い新店だったらいいな〜と思って」と応募したのがカレー屋さんなのだとか。
パートで働きながら主婦の目線で美味しいカレーにするために色々な工夫を提案していった結果、気が付いたら店長になっていたそうで。
「店長で4年間頑張って、経営のことも学ばせてもらったんです。でも働き始めた時は下の子が1歳半くらいで、保育園でも熱出して呼び出しが来たりして、でも店長だから簡単にはお店休めないでしょう。そんな中で自分でお店を持てば少しは融通が利くかしらと考え初めて、下の子が小学生になるときにお店を出すことに決めたの」。
子育てと両立するための独立出店だったのです。
「でも、小学校に入ってから下の子は一切風邪引かなくて皆勤賞(笑)。お店閉めたこと一回もないのよ〜」と笑います。
3人の子どもを育てるために選んだカレー屋さんの開業。
ママさんやのどかさんの笑顔と接客がこの地区に根付いていることは言うまでもありません。
美味しいカレーと気遣いの接客が20年ものお店を繋ぐ秘訣だったのです。
でも一つ気になることが。こんなに笑顔で溢れるお店なのにおみせのキャラクターのぱおちゃんは笑っていません。
じと目でなにやら横を見ている様子。
これにもワケがあるのだとか。
「実は今はもう無くなってしまったんだけど、隣に毎日行列の出来ていたラーメン屋さんがあってね。ぱおちゃんは隣の行列のラーメン屋さんをジトーっと見ているイラストにしたの。羨ましいなぁって(笑)このイラストはオープンの時に子どもたちみんなで考えて描いたのよ」。
長年親しまれてきたお店のイラストにも家族のエピソードが詰まっています。
今後もぱおちゃんは琴似のこの場所で美味しいカレーとこの母娘を見守っていくことでしょう。
商売人魂と人間味溢れる接客で今日も琴似のカレー屋さんぱおは繁盛しています。
- 札幌カリー ぱお【2023年11月末閉業】
- 住所
北海道札幌市西区琴似1条7丁目3-31
- 電話
011-611-5890
- URL