羅臼町と間違えられるまち、「浦臼町」を知っていますか?
札幌から車で1時間半というところに、あまり多くの人に知られていないまち...と言ったら失礼ですが、人口1,883人(平成30年3月末現在)という小さなまち、浦臼町があります。この人数からも想像できる通り、浦臼町は田舎町というその言葉がピッタリ。
この素敵な写真は、そんな田舎町である浦臼町で撮影されたもの。エゾリスが訪れる場所としてカメラを片手に人々がこぞって訪れる浦臼神社で撮影された一枚です。実は田舎にこそ、フォトジェニックな場所が秘められていることもありますよね。
この写真を撮影した人物こそが今回の主人公です。
カメラはもちろん、その他にロッククライミング、登山、珈琲焙煎、絵画、彫刻、ギターなどなど、とても幅広い趣味を引っ提げてこのまちに移住してきた、笑顔がとっても素敵な男性に密着しました。
彼の名前は、近野 永(こんの ひさし)さん。2017年9月から浦臼町の地域おこし協力隊として活動を始めています。
お話を聞かせてくださった物腰柔らかい近野さん。
近野さんは、北海道は同じく空知エリアにある赤平市出身。その後進学の度に、滝川市、釧路市などと拠点を移し、就職先は神奈川県の不動産会社でした。北海道を飛び出し、突然の都会暮らしはもちろん今までとは違うことが多く...
「僕は自然が大好きなんですが、自然と遊ぶという趣味が道外に行ってから全く出来なくなっていたんです」。
趣味のボルダリングをしている様子。
「自然が恋しい...」そのどこにも行き場のないうずうずした想いは日々膨れあがっていきました。
そんなある日、よく利用するアウトドアのお店(登山専門)である「秀岳荘」のHPを見ていると、近野さんの目に止まったのは「スタッフ募集」の文字。思わず突き動かされたその衝動で、すぐさま秀岳荘に働きたいという旨を伝える連絡を入れました。その熱意が通じ、見事採用。晴れて大好きな北海道への帰還、旭川店への勤務が決まりました。
大好きなものに囲まれての仕事は日々楽しかったと話す近野さんですが、
「楽しい反面、社員割引などを利用してたくさん商品を買いすぎてしまいました(笑)」と笑います。
お金が尽きていく一方、ずっと欲しかった趣味の時間を存分に味わえる時間は、とても幸せなひとときだったはず。しかし近野さんは現在、浦臼町の地域おこし協力隊をやっているのは、どういう経緯だったのでしょうか。
大好きな仕事を辞め、協力隊として浦臼へ移住
「ある日、役場で働く友人に『地域おこし協力隊に向いてると思うよ』と言われたのがきっかけでした。正直その時は協力隊なんて知りませんでしたが、調べていくと面白そうだなって思ったのが最初の印象です」。
実際にまちおこしを自分一人の手で成し遂げることは到底難しいこと。しかし、もし自分の力が少しでも役に立つのであれば...と思うと、気づけばどこのまちで協力隊を担うかを調べ始めていたのだとか。やはり思い立ったら即行動の近野さんです。
協力隊としての活動拠点を探す際に近野さんが軸としていたのは、実家がある赤平市から極力近いエリア、そして何より「田舎」であることが第一優先だったそう。
「僕、ものすごく田舎!というところの方が好きなんですよね(笑)。その想いには自然が好きだからというのが1番影響していますが、せっかく協力隊として行くならまだ多くの人に知られていない田舎の方がやりがいがあると思ったんです」。
そうして見つけた、浦臼町。人口は少なく、まちの面積も小さい。そんな小さなまちを、近野さんは見つけたのです。
町民たちから愛される協力隊
役場内に設けられた「協力隊」の看板。このイラストは浦臼町のキャラクター「臼子ねぇさん」。噂によると、「永遠の32才」なんだとか...!
近野さんは、浦臼町役場内の総務課に配属されています。今まで数多くの協力隊の方々と出会ってきたくらしごと取材陣ですが、総務課配属ってなんだか珍しい、そんな印象を抱きました。
「部署の垣根を越えて、色々な仕事に関わり経験ができるようにと、あえて町が総務課に配属させてくれているんです」。
だからなのでしょうか、役場内を歩けば職員の多くが近野さんに対し「お、取材かい?」「イケメンだからな〜」なんて声をかけられていました。
協力隊として着任してからまだ7カ月程。しかし、すでに配属された部署を超え、役場のみんなから愛され、そして頼りにされている印象です。
また、役場内には近野さんの趣味の1つである写真が数多く貼られています。
多彩な近野さんが写し出す世界は、本当に美しいものでした。思わずまじまじと写真を眺めていると、役場の職員の方に「これ近野さんが撮った浦臼の写真なんだよ〜素敵でしょ〜」と取材陣に声をかけてくださる場面も。
多趣味が功を奏して、部署を通り越してのポスター作成依頼なんかも来るのだとか。
そんな近野さんが浦臼町に来て早速自らで手がけたイベントがあります。
その名も「愛は浦臼を救う」。このイベントは2018年2月に行われ、浦臼のためにという想いを込めて開催したチャリティライブです。
こちらが当日のライブの様子。バンドとして出たり、ソロとして出たり。出演者には、浦臼町出身のシンガーソングライターから、若手有志が集まったりと盛り上がりました。
「こんな小さなまちですが、お祭りなどで使用している音楽機材のクオリティが凄く高いんです。自分自身ギターを弾いたりと音楽も大好きで、役場の上司にも音楽好きの人がいて、『音楽イベントやっちゃう?』って盛り上がり、決行しました」。
その「音楽好きの上司」の内藤さんとの日常の一コマ。もちろんお二人とも出演者としてもステージに立ちました。
チャリティライブ当日、目標であった100名程の来場も叶い、町民たちは喜んでくれていた様子。
ひとつ疑問をぶつけてみました。来場者の年令層って...?
「年令層ですか?高いですよ(笑)。浦臼町にも若者はいるんですが...僕の今後の課題としては、この若者たちを動かすことですね」。
将来的にはその若者たちが、まちの主体となって盛り上げていけるようにしていきたい、と近野さんは話します。しかし、訪れた町民たちからは「イベントが少ないこのまちで、こういうことを開いてくれて嬉しい。また開催してね」と言った声をいただいたそう。
この町民の表情が、楽しさを物語っています。このチャリティライブでの入場料、そして当日の募金で得た収益を浦臼町社会福祉協議会へ寄付されました。
このまちを少しでもいいから知ってほしい
近野さんの協力隊としての活動はまだ始まったばかりではありますが、協力隊には最長3年までという任期が設けられています。今後の目標や、その後のことについても聞いてみました。
「今、浦臼町にボルダリングジムをつくるのが直近の目標です。役場にも自分で企画書を作成しました。このまちのスポーツ推進事業となれば良いなと思って。そして今は目下ジムとなる空き倉庫を探し中です(笑)」。
近野さんが作成した企画書。
「そして、協力隊の任期が終わっても浦臼町に定住するつもりです。せっかくこのまちに来れたんですから」とニコリ。
近野さんの話の端々からは、浦臼町への愛が伝わってきます。
実はこのまちにコンビニは一軒もありません。コンビニが無い、と聞くと都会にいる方々にとっては衝撃なことかもしれませんが、近野さんにとってそれは特段不便なことでは無いと言います。
近野さんが撮影した浦臼町の夕暮れ。自然の恵みを存分に吸収できそうな世界です。
「コンビニは無かったのですが、最近Aマートというスーパーが出来たんです!今までは近隣の滝川などに車で買い物に行っていましたが、基本的に浦臼町にお金を落としたいと思っているので、今はそこでたくさん買い物します!」とにんまり。
まさに町民としての志がとても高い近野さんは、協力隊という制度に携われて良かったと話します。
「何をすればいいか分からない、やりたいことが分からない、そういう想いを抱える人たちがいる中で、協力隊は3年という期間が与えられている間にそれを探すことが出来ます。それに、もしそのまちで将来的にも働くということであれば、協力隊として人脈を先に広げられるってことは自分へのプラスにもなりますよね」。
上司の内藤さんとこんな仲良しショットも。すでに浦臼町に、厚い人脈がつくりあげられましたね。
人口が少ない田舎まち、浦臼町。今後このまちに期待することは?と尋ねてみました。
「移住しなくとも、まずは浦臼町というところを知って欲しいです。たくさんの人が浦臼町に訪れて、このまちを好きになってくれる人が増えて欲しい、そう思っています」。
今まで町外への情報発信力が非常に弱かった浦臼町。しかし、近野さんが着任してからというもののその力はみるみる上がっています。FacebookやTwitter、インスタグラムなど様々なSNSを駆使し、浦臼町から今日も「何か」を発信中。もしあなたがその発信をキャッチしたならば、浦臼町というまちを少しでも良いので覗いてみてください。