北海道の寺院は、明治の開拓期に人々の心の拠りどころとして、まちの発展とともに歴史を刻んできたところがほとんど。空知管内の中央に位置する浦臼町の高野山真言宗樺戸山金剛寺も、明治時代に徳島からやってきた僧が布教活動を経て創設した寺院です。現在、ここを切り盛りしているのは、第五世住職の米田弘教さんと妻の友紀さん。時代の流れとともに寺院の在り方も変化している中、浦臼の町を盛り上げたい、もっと気軽にたくさんの人に寺を訪れてほしいと、面白い取り組みを行っています。今回は、そんな米田夫妻の物語をご紹介します。
ピアノを弾く住職? 開かれた寺院を目指してさまざまなイベントを実施
「こんにちは。ようこそ」と笑顔で出迎えてくれた米田弘教さんと友紀さん。普段、滅多に寺院の本堂へ入る機会がないため、厳かな本堂の佇まいに思わず背筋が伸びましたが、お2人の柔和な雰囲気にホッとします。
ふるさとにUターンして、現在住職をつとめる米田弘教さん
2015年から金剛寺の僧侶として先代のもとで経験を積み、弘教さんが住職に就いたのは2018年。開かれた寺院を目指し、定期的にヨガや瞑想、舞踊の体験会を実施しています。7月に子どもたちが1泊2日で寺に宿泊する「夏のてらこや」、弘教さんのピアノ演奏と法話を組み合わせた春と秋の「ピアノ法話」、元証券マンの弘教さんが教える「金融講座」など、ユニークな企画もたくさん行っています。
ちなみに4歳からピアノを習っていた弘教さん。大学時代にピアノコンクールで全国優勝した経験もある実力の持ち主なのです。袈裟を着てピアノ演奏をしている様子は動画で見ることもでき、バッハの曲を演奏しているYouTubeは再生回数が2万回を超えています。「私はこの寺の次男として生まれたのですが、高校は大阪、大学は関東で、卒業後は東京で10年以上証券マンとして働いてきました。跡を継ぐためにこちらへ戻ってきたときも現在も、先代や檀信徒の皆さんのおかげでお寺は護持されています。ですが、長期的に考えるとこのままではいけないと思いました。」
弘教さんが子どものころとは違い、町の人口は減り続け、お寺の草刈りなどを手伝ってくれる檀信徒さんも高齢化していました。このまま何もせずにいては、町も寺も成り立たなくなってしまうという危機感を覚えたと言います。
「関係のない人は来ては行けないと思わせている寺のイメージを払拭し、みなさんが気軽に集まれるような場所にしていかなければと思いました」
それがいろいろな取り組みのきっかけとなり、現在は妻の友紀さんと二人三脚で寺を、そして町を盛り上げていこうと日々奔走しています。
奥様の友紀さん。千葉から北海道へとやってきました
嫌だった寺の手伝い。15歳で本州へ出ても、いつかは跡を継ぐと思っていた
さて、浦臼町で生まれ育った弘教さんですが、どのような幼少期を過ごしてきたのでしょうか。
「正直、子どものころは寺の手伝いをさせられることが多く、それが嫌でした。特にお盆の時期になると、檀家さんのところへ1人で行かされるんですが、大人と同じことをするのが本当に嫌で...」と苦笑い。
小学4年生のときにはお経を1人であげられるようになっていた弘教さん。なんと、夏休みには1人で70軒近くの檀家さんを自転車に乗って回り、お経をあげていたそう。
「同級生は遊んでいるのに、自分はお経をあげているが本当に嫌で、とにかく自由になりたいと思っていました」
何が何でも高校からは浦臼を出ようと思っていた弘教さん。ひょんなことから知り合った北海道大学の大学生が家庭教師として通ってくれることになり、本州にある真言宗系の学校へ行こうと決め、勉強に打ち込みます。
「中3の初夏から勉強を始めたので、ギリギリだったのですが、なんとか大阪の清風高校へ進学できました。とにかく町を離れて都会に行きたかったので、ホームシックはありませんでしたね」と振り返ります。
高校を卒業後は筑波大学の国際総合学類へ進学。1年生のときに、のちに妻となる友紀さんと出会いますが、「お互いそのときは特に何もありませんでした」と笑います。
大学を出たあと、金融業界へ。「ちょうど金融ビックバンのころで、いろいろなチャンスがあるかなと思い、金融にしぼって就職活動をしていました」と話します。誰もが名を知る大手証券会社へ入社しますが、「いつかは浦臼に戻り、寺を継がなければならない」という考えは頭の中にあったそう。
国道275号線沿い。道の駅の向かいに位置します
妻はPRの仕事に従事。結婚後もしばらくは東京で共働きの生活
一方、妻の友紀さんは千葉の香取市出身。高校まで千葉で過ごし、マスコミ関連に興味があり、筑波大学の社会学類へ進みます。
「就職氷河期と言われた時期で、マスコミ系に進みたいと思っていたのですが、なかなか難しく、あえて1年遅らせてみようと思って、大学に5年いました。カナダに半年滞在するなどして過ごしましたが、氷河期は変わらず...(笑)。なんとかPRの代理店に入社しました」
3年半勤務し、その後リクルートへ転職。PRとブランディングに関連ある部署での採用だったこともあり、これまでの経験を生かしながら仕事に取り組みます。
弘教さんと再会したのは転職する少し前。大学時代の友人で集まろうという話になり、そのメンバーの中に弘教さんがいました。
寺も、浦臼も、広く知ってもらうために活動していきたい、と話してくれました。
交際を始めて2年、2007年に結婚し、共働きの生活が続きます。結婚する際、弘教さんから「将来的に浦臼に戻って寺を継ぎたい」と言われていたそうですが、「そのときはまだいつ行くかも分かりませんでしたし、先のことを深く考えていなかったというのもありますが、そのことを理由にこの人と別れるのはもったいないと思って...」と振り返ります。
弘教さんと付き合うまで浦臼という場所を知らなかった友紀さん。初めて浦臼を訪れたときは、気候の良い季節で「すごくいいところだなと思いましたが、冬は雪が多くてびっくりしましたね」と笑います。
子どもの誕生を機に、浦臼へ。いい町だからこそ、その魅力を発信したい
2009年に長女が生まれ、子育ての環境や仕事をどうするかについて考えるようになり、「はじめてこれからの計画をきちんと立てなければと思いました」と友紀さん。浦臼に戻るタイミングによっては、生活環境がガラリと変わることで子どもに負担をかけさせてしまうかもしれない。自分たちも寺を運営するという新しい仕事にチャレンジすることになるから、30代の若いうちがいいかもしれない。そんなことをあれこれ2人で考え、弘教さんは2014年3月に大和証券を退職し、高野山へ1年間の修行に入ります。
「浦臼は自然に恵まれた農村地帯で、6~10月は地元で採れたおいしい野菜が道の駅の直売所で手に入り、のんびりしていて本当にいいところ。小さな町ならではの人の温かみを感じられることもたくさんあります。ただ、夫と同じで過疎化が進んでいることへの危機感もあります」
友紀さんはPR業界での経験も活かし、寺はもちろん、浦臼の町の魅力を発信し、ここを訪れた人たちに「いい町だね」と思ってもらえるような活動をしていきたいと考えています。「ワイン用のブドウ栽培やワインでも知られてはいますが、ほかにもメロンなど浦臼の農作物にもっと注目してもらうことで、町にも注目が集まるのではと考えています」と話します。
寺のすぐ裏には鶴沼公園。この日はあいにくの天気でしたが、晴れた日には心癒やされる景色が広がります
周囲の力も借りながら、子どもたちのためにもできることをしていきたい
冒頭でも触れましたが、金剛寺にたくさんの人に訪れてもらうため、さまざまな取り組みを行っている米田夫妻。2016年から始めた「夏のてらこや」は、回数を重ねるごとに参加希望者が増えているそう。
「コロナ禍の2年間はお休みしたのですが、それ以外の年は毎年30人近くの小学生を受け入れています。もともと、自分が小学生のとき、先代が同じようなてらこやを開催していて、寺の手伝いは嫌で仕方なかったのですが、この2日間は新しい友達ができ、自然の中で非日常を体験するなど、楽しかったんです。貴重な経験ができたと感じていて、それを今の子どもたちにも経験してもらえたらと思い、2016年から再開しました」と弘教さん。
毎回、子どもたちにも親御さんにも大人気
最初は町内の子どもたちが大半でしたが、今では町外からの子どもが4割と言います。小坊主さんの格好でお経を読んだり、瞑想をしたりするほか、灯ろう作りや八十八カ所霊場の山登りなども体験。大学生のボランティアも参加し、とてもにぎやかな2日間になるそうです。
「会社員時代の先輩が毎年ボランティアで、東京からお手伝いに、来てくれるのですが、この取り組みはとても大事だから、地域と共同で続けていくべきだと言ってくれるんです。確かに、子どもたちにさまざまな体験を提供するだけでなく、ボランティアの大人も受け入れることで、浦臼の魅力を伝えられるのかなと考えています」と友紀さんも語ります。
コロナ禍のあと、寺を訪れる人がグッと減ったこともあり、二胡の演奏会やキッチンカーイベントなど、町の人にも喜ばれるイベントを寺で催すようにしているそう。
また、「寺は地域の公民館みたいな場所だと思っている」と話す弘教さん。時代の流れとともに葬儀の在り方が変わりつつある昨今、町内で葬儀を行わないケースが増えているそう。「でも、浦臼に思い入れがある町民の方の中には、町から送り出したいと考えている人も...。寺を使った葬儀に関しても皆さんにもっと知ってもらえるようにと考えています」と話します。
さらに、2023年には敷地内に太陽光発電設備を導入。カーボンニュートラルへの取り組みはもちろん、災害時に地域の避難所として寺院を開放できるように設置を行いました。自立運転機能と蓄電池を導入しているので、地域の電力会社が停電しても太陽光発電を作動させられるそう。
浦臼に来てから生まれた三女も含め、3人のお子さんたちがいる米田夫妻。町のため、寺のために動いている夫妻の取り組みが、水の波紋のように広がり、周囲も巻き込みながら花開いていくのが楽しみです。
- 高野山真言宗 樺戸山金剛寺 米田ご夫妻
- 住所
北海道樺戸郡浦臼町字キナウスナイ196-31
- 電話
0125-68-2202
- URL