命をかけてきたものが食卓に並ぶ
一次産業が盛んな北海道では、新鮮な農作物や海産物を味わうことが出来るということは皆さんもよくご存知のことと思います。北海道へ訪れる際多くの人は「美味しいものが食べたい」と期待するほど、『食』のネームバリューは名高いものです。
スーパーに行けば新鮮なものが手に入るこの恵まれた北海道ではありますが、商品棚に並んだ海産物は今日も命をかけて海に出ていった漁師たちがいるから、ということはどうしても忘れられがち。時化が悪ければ獲れない、つまり、稼げない。そんな日々と隣合わせだからこそ、やりがいもあるのは間違いないのですが。
漁師はもちろん、一次産業の生産者たちの実情をこの業界とは無縁の人たちにも知ってもらいたいと奮闘しているのが、藤谷透(ふじたに とおる)さん。
こちらが藤谷さん。とっても気さくな方です。
藤谷さんは札幌で「株式会社ひとと」という通販サイトを運営する会社を経営。実は以前テレビ朝日系深夜番組「マツコ&有吉 かりそめ天国」に取り上げられたことがあるという注目すべき会社なのです。なぜテレビで取り上げられたのか?その真相はもう少し後でお話しましょう。
「これは儲かる」目をつけた先にあった通販サイト
生まれも育ちも札幌の藤谷さんは大学を卒業後、金融会社に就職しました。この仕事を通じて多くの業界の方々と繋がりができ、その中でも特に可愛がってくれていたとある大手ドライブインの社長から「人生一度きりなんだから、色々挑戦した方がいい」という教えを請いました。その言葉通り、数年後金融業界を立ち去る道を選ぶこととなりましたが、当時は特別「これがしたい」という構想は何ひとつ抱いていなかったそう。
しかし、稼がなくては食べてはいけない。
そこでかつての繋がりを頼りに、コンビニの窓や看板拭きの仕事を請け負ったり、趣味だったHP作成技術を活かせる仕事をもらったりと、今までとは全く違う仕事を通じ細々と稼いでいた時期がありました。そんな日々を過ごす中、ふと寂しさを感じ...
「この時こうして仕事が出来たのもこれまで培ってきた人との繋がりがあったからで、思えばいつも『人』と仕事をしていました。でも今は、ひとりで黙々と作業をするばかり。誰かと話がしたいなぁって思ったんです」。
そこで、あのドライブインの社長のもとへ再び訪れました。話をする中で、その会社が水産物加工の卸しの事業もやっていたこともあり、当時水産物や農作物に関しては特別こだわりや興味は抱いていなかった藤谷さんではありますが、「これを通販で売ったら儲かるかもしれない」と思いついたそうです。
これからはもっともっとネットの時代になっていく。こうして藤谷さんは通販サイトを立ち上げました。
船出は良好。しかしその後見失ってしまった「本当に大切なもの」
通販サイトオープン当初は「そんなにすぐには売れないんだろうなぁ」と弱気な予想を立てていたものの、ふたを開けて見れば...
「今でも本当に不思議なんですけど...売れたんですよね(笑)」。
これは儲かる!とそのまま運営を続けていきましたが、その良い波は次第に小さくなっていき、その後大手通販サイトと提携してみるものの、物品の売れ行きは上がる反面、手数料等で自分の手元に残ったお金はほんの10万円程度...。
このままではいけないと、藤谷さんはもがきました。
「こんなやり方を続けていたら、いつか生産者の方々に取り引きを止められてしまうと思いました。この時はただ、物を売り買いするお金の関係だけに過ぎなかったからです」。
ふと、お世話になっているドライブインの社長に言われた言葉を思い出しました。
「自分に卸してくれる相手は大切に。商品を買ってくれる人は自分の前からすぐいなくなるけれど、生産者との関係はずっと続くのだから」そういう教えでした。
思い出したはいいけれど、だからと言ってすぐに変われるわけではない。
そこでまずは直接生産者のもとへ足を運ぶことから始めました。最初は札幌から50km圏内、それが少しずつ70km、100km、と延びていき...「今では150km圏内だったら移動は余裕です!」とニコリ。
それに伴って、生産者との関係が少しずつ変わっていくのを身を持って感じ、同時に取引先の数も少しずつ増えていきました。
生産者の方と直接対話する大切さもあります。
「最初は、札幌から胡散臭い人間が来たぞって顔を皆さんするんですよ(笑)。でも、だんだんこちらの想いも理解してくれるようになっていきました」。
その「想い」というのは、販売者と生産者が同じ土俵に立つこと。そして、販売者である藤谷さんが生産者の思いを消費者にしっかりと伝えること。この想いに賛同してくれる人々が増え、「一緒にやりましょう」と相手から声をかけてくれることも増えていきました。
さらに、生産者の商品のファン作りをサポートしたいと藤谷さんは話します。
「『○○町の野菜』とか『○○町の海鮮』といった認識ではなく、『○○農家さんの野菜が食べたい』『○○漁港さんの海鮮が食べたい』と、商品のみならず生産者を知った上で、その商品のファンになってもらいたいんです」。
以前まで農作物や海産物にこだわりを持っていなかったという藤谷さんとは思えないくらい、熱い想いです。
名前も場所も、存在さえも知らなかったまちとの出会い
そんなある日、藤谷さんが「マツコ&有吉 かりそめ天国」で取り上げられることとなるキーパーソンに出会いました。
札幌駅と大通駅を結ぶ地下歩行空間、通称チカホと呼ばれるその空間では、時々各所で様々なイベントが開かれているのですが、とあるその日も、北海道小平町の中学生たちが地元の特産品を販売していたのです。
「そもそも当時『おびら』なんて読めなかったですし、どこなの?という状態でした」。
小平町は、道北エリアに位置し日本海に面した漁業の盛んなまち。中学生が何やら頑張っている、そんな興味から立ち寄ってみると学生たちと共に店頭に立っていた一人の男性が目に留まりました。
そう、彼こそがキーパーソン。
小平町地域おこし協力隊の新井田政実さんでした。彼と出会ったことをきっかけに、小平というまちに初めて訪れた藤谷さんは、その時に新井田さんを介してこのまちで活躍する一次産業の方々を紹介してもらったのです。
そこで1番最初に出会ったのが、メディアでも話題となった「タコ箱漁オーナー」を仕掛けた阿部喜三男さん。
タコ箱漁オーナーとは、2011年まで開催されていた伝説の企画で、タコ漁業に用いる漁具(タコ箱)で漁獲した「小平のタコ」をゲットできるというもの。一般の方がタコ箱に対しオーナー権を持つことができ、その箱を阿部さんが小平町沖合のベストな場所に設置し、定めた期間中3回引き揚げを行います。そしてタコが入っていた箱のオーナー権を持っている人が、小平のタコをゲットできるというルールです。もちろんタコが箱に入っているかは運次第というちょっとしたゲーム感覚も味わえる企画で当時は大人気。
こちらがタコの住処。自分がこの箱のオーナーとなり、ここにタコが入っていたら見事手に入るのです!
そんな企画があったのかと知った藤谷さんは、その後何度も小平に足を運んでいたある日、阿部さんと二人でジュースを片手に漁師の小屋でぼうっと話していた時にこんなことを問いかけてみました。
「もしもタコ箱漁をもう一度一緒にやろうよって言ったらどう思う?」
それに対し阿部さんは、「タコが獲れたらねぇ」なんて笑いながら遠い目をしてごまかします。
しかしその後藤谷さんは今一度じっくり考え、この企画は小平の水産資源を広めるという効果があることはもちろん、何より漁師という仕事のあり方を一般の人に見てもらうことが出来るのではないかと考え、再び阿部さんのもとを訪れました。
「今度はもしもの話じゃない。やっぱり、一緒にタコ箱漁を復活させよう!」
その熱意は阿部さんの心を突き動かし手を取り合った二人は、早速町長に「今年、タコ箱漁復活させます!」という宣言をし、ついに伝説の企画を復活させるまでに至ったのです。
「獲ったど〜!」という阿部さんの声が聞こえてくるようなスマイル。
それに目を留めたメディアは多数。その中にテレビ朝日のディレクターから「マツコ&有吉 かりそめ天国」の番組で取り上げるだけではなく、出演者の3名がオーナーになりたい、というオファーが入ったのです。これにはもちろん承諾しましたが、この時すでに応募者は定員を超えていたので、タコに選んでもらうその名も「タコルーレット」での抽選を行いました。6倍近い競争率でしたが、番組出演者3人の中でマツコさんがオーナー権を見事ゲット。さらに、タコ箱漁が始まるとマツコさんの箱にタコが入っていたというテレビ的に美味しい結果に。
マツコさんがGETしたタコ。
この全国区の番組に取り上げてもらったことは、役場を含め小平町民も喜んでくれ、このまちにさらに溶け込んでいく自分を感じたと藤谷さんは話します。
人との繋がりが生んだ、人生の変化
「もっと面白いことをこの小平で出来ないかなと思って...なんと小平に会社をつくっちゃいました」と笑う藤谷さん。当初は縁もゆかりもなかった土地だったはず。しかし藤谷さんからは小平愛を感じざるを得ません。
「小平を訪れる前までの印象はゴーストタウンみたいなんじゃないかな、なんて思っていたくらいです(笑)。人よりも牛や豚の方が多くて、何もないまちなんじゃないかなって」。
こんなこと言ったら、小平のみんなに怒られちゃうな、なんて笑いながら言葉を続けます。
「でも今は当時のイメージは全くありません。人があたたかい、そういう印象を抱いています。もちろんそれは自分がこのまちにしっかり入り込めたからそう感じることが出来るんだと思いますが」。
道の駅おびら鰊番屋前での美しい夕日の風景
新しく小平につくった会社は株式会社オロロンマーケット。北海道日本海、オロロンラインの漁業に密着し、漁師から新鮮な海産物を直接卸すというサービスを始め、6次産業化として燻製づくりや、ふるさと納税・返礼品の企画提案など、色々な構想が始まったばかり。
そこで現在地域おこし協力隊として活躍しており、小平というまちと引き合わせてくれた新井田さんの手を借りようという話が進んでいます。藤谷さんにとって、新井田さんは大切なキーパーソンであり、仲間。小言も言わずに仕事と前向きに向き合うその姿勢に心打たれたということも、一緒に仕事がしたいと思った理由の1つでした。
小平への想いもよく伝わってきたのですが、実は他のまちでも藤谷さんの活動は留まることを知りません。北海道新ひだか町とはまちの特産品、そしてまちのことをPRする事業の締結を結び、ニセコではずっとやりたいと考えていた生産者を巻き込んだ野外イベントをニセコの髙橋牧場さんで実施。羊蹄山をバックに生産者が直接店を開き、地元民との繋がりの架け橋となりました。
地元の高校にも参加してもらい、自分たちの手で直接販売するという経験をしてもらいました
「よく、『藤谷さんは諦めない人だね』って言われるんです。諦めたら終わり。人生は変われるんですよ」と、はにかむ藤谷さんの目はキラキラしています。
かつては金融マン。しかし、今では北海道のまちおこしに買って出ています。
「北海道って、ネームバリューがすごいですよね。そして、生産者との距離が近いからこそ、よく『漁師と仕事しているの?すごいね!』なんて声をかけてもらえるのも、北海道でやっているからならではです」。
しかし現在、漁師のなり手が減ってきているという現実。確かに、漁師というのは日々命をかけて海に出ます。もちろん獲れない日だってあります。しかし、漁師という仕事で得られるものは、苦しみや辛さ、そんなものではないはず。
海を見つめる藤谷さんと阿部さん。
それを実際に一般の人にも体験してほしい、スーパーに行けば簡単に手に入るその新鮮な海産物は、どうやって私達の食卓の上に並ぶのかということを、例えばタコ箱漁からでもいいし、そういった経験を通じて少しだけでも知って欲しい...。
藤谷さんの瞳は、漁師が海を見つめる時のようにキラリと光り、その奥には熱い情熱が込められていました。
人との繋がりがあってこその、藤谷さん流のまちおこし。少しずつ、少しずつ、どんどん増え行く仲間たちと共に大きな帆を揚げてこれからも突き進んで行きます。
藤谷さんが手に持つのは、生産者が作っているものを紹介するポストカード。実はこれ、ただのカードではなくこれをもとに商品を購入できるのです。引き出物等で使われることも多いのだとか。商品の良さに加え、生産者のことが知れる素敵なカードです。
- 株式会社ひとと・株式会社オロロンマーケット 代表取締役/藤谷透さん
- 住所
札幌市北区北13条西3丁目2-1アルファスクエア北13条2F
- 電話
011-738-7305
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