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まちおこしレポート
ニセコ町

辿り着いたニセコ町で、サステナブルなまちづくりを20220829

辿り着いたニセコ町で、サステナブルなまちづくりを

2015年の国連サミットで採択されたSDGs(持続可能な開発目標)。2030年までに世界が達成すべき17のゴールと169のターゲットで構成され、あらゆる企業、団体、個人がその目標に向けてそれぞれアクションを起こしています。

世界有数のリゾート地として知られるニセコ町は、2013年に国の「環境モデル都市」に選ばれました。目指すべき脱炭素社会の姿を具体的に分かりやすく示すため、先駆的な取り組みに挑戦している地方自治体を国が「環境モデル都市」と認定、その実現を支援しています。ニセコ町は2050年までに脱炭素を実現すると表明し、持続可能な街区を整備することを決定。それを行政主導でもなく、大手企業に委託するでもなく、住民自治を第一に考えてチャレンジすることにしました。その担い手として官民連携の「株式会社ニセコまち」が設立され、「第2の役場」的存在になることを目標に、「SDGs未来都市・ニセコ町」に向かって邁進しています。

今回の主人公は、「ニセコまち」のスタッフとしてコミュニティー作りなどを行っているニセコ町地域おこし協力隊の佐々木綾香さんです。群馬出身で、大学や大学院で国際協力について学んでいた佐々木さんがニセコへ移住するまでのストーリー、そして今の暮らしや仕事のことについて伺いました。

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「ニセコミライ」の完成予定パース

サステナブルなまちづくりを行う会社

「ニセコまち」が進めている「NISEKO生活・モデル地区」(通称SDGs街区)の開発。一般公募により「ニセコミライ」と名付けられ、450人ほどが暮らせるサステナブルな新しいまちの造成が既にスタートしています。低層の木造集合住宅や共有広場が建つ第1工区のすぐそば、運動公園の管理棟2階に佐々木さんの職場である「ニセコまち」の事務所があります。

「こんにちは!」と明るい声と笑顔で迎えてくれた佐々木さん。事務所の中はまだ新しい印象です。昨年(2021年)の秋に断熱改修や壁の塗装など、改修の一部は自分たちで行ったそうで、その模様が「ニセコまち」のホームページにアップされていました。佐々木さんが撮った動画なども載っています。会社の日々の取り組みなど情報発信の大半は佐々木さんが行っています。

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事務所のすぐ隣の敷地で、「ニセコミライ」の工事が進められています

群馬、東京、アフリカ。そして北海道へ

佐々木さんがニセコ町へ移住したのは昨年春。それまでは道北の天塩町に暮らしていました。北海道へ来る前は、「東京の大学で国際関係のことを、神戸の大学院で国際協力について学びました。卒業後は東京にある海外開発コンサルティング会社で、JICA(国際協力機構)の主にアフリカ地域の技術協力プロジェクトなどに関わっていました」と話します。丸4年勤務し、家族の仕事の都合で天塩へ。仕事柄、アフリカをはじめあちこち飛び回っていた佐々木さん、北海道へ移り住むことにも抵抗はなかったと言います。学生時代にアラスカをひとり旅した経験があり、寒い地域の文化や暮らしにも関心があったそう。「北海道へ行くのが楽しみで、移住したら何の仕事をしようかなってワクワクしていました」と笑います。

地域おこし協力隊の存在を知り、調べてみると、「ちょうど天塩町が地域と海外を繋ぐ国際的なことを担当する隊員を探していると分かり、これはこれまでの自分の経験を何か活かせるかも!」と手を挙げます。

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こちらがニセコ町地域おこし協力隊の佐々木綾香さん

隊員になってからは、特産品の販路をアジア各国へ広げるための催事の手伝いをしたり、海外から観光学の研修にやってくる学生のサポートを行ったりしました。前職での経験を活かし、アフリカに暮らす知人と天塩の子どもたちをオンラインで繋ぎ交流する場を設けるなど、国際関係のことを全般的に担当。また、約3年の間に道北エリアの地域おこし協力隊の集まりにも積極的に参加し、横の繋がりも広げていきました。

「地域と海外を繋ぐ仕事をしていく中で、ホスピタリティーの大切さを感じるようになりました。でも、私はホスピタリティーに関する実務経験がなかったので、天塩の協力隊のあとは、まずその経験を積みたいと考えるようになりました」

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ホスピタリティーを学ぶためにニセコへ

いろいろ調べていく中で、後志総合振興局が実施している「ShiriBeshi留学」というプログラムがあることを知ります。外資系企業も多く参入しているニセコやルスツで、リゾート関連企業のインターンシップに参加できるという内容。「北海道にいながら、海外と繋がりを持ち、ホスピタリティーも学べる良いチャンスだ」と思い、すぐに応募してニセコへ。

ところが、コロナの影響を受け、直前になってインターン先から受け入れができなくなったと告げられます。「そんなぁ!どうしよう!って、感じでした。でも、せっかくニセコに興味を持ったので、そのまましばらく滞在することにしました」と振り返ります。フットワークが軽い佐々木さん、駅前にある文化活動や交流の場「ニセコ中央倉庫群」に協力隊のОBや現役の人がたくさん集まっていると聞くと、すぐに足を運びました。そこでこれまでの話をすると、「佐々木さんが好きそうな会社があるよ」と官民連携の「ニセコまち」を紹介されます。

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ニセコ町の協力隊員として「ニセコまち」配属に

そうして、ニセコ町の地域おこし協力隊への応募を決意。2021年4月から隊員として着任し、「ニセコまち」に配属という形で仕事に取り組んでいます。サステナブルなまちづくりを行う「ニセコまち」には、省エネなど環境の専門家、設計に関するプロといったメンバーが多く、その中で佐々木さんはコミュニティー作りや情報発信など広報的なソフト面を担当。ホームページのブログ更新や、「明日をつくる教室」というサイトで、ニセコに暮らし、活動している人たちを紹介するほか、イベント情報などもアップしています。

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「明日をつくる教室」ではニセコで活躍する方々がご紹介されています

「街区(ニセコミライ)の事業を知ってもらうためのイベントを企画したり、町の人たちが交流できる場を作ったりすることも私の仕事。サイトで紹介する方たちのインタビューを機に、ニセコのいろいろな方と交流を深められるのも楽しいですね。街区が完成したときに町の人たちでいろいろなイベントやプロジェクトができるよう、今はその土台作りを行っているところです」

インタビューを通じて出会ったニセコの人々。他の地域に比べると移住者や海外の人が多く、町内にはたくさんのコミュニティーが存在するそう。生まれ育ちがニセコという人たちもアットホームで親切な人ばかりで、「個性豊かで魅力的な人が多いと感じます。そんなニセコの皆さんを繋いでいくことができたらと考えています」と話します。

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事務所のテラスで育てるトマトも、人との繋がりから

刺激的な人たちに出会い、働き方の考えも変化

また、「東京にいた頃よりニセコで出会う人たちのほうが刺激的な人ばかりです」と言い、いろいろな人たちと出会ったことで働き方に対する考え方も変わったと続けます。これまでは、会社に属して仕事(職種)は一つに絞らなければならないと思っていたそうですが、「ニセコで出会った人たちの中には、1人でいくつもの肩書きを持っている人がたくさんいて、皆さんどの仕事も楽しそうにやっています。もっと自由でいいのだなと思えるようになりました」。自分の中にあった縛りのようなものから解放されたとも話します。

「ニセコまちの仕事も楽しいので、今後ももちろん携わっていきたいと考えていますが、ニセコ町の協力隊は、自分の将来の自立に繋がるものであれば兼業してもいいと言われているので、もう1つ軸になる仕事を探したいなと思っています」

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実はその軸になりそうなのがダンス講師。華奢で穏やかな雰囲気からは想像もつきませんが、高校生のときからストリート系のダンスを趣味で踊っていたという意外な一面が。天塩に住んでいたときにはダンス講師をしたこともあったそうです。

「実は、この夏からニセコの子どもたちにダンスを教えることになりました」とニッコリ。最初は教えることに迷いもあったと言いますが、「できる人ができることをやればいい」と地元の方に背中を押され、「チャレンジしてみよう!」と決心したそう。子どもたちに声をかけたところ、あっという間に定員に。もっと枠を増やしてほしいというリクエストも寄せられています。

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レッスンの様子の写真をいただきましたが、取材時の佐々木さんとはまた違う姿に驚きです!

すべてにおいて十分満足できる暮らし

「ニセコに暮らして良かったなと思うのは、春夏秋冬、新しい季節がやってくるたびにワクワクすること」と話す佐々木さん。春は辺りの山々の新緑が芽吹く様子に心が躍り、夏は畑仕事や山登りという楽しみが待っています。秋は美しく彩られる見事な紅葉に感動し、冬は白銀の世界でウインタースポーツを満喫。「ニセコに来て初めてスノーボードに挑戦したのですが、すっかりハマってしまって、仕事が終わると毎日のようにスキー場へ通っていました」と笑います。

それからもう一つ、良かったと感じているのが人との出会い。
「刺激を与えてくれる人もいれば、温かくて優しい人もいっぱい」と話します。事務所のテラスでトマトを育てていますが、すぐそばに暮らす元農家のおばあちゃんが育て方を教えてくれるそう。

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「ちょっとしたことでも、世代を超えてコミュニケーションを取ることができ、人と人が繋がり、支え合いながら暮らしていけるベースがここにはあります。街区(ニセコミライ)ができることできっとそのような輪がもっと広がっていくと思うし、自分もそこに関われるのは嬉しいです。そういえば、ニセコに来てからほかの町に遊びに行くことなく、ずっとニセコにいる気がします。きっと、人にも環境にも恵まれ、十分満たされた暮らしを送っているからでしょうね」

最後に佐々木さんらしい朗らかな笑顔でこのように話してくれました。

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株式会社ニセコまち
住所

北海道虻田郡ニセコ町字富士見168-2 運動公園スポーツ管理棟2階

電話

0136-55-6087

URL

https://nisekomachi.co.jp/


辿り着いたニセコ町で、サステナブルなまちづくりを

この記事は2022年6月22日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。