オホーツク海から30キロほど内陸部にある美幌町。女満別空港から車で15分ほど、国道が町内を4本も走っているというオホーツクエリアでもアクセスの良い町です。農業と林業が盛んな町ですが、その絶景を目指して年間約70万人が訪れる美幌峠を有する町でもあります。
今回は、長年美幌の観光に携わってきた美幌観光物産協会事務局長・信太眞人(しだまこと)さんと、昨年(令和5)から地域おこし協力隊として町の移住関連に携わっている森田龍之進さんに、美幌の町の魅力やこれから取り組んでいこうと考えていることなどを伺いました。ポテンシャルの高さが感じられる魅力ある町だということが伝わってくるインタビューとなりました。
観光業に長年携わる中で考えているのは、「町民の郷土愛を生かしたい」
美幌観光物産協会に勤務して20年以上という信太さん。町で行われる「美幌観光和牛まつり」や花火大会、冬まつりといったイベントを手がけるなど、長い間、美幌の観光に携わってきました。美幌出身かと思いきや実は広島県出身。8歳のときに家族で美幌に移り住み、以来ずっと美幌で暮らしていますが、広島に行くと広島弁が口から出てくるそう。
美幌観光物産協会、事務局長の信太眞人さん
「長く住んでいるので、今ではすっかり美幌の人間ですし、いい町だなぁと思うのですが、8歳でこちらに来たときは、自分は『よそ者』という感覚がありました。今もよそ者視点で客観的に物事を見ることができるのは、観光の仕事をしていて役立つこともあります」
また、いいところも悪いところも、全部ひっくるめて美幌の人のことをよく分かっているとも言います。
「古くから町に暮らす人たちは町に対してすごく愛着と誇りを持っているんです。シビックプライドというのでしょうか。ただ、その一方で保守的なところもあるから、よそから来た人に対してある一定のところを超えると、ビシッと線を引くんですよね。もともと美幌は自衛隊の駐屯地があるなど人の出入りが多い町だから、柔軟に受け入れはするのだけれど、完全にオープンというわけでもないんです」
令和5年度から美幌町の地域おこし協力隊として活躍する森田龍之進さん
隣で聞いていた森田さんが、「僕は美幌の方たちのファーストインプレッション、すごくいいんですが...」と少し驚いた顔をしていると、「森田くんは町に住んでまだ1年だからね(笑)」と意味深な発言で困惑させつつ、「そうは言っても、基本的に町の人は大らかですし、親切ですよ」と笑い、「長く観光に携わっているほうとしては、みんなが持っているシビックプライドをうまく観光業に転換させられたらと思うんですよね」と続けます。
地域おこし協力隊の移住コンシェルジュとして、1年前から赴任
その森田さんは横浜生まれの26歳。10歳から18歳までは長野県の白馬村に暮らした経験があり、アルペンスキーの選手だったそう。大学に入るタイミングで横浜に戻り、大学卒業後に美幌へ。現在は地域おこし協力隊の移住コンシェルジュとして活躍しています。普段は、市街地から車で10分ほどのところにある「みどりの村」の中の建物内に設けた移住相談拠点「KITEN」に常駐。ここにはコワーキングスペースもあり、そこの運営も行っています。町が直接雇用をする一般的な地域おこし協力隊とは違い、まちづくり事業を地域と共創するベンチャー企業・ファウンディングベースの美幌町グループに所属し、そこから派遣されているという形なのだそう。
「派遣先はほかの都道府県にもあって、美幌という町にすごく来たくて来たわけではないのですが(笑)、行ったことのない場所に行ってみようと思って美幌へ来ました。でも、結果的に美幌はすごくいい町で、来てよかった!と思っています」
冒頭の信太さんの町の人の話につながりますが、子どものころ白馬村へ移住した経験がある森田さんから見ると、美幌の人たちは「とても親しみやすく、皆さん明るい。よその場所から来た人に対して、最初から強い警戒心は持っていない印象です」と話します。また、美幌での暮らしに関して、雪国で暮らした経験もあるので、生活面で不自由を感じることもないそう。
森田さんは移住コンシェルジュとして、町内に6棟ある移住体験住宅の案内や、そこに泊まっている移住を検討している人たちと面談も行います。また、「KITEN」のコワーキングスペースを道外の方たちに知ってもらい利用を促進しようと、東京、大阪、福岡などの企業へのPRも行っています。コワーキングスペースは、ビジネスマンの方が出張やワーケーションで活用しているほか、地元の人たちも多く利用。農家の人たちが家だと落ち着いてパソコン作業ができないからと利用したり、副業をしている人が空き時間にやって来たり、主婦の人が息抜きでお茶を飲みに来たり...、日々さまざまな方が利用しています。
新しい観光資源「屈斜路カルデラトレイル」で、脱・通過型観光を目指す
美幌の観光スポットといえば美幌峠。エメラルドグリーンの屈斜路湖が眼下に広がり、気候条件が揃えば雲海を望むこともできます。秋には、この美幌峠も通る約23キロの「屈斜路カルデラトレイル」が開通する予定。信太さんはこのトレイルと観光について語ってくれました。
「美幌は農業・林業を主な産業としていて、観光業が柱にはなってないんです。美幌峠があるから人はたくさん訪れるけれど、あくまで通過点の町。観光面で言うと、美幌峠に甘えてしまい、せっかくたくさんの人に来ていただいても、ただ景色を見て終わり。それ以上の何かがない。次はそこを脱却していくのが課題だと感じています。『屈斜路カルデラトレイル』が観光の起爆剤になってくれればと思います」
トレイルとは、歩く旅を楽しむために造られた道。一般の道だけでなく、登山道、自然散策路なども含みます。地域の自然をはじめ、文化、歴史にも触れながら長く歩くというもので、ヨーロッパではフットパスとも呼ばれています。日本では、長野・新潟の「信越トレイル」や、東日本大震災のあとに造られた東北の「みちのく潮風トレイル」などが有名です。古くから行われている四国のお遍路や熊野古道なども、歩く旅という観点でいえばトレイルに近いかもしれません。近年、アウトドア志向、健康志向の高まりに伴い、新たな自然体験型の観光の形として注目を集めています。
「屈斜路カルデラトレイル」が誕生するきっかけを信太さんに伺うと...。さかのぼること2016年、環境省が国立公園を世界水準のナショナルパークにしようと打ち立てた「国立公園満喫プロジェクト」が始まりだったそう。当時国内に32あった国立公園のうち8つの国立公園がモデルケースとしてプロジェクトを行うことになり、美幌町を含む阿寒摩周国立公園がその1つに選ばれたのでした。
「日本の国立公園はとにかく自然を壊さない、自然を守るというスタンスでやってきたので、いろいろな規制があり、ほかの国のナショナルパークに比べると訪れにくい場所でした。しかし、世界中のナショナルパークは自然や環境を守りつつもたくさんの人が訪れやすく、自然体験できる観光地として開かれています。満喫プロジェクトは、他国のナショナルパークのように国立公園をもっと気軽の訪れることができる場所にしようというものでした。そして、人を呼ぶためにはどうしたらいいだろうかと考える中で、ロングトレイルという案が出ました」
美幌町と隣接する津別町、大空町、この3つの町の観光協会がタッグを組み、藻琴山から美幌峠、津別峠をつなぐ「屈斜路カルデラトレイル」について協議が始まります。
「実は、以前にも同様の案が出たことがあったのですが、そのとき、国立公園は自然を守ろうという考え方一色だったので門前払いでしたが、満喫プロジェクトがはじまると、川湯にある国立公園の事務所からもすんなりOKが出たんです」
これは新たな観光資源誕生の千載一遇のチャンスと信太さんも意気込みますが、役場や観光協会など、一部の幹部からは否定的な意見がありました。「そんな道を作って何になるんだ」「誰が歩くんだ」。プロジェクトの内容、トレイルができることの意義、町への経済効果などを説明し、時間をかけて理解してもらうしかありませんでした。
滞在中、いろいろな「体験」をしてもらいたい。そのためにガイドも養成
「屈斜路カルデラトレイル」を作るにあたって、協力者の人たちと一緒に信太さんも山の中の藪をかき分けて調査などを行ったそう。
「歴史を紐解いていくと、美幌峠から津別峠や藻琴山方面を冬に縦走していた人がいるとか、そういうのも分かって、あらためて同じようなことを考えていた先人がいたんだと知りました」と信太さん。
2016年のスタートから8年が経ち、否定的な意見は徐々になくなり「いつから通れるようになるの?」「まだなの?」と言われることも増えたそう。そんな声を聞くと、「コツコツやってきたことが、浸透してきたんだなと実感します」と話します。
「コロナを機に、歩くことが健康につながるという意識を持つ人が増え、追い風になった部分もあると思います。これからさらにトレイル文化を根付かせていければ、『屈斜路カルデラトレイル』を歩く人たちが町に宿泊したり、温泉に入っていったり、食事をしていったり、必ず町にとってもプラスになるはず」
現在、まだ道は一般開通されていませんが、「美幌峠の横にテントを張れるスペースを用意すればどうだろうかと考えています。トレイルを歩く人がそこで泊まり、星空を眺め、朝には道の駅の店で朝食を提供できればいいのではないかなと考えてもいます」と信太さん。さらに、「峠の頂上から屈斜路湖を見下ろす眺めや朝日が有名ですが、実はその180度逆側から見る景色も素晴らしいんですよ。大雪山の山並みが見えたり、目を細めると網走湖まで見えたり。美幌の町も一望でき、こっちは夕日の沈む様子が美しいんです」と続けます。これらも今後うまく取り入れながら、通過型観光ではなく、滞在型で町を訪れた人にいろいろな「体験」を楽しんでもらいたいと考えています。
「あと、トレイル開通にあたり、トレイルやこの辺りの自然に精通しているネイチャーガイドも必要だと思っています。基本的にどんなアウトドアも自己責任で自由に楽しむものではありますが、それでも初心者の人やガイドと交流しながら歩きたいという人もいると思うので...。現在、すでに2人のガイドがいます」
信太さんのもとで仕事をしていた地域おこし協力隊のOBである2人がネイチャーガイドになってくれたそう。「まだトレイルも開通していないので、ガイド1本だけで食べていける状況ではありませんが、ゆくゆくは彼らがガイドだけでもやっていけるようになればと思います」と続けます。
そのうちの一人、滝川朗正さんは、180度逆側のスポットの荘厳さに心から感動。その場所に特に名前がなかったので、滝川さんが「ピポロ高原」と名付けたそう。「道の駅ぐるっとパノラマ美幌峠の名前にふさわしいように、360度楽しめる美幌峠としてPRしていきたいですね」と信太さん。
ちなみに、2021年に阿寒摩周国立公園のほか、知床国立公園、釧路湿原国立公園の3つの国立公園をつなぐ、釧路から知床・羅臼までの約400キロのロングトレイルを作る構想が持ち上がり、「屈斜路カルデラトレイル」もそこの一部となることになりました。2023年には「北海道東トレイル」と名付けられ、2024年秋の全線開通を目指しています。
スノースポーツの経験と豊かな自然を生かし、ゆくゆくはイベントもやってみたい
森田さんは移住促進の任務があるため、直接的にトレイルに関わることはないそうですが、「ガイドの滝川さんとはすごく仲良くさせてもらっていて、プライベートでもよく自然の中で一緒に遊んでいます。彼と一緒に山に入ると、いろいろ教えてもらえるし、あらためてこのエリアはすごくいいところだと思うし、自分ももっと楽しみたい!と思います。一方で、環境的に豊かでありつつ、課題もあるなと感じる部分もあり、自分にできることは何かなと考えることもあります」と話します。
長年スキー競技に打ち込んできた森田さんは、自然のままの地形をスキーやスノーボードで滑り、そのテクニックやスタイルを競う「フリーライドワールドツアー」の日本の運営に6年ほど携わっていたこともあり、「藻琴山のようにリフトがない場所を滑るいわゆるバックカントリーなのですが、せっかくこういう場所があるので、いつか自分の経験を生かしてイベントなどができたら...」とも語ります。
「もともとスノースポーツをやっていたので、スノースポーツの分野で役に立てることがあればぜひと思いますね。ほんの少しですが、町のスキー少年団のサポートをさせてもらったりもしています」
先人の取り組みを尊重し、そこに新しい感性を加えて町の魅力を発信したい
信太さんは美幌というまちについて、こう語ります。
「美幌ってね、いいところがいっぱいあるし、面白い町なのです。よそから来た人たちに言われなくても、いいところがいっぱいあるのは知っているんだけど、いざ聞かれると、忘れていることが多くて、『何もない町です』なんて言ってしまう人が多い。慣れすぎちゃって、当たり前になってしまっている。だから、そこを掘り下げていって、きちんと調整して発信していくのが観光の人間の仕事だと思っています。町の人たちの根っこにある郷土愛、シビックプライドをうまく育んで、いい方向に向けていきたいです」
冒頭でも話していたように、町の人たちの意識をうまく観光に結び付け、より魅力ある町づくりに繋げていければと考えているそう。
信太さんの話を聞きながら、「確かに慣れてしまうとそこに特別感を持たなくなるかも...。自分もさっき、美幌の好きなスポットを聞かれたとき、みどりの村がとても素晴らしいと思っているにも関わらず、咄嗟には出てこなかった(苦笑)。毎日通っていると当たり前になってしまうというのが分かります」と森田さんが頷きます。
「その流れで言うとね、僕が子どものころ、町には頑固親父みたいなおじいさんたちがいっぱいいて、町の歴史や自分たちの武勇伝を語ってくれるわけ。だけど、子どもだからおもしろくないし、面倒に思っていたから、話半分で聞いていたんだよね。今になって思えば、すごい話がいっぱいで、もっときちんと聞いて、それを残しておけばよかったなと思いますね。そのときは、聞かされるのが日常すぎてね(笑)」と信太さん。
美幌にはかつて海軍の基地があり、それが町の発展にも大きく繋がっているそう。国道39号は戦車が通れるように転圧した道路であったことから「海軍通り」と呼ばれている話や、美幌駐屯地の地下トンネルに零戦の機体が眠っているという都市伝説的な話など、さまざまな話を町の大先輩たちがしていたそうです。
さらに、「美幌の人ってチャレンジ精神もあるし、根性もある。たくましいんですよ。昔の話を聞いていると、道路の誘致も工場の誘致もすごく粘り強く頑張って、誘致に漕ぎつけている。石北線を作るときもわざわざ美幌を通らせたそうです。これらも町への愛があるからなのでしょうね。そういった先人たちの取り組みを伝えつつ、新しい感性をそこに加味してさらなる町の発展につなげていきたいですね」と語ります。
これからのことを尋ねると、森田さんは「移住促進をもっと進めていけるよう、観光面はもちろん町の魅力を発信し、札幌含め、首都圏の方たちに興味を持ってもらえるように活動していきたいです」と話し、信太さんは「滞在型観光を実現するため、先人たちがなし得なかったことを若い人たちと一緒にブラッシュアップさせながら、美幌を訪れた人たちに美幌でしかできない体験をしてもらいたいですね」と語ってくれました。
ほかにもクッシー伝説や昭和の大スターと町の関係など、次々と話が飛び出してきましたが、それだけいろいろな可能性が眠っているということ。2人の話を伺っていると、本当にこの町のことが好きで、この町のために頑張りたいという想いが伝わってきます。トレイルが開通することで、新しい町の魅力が花開くのも楽しみです。
- 美幌観光物産協会
- 住所
北海道 網走郡美幌町新町3丁目97-2
- 電話
0152-73-2211
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