舌にある味蕾という細胞が感知する味覚は、ほんの少し前まで「甘味・塩味・酸味・苦味」の4種類とされてきました。現在はさらにだしなどの「うま味」が加わり、日本食ブームの追い風も受けて日本の「だし文化」が世界的に注目されています。
今回登場する海産物は、そんなだしに深く関わる食材。古くは「日本書紀」にそれらしき記述があるとも言われ、古くから日本人になじみの深い「昆布」です。
実は今、昆布漁を生業とする漁師さんが減っており、水揚げ量も減少しています。
私たちが暮らす北海道は、全国の昆布水揚げ量の約9割を占める巨大昆布基地。北海道の昆布水揚げ量の低下は、日本のだし文化衰退の危機と言っても過言ではありません。
大事な地域産業を守り未来へつなげていくため、異業種から昆布養殖に参入した民間企業があると聞き、道南・松前町を訪ねました!
繰り返してきた試行錯誤。松前町の漁業事情
くらしごとチームがまず向かったのは「松前町水産センター」。
ウワサの企業に向かう前に、まずは松前町役場水産課の佐藤健治さんに松前の漁業について教えを請います。
こちらが松前町役場水産課、主任技師の佐藤健治さん
函館出身の佐藤さんが松前町役場に入職したのは昭和58年。
東海大学の海洋学部を卒業して松前町に来てからは、ずっと水産課に勤務しているそうです。
当時はまだ松前町で昆布の養殖が始まって2年~3年目。ようやく町内で昆布の種苗生産を始めたばかりで、佐藤さんはその頃から養殖の業務に関わってきました。
少しだけ歴史を振り返ると、昭和40年代~50年代前半まで、松前町はマスの日本海流し網漁で活気づいていました。
しかし200海里水域制限が設定されたことで、せっかくマス漁を元手に船を新しくした人が、漁に出られず借金だけが残るという事態が増えていたそう。
だからこそ、その代替策としての昆布などの養殖に注目が集まり始めていた時期でした。
「僕が役場に入った頃、町内(松前町原口から白神まで)には50数名もの漁師さんが昆布養殖漁業をされていました。通常の漁船漁業と昆布養殖漁業の両方を手掛ける方もいらっしゃったのですが、両立が難しかったようで、昆布養殖漁業をやめて漁船漁業1本に絞る方も結構多かったですね」
現在昆布養殖漁業を行っているのはわずか9経営体。
その中には北海道が推進している「日本海漁業振興緊急対策事業費補助金」を活用し、養殖漁業に転換したグループもあるそうです。
水産センター内を案内して頂きました
松前の昆布養殖のメインは真昆布と細目昆布の2つ。開始当初は真昆布から始めたそうですが、苦難の連続だったようです。
「最初のころ、養殖用の昆布は渡島管内の有名な昆布産地の種苗を使用していたのですが、
松前で養殖すると生長してもなぜか非常に薄くなってしまうんです。それもセロハンのように向こうが見えてしまうような薄さで驚きました(笑)。
これでは全く市場価値がないということで、北海道水産技術普及指導所さんや町内の漁業協同組合・漁業者さんと連携して、松前町に自生する親昆布を探そうということになりました」
佐藤さんたちはいくつか候補地のアタリをつけ、大沢・白神地区にあった昆布を使って真昆布の種苗を作りました。
改めて養殖をスタートしましたが、どの漁業者からも「隣町の福島町の製品と比べると見劣りする」という意見が上がります。
それもそのはず。福島町と松前町の母藻(親昆布)が熟す時期を比べてみると、岬一つ違うだけでなんと2週間の隔たりがあるのだそう。すると当然昆布を沖の養殖場に出す時期もずれ、12月に入ってしまったら時化早く船を出す日数が限られます。
もちろんそんな中でもいい昆布を作る人はいるのですが、漁業者の高齢化も進み、重い真昆布は製品化も重労働。そこで注目したのが細目昆布です」
ずらり並んだ水槽の中はコンブの赤ちゃんが成育中
一般的に細目昆布は成長が早く、多少不揃いなものでも採ってきて、少し成形し商品として出しているのだそう。とにかくまずはやってみようということで、平成10年代に試験を開始しました。
「いざやってみると思ったより品質が良く、細目昆布の割には『ちょっと管理の悪い真昆布』くらいのサイズのものが採れてしまいました(笑)」
真昆布のように、ピシッと伸ばしたり干したりという作業がいらない手軽さが漁業者にも受け入れられ、見事松前町の養殖昆布のレパートリーに仲間入りしました。
現在は、真昆布と細目昆布の両方を手掛ける方が多いそうです。
また管内では昆布だけでなくウニの養殖も行なっています。
ウニが流されていかないよう、※袋澗(ふくろま)のようになったところに消波ブロックを入れ、そこにウニを移植。昨今の陸上養殖では、キャベツなどを与えたりしますが、松前町では刺し網にかかって少し傷んだホッケや鮭なども与えます。むむ、なかなかいい暮らしぶり。
こうしてしっかり身を太らせ、最後に昆布を食べさせて味を調整。ちょうど細目昆布が成長する時期とウニの成長時期が合うので、細目昆布をメインのエサとして与えるところも多いそうです。
こうして育てたウニは、塩水パックなどに加工し販売しています。
※明治後期から大正前期につくられた、漁獲したニシンを一時的に保管する海中の堤様のもの。
この塩ビを芯にして、三角形に糸をぐるぐると巻き付けたものにコンブの胞子を付着させ水槽に入れます
しばらくすると、藻のようなコンブの赤ちゃんに覆われます
数々のトライ&エラーを繰り返して成長してきた松前町の養殖漁業。
佐藤さんは今がんばっている漁業者はもちろん、若い世代に松前で漁業をやってみたいと思ってもらえる施策を考えていきたいと意気込みを聞かせてくれました。
最後に昆布養殖に事業として取り組んでいる菅原組さんについて聞いてみました。
「取り組みのスタートアップ時に、まちとしてサポートをすることが難しかったのですが、それでも途中で投げ出さずに、今日まで昆布養殖事業を継続していただいていることは、本当にありがたいことだと思っています」
うかがって来たことを総合すると、昆布養殖業で利益を出すまでになるのは、簡単なことではないようですが、、、。
いったいどんな企業なんでしょう?
むむー、気になります!
請われて進んだ海洋土木の道。地域企業「菅原組」
函館市に本社を構える菅原組は昭和31年創業。
テトラポットや魚礁(ぎょしょう)と呼ばれる魚の隠れ家を海に設置する作業や、港作りを行なう「海洋土木」という分野を専門に手掛ける建設会社です。
こちらがお話を聞かせてくれた菅原組の菅原峻さん
今でこそ建設業界では「海洋土木の菅原組」と呼ばれる同社ですが、元々港湾工事を専門にしていたわけではありません。
松前町の江良漁港の防波堤工事を受注したことをきっかけに、その建設技術の高さと正確さが評価され、徐々に本格的な港湾工事の依頼が増えていったのだそうです。
また経営方針のひとつに「地域共生」を掲げ、地域活動にも積極的。函館市のみならず福島町や松前町、南茅部町など道南エリア各地で美化活動や「重機による写生会」などに取り組んでいます。
さて、今回お話を伺ったのは、会長のご子息で社長の甥という、取締役管理本部営業部長の菅原峻さん。
子供の頃から建設業に憧れて、ストレートに菅原組に入社した...わけではないそうです。
高校3年生の頃、農業土木を学ぼうと大学を選んでいた菅原さんですが、元々山が好きだったこともあり、より山に近い林業土木の魅力に惹かれます。長野県の大学で林業を学び、卒業後は岩手県盛岡市で7年間林業に携わる仕事をしていました。
そういえば2021年のNHK連続テレビ小説「おかえりモネ」の題材も林業でした。ドラマを通じて林業に興味を持った人も多いのではないでしょうか?
同じ陸の仕事でも、農地を開墾し農作物を育て収穫する農業と、山林で樹木を適切に管理しながら木材(資源)となる木を育てる林業は明確に分けられています。
「人間の手で自然の一部を管理し、資源を育てる」という視点では、養殖漁業と近いと言えるのかもしれません」
会社説明の資料内、自己紹介の1ページ
東日本大震災の直後、菅原組は復興の手助けをするべく、岩手に営業所を置いていました。
あるとき岩手へ視察に訪れていた会長(当時社長)と話をする機会があり、その気があれば戻ってきてはどうかと声を掛けられたのだそう。
ちょうど30歳になる節目の年だったこともあり、函館に戻り菅原組に入社した菅原さんは、ゼロから建設会社の仕事を学んできました。
現在は営業部長としての業務を行ないながら、話題の養殖事業部も兼務し、忙しい毎日を送っています。
めぐり合わせに応えて誕生、「昆布養殖事業部」!
しかし、地域共生を掲げる企業とはいえ、そもそもなぜ建設会社が昆布の養殖を行なっているのでしょうか?
道庁によると、現在北海道では昆布漁を行なう漁業者の高齢化と、若い世代の担い手の確保に大きな課題を抱えているのだそう。
漁師の多くは企業ではなく個人で漁を行なうため、収穫量が少ないと昆布を乾燥させる施設の維持にかかる負担が重くなってきます。これも昆布漁への参入が敬遠されやすい理由の一つです。
そこで道庁が主体となり、昆布の作業施設の共同化など、複数の漁業者による協業の可能性を模索する動きがあったのだそうです。
こちらは、会社の歴史も教えてくれた 菅原組 松前支店長の泉等さん
ここ松前でも昆布漁師の減少は深刻で、町内には使われなくなった昆布の乾燥処理施設や養殖施設がすでにいくつかありました。
北海道全体が抱える課題と、すでに地元にある遊休施設。
昆布漁を取り巻くこうした背景が重なり、白羽の矢が立ったのが、当時から地域への貢献度の高さで知られていた菅原組だったのです。
現在、菅原組が手掛けているのは真昆布のみ。
ロープに昆布の種を付着させて、松前の豊かな海に沈めて育てます。
事業として継続していくカギは、「いかに効率的に育てて収穫するか」。プロジェクトメンバーには地元漁師も加わり、業種を超えて知恵を出し合い日々試行錯誤を続けています。
ところで、昆布は収穫されてからどのような工程を経て、私たちの食卓に上るのでしょう?
菅原組の養殖事業の流れについて聞いてみました。
~収穫してからの昆布の行く末~
1.収穫
出航は早朝。沖にある養殖場で、昆布が付いたロープを手作業で引き上げ船揚げ場へ。決められた大きさにカットし、トラックで加工場に運搬します。
種苗の挟み込み:(種苗が植えられた糸を養生用ロープに挟み込んでいく)の様子を実演してくれました
2.乾燥
昆布の表面の汚れを機械と人の手で丁寧に洗い、専用の台車に吊るして天日干しに。干す前の昆布は水分たっぷりで重さもズッシリ。ある程度乾いたら、台車ごと乾燥室に入れて機械乾燥を開始。乾燥後は湿気から守りつつ加工場へ。
このまま移動出来るコンブ乾燥台車に、きれいに揃えて吊されたコンブ
干す前に丁寧に汚れを洗い落とします
ずっしり重いコンブも落ちないようにグリップ力の強いハサミを選んで使用
菅原組 養殖事業部の笹村さん
写真には、すでにコンブは無いですが、シーズン中はこの乾燥室で乾燥の仕上げをします
山積みの乾燥昆布を手分けして選り分けていきます。等級別に分けられた昆布は機械で圧縮。現在使っている施設の2階で作業が行なわれているそうですが、夏の作業はとにかく暑さがこたえるのだとか...。
2階は選別・梱包用の広ーい作業場です
4.梱包
ダンボールに入れるか、大きさを揃えたものをそのまま縛るか、梱包方法はふた通り。どちらも大事に梱包されて、あとは出荷を待つばかり。
このコンブ裁断機も皆さんの手作り。等級毎の大きさに一発で裁断できます
わずかな湿気からも守る為、作業場はビニールシートで覆われます
養殖事業部には元漁師さんや、主婦の方など様々なメンバーが
また、菅原さんは地域の子供たちが地元の産業に興味を持てるように、近隣の学校への出前授業を行ったり、漁業の担い手を育てるために一般の方向けの就労体験も実施しています。
取材で伺った日はまさに午後から、漁業に興味があるという方の就労体験が予定されていました。
種付けロープに種糸を入れる作業や松前の漁業施設見学、座学などを実施。ときには菅原組の本業である岸壁工事などの見学を受け入れることもあるそうです。
これからの展開についても聞いてみました。
昆布漁の繁忙期は夏。今後は昆布とは収穫時期の違う水産資源の養殖を検討しているそうです。漁期をずらすことで年間を通して安定的な仕事を生み出し、松前の漁業を発展させていきたいと考えています。
「ホヤやカキなどの養殖も試しに行ないましたが、収量や流通など育てる以外の課題も多く、現状はなかなか難しいですね。個人的には魚が好きなので、ゆくゆくは魚類の養殖にもチャレンジしてみたいと思っています!」
ちなみに菅原さんが特にお好きなのはヒラメなどの白身魚だそうです。
取材ももう終わろうかというタイミングで、菅原さんがこんなことをおっしゃいました。
漁業と林業を組み合わせてみたい!と素敵なアイディアを語ってくれました
「...ほんとは漁業と林業を一緒の事業としてやりたいんですよ」
...え?
「昆布の作業が少ない10月~3月は、木が水を吸わず伐採にちょうど良い時期なんです。夏は漁業、冬は林業という働き方も面白いんじゃないかなと。日高でやっているようなワーケーションを絡めた事業も考えてみたいですね」
...え?なんですか、なまらいいじゃないですか!!
「土木はもともと一次産業をいかに振興するかを考えて発展してきたのだと思います。道庁の部署名が『水産林務部』となってるのも、やっぱり漁業と林業って親和性が高いからなのかなと、一人で勝手に思ってました(笑)」
さすが林業出身の菅原さん!松前発「漁林連携事業」開始のニュースが届くのを楽しみに待ちましょう!
神棚には、海の神と大地の神が仲良く並んでいました
もちろんSDG'sにもしっかり取り組みます
- 株式会社 菅原組
松前町 水産センター - 住所
菅原組 松前支店/北海道松前郡松前町福山276
松前町 水産センター/北海道松前郡松前町弁天34−4 - 電話
菅原組 松前支店/0139-42-2233
松前町 水産センター/0139-42-2331 - URL