広い広い北海道の、ちょうど中央に位置する富良野市。ラベンダー畑の広がる風光明媚な風景に、「富良野メロン」をはじめとした豊かな農産物の数々、一世を風靡した国民的ドラマのロケ地、世界中の人々が集うスキーリゾート、ワインにスイーツ、それからそれから...と、その魅力をあげようとすると、とてもここでは書き切れません。
そんな魅力あふれる富良野で、1925年(大正14年)からおよそ100年にわたり商いをしているのが、富良野地方卸売市場株式会社です。創業以来、富良野地域の食の拠点として、新鮮な野菜や果物などを中心に、地域住民や飲食店などに安定供給を行ってきました。全道各地から集めた食べ物を地域の人々へ、あるいは地域から集めた食べ物を全国の食卓へと届ける富良野地方卸売市場株式会社。生鮮食品だけでなく、メロンを使ったスイーツなど、富良野の食材を使った加工品も扱っており、幅広いニーズに対応しています。
ここで一年ほど前から働くのが更科浩一さん、38歳。聞けば聞くほど「どうして富良野に?」と言いたくなる、意外な経歴の持ち主です。詳しいお話を聞いていきましょう。
はじめての就職は家電量販店のTV売り場
北海道第二の都市旭川市がご出身の更科さん。小学校1年生の頃に両親の仕事の都合で東北・宮城県へと移ります。そこで高校までを過ごし、山形県にある国立大学、山形大学人文学部へと進学しました。
富良野地方卸売市場株式会社、管理部総務課の更科浩一さん
「大学では経済を学んではいましたが、これといった夢がなかったのが正直なところです。両親は定年を迎えて札幌にいたため、親元で働きたいと大手家電量販店の札幌店に就職しました」
担当したのは、家電屋さんで"花形"とも言われるテレビ売り場。「どれにしようか...」と悩んでいるとそっとやって来て、機能や性能についてたっぷりと語ってくれる、あの頼もしい存在です。とはいえ、更科さんの話しぶりは穏やかで控えめ。グイグイとセールストークする姿はあまり想像できないような。
「人と話すのはそれほど得意じゃないと思っていたんですが、接客そのものはアルバイト経験もあって、嫌いではなかったんですよね。もともと家電へのこだわりは強かったですし、iPhoneも日本に上陸した頃、いち早く手に入れていたので、得意分野のことなら話せるタイプだったのかもしれません」
3年間札幌で勤務した後は東京・新宿店に異動した更科さん。大手家電量販店の大型店がひしめく激戦エリアで、さらに3年間働きます。
「競合が多いエリアではありましたが、当時はテレビがアナログ放送から地上デジタル放送に切り替わり、買い換えが必須の時期。まさに飛ぶようにテレビが売れた時代で、1日で最大10台も売ったことがありました。こうして話していると懐かしいものですね(笑)」
超高層ビルのひしめく新宿から、北海道の牧場へ
特別な不満も無く働いていたという更科さんですが、次第に故郷である北海道に戻りたいという気持ちが強くなっていったのだそう。都会の雑踏やスピード感に疲れを感じ始め、「人と全く違うことをしてみたい」という気持ちが脳裏をよぎることが増えてきた折、偶然目にした求人が、富良野市近郊にあるブランド牛を育てる牧場での飼育員の仕事でした。
「富良野は幼少期を過ごした旭川にも車で1時間強ですし、両親の住む札幌までも2時間程度と利便性が高いまち。都会とは真逆のスローライフが送りたいという希望があったので、求人を見てすぐに『ここだ!』と決めたんです。超高層ビルの建ち並ぶ新宿から、周囲には牛舎以外に建物ひとつない北海道の牧場へ...我ながら凄いギャップだと思います(笑)」
静かな牧場で牛に餌を与え、飼料を運び、出荷を見届けて少し寂しい気持ちを味わう...一日の大半を人と話し、常に数字のプレッシャーと戦っていた新宿とはまるで異なる環境。自分のペースを大切に仕事を進められるのは想定していた以上に性に合っていたとか。「富良野の暮らしがあっという間に気に入りました」と振り返ります。
その後は奥さまと出会い、32歳の頃にご結婚。山あいにある小さな家を購入し、絵に描いたような北海道での暮らしが始まりました。
40歳を目前に、新たなチャレンジへ
更科さんに3度目の転機が訪れたのは牧場で勤めて37歳となった頃。牧場での仕事は気に入っていたものの、年齢を重ねるとともに体力に不安を覚える機会が増えていったそうです。
「若いうちは大自然の中で身体を動かし続けることが、ストレス解消になっていたんですが、10年後、20年後を想像した時に同じように働けるのか不安になってきたんです。40歳手前という年齢的にも『新しい挑戦をするなら早いほうがいいな』と感じて、思い切って転職活動に舵を切ることにしました」
そんなタイミングで見かけたのが、富良野地方卸売市場の求人です。住まいからは20分、富良野市の中心部にあることから建物に見覚えがあったのだそう。募集が事務職であったことも、体力的な問題が気になる更科さんにとってはピッタリの職種でした。
「多くの人と話す仕事と、一人で身体を動かす仕事、どちらも経験していた僕にとってその中間を取ったちょうどいいポジションのように感じたんですよね。市場の仕事は『食』に携わるという面では近いですし、これまでと同様にすぐ慣れるだろうと楽観視して、応募を決めました」
富良野地方卸売市場の業務は魚介類、青果・野菜の卸売が中心です。全道各地の生産者や組合、加工会社、他の市場から品物を買い入れ、選別やパッケージングを行った上でスーパーマーケットや飲食店へと届けます。さらに近年は加工食品の製造や直売所の展開、直営の飲食店「市場食堂」の運営、旅行代理店事業にも取り組むなど「市場」の枠を越えた範囲まで業務が拡大しています。ちなみに「競り」は5、6年ほど前まで行われていたそうです。
「僕も当初は『市場』と名がつくからには、競り人(せりにん)の威勢の良い声が響いて、お金が飛び交う...なんて職場を想像していたんです。ところがオフィスは近代的で清潔そのもの。スーツを着てカタカタ...という人もいて、営業の方々は丁寧な口調でお客様と電話している。その様子は、どちらかといえば『商社』に近い印象でした」
実は北海道の大動脈!可能性を秘めた富良野市場の仕事
総務係である更科さんの業務は給与計算や備品・制服の受発注や管理といった「裏方」の仕事が中心。しかし時には直売所に出て品物に値札を付けたり、混雑時はレジ係のヘルプをしたりということもあるのだとか。「どちらかと言えば、接客のほうが経験が長いので苦手ではないのですが」と笑います。
「富良野は北海道のちょうど真ん中ですので、全道各地の野菜、そしてオホーツク、日本海、太平洋3つの海から採れた新鮮な魚貝、さらには海外から輸入した品まで、とにかく何でも集まるのが特徴です。輸送の中継地点として旭川や札幌の市場へ食べ物を運ぶケースも多く、さまざまな産地と食卓とをつなぐ大動脈で働いてるのだと、やりがいを実感します」
上司である管理部部長の折舘義智さんは、更科さんについて「入社して1年と少しなので、まだまだ可能性を探っているのが現状ですが」と前置きした上で、次のように評価します。
「弊社は彼のような業界未経験の中途採用や、パートからの入社も多いのが特徴です。というのも、卸売りをメインとした『市場』の枠組みに固執せず、小売、加工など新しいことに次々とチャレンジしているのが富良野市場。様々なスキルを持つ人材を積極的に採用して、今までにない発想で新たな事業に切り込む。そういう意味で家電屋や牧場など、幅広い経験をしている更科さんの力は今後に生かせるものだと考えています」
管理部部長の折舘義智さん
観光と暮らし、新旧が共存する富良野というまち
富良野エリアに移り住んで、およそ10年になる更科さん。その暮らしをどう感じているのでしょうか。
「夏は色とりどりの花々と緑、冬はどこまでも続く雪原と、どの季節を切り取っても美しいですよね。特に僕の家は窓の外の景色が山しかないので、紅葉も雪景色も目いっぱい楽しめます」
一方、生活やアクティビティにも困らない都市としての一面も気に入っているのだとか。
「もしかしたら、地元の人はあまり行かないのかもしれませんが、僕と妻はガラス工房やチーズ工房など、富良野らしい観光地も楽しんでいます(笑)。スキー場のある北の峰エリアは今、『第二のニセコ』とも呼ばれるほど観光分野への投資が相次いでいて、街並みもオシャレになってきていますよね。でも一歩離れると、古くから営む農家さんが長い時間をかけて作った田園風景が広がる。昔ながらの北海道らしい暮らしと、国際的リゾートとしての新しい街並み...いわば新と旧が上手に共存しているところが、他のまちにはない面白さだと思います」
富良野市場が掲げるのは「地域との共生」。そのメッセージにも共感しているという更科さんは、自分の経験を生かして富良野に貢献していきたいと語ります。
「農家さんやお客様と交流している時にふと、都会では感じなかったぬくもりや人とのつながりを感じるんです。まだまだ勉強中の身ではありますが、メロンやタマネギなどの農産物や加工品など『富良野発』ブランドを全国へ『つなぐ』という仕事を通じて、少しでも愛する土地へ恩返しができたらと思っています」
単に移住するだけではなく、その土地に貢献できる術を見出してくれたのが転職。更科さんと、彼の胸中に静かに湧き上がった使命を「つなげた」のも「市場」だったワケですね。
- 富良野地方卸売市場株式会社 更科浩一さん
- 住所
北海道富良野市弥生町4-2
- 電話
0167-23-2101
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