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網走市

世界の海を相手にしてきた男の描く水産の未来『網走川流域の会』20220704

世界の海を相手にしてきた男の描く水産の未来『網走川流域の会』

新谷哲也さんの魅力

「よっ 来たな!」と迫力のある佇まいながら、満面の笑顔で出迎えてくれるのは、網走漁業協同組合の組合長 新谷哲也さん(70歳)。
今回は、オホーツク海にある網走漁協にお伺いして、日本でも画期的かつ先進的な取り組みについてお話をお聞きしました。

札幌から車で走ること約5時間。1月から3月に海を覆う流氷によって栄養たっぷりの海となるオホーツク海。北海道で取れるサケの半分以上はこのオホーツク海で漁獲されています。そこで操業する網走漁業協同組合は、サケの水揚げ量日本一、二を誇り、他にもホタテやカニ、キンキなどが漁獲され、昨年の水揚金額は127億円にのぼります。そんな網走漁業協同組合のトップでお仕事をされているのが、組合長である新谷哲也さんです。

abasirigawaryuuikinokai7.JPGこの日も網走漁港では盛んにホタテが水揚げされていました
現在は網走にお住まいの新谷さんですが、これまでの人生をお聞きすると、まるで一本の映画を見ているような、ドキドキワクワクのストーリーをお聞きすることができました。
新谷さんは、24歳のときに遠洋漁業を営んでいた父の会社に入り、アラスカやカナダ沖で魚を獲る仕事に就きます。その後、アメリカ200海里内の操業継続の為、同業者とともに現地ネイティブの漁業者と会社を作り、漁獲したニシンやサケを船の上で買い付け、日本に搬入、販売するという仕事もされました。そして、47歳で遠洋漁業を廃業するまでの23年間、アラスカ、ロシア、フランスなど、世界中の海で漁業交渉、事業立ち上げ等を行い、過酷な自然とも闘いながら、日本では味わえない様々な経験をされてきました。

abasirigawaryuuikinokai13.JPGはじめて訪れた取材チームにもとっても気さくな新谷さん
「おれは思考が普通ではないんだよな」と新谷さんは笑いながらおっしゃいます。世界中の海で、圧倒的な自然と世界中の人たちを相手に仕事をしてきたご経験が、今回の常識を超えた画期的な取り組みにつながっていきます。

その取り組みとは一体何か。

網走地域の秘密

網走市の年間100億円を超える水揚げには、海の恵みだけではなく、実はシジミやワカザギなど汽水域(河川などの淡水と海洋などの海水が混在した水域のこと)で獲れる水産物も多く含まれ、それは北海道でダントツの1位を誇ります。海岸に沿って4つの汽水湖が並んでいて、それらの湖がシジミやワカサギの優れた漁場になっているのです。網走湖もその一つであり、この湖に注いでいるのが網走川です。

abasirigawaryuuikinokai15.jpg黄色で囲まれた部分が網走川流域地域
網走川の全長は約115km、流域はとても広く、1市3町(網走市、大空町、美幌町、津別町)にまたがります。津別町を源流として、美幌町、大空町を流れ、網走湖を満たしてからオホーツク海に注ぎます。川は、海からサケが遡上し、新たなサケの命が生まれる、漁業にとって資源を支える重要な場所でもあります。
さらに、その流域は、日本でも有数の一大農業生産地でもあります。実は、農業生産額は漁業生産額の約4倍の546億円。網走川の流域は、日本の食を支える生産基地であり、農業と漁業はともに、網走川の恩恵を受けてきました。
そんな網走川ですが、過去にかつてない危機が訪れたことがあります。
それは、2001年に襲った記録的な大雨を伴う台風の時のことでした。

網走川と網走湖、そして海の危機

「網走湖と網走川河口の海一帯が土砂で真っ赤だったよ」
そう新谷さんは振り返ります。その濁りの原因は、大雨により網走川上流の広大な農作地で次々と起きた崩落によるものでした。その時流出した土砂の量は、およそ3万立方メートル、ダンプカー約5000台分にも匹敵します。

abasirigawaryuuikinokai16.jpg土砂で真っ赤になった網走湖
網走湖はサケやマスが上る川につながっているため、土砂の流入により、サケが遡上できなくなったり、ホタテの稚貝が大量に死んでしまうなど、漁業者は大きな被害を受けました。
網走川流域では、昭和50年頃から国の農業改革として、一帯の山を崩し、沢を埋め立てて広大な農地を作りました。農地には全体的に排水用のパイプを埋めていますが、近年の異常気象による集中的な豪雨では排水が間に合わず、農地は崩れ、川に流れ込んでしまいます。現在、流域全体で25箇所も崩落している農地があるそうです。

abasirigawaryuuikinokai8.JPG資料を使って、わかりやすく懇切丁寧に教えてくれました
実は、北海道だけでなく、全国ほぼ共通して農業者と漁業者の仲はあまり良くない、という現実があります。実際、大雨による土砂被害が起きた時、下流の漁協は一方的に被害を受けるだけなので、「上流の農協が悪い!」と、何か起きるごとに漁協側が農協側に怒鳴り込むのが通常でした。
しかし、この問題の根源は何か。そこをはっきりと見極め、農業者、農協を含めた流域全体で問題を解決しない限り、「流域の環境問題」は解決できないと、新谷さんたちは考えました。そこで、同じ網走市内にある西網走漁協、網走市とタッグを組んで取り組みをスタートさせます。
まず、始めたのは網走川流域の農業者との「対話」でした。

漁業と農業の大きな隔たり

先頭に立って行動を起こした新谷さんは、農協への訪問を始めます。「最初は「漁師が何しにきた!」と言わんばかりのいやな顔をされましたよ」と当時を振り返ります。「まあ、先代まで言いたい放題、農協に文句を言い続けてきたので気持ちはわからなくないのですが(笑)」
abasirigawaryuuikinokai19.jpg上流で土砂が流出した様子
そんな関係性にありながらも、その壁を乗り越えて、新谷さんは農協に頭を下げ、一緒にやろうと呼びかけを続けます。「世界を相手にした交渉を思えば、このくらいのことはなんでもなかった」というように。
そうしているうちに、源流のある津別町の農業者との距離が少しずつ縮まっていきました。津別町農協では、組合として環境保全型農業への移行を宣言したこともあり、ベストなタイミングが訪れます。
さらに、2007年元北海道開発局の染井順一郎さんの発案で、「サーモンアクションプラン」が始まります。これは、「流域の農業と漁業が連携して河川環境の保全に取り組み、サケが遡上できる環境を取り戻すことで、地域産品のブランド化を図る」という欧州の考え方をモデルとした取り組みのことです。
そして、農業・漁業連携フォーラムなどを通して共通認識を高め、ついに2010年、網走漁協、西網走漁協、津別町農協が連携し3者間で「網走川流域での農業と漁業の持続的発展に向けた共同宣言」が行われます。当時の北海道知事もこの宣言を高く評価し、北海道庁からも全面協力を得られることになりました。
 この共同宣言を具体化するために、2011年網走川流域農業漁業連携推進協議会(略称:だいちとうみの会)が設立されます。ここでは、毎年勉強会のほかに、①植樹(終了後はみんなでカニパーティ!)、②農協青年部・女性部による網走湖視察、③地元小学校での交換出前授業(漁業者は上流地域に、農業者は下流地域に)などが継続的に行われています。
abasirigawaryuuikinokai18.jpg農業地域の子どもたちは海や湖のことを、漁業地域の子どもたちは農業地域のことを学びます

流域の自治体、団体、そして国を動かした原動力

「一漁業者ができることは、そんなに大きくない」という新谷さんの想いからスタートして、農協が変わり、自治体が変わり、ついには国をも動かします。
2015年、これまでの取り組みはさらに広域連携へと発展し、「網走川流域の会」が設立されます。この団体は、網走市、津別町、美幌町、大空町の自治体、農林漁業協同組合、法人、大学、団体など、流域全体の関係者が構成員となっています。
2017年から農地崩落の現状や対策の必要性を農林水産大臣や環境大臣に伝え続け、ついに2020年、国、流域自治体、北海道の3者間で「網走川流域における流域対策等に関する取組ビジョン推進宣言」の署名に至ります。国や北海道が本格的に流域全体の農地や環境保全に具体的に取り組んでいく方向性が示されました。
現在でも、網走川流域が育む独自の文化や風土、豊かな海と大地の恵みを次世代に引き継ぐことができる流域社会の構築という目的に向かって、活動が続けられています。
 日本には1級河川が約1万4千ありますが、全国でもここまで広域で実践的な取り組みはありません。なぜ、このような取り組みが大規模に継続して行われているのか。
 この答えは、先頭に立つ新谷さんの交渉力、粘り強さ、想いの強さそして、その想いに応え、一緒に率先して取り組んできた網走川流域の仲間がいるからにほかなりません。
abasirigawaryuuikinokai4.JPG上流から流れてきて、市街地を通り、オホーツク海へと注ぐ網走川

流域の会のミライ、次世代の水産業のミライ

 新谷さんが思い描く網走川流域の会のミライとはどのようなものなのでしょうか。
「網走川流域の会に集う人達は、今では産業の枠を超えて、観光など各自で動きを作り出しています。頑張っている人達が単独で活動するのではなく、流域全体の取り組みの一部として活動でき、そうした人たちを後押しできるプラットホームになればいいと考えています」
新谷さんは続けます。

「水産業だけ良ければ良い、というやり方では豊かな自然を次世代につなげていくことができない時代が来ています。これからは、網走川流域の会のような、業界の垣根を超えてつながり進化し続ける組織が必要。各地の先進モデルになっていきたいと考えています」

abasirigawaryuuikinokai10.JPG
これまでの植樹や勉強会などの取り組みでは、共に汗を流し、バーベキューで互いの自慢の品を食べ、楽しい時間を過ごす、実際に農業や水産業の現場に足を運び、学びの時間を作る、ということを積み重ねてきました。
これらの時間は、互いが置かれている立場を想像することにつながり、何か問題が起こった時、その本質的な解決に向けた話し合いができるようになるといいます。
「顔の浮かぶ人のことは、人間そこまで悪く言わないよね」

とても小さなことのようですが、「対話をする」というそのささいなことを、人はなかなか実行に移せないものです。

網走川流域の会は、「山から海までの流域のつながりを理解し、川が流域の生態系や農林水産業を支え、私たちの産業と暮らしを支えていることの理解を深め、上流から下流まで流域全体の環境を守る」という大きな目標に向けて、「対話をする」ことから始め確実に大きな一歩を踏み出しています。

これから、流域の会の取り組みにより、どんな進化が起こり、どう次世代に繋がっていくのか、今後の活動がますます楽しみです。

※記事中の資料画像は、網走川流域の会さまより提供頂きました

網走川流域の会 会長(網走漁業協働組合 組合長) 新谷哲也さん
住所

網走市港町4番地63 (網走漁業協働組合)

電話

0152-43-3121 (網走漁業協働組合)

URL

https://www.facebook.com/abashiri.ryuuikino.kai/


世界の海を相手にしてきた男の描く水産の未来『網走川流域の会』

この記事は2022年3月25日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。