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岩内町『働き盛り面白世代!』座談会【前編】20211025

岩内町『働き盛り面白世代!』座談会【前編】
ニセコにもほど近く、世界最高とも称される上質のパウダースノーやパノラマビューを有し、世界中のスキーヤーやボーダーから注目を集める岩内町。
しかし、岩内町の魅力はそれだけではありません!
北海道の中でも古い歴史を持ち、漁師町として栄華を極めた時代も経て、独特の文化や気質を持つ、実に味わい深いまちです。
海や山や温泉といった大自然がすぐそばにありながらも、数多くの美術館や神社仏閣も併せ持つ、歴史と文化のまちでもあります。
そんな岩内町には、近年、その魅力や可能性に気づいた人たちが続々と集まりつつあります。
何らかのルーツを持ってUターンやIターンをしてくる人、町外・道外から移住してくる人、など様々です。
さて一方で、移住するということは、ハッピーリタイヤ組でもない限り、ほとんどの場合がその土地で働く・仕事をするということを意味します。
今日は、岩内町にUターンしたり、移住したりして、現在様々な事業や活動を手がけ、岩内町をもっともっと盛り上げて行こうとがんばる方たちの中から4名に集まって頂き、岩内町の魅力はもちろん、ここだからこそできること、岩内の未来予想図、などをそれぞれの目線からざっくばらんに語って頂きました。
今回はその内容を、当日の雰囲気もお伝えすべく、座談会形式でご紹介していきたいと思います!
移住をお考えの方もそうでいない方も、是非ご覧下さい。

まずは4名の紹介から

  • 目黒沙弥さん

    世界旅行2周の旅を終えて、岩内町へ移住、岩内初の外国人向け旅行業社を設立、漁師の母さんとの料理教室や、商店街・寺社仏閣を巡る街ぶらツアーなど、地域と密着したコンテンツを発信し注目を集める。
    またクラウドファンディングを活用して商店街空き店舗のリノベーションを行いR3.5月にカフェ&バーisalibiをオープン。すでに地元学生や子育てママなどからお洒落なカフェ空間が人気。

  • 石塚貴洋さん

    東京でプロミュージシャンとして活躍した後にUターン移住。
    家業の水産加工では、蝦夷鮑の塩辛や蝦夷鮑のアヒージョなど、ヒット商品を開発するかたわら、隣町共和町の観光施設、神仙沼レストハウスの運営を手掛ける。
    これまでの峠の茶屋的なレストハウスを抜本的に見直し、カフェメニューの充実や地元食材を活用したメニュー開発など、積極的な改革を進める。
    さらには、星空写真家として全国規模の写真展でグランプリを獲得するなど、アーティストとしての活動も目覚ましい。

  • 成田賢一さん

    帯広市の元名物塾講師から僧侶へと転職し、奥様の実家がある岩内へ移住。
    移住後2年で先代住職が急逝され、浄土宗岩内山帰厚院の住職に就任する。
    開眼100周年をむかえる金色の大仏像にまつわる仏話や仏教を語源とした日本語の面白さ等、前職のスキルを活かしお寺を訪れた人々との交流を大切にしている。
    また、檀家さんや地域住民の交流の場として「カレーの日」を開催。子ども達からお年寄りまで多くの地域住民がお寺を訪れるキッカケを作り出している。

  • 髙島将人さん

    島牧村から髙島旅館の四代目として岩内町へ移住。
    食をテーマに予約が取れないお宿として人気を博している。
    蝦夷鮑、平目、海胆など前浜の海の幸にこだわり、訪れる旅行者を唸らせる温泉宿。
    コロナ禍においてもネット販売や旅行雑誌に頼らない電話予約一本で、多くのリピーターを集客している。
    地域住民に対しても大型パブリックビューイングを活用したワールドカップサッカー観戦ビアパーティーの開催や、Eスポーツ選手権大会の誘致など、参加型イベントを企画・運営し多くの髙島旅館ファンを獲得している。

Q.岩内に来たきっかけは?

4名それぞれが本業を営む他、趣味や興味を活かして実に様々な活動をされています。
まずは、岩内町に来たきっかけからうかがってみましょう!

  • \成田さんが岩内にきたきっかけ/

    私は帯広の出身で、大学卒業後は大手進学塾で塾講師をしていました。28歳で結婚した妻も、帯広で新聞記者をしており、多忙ながらもこのままずっと帯広で暮らしていくんだと思っていました。
    それが、私自身が少し体調を崩したことや、子どもが出来たこともあり、今の生活をちょっと改めてみようと、人生の猶予期間?ではないけれど、ちょっと3年くらい環境を変えて暮らしてみようかということになりました。相談の結果、選んだのは小樽でした。海も見えるし、奥さんの実家である岩内町も近いという理由です。

    さて、当時妊娠中の妻とともに、小樽での生活がスタートし、もし何か良い仕事があれば働くかな、くらいの気持ちで仕事を探してはいたんですが、なかなかこれといったものも見つからず、、。
    そうしているうちに、義父からのプレッシャーが強くなってきました!実は妻の実家は、岩内に古くから続く浄土宗岩内山帰厚院というお寺なのですが、住職であった義父からは「ぷらぷらしてるなら、坊さんになって寺を継げ!」的な圧力が日ごとに強まり、さらに、ご近所の方からの「奥さん身重なのに、だんなさん、プラプラしてるわね」、的な目線も気になり(笑)。
    迷った結果、それこそ猶予期間ではないけど、3年後には帰厚院に入ることを前提に、それまでは修行をしながら小樽で自由に暮らす、ということで、義父も納得してくれました。
    しかし、思った以上に、無職に対する世間の風当たりは強かったですね!(笑)

    ちなみに、お坊さんと言えば、山にこもって修行して、みたいなイメージがあると思うんですけど、実は、「後継者養成道場」という仕組みがあります。
    後継者だけに許された制度ですが、普段は師匠のもとで修行をしているという前提のもと、年に2回、一番暑い時期と寒い時期の2回、山にこもって修行し、それを3年繰り返せば、はれてお坊さんになれるという制度です。
    ですので、この制度を使って、年に2回は山にこもり、それ以外は、札幌の塾で時間講師の仕事などをしながら、小樽で楽しく暮らしていました。自由に仕事をして、自由に子育てをして、という貴重な時間を過ごしました。

    そうして33歳で完全に岩内に移住し、これから義父のもとで住職になるべくいろいろ修行をつんでいこうと思っていた矢先、突然、義父が倒れ、移住してたった2年で住職としてお寺をつぐことになりました。。。

    今ではこんなにふてぶてしいですけど、当時は、、もう、生まれたての子鹿のようでしたから!(笑)

    --笑いで包む成田さんですが、たった2年で歴史ある寺と檀家さんたちを受け継ぐなんて、その重圧はいかばかりだったでしょう...と思わずにはいられません。

  • \石塚さんが岩内にきたきっかけ/

    自分はUターンになるのかな、ずっと東京にいたんですが、戻ってくるきっかけになったのは、父がガンを患らったことでした。

    父は小さな水産加工会社をやってたんですが、父以外に経営に携われる者がいなかったので、当初は自分が月に1週間とか10日位まとまった時間を作って、岩内に来て1ヶ月分の仕事をして、また東京に戻って、という2拠点生活のようなことをしていました。

    しかし電話口の母は、日を追う毎に不安を口にすることが増え、かなりまいっているのが伝わってきました。
    例え、水産加工の仕事が問題なくまわっても、やはり、時々帰るのと、常にそばにいるのとでは、母にとって安心感が全く違うのですね。
    それが良くわかったし、妻も、帰ってあげたほうがいいのでは?と言ってくれたので、二人で岩内に戻ってくることを決意しました。
    それが35歳のときですね。

  • \髙島さんが岩内にきたきっかけ/

    自分は島牧村の出身なんですが、18歳の時に、父が岩内町に旅館を建てました。
    しかし、もとから宿を継ぐ気は全く無く、それどころか客商売をするつもりが無かったんです。
    いやでも髙島旅館という看板をしょっていたので、何か悪いことでもしようものなら、あの髙島旅館の息子が!と言われると常に自覚していました。
    そういうのがいやで、なるべく、客商売でない世界に行きたいと思っていたんですね。

    そんな感じなので、札幌で色々な仕事をしてました。そうした仕事のうちのひとつでたまたま一緒に働いていた人が、飲食店の仕事をすることになり、どうしても人が足りないので店を手伝って欲しい、と頼まれました。いざやってみると、想像以上に楽しく、すっかり接客業の面白さに魅了されました。

    それからは、その飲食店で働きながら、調理師免許まで取得し、父の旅館を引き継ぐことも視野に入れるようになりました。
    すると、飲食店や調理の経験以外にも、旅館業そのものの経験も積みたいと思うようになり、神戸にある有馬温泉の老舗旅館の門をたたいて、そこで2年半ほど修行をさせてもらいました。
    それから岩内にやってきたので、初めて岩内に住んだのが32歳のとき、ですね。

  • --大きな決断をしたお二人、30代というのは人生において大きな岐路に立つ時期なのかもしれないですね。
    さて、目黒さんについては、実は以前にもくらしごとで取材をさせて頂いているのですが、改めて岩内に来たきっかけをお願いします。

  • \目黒さんが岩内にきたきっかけ/

    札幌出身で、子どもの頃からずっとスキーに打ち込んで来ました。
    しかし20歳の頃に様々な挫折や転機を経験し、これも良い機会だと、思い切って、以前から憧れていた世界一周の旅に出ました。
    2度目の旅の終盤、その頃には旅をしながらWEBで情報発信をして収入を得ていたのですが、縁あって「フットワークの軽い人材を探している」というIWANAIRESORTの社長に声をかけて頂き、とりあえずという気持ちで帰国後に岩内を訪れました。

    そして、IWANAIRESORTのスキー場から、真っ青な日本海を見たとき、一目でその景色の虜になりました。
    海に飛び込むかのようにパウダースノーを滑り降りる感覚は、世界のどこでも得られなかったほどの感動で、見た瞬間、『ここだ!ここにあったんだ!』と思いました。
    その後、住めば住むほど岩内の魅力を知ることになり、このまちでやりたいことがどんどん出来てくるのですが、最初のきっかけは、それでしたね。

    ◇目黒さんの詳しい記事はこちら/ 子どもたちに「岩内なんて」と言わせない!次の世代に私ができること

Q.今取り組んだり、力を入れていることは?

Uターンだったり、人との縁だったり、チャレンジしたいことがあったり、様々な理由で岩内にいらした皆さん。
今、取り組んでいることはどのようなことなのでしょうか?

  • \目黒さんが今取り組んだり、力を入れていること/

    5月にやっと、このお店"isalibi"がオープンしたところです。
    本来は2020年8月にオープンする予定で、1階をカフェバー、2階をゲストハウスにするつもりでした。
    ところがこのコロナの大打撃でいったん計画を中止せざるをえませんでした。
    しかし、今後の活動を広げて行くためには、どうしても拠点というものが必要でしたので、今の状況でどういうやり方なら可能なのかを再度考えた結果、ゲストハウスに関しては無理に今オープンしなくても、自由に旅行ができるようになってからでもいいのでは?という結論に達し、まずはカフェをオープンさせ、コロナの中でも安全に留意して営業していくことに注力しました。
    ということで、カフェバー、つまり飲食店の運営が、ビジネスとして今やっていることの1つです。

    そして、もう一つの柱が旅行業です。主にニセコから外国人ゲストをお連れして、岩内を含む岩宇地域の魅力をローカル目線で紹介し、体験してもらうということをやっています。
    例えば、ここは港まちなので、漁師さんと一緒にその日釣れた魚をさばいて食べる、ということをしたり、ここにいる帰厚院のご住職(成田さん)とお話をして交流したり文化を体感する、といったことなどをコンテンツにしています。
    飲食業と旅行業、この2本を柱にして、その他、イングリッシュアドベンチャーという学習旅行の企画なども行っています。
    これは、岩宇の子どもたち向けに、地域の魅力を探求しながら、英語を使って学び、楽しむ、という趣旨のものです。

    その他、ゲストハウスオープンまでは、そのスペースを使ったワークショップの開催や、イベントスペースとしての貸し出しなども行っています。
    さらに、来年からは新しい事業も始める予定です!その為、資格取得を目指しているのですが、前回試験は1点(!!)足りなくて落ちましたが、今度こそ合格する予定です!!

    --2年前の取材時、近い将来岩内や周辺地域は、観光にとどまらない移住などのニーズが出てくるはずなので、様々な法的な手続きも請け負うことのできる事業者が必要になるはず、とすでに先を見据え、資格取得などの準備を進めていることを話してくれましたが、言葉通りに、しかもこのコロナ禍で、着実に実行しているその行動力には驚くばかりです!

    ちなみに私は、この"isalibi"、を飲食店というよりは、地域のハブ、というとらえ方をしています。ご飯も食べれるし、お酒も飲めるし、面白いイベントにも参加できるし、情報交換もできる、というように、いろんな人が交流できる拠点としての意味合いが強いんです。

  • 成田さんには是非「カレーの日」についてうかがいたいです。

  • \成田さんが今取り組んだり、力を入れていること/

    カレーの日は、今ちょっとコロナでお休みしていますが、もともとのきっかけは、檀家まわりの際の、あるおばあちゃんとの何気ない会話でした。
    ごはんちゃんと食べてる?って聞いたら、もう年だからお昼はそんなに食べれないし、夜は昼の残りを食べて、あとは暗くなったら寝るだけだ、と。
    そんな生活してたらぼけちゃうよ、だったらお寺で食事会しませんか?って誘ったのがきっかけですね。

    お寺っていうのは、昔は葬儀場も兼ねていたので、食器も食堂もきちんとした設備がそろってるんです。
    今は葬儀はセレモニーホールでするのがほとんどになってしまいましたけど。
    自分はサラリーマンからお寺に入ったので、もし小さい頃にこんな広い建物で、どんなに騒いでも怒られないような環境で暮らしたら楽しいだろうな~と思うし、そんな素敵な場所ががらんとしていて人がいないのはさみしいなって思ったんです。
    だから、檀家さんたちを呼んでたまに食事会をするのは我ながら良いアイディアだと思いました。
    ところが、、いざやるとなると、年配の人たちは、その日の気分や体調次第で、行けたらいくね、って。(笑)
    あらかじめ数を把握して食事を用意するのが難しいことに気づきました。そこで、ひらめいたのが、じゃあカレーなら量を調整しやすいし、つくりやすいかも!ということでした。

    最初は、主に年配の檀家さんを対象に考えていたんですが、いざふたをあけてみると、自分の子どもも含めて、予想以上に子どもたちが集まってきて、そうするとその親御さんも集まってきて、なんだか毎回カオス状態になってましたね(笑)。
    たたみの上を走り回る子ども、それをしかる大人、その後ろで黙々とカレーを食べるおばあちゃん、そんな感じです。
    毎回150人くらいが入れ替わり立ち替わり来ます。一応、17時スタートの19時終了にしてたので、17時くらいには檀家さんや子どもたちが食べ始め、18時ころになると仕事を終えた大人もやって来て。そして、19時には僕がメリージェーンを歌って終了です。

    豆まきとか、ビンゴゲームとか、かき氷とか、季節にあわせて毎回趣向をこらした企画もあるんですよ。
    奮発したわたあめ機はこどもたちに大人気でしたね。お賽銭というカタチで寄付も頂きながらやってますので、景品とかも準備できて、子どもからお年寄りまで大好評です。
    年配で移動がしづらい方は、僕が迎えにいったりもするんですけど、中には、この日を楽しみにして、玄関で靴を履いて待っていてくれるおばあちゃんもいるんですよ。

    --すごく楽しそうなんですが、このまちに住んでいなくても参加できるのでしょうか?
    もちろんです!けっこう来ますよ!友達づくりにきたり、旅行中の外国人が突然来たりとか。
    目黒さんが連れてきたアメリカ人の女の子は、色んな場所をまわったけど、帰厚院のカレーが一番感動した!ってブログに書いてくれましたね。

    --聞けば彼女、はっぴで参加し、最後にはピアノ演奏にもチャレンジした結果、こどもたちから大喝采だったのだとか。聞いているだけで、その楽しそうな光景が目に浮かびます。
    移住者の方にとっても、まちの人とふれあういいきかっけになると思いますよ!一人で来ても、次からはぜったい知ってる人がいるから安心して下さい。ちなみに協力隊の登竜門でもあるんですよ、もちろん通れない人はいないですけどね(笑)

    --ところでカレーはどなたが作っているのでしょう?
    実は、ありがたいことに檀家さんたちが準備してくれるんです。最初は僕もつくる気満々で台所に立ってたんですが、手際が悪くてあっという間に首になりました(笑)。まあ、女性同士でわいわい言いながらつくるのが楽しいんでしょうし、僕は机出し係に降格になりましたけど、本当にありがたいことです。

  • \髙島さんが今取り組んだり、力を入れていること/

    自分は宿屋だから宿しかやっちゃいけないということはないと思ってるんです。
    だから、いろんなものづくりやイベントづくりをやってます。例えば、2018年のワールドカップの年に、ビアフェストっていうのを企画しました。
    自分も移住者だし、朝から晩まで働いてると、まちの人と話す機会というのがほとんどなくて、それもさみしいから何かやりたいなと思ったのがきっかけですね。

    じゃ、何やろうと考えると、岩内ってホップの発祥の地だし、自分はビール大好きだし、みんなでビール飲みたいな!って(笑)
    でもビール飲むだけじゃただの飲み会だし、よし、サッカーの世界的大会があるし、パブリックビューイングをやろう!って思いつきました。
    大倉山のジャンプ競技場から、ものすごい大きなビジョンカーを借りてきて。広告代理店さんと放映権の交渉をして。その費用はクラウドファンディングで集めようと自分たちでそのページを作ったりしましたね。

    実施するにあたって、まわりの人に迷惑をかけたくなかったので、全部自分でやろうとしたんですけど、ありがたいことに、ここにいる石塚さんたちが、いいよ、手伝うよって手を貸してくれて。さらにまわりの事業者さんたちも、採算度外視で出店してくれたりして。
    しまいには役場の方も手伝ってくれたりして。結果、当日は300人以上の人が集まってくれて大盛況でした!
    楽しかったですね、自分と地域の人、または地域の人どうし、いろんなつながりができたし、やって良かったです。

    --300人!!相当大規模な飲み会ですね! そしてたくさんの方の協力があったのですね。
    街中から少し距離があるので、気兼ねなく飲んでもらえるようにバスでピストン輸送も手配しました。また出展者の皆さんはこの時のために特別なメニューをご準備してくれました。
    しかも、後で聞いたのですが、そのときパブリックビューイングをやっていたのは全道でうちだけだったらしく、勝ち試合だったこともあって、すごく盛り上がり、楽しんでもらえました。
    皆さんのおかげで、楽しい飲み会をするという最大の目的は達成されました!(笑) 

    で、ビアフェストの第二弾として、次の年にやったのがeスポーツの大会です。
    僕はここに来るまえ、兵庫県の有馬温泉で働いていたんですが、そこで第一回のeスポーツの大会が開かれたんです。
    eスポーツ×温泉地ということで盛り上げていこうという企画なんですけど、これは是非岩内でも開催したいと思ってまして、第二回のeスポーツ大会を岩内に誘致することに成功しました。
    前回のビアフェスト同様、様々な方の協力を頂いて準備をし、プロのプレイヤーを招いた当日の会場では、最初サッカーのミニゲームを中心にやってたんですが、そのうち、ぷよぷよ大会が始まったりして、大いに盛り上がりましたね。

    eスポーツを選んだのは、もちろん岩内を盛り上げたり、他の地域とつなげたりという目的もあるんですが、もうひとつ、オンラインのゲームなら場所を問わないし、田舎ということが全くハンディにならないという理由もありました。
    意外とそんな才能ある子が眠ってるんじゃないかなーと。早いうちに、そうゆう子たちが、プロのプレイヤーや大会などに触れる機会を作り出せれば、才能が開花したり、新しい可能性が生まれたりするんではないか、という思惑もありました。
    実際、自分たちはあまり詳しくなかったのですが、そのプロのプレイヤーたちに会うために会場に来てくれた子たちもたくさんいました!子どもたちの方が詳しかったですね、まあ、あとで聞いたら何十万人もチャンネル登録者がいるような人気選手だったようなのですが。

    これ、面白いのは、やればやるほどその波及効果があるんです。
    ある自治体から、うちも温泉地があってeスポーツ大会をやりたいので、そのノウハウを教えてもらえないかというオファーがあったり、ワールドカップのパブリックビューイングやったときは、本戦のチケットをもらったりとか、関連の企業さんとつながりができたりとか。

    --やって終わりじゃないんですね!そしてただの飲み会ではないのですね!(失礼!)
    はい、やればやるほどつながりが生まれていき、そうした波及効果がまちや自分に返ってきて、地域に還元することができるというのがすごく嬉しいですね!
    カレーの日と同じで、もちろんここに住んでいる方でなくても、参加大歓迎ですよ! ふらっとまちに観光に来た方とか、気軽に遊びに来てほしいですね、そのためにもやってますから。

    --こうした、"みんなが気軽に集まれる場"ってありそうで実はなかなかないものです。それが、あちこちにある岩内(もちろんこのisalibiもそうですし)、なにより、そうした場を作り出そうとする人がこんなにたくさんいることが、とっても素敵です。

  • --さて、次は石塚さんにお話をうかがいます!と言いたいところですが、この続きは後編でお届けします!
    皆さんが考える岩内町の良さや今後の岩内町の未来予想図についてもざっくばらんに語っていただきますので、次回もぜひご覧ください!

岩内町『働き盛り面白世代!』座談会


岩内町『働き盛り面白世代!』座談会【前編】

この記事は2021年8月12日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。