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まちおこしレポート
ニセコ町

聞くだけじゃない、誰もが主役になれるラジオニセコ20170501

この記事は2017年5月1日に公開した情報です。

聞くだけじゃない、誰もが主役になれるラジオニセコ

町民の想いが生んだラジオ局

ニセコ駅の目の前に、ガラス張りのオシャレなラジオ局があります。その佇まいに、観光案内所と思って道を尋ねに訪れる方もしばしば。しかし、それでも良いのだと言います。なぜならここは、誰もが気軽に訪れてほしい、そんな想いからガラス張りになっているラジオ局。


「聞くだけじゃない、出るラジオ」をモットーに、なんと誰でも出演可能なのだとか。

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2012年に誕生したこのラジオニセコ。人口5,000人のニセコ町では「まちづくり基本条例」の中に、「町民は、町の情報を全て知る権利がある」と記されており、それによりかつてオフトーク通信(※)というシステムを利用し、決まった時間にニセコ町民に向けて情報を発信していました。

その後オフトーク通信の老朽化により一度廃止され、ラジオなら災害の時にも情報網が強いということが最終的な決め手の1つになり、2012年3月31日に開局したのがコミュニティラジオ「ラジオニセコ」です。

※オフトーク通信・・・アナログ固定電話等の電話回線の通話に使用していない時間を利用した、地域情報の放送サービスのこと

radioniseko.jpgこちらがニセコ駅

radioniseko3.jpgその向かいに、ラジオニセコが構えています。局長であり今回お話を聞かせてくださった宮川さんと共に。

「ラジオ局」と聞くと真っ先に思い浮かぶお仕事内容と言えば、ゲストの方と軽快なトークを繰り広げたり、歌のリクエストに対応したりと、聞いている人の耳に届くあの声の主・・・司会進行役のパーソナリティではないでしょうか。

開局前、「ラジオニセコの立ち上げスタッフ募集」の求人広告を見て応募を決めたという方が今回取材にご協力いただいた宮川博之さん。現在、ラジオニセコの人気パーソナリティとして出演している他、局長として運営全般を任されています。

裏方になりたかったのに、まさかの出演者に・・・!?

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宮川さんは、函館生まれの函館育ち。札幌に本社がある企業に就職し、札幌で過ごす日々を送っていました。そのお仕事の中でイベント運営に携わった経験から、ものごとをゼロからつくりあげていく楽しさを知ったと言います。

その後、たまたまラジオニセコの立ち上げスタッフ募集の求人広告を目にし、「立ち上げということは本当にゼロからつくりあげる仕事なんだ・・・それはなんだか楽しそうだ」と、宮川さんの挑戦心がうずうずし応募してみることに。この時は立ち上げスタッフとして、「裏方の仕事がしたい」という想いで応募したと言います。

その後晴れて採用となり、これから一緒に働くスタッフの顔合わせの日。そこにいたのは宮川さんを含め3人だけでした。

「これは誰がラジオの出演者になるのだろう・・・?」と思うと、まさかの運営から出演まで全部自分たちで!という指令が。特別人前で話すのが得意というわけでもなく、発声のはの字も分からない状態。もちろん、他のスタッフも皆同じでした。

radioniseko14.jpg一緒に立ち上げから参加している竹内祥子さん。竹内さんももちろん、パーソナリティの経験はありませんでした。

ラジオ局で働いていた経験なんてないしどうすれば・・・と不安がいっぱい。そこで当初、札幌のラジオ局「三角山放送」の木原会長が立ち上げのサポートに入ってくださり、宮川さんは約3カ月間三角山放送局に通ったそうです。

「そこで徹底的に発声など叩き込んでもらったのですが・・・短期間で学ばなくてはならないということもあってかスパルタでしたね・・・。正直に言いますね、あまりのスパルタに泣きそうでした(笑)」と、今では笑い話にしている宮川さん。

そんなスパルタさに泣きそうな日々もあったそうですが、右も左もわからない世界ではあったものの、「楽しい」という感情が常に宮川さんの心の中に存在していたそうです。

radioniseko8.jpgこういった収録の台本も、もちろん自分たちで作ります。

そしてついに迎える、3月31日の初鳴き(※初めて声を出す収録のこと)の担当は宮川さん。

「緊張で本当に何も覚えていないんです(笑)。1時間の持ち時間でしたが、本番中はもちろん、その後の打ち上げの記憶もない。そんな緊張いっぱいで慣れていない状況の中、途中で曲のリクエストが届いたりして。もう『えー!』っていう感じで、てんやわんやでしたよ(笑)」と当時を振り返ります。

ラジオは元祖SNS

そんなラジオニセコも、今ではまちの人たちの中に大きく存在しています。

「ここの誕生のきっかけは、町民たちからの声。だからこの場所は、町民たちのラジオ局なんです。外観もガラス張りにして、『誰もが出演できるラジオ局』として存在しています。実際に今日まで様々な人たちに出演してもらいました」。

radioniseko4.jpg壁一面に、ラジオに出演した方々の写真を残しています。

地元の方だけではなく、ひょんな出会いから出演してくれたケースもあるそうで・・・。

「世界で聞けるネットラジオでも放送しているのですが、イギリスに在住のイギリス人の方がその放送を向こうで聞いていて。ニセコにウィンタースポーツをするために来日したのですが、スノーボードの他にギターを抱えてラジオニセコにやって来ました。ラジオに出演できるって本当ですか?ということで、せっかくなのでギターの生演奏、生歌を披露していただきましたよ。他にも、道の駅でたまたまラジオを聞いて、『本当にラジオに出演できるんですか?』と寄ってくれた人がいたり、ご自宅で花を作っている人が、いつか自分のお店を持つのが夢なんですとラジオで夢を語った後に、それを聞いた方が空き店舗を紹介してくれたりだとか・・・。ラジオってある意味SNSなんですよ。今でいうLINEとか、Facebookとかの役割を果たしてくれているんです」と宮川さん。

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そんなラジオニセコについて「素敵なおもちゃが出来た」と表現した人がいたのだとか。気軽に来て、「昔のニセコはね〜」なんて語ったり、自分の放送したラジオを録音し、その後何度も再生して聞いている人がいたりと、町民にとって身近な遊び道具のひとつでもあり、そして特別な存在になっているようです。

小学生から60才まで。年令の幅を超えたドラマがそこに

町民のアイデアから生まれ、町民のために存在しているこのラジオ局。だからこそ、ただラジオを通して情報を届けるだけではなく、地元住民の方々と協力し様々なことに挑戦しています。


その1つが、ラジオドラマ。
「ラジオを通してドラマを放送しようという、これまた町民からのアイデアでラジオニセコ放送劇団が立ち上がりました。この劇団には、小学生から60才以上の方まで20名ほどが在籍。全員に役が与えられ、全員一言は絶対に台詞を話すということを意識して台本をつくり、ラジオで放送しています。この活動により、世代を超えた交流が生まれています」。

radioniseko6.jpgこちらが実際の台本

他にも、ラジオ局を飛び出してイベントの運営や企画も携わっています。

町民の中から希望者を募り、札幌まで野球の試合を見に行こうという企画では、ニセコから札幌までのバスの中はもちろん、球場でも年令問わずに一緒に盛り上がることによって新たな出会いが生まれています。「あ、この前ラジオで話していた人ってあなただったんだ!」なんて会話もよく聞こえてくるそうです。

こういった企画も、全てニセコ町民のため。決して大きくはない、小さなまちだからこそ、多くの人との繋がりをつくる存在のラジオニセコ。

正直田舎だから、不便ですよ。でもそれも悪くない。

函館と札幌で過ごしていた宮川さん。今までニセコと言えばスキーで遊びに来るだけだったと言います。

「それに、ニセコのイメージといえば『ヒラフ』。たくさん人がいるイメージでいざニセコ町に来ましたが、来てみたら人口5,000人と小さなまちでしたね(笑)」。

想像以上に小さく、そして田舎だな〜と感じたと宮川さんは言いますが、実際に生活してみて今感じるニセコ町への想いはどうなのでしょうか。

「正直不便なこともたくさんあります。買い物だって、もうずっとネットにお世話になりっぱなし。でも除雪はすごくしっかりしていて、冬でも天気がいい日中は道路の路面が出てくる位。あとは、田舎だからこその人との繋がりもここの魅力。道を歩けば『あら宮川さん』なんて声をかけてもらって、『うちで採れた野菜なんだ』って言って食料をもらったり。庭でバーベキューを楽しんでいたら、酒屋さんが『これ飲みな』なんて言ってお酒を持ってきてくれるし・・・都会では味わえない人付き合いの密の濃さが、田舎の魅力ですよね。コンビニだってあるし、道の駅に行けば新鮮な野菜もある。札幌までも億劫になる距離ではないので、不便な面も楽しめる人は住みやすいまちなのかもしれませんね」。

radioniseko16.jpg道を歩けば「いつもラジオ聞いてるよ〜」なんて声もかけられる、もはやニセコ町ではほとんどの人に知られている宮川さん。

5,000人のリスナーに届くように

町民の方々に愛されているラジオニセコ。大変なことももちろんありますよね?と聞いてみました。

「リスナーが限られているからこそ、その期待に応えたいという想いや、台本づくりから本番まで全部自分たちでやっているからこその大変さなどはありますね。リスナーは、ニセコ町民5,000人がメイン。大型都市のラジオ局とは違い、この人口の地域で放送するコミュニティラジオだからこそ、1人1人の評価にしっかりと耳を傾けていきたいと思っています」。

そして、「次から次へとこれからも挑戦していきたい」と力強く語ってくれました。

「仕事はどれも同じかもしれませんが、メディアという仕事は攻めが大事だと思います。同じことをしていたら、すぐに飽きられてしまいます。失敗は後退ではなく、次のチャレンジへのきっかけですから。色々挑戦して、失敗もしていこうと思います。次の挑戦に向かっていくモチベーション維持は大変だけれど、その分やりがいも感じるのがこの仕事の魅力です」。

今後挑戦してみたいこととは具体的に何ですか?と聞いてみると、様々な目標を話してくださいました。
「ニセコは国際色が強いというまちの特色があります。ここに住む外国人の方も多いので、もっともっと多言語で情報を伝えていきたいと思っています。今日もこのあと、ニセコ町に住むデリク君によるフランス語講座も放送予定なんです(笑)」。

radioniseko9.jpg取材後デリクさんと放送スタンバイ中。宮川さんが生徒役として、フランス語を学びます。

宮川さんの夢は、町民全員にラジオ出演してもらうのはもちろん、そのようにしてボランティアパーソナリティが増えて、自分の番組の時間が持てない程になって欲しいそうです。
「そしてニセコのために、町民のために何かしたいという思いで、一緒に頑張ってくれる若い力とそろそろバトンタッチがしたいな〜なんて思います」。

今回の取材中、宮川さんの口から何度も何度も出てきた言葉があります。それは「町民のために」というこの言葉。縁もゆかりもなかったニセコ町。不便さも少なからずある田舎への移住。それでもここで、みんなのために頑張りたいと思わせてくれた町民との出会いは、宮川さんにとってゼロからつくりあげた大切な財産となっているようです。

ラジオニセコ 76.2MHz (株)ニセコリゾート観光協会
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聞くだけじゃない、誰もが主役になれるラジオニセコ

この記事は2017年4月21日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。