北海道北部の中核都市である名寄市。天塩川と名寄川の恵み豊かなこのまちは、のどかな田舎の雰囲気もありながら、道北の交通の要衝地として発展してきました。
今回取材するのは、ここ名寄市に暮らしながらグラフィックデザイナーとして活躍する、満吉昇平さん。
以前はロンドンやマレーシアと海外に拠点を置いて働いていた満吉さんが、なぜ名寄市に移住したのか?
地方でデザインの仕事をするメリットとは?
場所にしばられない理想の働き方に行き着いた、満吉さんのストーリーに迫ります。
また、名寄市では、デザインやコンテンツ制作といったクリエイティブな職種の方々の移住を積極的に支援する事業もはじめています。今回は、その事業についてもご紹介。ものごとを生み出すことに長けたクリエイターを集めることで、名寄市に少しずつ起こり始めている変化にも注目です。
こちらが満吉昇平さん
やりたいことに向かい続けてたどり着いた、理想の働き方。
グラフィックデザイナーの満吉昇平さんは、2021年に奥様の地元である名寄市に移住してきました。移住前はマレーシアを拠点にしていた満吉さんご夫婦ですが、名寄市に移住することになったのはコロナがきっかけでした。
「マレーシアには3年ほど住んでいたのですが、コロナ禍に日本へ一時帰国したら、ビザが下りずに戻れなくなってしまって。ただ、デザインの仕事はリモートワークで可能なので、住むところを変えても問題なかったのが幸いでした。奥さんの実家である名寄市には何度か来たことがあり、のどかで過ごしやすく、どこか北欧のような雰囲気が漂うところが気に入っていたので、もうこっちに住んでしまおうと決断しました」
「場所に関係なく仕事ができるスタイルは、僕にとって理想の働き方ですね」と話す満吉さんは、今でこそ、場所も時間も自分で選べる自由な働き方をしていますが、ここに至るまでにいろんな寄り道をしてきたと言います。その過程を伺っていきましょう。
鹿児島県鹿児島市出身の満吉さんは、地元の鹿児島実業高校を卒業後、大阪産業大学国際経済学科に進学し、メディア関係について学びました。
「当時は海外のミュージックビデオが好きで、かっこいいな〜と憧れていて。漠然と映像関係をやってみたいという思いがありました。何かを作り出すクリエイティブな仕事に興味があったんですよね」
そんな満吉さんが大学卒業後に就職したのは、カメラを動かすクレーンやレールなどの機材のオペレーション、スモークや雨などの特殊効果を専門とする会社。そこでは、数々の映画やCM、プロモーションビデオやミュージックビデオの撮影に関わりました。ただ、念願の映像関係の仕事はできているものの、関わるのは機材や特殊効果が必要なシーンだけ。
「特殊効果が必要なシーンの撮影が終わると、僕たちの役目はそこでおしまい。作品の一部にしか携われないポジションでした。でも、もっと作品制作の根っこから携わる仕事がしたかったんです」
そう感じた満吉さんはテレビ制作会社へ転職。2年半ほどテレビ番組の制作に携わった後、さらにクリエイティブを深めたいと、再度広告制作会社へ転職します。
「広告制作では企画段階から関わることができて、クリエイティブな仕事ができているという感覚がありましたね」
クリエイティブな仕事に熱中していた満吉さんですが、ここで転機が訪れます。なんと、働きすぎにより過労で倒れ、緊急搬送されてしまったのです。
「このままでは体がもたない、好きなことも嫌いになってしまうと思い、辞めることを決意しました。でも、これは僕にとって逆に大きなチャンスで。せっかくなら好きなこと、やりたいことを思い切りやろうと思った時に、『海外に行きたい』という自分の願いを叶えることにしたんです」
サッカーの名門校、鹿児島実業高校では、サッカー漬けだったという満吉さん
実は満吉さん、小学4年生の頃にフランス、イギリス、チュニジアに2〜3ヶ月ほど滞在し、高校ではフランスで1ヶ月間のサッカー留学をしていたことがありました。
「幼馴染の家族がパリに行く時に、自分も連れて行ってほしいとお願いして連れて行ってもらったんです。その時にロンドンやチュニジアにも行きました。小学生時代のこの海外での経験が、自分にとってはものすごく大きなインパクトでした。この経験が、確実に今の僕の考え方や在り方のルーツになっていますし、子供の頃から海外にいけるような環境を前向きに作ってくれた父と母には感謝してもしきれないですね。この時からずっと、『海外で生活したい』という思いが頭の片隅にありました」
さっそく満吉さんが向かったのはニューヨーク。2〜3ヶ月ほど滞在し就職活動をしていた満吉さんですが、受かったのはなぜか不動産の営業の仕事。
「アメリカのビザが欲しかったので、受かってラッキー!と一瞬思ったものの、クリエイティブな仕事がしたいのに本末転倒だなと思いとどまりました」と、ニューヨークは諦めたものの、またチャンスが訪れます。
「ロンドンのワーキングホリデーのビザの抽選にたまたま受かったんです。当時の僕はワーホリ可能な年齢ぎりぎりの30歳。しかも小学生の時に行ったロンドン。これは運命だ!と思い、すぐにロンドンに向かいました」
こうして念願の海外での生活をスタートさせた満吉さんですが、なんと驚くことに、この時点では全く英語が話せなかったのだそう!
「海外に行きたいという思いの方が強くて、英語を勉強しようという思いにはならなかった」と満吉さんは笑いますが、できない理由や言い訳には目もくれず、「行きたい!」「やりたい!」に一直線な姿勢には脱帽です。
新卒以降ずっと映像関係の仕事に携わってきた満吉さんですが、そこで培ったIllustrator(イラストレーター)やPhotoshop(フォトショップ)などの技術を活かし、ニューヨークへ飛び出した頃にはグラフィックデザインの仕事へシフトチェンジしていました。
こちらは満吉さんのアイディアノート。独創的な絵や言葉が並んでいます
「ロンドンでは日本からグラフィックデザインの仕事をもらって仕事をしていました。『場所に関係なく仕事ができる』って、僕にとって理想のスタイルで。ロンドンでこの理想を実現できて、これからもいろんなところに住みながら仕事がしたいという思いが生まれました」
「クリエイティブな仕事をしたい」。そして、「海外に行きたい」。
いろんな道を進みながらも、その時々でしっかり自分の望みや理想を明確にし、その方向へ向かって歩き続けた満吉さん。そんな満吉さんだからこそ、こうして多彩な経験を積み、理想のスタイルを実現することができたのだろうと思います。
その後、かねてからお付き合いしていた(ロンドンと日本の遠距離恋愛!)奥様との結婚のため、一時帰国した満吉さん。そこでタイミング良く、今度はマレーシアに滞在できるチャンスが巡ってきます。
「マレーシアに住む友人の会社からビザが下りるというので、マレーシアを拠点にすることにしました。ロンドンと違い日本との時差がたった1時間のマレーシアはワーケーションにはうってつけでしたね」
同じくデザイナーである奥様もリモートワークが可能だったため、夫婦揃って3年間のマレーシア生活を満喫。そして、冒頭で述べた通り、奥様の地元である名寄市に移住するに至ったのでした。
何もないからこそシンプルに生きられるのが、名寄の魅力。
コロナ禍での思いがけないきっかけで名寄に移住することになった満吉さんですが、名寄での、ゆとりある生活はとても自分に合っていると笑顔を見せます。
「名寄は都会と比べれば何も無いんですけど、僕はこのシンプルさがすごく気に入っています。シンプルだからこそ、情報におぼれずにストレスフリーでいられるし、クリエイティブな発想も生まれてくると感じますね」
名寄では古い民家を借りて、リノベーションして暮らしている満吉さんご夫婦。家賃は安いのに、庭も倉庫も駐車場もあるこの家では、バーベキューをしたり、時には庭で仕事をしたり、自分のリズムでゆるく暮らしていけるのだそう。
「オンラインミーティングの最中に、近所のおじいちゃんが窓をバンバン!と叩いて『野菜持ってきたよ〜!』と大きな声で呼びに来る、なんてことも起こったりして(笑)。東京の友達には『のどかな生活してるね〜』って笑われるんですけど、自分はこの感じがなんだか好きなんです」と笑います。
愛用のカメラや仕事道具
移住後はキツネトシカデザインという会社を立ち上げ、フリーのデザイナーとして活動している満吉さん。マレーシアでの前職の繋がりで海外からの依頼も受けながらも、最近では日本国内の仕事、特に名寄市内での仕事も増えてきているそうです。名寄市の新しい移住ガイドブックも、満吉さんが市役所と共に手がけたもの。このような本業であるグラフィックデザインの仕事はもちろんですが、満吉さんの名寄でのクリエイトはそこだけにとどまりません。
「市内の飲食店と一緒に、食べて呑むイベント『ナヨソビ』を開催しています。市内には大人が遊べる場所が少ないよね、ならば自分たちで作っちゃおう!という発想から、名寄で大人が遊べる場所=ナヨソビをはじめました。とても小さなイベントではありますが、少しずつ関わってくれる仲間も増えてきています」
名寄でのシンプルな暮らしの中で、満吉さんのクリエイティブに磨きがかかり、それが町の面白さにつながっている。
何もないのどかな町とクリエイトの出会いから、小さな変化が起き始めているようです。
必要なものは自分たちで生み出す、クリエイティブの力。
このような満吉さんの活躍がきっかけとなり、名寄市では、デザインや映像制作などのクリエイターの移住を支援する「名寄市クリエイティブ人材移住推進補助金」という制度が始まりました。
「満吉さんのように、ものごとを生み出せるクリエイターが増えたら、名寄はもっと面白くなるだろうと考えて、昨年度から始めた制度です。だから(満吉)昇平さんはこの制度の創始者といえますね(笑)」
そう話してくれたのは、名寄市役所で移住施策を担当する谷田由香さんです。
谷田さんは市役所の担当として満吉さんと関わる中で、クリエイターの生み出すパワーに驚いたといいます。
こちらが谷田由香さん
「クリエイターと呼ばれる人たちって、デザインやものづくりだけじゃなくて、この町に無いものを見つけて作り出そうというパワーがあります。普通なら『名寄って何も無いよね』と思うだけで終わるところを、『無いなら自分たちで作っちゃおう』という発想になるのがクリエイターのすごいところ。これまで名寄に無かったものを生み出せる人たちを増やして、もっと名寄を面白くしたいという思いで制度をつくりました」
昨年はこの制度を活用して、プロダクトデザイナーと木工作家の2人のクリエイターが名寄に移住しました。
「木工作家さんは今、観光協会の窓口カウンターを作成してくれています。小さなことからでも、こうしてクリエイターの力が加わって名寄に無かったものを増やしていけたらいいですよね」と谷田さん。
行政という立場としても、こうして市内にクリエイターがいてくれることはとても助かるのだそうです。
今回の取材は、市内にある「エンレイホール」にて行いました
「昇平さんと一緒に作成した移住ガイドブックも、市内に住む人だからこそのエッセンスを加えて作ってくれて、思いのこもったガイドブックになりました。こうして同じ名寄に住む方と思いを共有して仕事ができたのは、私としてもすごく楽しく、嬉しいことでした」
行政や市民の「名寄をより良くしたい」という思いを、クリエイティブな発想や技術で助けてくれる人がいること、しかもその人が名寄のことをよく分かってくれていることは、とても心強く、そこに詰め込む思いも成果も格段にアップするに違いありません。
「クリエイターさんたちを見ていると、『たとえ小さくても、自分たちでできることがあるよ』ということに気付かされるんです。ナヨソビのようなイベントもそうですが、たとえ小さくても市民の方々が自分たちで生み出すこと、継続していくことを大切にしていきたい。最近では少しずつですが、自分たちでやろう、協力しよう、という人も増えているように感じます」
クリエイティブ移住の事業を立ち上げた谷田さん。話にも熱が入ります
クリエイターの方々と接する中で、谷田さん自身にも変化があったのだとか。
「私は名寄生まれの名寄育ちで、仕事も市役所のことしか知らず、もっと視野を広げたいと思っていました。クリエイターの皆さんって本当に自由で、なんでも自分で切り拓いていく。その姿が私には衝撃でしたし、『いろんな生き方の選択肢があるんだな』と気持ちも楽にしてくれました」
そう話す谷田さんの笑顔からは、今の仕事がとても楽しい!という思いが強く伝わってきます。外からやってきたクリエイターの方々が名寄に新しい風を吹かせ、これまでの名寄にはなかった化学反応を起こしていく。そんな名寄の未来が想像できるようでした。
この日の名寄は、空がとても広く感じる晴天の一日でした
最後に、満吉さんと谷田さんのお2人に、これからやりたいことを伺いました。
満吉さんはこう話します。
「名寄に住んでいるからには、僕ができることはやりたいなと思っています。たとえば遊ぶ場所も、人とのコミュニティも、名寄にはまだ無いものが多くて、旭川や札幌などの大きな都市に頼っていますが、それらが名寄で完結できるようにしていきたいですね。いずれは、逆に旭川から札幌から逆に人を呼び込めちゃうような、そんな名寄のブランディングをしていけたらと思います。これまで自分がクリエイティブの分野で培ってきたデザイン力を、そういうところに活かしていきたいです」
谷田さんが続けます。
「まだ目に見える大きな変化はないけれど、小さなことからでも名寄に楽しみごとを増やしていくことで、最終的には名寄に住む人たちが『名寄市に住んでよかった』と言えるまちにしていきたいです」
これからの名寄市のクリエイティブな化学反応からも、目が離せません。
- グラフィックデザイナー/満吉昇平さん・名寄市役所/谷田由香さん
- 住所
北海道名寄市大通南1丁目1番地(名寄市役所)
- 電話
01654-3-2111(名寄市役所)
- URL