HOME>まちおこしレポート>誰かがやるべきなら、俺がやる! 秘境と呼ばれた地区に光を!!

まちおこしレポート
福島町

誰かがやるべきなら、俺がやる! 秘境と呼ばれた地区に光を!!20190716

この記事は2019年7月16日に公開した情報です。

誰かがやるべきなら、俺がやる! 秘境と呼ばれた地区に光を!!

『青の洞窟』と聞いて、皆さんはどこをイメージしますか?
やはり本場イタリアのカプリ島? いやいや小樽だって負けてない? それとも南国沖縄の恩納村?
実は、道内にはまだまだ知られていない、驚くほど美しいとっておきの青の洞窟があるんです。

今日は、この青の洞窟を含む海岸一帯をまわる『岩部クルーズ』を立ちあげ、岩部という地区の魅力を多くの方に伝えようと、奮闘する平野松寿(しょうじゅ)さんのお話です。

岩部という地区

道南の福島町、岩部地区という場所をご存じでしょうか?
400年前にはすでに本州から渡ってきた人が住み、それ以前にはアイヌが暮らしていた記録が残るそうです。
その豊かな自然の恵みを糧にして、かつてはたくさんの人が暮らしていたであろう集落に、今実際に住むのはわずか2世帯(登録上は5世帯)。
龍神をまつる岩部龍神堂に歴史を感じ、人を恐れず昼寝をする狐に、人の出入りの少なさを感じます。
集落までは何とかつながる道も海の手前で途切れ、その先には船でしか進めないというその立地もあいまって限界集落という言葉が違和感なく当てはまります。
でも、この岩部集落から続く海岸線沿いの一帯には、人が立ち入ってこなかったからこそ残る大自然の、圧倒される景色が広がっているのです。
まさに『長きに渡り、広く知られることのなかった北海道の秘境』という説明文がぴったりです。

地下深くには青函トンネルが通り、最新鋭の新幹線がビュンビュン走っていることなど嘘のようです。

iwabekuru-zu 15.JPG岩部の集落

さて、この美しい岩部海岸沿いの景色や、以前はただ「穴間」と呼ばれていた青の洞窟は、地元の方にとっても存在は知っているけど普段目にすることのない場所でありました。何しろ道が無いので船でしか行くことができません。

ところが、全国的な人口減少の危機感や地方創生の気運の高まりもあり、にわかにこの地元のスポットが観光資源として注目を集め出したのです。

今日の主人公、この福島町の出身で、東京の大手アパレルメーカーでバリバリ働いていた平野松寿さんが地元にUターンしてきたのはまさにそのタイミング、今から4年前の33歳になる年でした。

『実は、家業である民宿と飲食店を弟が引き継いで切り盛りしていたんですが、人手が足りなくていつも忙しそうなのがずっと気になっていたんですよね』

アパレル業界で10年以上働き、この業界では一通りやりきったなと思えていたこともあり、今後は弟さんを手伝って一緒に家業をしようと決意。思い切って13年ぶりに福島町に戻ってきたのでした。

さて、地元に戻ってみると、他の多くの自治体もそうであるように、福島町も急激な人口減少と高齢化の波にさらされ、待ったなしの状態になっていました。
町としてももちろんその状況をただ指をくわえて見ていたわけでは無く、何とかこの状況を打開しようと、昔から何度か出ては立ち消えていた『岩部海岸クルーズ』を今こそ実現させようと本腰を入れ始めていました。

『それを聞いた時に、面白そうだし、この辺の海は昔から泳いでてその綺麗なことはもちろん知っているし、絶対やった方がいいよ、と素直に思いました。でもその時はまさか自分がやるとは思ってなかったけどね 笑』

『さらに、よくよく考えると、自分たちが20歳くらいの時にこの岩部から船を出してる人がいたことを思い出しました。お客さんをのせて洞窟に連れて行ってて、自分の弟や姉はその船に乗ってたけど、自分は東京に行ってしまってて乗りたいと思いながらも結局乗れなかったな〜と。この話を聞いたときに、ああ、乗りたいと思ってたあれか! と思い出しました』

iwabekuru-zu 7.JPG

福島町まちづくり工房の発足と理事への就任

そんな背景もあって、町が様々な課題解決の1つの手法として、クルーズ運営をはじめ「住民共同のまちづくり」を実践する別法人を立てるために、賛同・出資してくれる個人や団体をを募集し始めると、平野さんは迷い無く弟さんと共に参加、出資することにします。
最終的には31個人・団体からの賛同と必要な額の出資金を集め、めでたく岩部クルーズの運営も行う『福島町まちづくり工房』が発足するのです。
さらに、平成28年の11月に開催された『福島町まちづくり工房』の設立総会では、若い人も是非理事になって活躍して欲しいということで、何と平野さんが選出され、理事という立場でこの事業に関わることになったのでした。
あとは、翌年5月の運航開始に向けて細かい準備を進めていくだけ、という状態でしたが、しかし、ここで大きな事件がおこります!!

理事になって始めてふたをあけてみると.......。何と、一番肝心の船の手配はおろか、航路申請などの時間のかかる手続きなども全くされていないことが発覚!
さらにそれらを担当していた外部の人間が、全てを放り出して逃げ出すというとんでもない事態に見舞われます。

出資した町の人たちは当然怒り出し、理事会は紛糾します。

『その時点で、翌年の春から運航するという話でみんなは出資して応援しているわけですから、怒るのも当然ですよね』

あっけにとられる平野さんでしたが、誰かがやらなければ、事業は頓挫したまま一歩も前に進めません。役場の方からも、理事の中でも若手の平野さんに何とか動いてもらいたいと頼まれてしまいます。
『悩みましたけどね、誰かやらなきゃならないし、じゃ、俺やるかって』とさらっと言う平野さんですが、相当な葛藤があったはずです。

iwabekuru-zu 1.JPG

膨大な準備作業

覚悟を決めた平野さんは、膨大な量の手続きや、書類作成や、もろもろの作業に立ち向かうことになります。『書類なんかこんなにありましたからね!』と手で示してくれた厚さは恐らく10㎝はあろうかと思われます。
笑顔で話してくれる平野さんですが、投げ出したくなることも何度もあったはずです。しかし、誰かがやらなければ!! の思いが平野さんを突き動かしたのです。
さらに、これらの手続きの中にはお客さんの安全に関わることも多く、手を抜くわけには行きません。

『航路図とかとにかく大変なんですよ。コースは直線ではないので、曲がる度に全部の緯度経度を入れていかなきゃならないんです。なおかつ洞窟に入るんで、その安全規定とかもあって大変! 何もかも初めてのことだし、必死でしたね』

それらの事務的作業の他にも、ガイドとして乗船すると決めた平野さんには大事な準備がありました。
一つは船舶の免許をとること。そしてもう一つは90分間のクルーズの間にお客さんに伝えたいこと、見て欲しいこと、それらをどうやって伝えたら効果的なのか?を考える、いわゆる台本の作成です。
その為に最初にしたことは徹底的に知ることでした。

『まずは町の古い資料を集め、町史を読み込み歴史を勉強しました。調べていくと色んな事がわかってくるんですよね。例えば、この事務所のすぐ近くにある御堂は、龍神をまつってるんですが、昔本州から来た人達が、津軽海峡を渡ってこれたのは龍が守ってくれたからだと言い伝えたのが始まりらしいです』

確かに、そういう人の営みや土地の歴史を聞いてから見る風景は、知らないで見るのはとひと味もふた味も違います。
歴史を勉強したあとは、今度は岩部の地区に生息する動物や植物の名前を覚え、海の生き物の生態を調べ、航路内にある岩や島の名前を確認したそうです。

iwabekuru-zu 14.JPGコンビを組んで2年、息もぴったりの平野さんと船長の福士さん

『そういう勉強は主に冬の間にしておいて、春になって船を出せるようになると、実際の走行時間やポイントまでの時間に合わせて、トーク量の調節をしてみる、ということを繰り返して練習しました』

町の人達の協力

こうして、ある程度構想ができると、今度は町内の全戸にちらしを配ってモニター乗船してくれる人を募ったそうです。すると、延べ200人以上もの町の人が参加してくれ、様々なアドバイスや励ましの声をくれたのです。
中には、4歳のお孫さんと娘さんと一緒に来てくれた80代のおばあちゃんも。

『親子三代で来てくれたおばあちゃんは、「昔海水浴をしたタタミ岩に40年以上ぶりに来てとても懐かしい。思い出深いこの場所に娘と孫を連れて来られたのが本当に嬉しい」と言って泣いたんです』

きっと、久しぶりにこの場所に来た人も、初めて来た人も、多くの人が改めて自分達のまちのすばらしさに気づいたのではないでしょうか。

そうして集まった皆さんの声から、乗下船時にタラップがあると安心という意見を取り入れ、オリジナルのタラップを作成したりとさらに工夫や改善を重ね、このモニター乗船を40回繰り返すころには、平野さんの中にも、『いける!』という感覚が出て来たそうです。

結果的には当初の予定よりも2年遅れでの運航開始になるのですが、
『かえってしっかり準備することができて良かったと思っています。当初、漁船を改造して何とか間に合わせようとしていた船も、町で予算を確保してくれて最高のものを新しくつくることができたし、なによりも町の人に知ってもらう時間がとれたし、もちろん本州の人に向けてもしっかりプロモーションすることができた』と平野さん。

そうなんです、実は町をあげてのバックアップもあり、何とピカピカの新造船で運行ができることになったのです!しかも中央部にガラス底を備えた、道南では非常に珍しい本格的なグラスボートです。平野さんのがんばりがあってこそですが、まさに結果オーライ!

iwabekuru-zu 3.JPG福士さんが腰掛ける場所のふたを開けるとガラス張りの船底が! 平野さんが触っているのは改善に改善を重ねた力作のタラップ

『まあ、準備期間中は当然、クルーズとしての収入はありませんので、当法人で指定管理をしている温泉の収入などで、何とか乗り切ったんですけどね。笑』

予想外のハプニングと多くの苦労はありましたが、『今考えると、全部楽しめたかな~』と平野さん。
きっと、大変さよりも、目標に向かって一歩ずつ近づいていっているという実感や充実感がその理由に違いありません。

『それよりも、本当に大変だったのは、オープンしてからだったね!』
え? と言いますと....?

『なんせ、想定外の事?人?ばっかりなんですよ。例えば、閉所恐怖症なんですが洞窟の狭さはどれくらいですか?自分はその洞窟に入れますか?という問い合わせとか、天候によって欠航が決まった旨を案内しても現場に来てしまう人とか、飛行機の時間まで余り時間がないのだけどどうしても船に乗りたい、という人や、帰りの移動手段を確保せずに来てしまう人とか、いろいろですね』と笑います。

iwabekuru-zu 18.JPG大変なことも全部楽しい、と平野さん

『でも、岩部や青の洞窟に興味を持って来てくれるのはとてもありがたいので、できるだけその要望や好奇心に応えたいんですよね。どうしても天候に左右されるところはあるので、そういったところも含めてこれからもっともっと情報発信して、お互いに理解を深めて行けたらいいですね』

iwabekuru-zu 4.JPG岩部クルーズの受付所は地区の交流センターも兼ねています

町の人達の反応は

ところで、平野さんがこの事業に関わってからの、まちの人からの反応は?と聞いてみると、意外と言うか当然というか『福島町に住んでいるけど洞窟には行ったことないんだよ』という声だったそうです。
それと身近にあるからこそ『90分も船に乗って見るとこあるの?』という声も。これには平野さん、自信を持って『死ぬまでに絶対乗るべきだよ!』と応えるそうです (笑)

さらに、この仕事を始めてから話したことのない町の人にも声をかけられることが多くなったそうで、中でも多いのが『身体に気をつけて』というものだそうです。
きっとクルーズの準備にその他の業務にと奔走する平野さんの多忙ぶりに、思わず、体調を崩さないかと心配してしまったのでしょう。
ちなみに取材陣は、平野さんに趣味も聞いてみたのですが、今でも現役で続ける社会人バスケットや、船上でも飛ばすドローン撮影や、その影響での動画編集、その他旅行も好き、と聞き、きっと平野さんは2人いるんだね、と話合ったのでした。。。

クルーズのコースについて

さて、ここまで『岩部クルーズ』の出来た経緯や平野さんについてご紹介してきましたが、最後に少しだけ90分のコースの中身を紹介してみますね。いくら言葉で説明しても実際にその場で体感する感動に比べれば1/100も伝わらないのは承知の上ですが。。。。

潮によって海面の高さが変わるので調節にとても苦労したという力作のタラップから船に降りると、ガラスの船底をのぞかなくても、透き通った海の底まで見ることができます。船長の福士さんの操縦で静かに船が港の外へと出て行くと、5分もしないうちにオバケ岩という、まるで巨大な髑髏のような岩が見えてきます。

iwabekuru-zu 2.JPGオバケ岩
さらに進むと耳岩という、その名の通り浸食された穴が耳の形をしている巨岩が現れます。今迄に見たことのない複雑なカタチの岩に見入っていると、平野さんが
『この耳の形の穴からちょうどオバケ岩がのぞけるんですよ、自分の大好きなポイントなんです』と教えてくれました。

iwabekuru-zu 19.JPGドローンで撮影した耳岩と左に見えるのがタタミ岩
そして、その耳岩の根元にまるで天然のテラスのように広がるのが『タタミ岩』という真っ平らな岩。将来的にはここに下船できるように計画中なのだと、とてもワクワクすることを教えてくれました。

iwabekuru-zu 13.JPG白い杭のように見えるのが、昔の船着き場の名残り
それが実現したら、涙を流して懐かしがったというおばあちゃんにも是非上陸して欲しいものです。
さらに、少し進んで断崖から海の方に目を移すと、シタン島という小島が目の前に現れます。見上げる高さの島のてっぺんにはその昔、紫檀の木がありましたが盗伐されてしまったそうです。今はこの島の住人であるアオサギがゆったりと優雅にとびまわっています。 

iwabekuru-zu 11.JPG紫檀島。てっぺんにはアオサギたちの巣が
こうして、目の前に次から次へ現れる絶景や生き物たちを、平野さんの詳しい説明付きで眺めながら船は進み、やがて青の洞窟へとさしかかっていくのですが、、、。

ここから先は画像のみにとどめることにしておきます。
言葉を失う瞬間を皆さんも是非現地で体験して見て下さい!

アクセスや出航時間など、詳しくはこちらから

青の洞窟.jpg

さて、6月1日のオープンから、雨天欠航が数日ありながらも、延べ80人程のお客様に乗船頂いた(6/19 取材日時点)とのことですが、どちらからのお客さんが多いのでしょう?

『函館近郊がやはり一番多いですね。あとは東京からとか、静岡からとか、石川県とか、台湾から、とか、プロモーションの効果もあってか、ほんとに色んなところから来てくれてますね。』

『アクセスとしては、札幌圏よりも、東京や東北から新幹線で木古内駅まで来て、そこからレンタカーで来るのが一番来やすいというのもあり、本州の方に向けてのPRにもチカラを入れていきたいんです』と語る平野さん。

反応も上々で、噂を聞いてどうしても乗りたいと、飛行機の時間を遅らせてまで乗りに来てくれた方もいたそうです。

今後の岩部構想

ちなみにクルーズは10月中旬迄で冬期間はクローズとなりますが、冬の間はどんなことをされるんでしょう?

『ひたすらプロモーションですね。むしろオープン中より重要な期間だと思っています』

その言葉からは、岩部クルーズを広めたい、もっと多くの人に福島町に来て欲しい、という強い気持ちがひしひしと伝わってきます。
そして、プロモーションとともにチカラを入れたいのがお土産品の開発とのこと。
実際、クルーズの受付所にはアパレル業界にいた平野さん本領発揮の、おしゃれなTシャツやキャップなどの素敵な商品がたくさん。
その他にも津軽海峡の塩を使用し、青い洞窟を連想させるサイダーやミネラルウオータなどの飲料品も。でも、

『福島町には、今迄これというお土産的なものがあまりなかったし、まだまだ商品の構想があるんですよ』と語る平野さんの目には眠っている福島町の未利用資源がたくさん見えているようです。

『この辺では古くから『千軒そば』というそばがとれるし、たくさんいる鹿の角はいろんなものに使えるし、すぐそばを流れる岩部川にはイワナがたくさんいるんですよ』

iwabekuru-zu 16.JPG集落を流れる岩部川の上流
やってみたいことが次から次へと溢れてきますが、平野さんが今抱いているのは
『このクルーズを主軸として、この岩部地区をもっと充実させて行きたい! 』という夢なのです。

『大げさに言うと海のテーマパークタウンみたいな。ここに来ると船にも乗れるし、海のいろんな体験ができる、ここでしかできないことができる、そんな場所にしていきたい! 』と目を輝かせます。

つまり今回のクルーズ船の運航開始はゴールではなく、岩部構想のスタートに過ぎないのです。
そしてもちろん『海のテーマパークタウン』はバスで乗り付けるようなレジャーランドでもなく、大きなホテルが建つリゾート施設でもありません。

平野さんいわく『大きいホテルはいらない、でも小さい宿があって、この土地でとれるものを食べられる場所があって、そんなここに来る目的を作り出していきたい』

昔は多くの人が海水浴に訪れ、海で泳ぎ疲れたら、タタミ岩に上がってひなたぼっこをしたのだろう、そんな光景が蘇るのも遠い将来ではないかもしれません。

もちろんそこにたどり着くまでには、大変なことや想定外なことがたくさんおこるでしょう。
でも、ゴールがどこなのかよりも、岩部のファンを増やす!! という大きな目標に向かって一歩づつ前に進んでいくそのチャレンジの過程に興味を引かれ、見守りたいという気持ちになったのでした。

災い転じて、、、、ではないですが、このプロジェクト、いったん白紙になってしまったことが結果としては良い方向に進みました。
しかし、それは、自分がやる、と決意し未知の世界に挑戦したリーダーがいてこそだったのです。
今後はこのクルーズをきっかけに、岩部地区が「価値ある、多くの人が訪れたくなる場所」にきっとなっていくことでしょう

iwabekuru-zu 20.jpg凪の日には鏡のような海が広がります

岩部クルーズ(一般社団法人 福島町まちづくり工房)
岩部クルーズ(一般社団法人 福島町まちづくり工房)
住所

北海道松前郡福島町岩部65番地1(クルーズ受付所)

電話

0139-46-7822

URL

http://iwabecruise.com

メールでのお問い合わせは

info@iwabecruise.com


誰かがやるべきなら、俺がやる! 秘境と呼ばれた地区に光を!!

この記事は2019年6月18日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。