北海道十勝エリアの本別町に気になる移住者夫婦がいると聞き、早速取材オファー。夫の樽美豪哉(としや)さんは移動販売で人気の「トカチケバブ」を運営し、妻の樽美瑞希さんは「本別町魅力UPコーディネーター」として町の魅力を発信しているそう。道外出身の2人がどういう経緯で本別へたどり着いたのか、そしてなぜ本別なのか、活動内容やこれからの構想や夢も含めてお話を伺いました。
(※樽美さんの樽の文字は、正しくはつくり上部が「八」。今回の記事では常用漢字の「樽󠄀」と表記させていただきました。)
夫は旅好きな自由人。「男なら道東!」と言われ、ヒッチハイクで帯広へ
今回は本別町の役場の1室をお借りしての取材。「こんにちは」と部屋に入ってきた樽美夫妻はニコニコ笑顔、親しみやすい雰囲気です。しっかり相手の顔を見て話す姿から、誠実な人柄も伝わってきます。
早速、2人のこれまでの歩みについて伺うことに。2人が出会うまでのそれぞれの内容が濃い(と思われる)ので、せっかくならばそこもじっくり聞きたいと、順番に伺うことにし、まずは先に北海道へ上陸した夫の豪哉さんから十勝へたどり着くまでを語ってもらいました。
真っ直ぐな眼差しが印象的な樽美豪哉さん
「僕は新潟出身で、高校卒業まで新潟にいました。卒業後は、いろいろ好きなところへ行ってみたいと思って、名古屋や東京などに行って、そこで興味のある仕事をして、気が向くとヒッチハイクしながら旅に出かけるような暮らしをしていました」
飲食業に興味があり、レストラン、ラーメン屋、焼鳥屋などで働きながら、国内外を旅していたそう。豪哉さんを動かすキーワードは、「興味」「思いつき」。興味が湧くととにかくやってみる、そして思いついたら即行動。北海道へ来るきっかけも、玄関を開けた瞬間、「旅に行こう、あ、北海道を1周しよう」と思いついたためでした。
「財布の中にあった1万8500円だけを持って、とりあえず函館まで飛行機で来て、北海道に初上陸。そのあとは街を歩く人に声をかけて、どこへ行ったらいいかなどを聞いていました」
それまでもヒッチハイクなどで旅をしていただけあり、豪哉さんにとって知らない街で人に声をかけることは何の苦でもないそうです。そうして函館から北上し、小樽へ到着した際、たまたま知り合った地元の焼鳥屋さんの店主からうちにおいでと声をかけられます。
道東行きを後押ししてくれたのは小樽の「焼き鳥伊志井」の石井さん。こちらは2024年に再会を果たした際の一枚
「その人が地元の仲間に声をかけて、7、8人で飲み会を開いてくれたんです。そのときに、北海道でどこを周ればいいですかって聞いたら、『男なら道東だろう』と言われて(笑)」と語る豪哉さん。
今考えてみると、おそらく本州の人が想像する北海道らしい景色が見られるのが道東だと言いたかったのではないかとのこと。
「それで道東へ行こう!と思ったのですが、そもそも道東というのがまったく分からなくて、最初は町の名前かと思って、ヒッチハイクをするときに『道東』って書いていました」
道東だとエリアが広すぎると知り、次に「十勝」と書きましたが、それでも広すぎると分かり、十勝管内の有名な町ということで「帯広」と書き直して、小樽をヒッチハイクで出発。車4台を乗り継いで、無事帯広へ着きます。
涙が出るほどおいしくて感動した「トカチケバブ」の味を引き継ぐ
「もうお金もなかったので、まず仕事を探すことに。酪農の仕事をしてみたいと思って、またその辺を歩いている人に声をかけて、酪農の仕事できるところは?って聞いたら、帯広畜産大学があるから、そっちのほうに行ったら何か情報とかあるのではと教えられ、とりあえず畜大のほうへ歩いて向かいました」
歩いていると、途中で車に乗った男性から声をかけられます。ヒッチハイクで旅をしてここまで来ている旨を話すと、「帯広を案内してあげるよ」と観光案内をしてくれることに。観光スポットでもあるばんえい競馬の競馬場へ連れて行ってもらうと、その男性の同級生が移動販売の串焼きの店を競馬場で出店しており、「仕事探しているなら、手伝うかい?」となり、そこで働くことになります。北海道上陸から4日目のことでした。
ここまでの話を淡々とにこやかに話す豪哉さんですが、小樽でも帯広でも流れるように人と出会い、それが繋がり、たくさんの人とのご縁によってここへ導かれてきたようでなんとも不思議です。
「それから移動販売の仕事を手伝いながら、道内各地を回りました。いろいろな町を訪れましたが、やっぱり十勝がいいなぁと思いました。外で息を吸うのが気持ちよくて。太平洋側の気候がいいのかな。スコーンと抜けた青空とか、とにかく魅力を感じました」
移動販売で道内各地を巡っていた頃の豪哉さん
そして、豪哉さんのケバブの師匠となるのが、この移動販売の店主でした。年に2回しか店をやらないという「トカチケバブ」。それでもファンの人たちがたくさんいて、ケバブを出す日は行列ができ、1日中ケバブを作っているという状態でした。豪哉さんもそのケバブを食べたとき、そのおいしさに涙が出るくらい感動したそう。
「こんなにおいしくて、こんなに支持されているのに年に2回はもったいないと思っていたら、師匠から『やる?』と言ってもらい、ノウハウを伝授してもらいました」と熱く語る豪哉さん。
2019年4月、「なつぞらケバブ」という名前で晴れて独立。キッチンカーで各地を回り始めます。もともといたファンの人たちからは大変喜ばれたそう。時はコロナ禍でしたが、しばらくして、帯広駅のそばにFULLMOON(フルムーン)という店もはじめ、そこで仕込みなどを行うように。そして2020年、東京で瑞希さんと出会います。
震災も経験した妻は、18歳で食にまつわることを生涯の仕事にしたいと決意
さて、ここからは瑞希さんが豪哉さんに出会うまでについて語ってもらうことにしましょう。笑顔が素敵な瑞希さん、ハキハキと話す姿から仕事ができる女性という印象を受けます。そんな瑞希さんは仙台市出身。高校卒業まで仙台で過ごしました。
「ちょうど大学受験が終わった高校3年生の春休みに東日本大震災がありました。埼玉の大学へ進学することが決まっていたのですが、このまま仙台を離れていいものかすごく悩みました」
屈託のない笑顔が素敵な樽美瑞希さん
管理栄養士の資格を取るためにずっと行きたいと思っていた大学。たくさん迷い、悩んだ末、将来食を通じて世の中や人に役立つことをするためにも今は勉強をすることが自分にできることだと考え、仙台を離れる決心をします。実は、被災経験も瑞希さんの背中を後押ししました。
「被災したとき、水、電気、ガス、すべてのライフラインが止まってしまいました。もちろん数日は食事もままならない状態で、そのときに温かいご飯を食べられることがいかに幸せで、そして大事なことかを身をもって知り、食にまつわる仕事を生涯かけてやっていきたい、食や栄養のことについて学びたいと思ったんです」と瑞希さんは振り返ります。
最初は病院の管理栄養士を目指していたという瑞希さんですが、「病気にならないように予防することが大事だと思い、商品開発などに携われるほうへシフトチェンジしました」と話し、大学卒業後は埼玉にある総合食品商社に就職します。病院や学校の給食用に卸す魚などを輸入する会社で、商品の味付けなどを考える商品開発の仕事などに携わります。ところが会社が倒産してしまうというトラブルに。次の就職先を探し、次は東京にある和食の高級食材や珍味を扱う会社へ転職。日々忙しく働いていましたが、歴史があり古い体質が残っている会社だったこともあり、営業や企画をやりたいと話してもなかなかチャレンジさせてもらえずにジレンマも感じていたそう。
「そのころ、ちょうどコロナ禍に。仙台から上京してちょうど10年。満員電車に乗るのも疲れたし、東京での生活も楽しんだし、都会で働くことにこだわらなくていいかなと考えるようになりました」
そんなとき、先輩が開催した異業種交流会に参加します。その日のテーマは、「旅」。そこに登壇して話していたのが、帯広からやって来た豪哉さんでした。
2人が付き合うようになったきっかけは豪哉さんが瑞希さんに一目ぼれしたから。話をしてみると、同い年で共通の友達がいるなど、話が盛り上がったそう。
瑞希さんは、「夫は当時アフロヘアだったんです。私、アフロヘアの人と話したことなくて」と笑います。「私は慎重派なのですが、夫は私とは真逆。私が選択しないことを選んでいくタイプでその経験談が面白くて」と、豪哉さんの話の引き出しの多さにも魅かれたと言います。また、「話をしていて、夫は生命力があって、どこでも生きていけるパワーがある」とも思ったそう。
十勝を訪れ、その自然に魅了され、地域おこし協力隊として本別に移住
「もう会えなくなってしまうかも」と帯広へ帰る豪哉さんから告白。出会って2、3日で付き合うことになります。そしてその年の7月、瑞希さんは初めて北海道、十勝へ。
瑞希さんは「日本にこんなところがあるんだ!と感動しました。大地と空がどこまでも続いていて、見渡す限りというのはこういうことを言うんだと実感。それまで仙台、東京とビルが立ち並ぶところで暮らしていたので、十勝の大自然に圧倒されました」と語ります。
瑞希さんのお気に入りの場所。本別町押帯(おしょっぷ)からの景色
東京での暮らしや働き方などに疲弊気味だった瑞希さんは、十勝滞在中に「ここなら暮らせるかも」と思ったそう。早速、十勝エリアでこれまでの経験が生かせる食品関連の会社の仕事を探しますが、「それだと東京で働いているのと変わらない」とふと思います。
「夫以外、誰も知っている人がいないところへ行くわけだから、少し不安もあったんです。それで、地域と繋がれるような仕事を探そうと思いました。それから、夫のコミュニティーとは違う、自分のコミュニティーも持ちたいと思ったんですよね。それで、地域おこし協力隊というものがあると知り、これはぴったりだと思って地域おこし協力隊を募集している町を探し始めました」
当初は豪哉さんが暮らす帯広でと思っていましたが、ちょうど募集がなかったこともあり、「どうせ移住するなら、四季をはっきりと感じられるとことん田舎がいい」と十勝管内のほかの町村で探し始め、そこで初めて本別町を知ります。
「そのときちょうど2つの町村で協力隊の募集をしていたのですが、本別に面接に行ったら、当時の町長や副町長もわざわざ出迎えてくれたんです。皆さんで迎えてくれるというところに町の人の温かさを感じました。また、本別は協力隊としての実績があまりなく、いろいろな制度や仕組みがまだ整っていないのも、私としては自分で新しく作っていけると魅力に感じました」と瑞希さん。
地域おこし協力隊として活動していた頃の瑞希さん
日常生活に必要な店や施設などが町の市街地にコンパクトにまとまっている本別町。瑞希さんはここで自分が暮らすイメージがすぐにつき、「フィーリングが合う」と感じたと振り返ります。
晴れて本別町の地域おこし協力隊として赴任することが決まり、2021年春に本別町へ移住。食のことも含む観光推進というミッションで活動をスタートします。
「協力隊の活動は私の他に、もう1人、本別町出身でUターンしてきた子がいて、2名体制ではじまりました。彼女がいてくれたおかげで、私も町に溶け込みやすかったし、活動に際していろいろ相談したり、悩みを共有できたりして、本当にありがたかったです」
そのもう1人の協力隊隊員・村上真奈美さんは、2023年に念願だったカフェ「喫茶ゆゆひ」を本別町にオープンしたそう。
地域おこし協力隊同期の村上真奈美さんと一緒に
「ゆゆひもそうなんですが、本別は『やりたい』『チャレンジしたい』という人の背中を押してくれる、応援してくれる人が多い町。新しいことに挑戦しやすい風土があるからか、面白い人もたくさんいるんですよ!」
瑞希さんが本別に移住して2年目のとき、豪哉さんは帯広の店を閉め、本別に拠点を移し、移動販売のスタイルに戻そうかと考えていました。「やっぱり移動販売はいろいろなところに行けるし、楽しいんですよね」と豪哉さん。そんなとき、本別町の「おやき屋TOTTE」のオーナーさんから「一軒家を貸してあげるよ」とタイミングよく声をかけてもらい、豪哉さんも本別町へ。瑞希さんが話すように、町の人の応援気質のようなものが感じられます。
夫婦2人で十勝・本別の良さや魅力をそれぞれのやり方で発信
2023年3月に2人は籍を入れ、瑞希さんは翌年3月で地域おこし協力隊としての任期を終えますが、そのまま夫婦で本別町に定住。瑞希さんは「本別町魅力UPコーディネーター」として活動を行っています。協力隊時代から持ち前の発想力と明るさを生かして活動してきましたが、現在も本別町を盛り上げるべく、幅広く活躍。SNSを使った町の情報発信、町の中学校での食育の授業、高校での「とかち創生学」の授業、道外の移住フェアにスタッフとして帯同するなど多岐に渡ります。
「中学校では、生徒たちが自分たちのイメージをイラストにまとめてパワーポイントで寸劇を交えながら発表します。どんな人に食べてもらいたいかペルソナを設定して作るんです。それをもとに、町内の飲食店や『ふるさと給食』で提供していただいています」と瑞希さん。
町の飲食店の人たちも協力的だそうで、「小さい町だからこそできる授業だし、子どもたちには地域の豊かな食材について知ってもらうのはもちろん、町の人と交流することで、自分たちの暮らす町って面白い大人がいっぱいいて、いい町だなと思ってもらいたい」と話します。食からも「郷土愛」を育んでほしい、というような想いもありながら取り組んでいるとのこと。
それをさらに発展させたのが高校の「とかち創生学」の授業。「商店街を活性化させるには?」「特産の豆を食べる以外で活用するには?」といった答えのない地域課題に取り組んでいくというもので、論理的に考えていく力を養うという目的もあるそう。
「この授業で取り組んだ内容を高校生が町の議会に提案するところまで行います。前に、この授業で地元の特産を使った料理をまとめたレシピ集を作ったんですが、それを見た町のお菓子屋の松月堂さんが、せっかく作ったのにもったいないから商品化しようと言ってくれて、実際に商品化もしたんです」と瑞希さんは嬉しそうに語ります。
「放課後SOY倶楽部」を立ち上げ、高校生と一緒に商品化に取り組み、松月堂のバックアップのもと、「本高フィナンシェ」を完成。帯広や札幌で販売会も行ったそう。瑞希さんの管理栄養士としての知識や商品開発に携わった経験も大きく生かされました。さらに協力隊繋がりで、沖縄の道の駅にもこのフィナンシェを置いてもらったこともあったそうです。現在は、大豆ミートの商品化に取り組んでいるそう。
本別町について語る瑞希さんを見ていると、本別への想いの強さがひしひしと伝わってきます。「町がより活性化するように自分ができることをやっていきたいです。今年、東京で本別フェアをやったんですけど、これからも外への発信をいろいろな形で行っていきたいですね」と話します。出身地である宮城県の地域おこし協力隊とも繋がり、実家へ帰省する際に本別をPRできるようなことを企画できたらとも構想中です。
豪哉さんは師匠が使っていた「トカチケバブ」に名称を変え、道内各地を回っています。「できるだけ本別産の野菜を用いてケバブを作っています。僕が移動販売先で本別から来ましたと伝えることで、本別という町をPRできたらいいなと思っています」と話し、「本別の人にもこのケバブのおいしさをもっと知ってもらいたいので、本別のイベントなどには積極的に出店したいと考えています」と続けます。
北海道に縁もゆかりもなかった2人が、何かに引き寄せられるかのように本別に移住し、今はその町の魅力をそれぞれの形で発信。瑞希さんは「十勝や本別のためにやれること、考えられることはまだまだあると思う」と話します。これからどのようなアイデアが生まれ、それを形にしていくのかが楽しみな樽美夫妻です。
- 本別町 樽美豪哉さん・樽美瑞希さん
トカチケバブ
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本別町地域おこし協力隊
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HOTほんべつ
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