HOME>まちおこしレポート>米屋と建築、そして街のこと。生まれ故郷で「やりたいこと」を形に!

まちおこしレポート
留萌市

米屋と建築、そして街のこと。生まれ故郷で「やりたいこと」を形に!20240723

米屋と建築、そして街のこと。生まれ故郷で「やりたいこと」を形に!

今回お話を伺う留萌市の笠井佳祐さんの名刺には、「お米のかさい」「設計部」「二級建築士事務所」「株式会社丸力笠井商店」という、相反する文字が裏表に並びます。米屋だけど、建築事務所? しかも留萌の街の活性化のためにいろいろ楽しそうなことにも関わっているとか...。早速、その謎と活動について伺ってみましょう。

創業100年を超える歴史ある留萌の米穀店「笠井商店」

笠井商店の建物は、旧留萌駅から徒歩3分ほどの角地、壁に描かれた赤い大きな「カサイ」の文字が目印です。明治40年に創業し、100年以上の歴史を誇る米穀店。昭和30年からこの場所で営業し、街のお米屋さんとして留萌の人たちに今もなお支持されています。現在は、笠井佳祐さんの父親が5代目として代表を務め、ゆくゆくは笠井さんが6代目として跡を継ぐことになっています。

rumoi_kasaisyoutenn00050.jpgひときわ目を引く、「カサイ」の建物

店では、留萌や近隣の町の契約農家から直接買い付けた米を販売。個人向けのほか、市内の飲食店や福祉施設などにも卸しています。また、ネットショップでも販売しています。扱っている品種は、「ゆめぴりか」「ななつぼし」「ほしのゆめ」「ふっくりんこ」「きらら397」など。主要な道産米の銘柄がそろっています。

「当店で精米をしているので、玄米を購入していただき、白米はもちろんお好きな分づき米にもできます。精米したてはおいしさが違うんですよね。その辺りの発信ももっとできればと考えています」

そう話す笠井さんはスラっとした細身の青年。20代前半かと思うほど若々しく見えますが、実は34歳(ビックリ!)。この細い体で30キロのお米をヒョイと担ぎ、配達にも回るそう。

rumoi_kasaisyoutenn00019.jpgこちらが笠井佳祐さん。どんなポーズにも応じてくれました!

建築士を夢見て、釧路、室蘭の学校へ進学し、札幌の事務所に就職

さて、そんな笠井さんですが、二級建築士の顔も持っています。ここからは建築士になるまでのことを伺っていきたいと思います。

留萌で生まれ育った笠井さんは、中学を卒業後、建築を学ぶために釧路高専へ。その後、もっと設計について学びを深めたいと室蘭工大へ編入します。そもそも建築に興味を持つようになったきっかけは小学生のときだったと言います。

「ちょうど実家を新築することになり、家が建つのが楽しみで、毎日のように工事現場へ寄っていたんです。建物ができていくのがおもしろくて、父親のカメラで写真を撮ったり、大工さんたちと話したりしていました。当時、テレビ番組で劇的ビフォーアフターが流行っていたのもあって、なおさら現場を見るのがおもしろくて。それが建築に興味を持ったはじまりですね」

rumoi_kasaisyoutenn00065.jpg事務所の一角で「設計部 部長」としてのお仕事も

もともと絵を描いたり、図を描いたりするのが好きだったこともあり、建築の設計に関心が向いていきます。

「子どものときからいつか米屋を継ぐのだろうなと漠然と思ってはいたのですが、父親からは特に、継ぎなさいとは言われなかったんですよね。それで、建築のほうへ進みました」

室蘭工大を卒業後、札幌のアトリエ系の設計事務所に就職。4年勤務したあと、別の建築会社で2年経験を積みます。

「大きな公共施設のような建物より、住宅や店舗の設計に興味があったんです。いつか独立したいと考えていたし、独立するなら留萌で。とも思っていました」

一人でひと通りの仕事ができるようになり、そろそろ独り立ちできると考え、2019年に留萌へ戻ってきます。「当時付き合っていた彼女、つまり奥さんが、結婚して留萌に住んでもいいよと言ってくれたのもあり、戻ることを決めました」と話します。ちょうどコロナ禍に突入する前のことでした。

rumoi_kasaisyoutenn00038.jpg

高校卒業後に留萌を離れるものの、独立を見据えUターンを決意

留萌に戻る=米屋も継ぐ。笠井さんの中ではその公式が最初からあったので、留萌に戻ってから1年かけて米屋の仕事を覚えることに。

「中学を卒業してから留萌を離れて、店を手伝うということがなかったので、米屋の仕事はゼロからでした。自分の中で店を手伝った記憶はないのですが、小学校の帰りに店に寄って、母の仕事が終わるのを待っている間、お客さんが来ると店の入り口で『いらっしゃいませ』と言っていたらしいです(笑)。当時は、祖父や父がいつも忙しそうに配達へ行ったりしていて、店にもお客さんが来ていて賑やかでしたね。今より留萌の人口もずっと多かったですしね」

高専、大学、社会人と、留萌から離れて暮らしていた笠井さん。年に1度は帰省していましたが、「帰ってくるたびに、街を歩いている人の数が減っているなと感じてはいました」と話します。

rumoi_kasaisyoutenn00043.jpg実は、お米の販売だけでなく、米農家さん向けの肥料や資材の販売も行い、じもとの米農家さんとつながりが深いことを教えてくれました。他、店内にはおばあさまの趣味(!?)だというグリーンも販売

「人口が減っているので、店を利用してくださるお客さんの数も減っているし、購買層の年齢が上がっているのも事実。留萌に戻って米屋を継ぐにしても、そうした現実を受け止めざるを得ないとは思っていました」

その辺りの街の状況は冷静に受け止めつつ、それと同時に自身の街の人との接点の少なさに気付きます。「中学を卒業してから留萌を離れていたため、地元の同世代の人とのつながりが少なかったんです。また、父は笠井商店の顔として地元ではよく知られていて、実際に顔も広いのですが、私自身は『笠井さんの息子』としてしか見られないので、『笠井佳祐』として街の人に知ってもらいたいという気持ちもありました」と話します。

そんなふうに考えていた笠井さん、コロナがきっかけで同世代とのつながりや街の人たちとの新たなつながりができたと言います。

きっかけは、映画好きからつながった「るもい映画研究会」の活動

コロナ禍に突入した2020年、地元のFMラジオの番組がきっかけで立ち上がった「るもい映画研究会」。最初は映画を作ることがメインで話が進んでいましたが、あるとき、ドライブインシアターができないだろうかという案が浮上します。

rumoi_kasaisyoutenn00058.jpg

「もともと映画が好きだったのもあったのですが、飲み屋でドライブインシアターの話題が出たときに留萠でもやれないかなと声がかかって、るもい映画研究会に関わることになりました」

研究会内に上映部と制作部が立ち上がり、笠井さんは上映部のメンバーとして屋外での上映会に奔走。「コロナのこんなときだからこそ、みんなで頑張って盛り上げようという気運が高まって、スピード感がありました」と振り返ります。

2020年の夏、道の駅の隣にある船場公園を会場に映画の屋外上映会を実施。たくさんの人が集まり、映画を楽しんでくれました。さらに、秋にはハロウィンイベントも兼ねた屋外上映会を行いました。

「このときに同世代とのつながりが一気に生まれましたね。制作部のほうでも短編映画を作って上映会を開き、留萌を舞台にしたラジオドラマも作りました。私も実は出演しています」と笠井さん。「る映」とYouTubeで検索すると、作品が見られるそうです。

rumoi_kasaisyoutenn00074.jpg

みんなで観光やイベントについて学び、考える「るもい未来観光創生チーム」

こうした活動がきっかけで、観光協会で行っている「るもい未来観光創生チーム」に誘われます。これは、「まちづくりと人づくり」をコンセプトに官民の20~30代を中心としたメンバーが集まり、観光イベントに関するセミナーなどを通じて学びを深めながら、実際にイベントなどの事業も行っていくというもの。

「チームの活動の初年度となる2021年は、グランピングイベントをやったり、翌年は道の駅で真冬にテントサウナを出したりしました。サウナに入ったあと、水風呂の代わりに新雪に飛び込むみたいな(笑)。大きなものでは、2022年に『るもいナゾ解きまちあるき』のイベントを実施しました」

今年は昨年に続いて、夕日の美しさで知られる黄金岬で、「第2回世界磯ガニ釣り選手権」をやることが決定しているそう。小さなイソガニをみんなで釣って、その数を競おうという内容。子どもも大人も楽しめそうです。

rumoi_kasaisyoutenn00010.jpg留萠市の観光名所でもある黄金岬は、磯遊びにも最適

中古物件を自らリノベーション。隣にはフリースペースも用意

さて、米屋の仕事の傍ら、同世代の仲間たちとまちづくりや観光にも携わっている笠井さんですが、肝心の建築の仕事はどうなのでしょう?

「笠井商店の設計部として、2021年に設計事務所の登録をしました。建設会社から図面を描く仕事を請け負うほか、自社設計も行っています。米屋の業務とバランスを取りながら、店の一角で図面を引いています」

まだ自社設計は少ないそうですが、2022年に店の並びに立つ古い中古住宅を自宅用に購入し、自ら設計してリノベーション。その隣にはフリースペースの「yukyuk」を作りました。

「最初から購入しようと思っていたわけではないのですが、たまたま持ち主だった方が幼いころから知っている方で、『譲るよ』と声をかけてもらい、じゃあ自分たちが住もうかとなりました。こういうやり取りって、札幌では少ないですよね? 留萌のような地方都市ならではだと思います」

rumoi_kasaisyoutenn00082.jpg真っ白な壁に映える、シャビーシックなロゴが素敵!

2020年に入籍した奥さまは中国茶が好きで、いつか飲食店をやってみたいという夢があり、「この場所で中国茶と笠井商店の米で作ったおにぎりを出せるような店もできるかもね」と話しているそう。その奥さまは自宅でリモートワークの仕事をする傍ら、アクセサリー作りも行っていて、「yukyuk」で地域の人たちを集めてフリーマーケットを開催するなど、地域にも溶け込んでいます。

「yukyuk」では、笠井商店として玄米食や麹に関するワークショップなども開催。「健康や美容への意識が高い20~40代の女性たちが参加してくれました。中には笠井商店を知らなかった初めましての方もいて、これからもこういうアプローチはしていきたい」と話します。

また、建築士として「いつか留萌に宿泊施設を作ってみたいですね」と話す笠井さん。アートギャラリー的な場所やそういうスペースも街に作りたいと考えているそうです。

rumoi_kasaisyoutenn00026.jpgお米を通した健康的な生活に関する情報も発信

現状維持をしながら、町を出た人がいつでも戻れる暮らしの環境整備が必要

さて、留萌の街や商店街のこれからの在り方について尋ねると、「まずは現状を維持することが大事だと思っている」と笠井さん。盛り上げるというより、まずは今の状態を維持し続けていくこと、商売もとにかく続けていくことが大事と話します。

「街や商店街を背負っていく担い手不足の中、次の担い手とされている自覚はあるので(笑)、とにかく同じように続け、現状維持していく中で、やりたいことをやっていきたいと考えています」

中学生や高校生など次の世代の子どもたちに対して、「自分もそうだったので、外に出るのはいいし、外を見てくるのは大事だと思います。ただ、今の中高生が外に出たとき、彼らが戻ってくるための余地を街に用意してあげたいと思うんです。仕事もそうだし、住む場所も。いつでも帰ってきていいよと言えるような街にしたいと考えています。そのためには、都会じゃなければできないではなく、都会でも、留萌でも同じことは案外できるという環境を自分たち大人が作っていかなければと思います。また、留萌はプレイヤーが少ない分、いろいろなチャンスが実はたくさんあるんです。留萌でしかできないこともあると思うので、そういうことも伝えていけたらいいなと思います」と語ってくれました。

rumoi_kasaisyoutenn00077.jpg

一度街の外に出たからこそ分かることという点では、「市で行っていた複合施設建設の会議に市民スピーカーとして参加した際、無料で24時間、雨風をしのげる場所を作ったほうがいいと提案させてもらいました。それは札幌という大きな町で暮らした経験から、日常的に利用もでき、災害時などいざというときにも使える場所が必要だと感じたからです。留萌の街にも、人が流れたり、たまったりするようなフリーなスペースがあったほうがいいと考えています」と笠井さん。市外に出たからこそ見えるもの、分かること、故郷にとって何が大事で、何が必要なのか、それが分かるのでしょう。丁寧な話し方や物腰の柔らかさから、肩ひじ張らずソフトで自然体という印象ですが、言葉の端々に留萌に対する思いの強さが感じられました。

株式会社 丸カ笠井商店  笠井佳祐さん
株式会社 丸カ笠井商店 笠井佳祐さん
住所

北海道留萌市栄町2丁目2-10

電話

0164-42-1385

URL

https://www.kasai-shoten.com/

GoogleMapで開く


米屋と建築、そして街のこと。生まれ故郷で「やりたいこと」を形に!

この記事は2024年6月28日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。