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当別町

ストーブをつくり続ける75歳の職人。 トミワ技研興業20171002

この記事は2017年10月2日に公開した情報です。

ストーブをつくり続ける75歳の職人。 トミワ技研興業

北海道当別町で50年もの長きに渡る歳月を、ストーブづくりに命を捧げる家族がいました。富田 和広さん、75歳。自身が創業したトミワ技研興業の社長です。現在は奥様とお二人で切り盛りしています。ストーブの他にも、創業当時の事業である農業用乾燥機械の製作や水産加工用機械・ボイラーの製作なども手がけています。

北海道の冬に、生活をしていく上で欠かせないストーブ。家庭でももちろん、会社や工場、学校などにも必ず設置されています。昭和の時代には、ストーブの厚い鉄の蓋を開けて、石炭や薪をくべて燃やし、暖をとるのが当たり前でした。それがコントロールのしやすい石油やガスに変わっていき、徐々に昔ながらのストーブはその存在を消していくようになります。そんな激動の変遷期を正面から受け止め、事業を続けて来たお二人にお話をうかがいました。

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「俺はよう、モノをつくるのは誰にも負けないと思ってる。でもよう、売るのはてんで素人でよう、細々とやってんだわ」と優しい笑顔で話す富田さん。錆びたトタン屋根の下には鳥の巣があるのか、鳥の鳴き声も聞こえます。田園風景に囲まれた工房は自動車産業の栄える町工場のような雰囲気。電子制御の製造工程もロボットアームが溶接しているような設備ももちろんありません。鉄を曲げる作業、溶接する作業、塗装する作業、その全てを手作業でやっています。

炎に魅せられた男

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富田さんが20代の時に、創業はさかのぼります。半世紀ほど前のお話です。「最初はよ、鉄工所に勤めてたんだわ。それから独立して、米とか麦とかを収穫したあとに乾燥させる機械を下請けの感じで製造してたんだわ。それが始まり」。北海道の産業として大きなウエイトを占めるのは農業。米や麦を収穫した後、一定の水分レベルまで乾燥させておかないと保存中に腐ってしまうため、必ず乾燥機を通るのです。「その頃はJAとか個別農家とか、たっくさん納めてたよ。忙しかったよ」。

乾燥機ももちろん熱源が必要なため、乾燥機を作る上で「火」の存在がありました。「最初は乾燥機のことでバーナーの仕組みを猛烈に勉強したんだわ。『炎』の揺らめきだったり、特徴だったり、そりゃもうずっと学んでたさ。いや、今も学んでんだけどな。最初は乾燥機の効率化のためだったんだけど、そんな『炎』のことをさらに突き詰めるために、ストーブをつくってみることにしたんだわ」。50年も作り続け、75歳になった今も学んでいるという姿勢には頭の下がる思いです。

煙との戦い

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いわゆる昭和時代の石炭や薪を使ったストーブは、大きな問題がひとつありました。煙とニオイの問題です。その状況を回避するために、煙突を接続し、屋根よりも高いところで排気するような仕組みになっていました。富田さんはその問題にも挑戦し続けました。

原理としては、火種から徐々に高温になっていく際の低温時や、燃焼後も安定しない温度変化などによっておこる不完全燃焼が煙やニオイの原因。だったらすぐに高温に達し、それが一定で燃え続けられるストーブをつくればいいんだとなりますが、そう簡単にはうまくいきません。研究に研究を重ね、試作品を何度もつくり、ついにその問題を解決します。

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「その秘密は燃焼室から排気部分の間にある、この小さな穴なのさ。炎の特性とかを学び続けていった結果、立ち上がった炎をトルネード効果を使って高く炎が伸びるようにすることで、不完全燃焼時間をほとんどなくすことに成功したのさ」。そうご説明をいただきながら、実際にストーブに火を入れてくださいました。たしかに黒煙がでない。ニオイもほとんどない。そして本当に着火後すぐに広い範囲が温かくなります。

「普通のストーブはせいぜい800度まで温度があがればいいって言われるけどさ、うちのは1,000度くらいまであがんのさ。なかなか真似できないもんだと思うよ」。こちらのストーブは工房に残ってた材料でさささっとつくったそうです。たった3日で。

リサイクル燃料の使用を想定したストーブ

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実際に火をつけていただく際に、ストーブに入れた燃料にも驚きます。「これは家庭からでたゴミを加工したもんなのさ」。見せていただくと、たしかに何かの繊維だったり、紙製品が粉砕されたような固まり。「ゴミの回収業者が加工して流通するようにしてるものなのさ。これからきっともっと市場にでまわってくると思うよ」。

今でこそエコとか環境に優しいという言葉が普通に使われるようになっていますが、富田さんはそんな文化が根付き出すずっと前から、環境に優しいリサイクルの概念での燃焼機を考え続けて来ています。「このストーブは薪でもいけるし、炭だっていい。そしてこんなゴミだったものを燃料にして焚いたっていいんだ。ゴミだったものも暖を取るために立派に活躍してくれるよ。最後には灰だけ残るけどな」。そう説明する富田さん。このリサイクル燃料の場合、灯油と比較するとランニングコストは半分以下になるそうです。灯油やガスの暖房では、着火やファンを回すために電気も使いますが、こちらはもちろん電気代も0円です。他にも廃タイヤを燃料とするストーブや、産業用の廃油を燃料にするストーブなども製作しています。

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「最近はよ、パーム油を精製した際に出てくる残存物を燃やせるストーブもつくってんだわ。それも普通なら捨てるのにも困っているみたいなんだけどさ、それが燃料になったら環境的にもいいと思ってさ」。さらっと説明されましたが、言い方を変えると、今や世界的にも注目が高いバイオマス暖房です。なぜもっと注目されないのでしょうか。

流通の難しさ、支えてくれる人のありがたみ

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取材中、ちょうどそこへ地元の男性の方がふらりとやってきました。「もってきたから置いておくよ~」と袋には燃料となるものが入っています。...燃料とはいえ元はゴミですが。

せっかくでしたのでお話を少し聞いてみました。聞くと某大手の機械商社にお勤めされていた際にお知り合いになったそう。「富田さん、すっごい人なんですよ。知らないでしょう?今だっていろんなメーカーの人とか研究者とかも話しに聞きにくるくらいだし。ある食品メーカーが入れた乾燥機が上手く働かないっていうんで、富田さんに見せたら一発で解決しちゃったりとか、いろいろとすごいんですよ!」と、大手商社出身で同業だった方からも太鼓判。

でもなぜ、そんなすごい人がもっともっと注目されないのでしょうか。

「機械が世の中の流れでどんどん大型化が進んだときに、ある一定の大きさを超えてくると、ものすごくたくさんある規格や試験を通さないと製造できなくなるんです。まず、そんなのは個人には不可能ですよね。他にも輸入製品が増えたり、販売体系もブランドメーカーみたいなのがもてはやされるようになったり、いい作り手でいい製品でも、流通させるのが難しい時代になってしまったというのは大きいのでしょうね」と寂しげに語ります。

「でも、富田さんの技術も製品も本当にすごいんですよ。もっと多くの人に知ってもらいたいなぁ」。機械を販売する商社にお勤めだったからこそ、よりその苦労がわかるよう。ただ、そんな人にも認められる富田さん。その技術は本物ということがわかります。

富田さんご夫婦の半生

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取材の間もずっと奥様が横に同席いただき、いろいろと昔のことや今のことを語って下さいます。

そもそも富田さんとの出会いを奥様に聞きました。「元々は農家の娘だったんですけど、家を新しくする時、古い家を解体する作業をすることになって、その作業を手伝ってくれた人たちのなかに主人がいたんです。それでウチの父が気に入っちゃって、あれよあれよと結婚することに笑」。恋愛結婚というよりもお見合い結婚に近いものだったそうです。それがいまや結婚生活も50年。「俺らは50年間、1回もケンカしたことないよな?」と富田さん。奥様も「だってケンカする無駄な時間があったら、一緒に仕事してた方がいいもんね」と笑います。富田さんは生まれは小樽。このご縁をキッカケに当別町に移り住むことになりました。

二男一女のお子さんにも恵まれ、今はお孫さんもいらっしゃいます。「随分大きくなったけど、孫がかわいくてよう」と富田さんは笑顔になります。

しかし、とても悲しいこともありました。二人の息子さんのお一人を先日亡くされました。ガンでした。大手建材メーカーで働いていた息子さんは、病床でも、最後まで会社に迷惑をかけたくない、働きに行きたいという想いをずっと話される根っからの営業マン。本当に多くの会社のみなさまからも慕われていたそう。「最後の最後で、ちゃんと心通わせた対話を息子とできて良かった」─少しだけ遠くを見つめながらそう語る奥様。まだ40代での早すぎる旅立ち。自分の子どもを見送るという、言葉では言い表すことができない悲しみのなかでも二人は工房に通い続けます。

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「キレイに咲いているでしょう?」と奥様。工房と事務所の横にある小道の脇に咲く花。そしてその奥には小さな畑があります。そこにはナスやピーマンなど、たくさんの野菜も育てています。お住まいは工房とは別の少し離れたところにありますが、毎朝7:30には工房に来て、暮らしの中心の場所になっているそうです。

「私たち2人の楽しみは、毎朝見るテレビドラマと、頑張って働いて帰ったあとの晩酌なんですよ笑」。質素な暮らしを続けながら、いまだに「働くこと」が生きがいのお二人。昔のお写真なども見せていただきました。そこには誰もが知っているテーマパークのあのネズミキャラと一緒の写真も!聞くと、そのテーマパークで使われる花を生産するハウスの暖房設備も納品したそうで、その際に特別にお食事会や撮影会などでもてなしていただいたそうです。今もその写真と思い出は大切な宝物。でも、これまでのお二人の半生は大変なこと、つらいこともたくさんありました。そんな時はどう気持ちのバランスをとられていたのかを奥様に聞きました。

「そんな時かい?いつでもそうだけど、仕事に打ち込む。それに尽きるよ。ずっとそうしてきたんだから」。

tomiwa14.jpg昭和初期のころに製作し設置した農業用乾燥機

最後に、トミワ技研興業さんの製品を買いたい・作ってもらいたいというのは受けてもらえるのかを聞いてみました。
「俺はよう、喜んでもらえるなら何だってつくるよ。農業用の乾燥機械、水産品の加工機械、ストーブやボイラーから何でも。俺を信じてくれる人と仕事がしたいよな。家庭用だってやるよ」。
製品は全てオーダーメイドでつくっているため、在庫はありません。全てが1点モノです。大量生産の規格製品とは違いますので、その製作工程や富田さんの想いのわかる方にぜひオーダーいただければと思います。

どんな製品でもそうですが、作り手の想いやお人柄などがわかった上で購入・利用すると愛着がより沸くもの。エコな暮らしや、質素な生活、自然の中で電気も灯油も使わないストーブ。小さな工房で、ご家族が手作業でつくっている製品を、そんな日常に添えてみたい方はいませんでしょうか?

富田さんご夫婦から「忙しくて困ってるんだわ」という元気な声がまた聞けますように...。

富田さんの子どものようなストーブが、世の中にたくさん残りますように...。

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トミワ技研興業
トミワ技研興業
住所

北海道石狩郡当別町対雁35番地

電話

0133-22-2809


ストーブをつくり続ける75歳の職人。 トミワ技研興業

この記事は2017年9月6日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。