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仙台から移住して事業承継!70年続く青果店の3代目に20240909

仙台から移住して事業承継!70年続く青果店の3代目に

北海道富良野市の麓郷エリアは人気ドラマシリーズのロケ地として知られています。このエリアで、1955年の開店から地域に愛され続けているお店があります。

「藤林商店」は事業開始から、来年70年を迎える老舗のお店。以前は生鮮食料品を取り揃えていましたが、現在は富良野メロンやトウモロコシなど地域ならではの青果を取り揃え毎年夏季だけ営業。経営は順調でしたが経営者のご夫婦が高齢になり、経営を引き継ぐ後継者を探していたところ、今年、3代目として工藤原野さん・奈奈さん夫妻が引き継ぐことに。宮城県仙台市から移住してきたふたりに、新たな土地で新しいチャレンジをはじめるようになったきっかけを伺いました。

1ミリも想定してなかった商い。コロナ離職が転機に

藤林商店は麓郷エリアに佇む地域で唯一の青果店です。どの風景を切り取っても絵はがきのような、「ただただ美しい」という言葉がふさわしい自然が広がるエリアにあります。

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工藤さん夫妻は今年春に3代目として、藤林商店を事業承継しました。おふたりは先代だった藤林夫妻と血縁があったわけでなく、北海道出身であるわけでもありません。原野さんは秋田県出身、奈奈さんは東京都出身。北海道にやってくるまでは、仙台にて15年間共働きで暮らしていました。

ふたりが北海道に深い縁ができたきっかけは、2020年。コロナ禍の時期のことを原野さんは語ります。

furano_hujibayashi03.jpg2024年6月から藤林商店の経営を引き継いだ工藤原野さん

「当時は仙台の外資系IT関連企業で働いていたのですが、コロナ禍に工事現場が全てストップしてしまい、離職することになったんです」

2020年当時は、コロナ禍の混乱に終わりが見えない不安を誰もが抱えていた時期です。そんなときに仕事を辞めることになった原野さんですが、当時を振り返ってもらうと、意外にも前向きにとらえていたそうです。

「これもいいきっかけだと思いましたね。そこで、せっかくだから北海道に行ってみようと、美瑛町に住む友人を訪ねて長期滞在してみることにしました。元々仕事さえあれば都会よりローカルに住みたいとずっと思っていたので、滞在してみて北海道で暮らしたいと思う気持ちが強くなりました」

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離職を契機に次の働き方、暮らし方を見つめ直そうと旅に出た原野さん。状況によっては社会情勢の変化による離職という、個人ではどうすることもできない大きなうねりを逆境と捉えるケースが多いように感じます。なぜ原野さんは冒険物語の主人公のように前向きなアクションがとれたのでしょうか。それには学生時代の世界中を旅した経験が影響しているようです。

17か国を旅してまわり、出会った夫婦

秋田の高校を卒業後に大阪の大学へ進学した原野さんは、大学1年生の時にアルバイトで貯めた費用でNPO法人の国際交流団体による船旅に参加した経験があります。3か月で17か国をめぐり、世代問わず700名が乗船し暮らしを共にした時間は視野を広げ、現在まで続く友人関係にもつながる貴重な経験だったといいます。

冒険するような船旅で世界中をめぐり、仲間と「なるようになる」、「なんとでもできる」経験を積み重ねた原野さん。この船旅で仲間のひとりとして出会ったのが、のちに妻となる奈奈さんでした。

奈奈さんにも北海道に移住することになった頃の話を伺いました。

furano_hujibayashi05.jpg原野さんと共にお店を切り盛りする工藤奈奈さん

「原野くんは仕事を辞めることになって、北海道で湯治を体験したりして仙台に帰ってきました。そうしたら『北海道に移住したい』と言い出したんです。その時は本当にびっくりしました。仙台で中古マンションを買ってローンを払っていたんですよ。長く仙台に住むつもりで暮らしていましたから、もうびっくり、しかなくて。でも私も、終のすみ家は景色がきれいな場所に住みたい憧れがありましたし、北海道に住んでみるのもいいかな、と考えるようになりました」

突拍子もないようにみえる原野さんの移住提案に当初驚いたという奈奈さんですが、元々冒険家たちが集まるような船旅で出会ったふたり。旅するように柔軟に暮らし方のスイッチを切り替えることは、夫婦ともに得意だったようです。

バイト先でめぐりあった青果店

移住を検討しはじめてから約1年後、ふたりは2021年10月に北海道へ移住します。以前に旅行したことがあったニュージーランドの風景と似ていたことから、美瑛・富良野エリアが気に入っていました。

移住後に、原野さんは道路維持管理の仕事をはじめ、奈奈さんはグラフィックレコーダーとして在宅で仕事する日々を送っていました。縁もゆかりもない地域に移住して人間関係などで戸惑いがなかったのかも聞いてみました。すると、ギャップや軋轢のような受け止めはなかったと原野さんは話します。

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「地域にはすぐに溶け込むことができたと感じています。雪国ならではの除雪の仕事や地域のこと、農家さんの冬場の仕事のことなど、北海道ならでは暮らしをたくさん教えてもらいました。"教えてもらえますか"というスタンスでいたら、親切にしてもらえましたね」

同じ地域で暮らす者同士、互いの知見や考え方を尊重する姿勢はどこで暮らす上でも大切なスタンスかもしれません。

2023年の夏、奈奈さんがこの地で新しいチャレンジをしてみたいとハローワークで仕事を探していると、偶然「藤林商店」のアルバイト求人を見つけました。応募が通り、ひと夏の藤林商店の仕事に携わる中で、70代となった社長夫妻が後継者を探していることを知ります。

「夫に後継者探しをしている話をすると、『やってみたい』という話になり、思い切って立候補しました。ほかにも候補の方がいたと聞きますが、先代から"工藤さんやってみるかい?"とおっしゃっていただきました」と奈奈さん。

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北海道へ移住して2年。奈奈さんがアルバイトをはじめた藤林商店にて、工藤夫妻は商店71年目へとつながるバトンを受け取る3代目になることが決まったのです。

70年の歴史を継ぐために。まずは目の前に集中したい

工藤夫妻にとって事業承継1年目となる今年の夏、取材の最中も藤林商店ではひっきりなしにお客さまが訪れていました。先代夫妻と工藤さん夫妻の4人で切り盛りしながら、先代さんは接客方法や品出しタイミングなど丁寧に工藤さんたちに伝えている姿が印象的です。

「藤林」は先代夫妻の苗字からの屋号です。引き継ぐときに「工藤商店」に変えることは検討しなかったのか質問すると「長年多くのお客さまに親しんでいただいた店名ですから、変えることは考えませんでした。積み重ねた歴史を大切にしたいという想いがあります」と原野さん。

ふたりにとって事業承継後の最初の年であり、まずはワンシーズン集中して一日一日に取り組みたい、と原野さんは話します。先代のやり方を踏襲することを大切に、いちから仕事を頭と体に叩き込んでいるふたりですが、新しい挑戦も始めています。

青果店ロゴの制作や店舗紹介リーフレットの刷新などデザイン面を新しく取り入れ、さらにクレジットカード決済システムや顧客管理システム導入など業務・経営面でのDX化に着手し始めています。どれも小さな一歩にすぎない、とふたりは謙遜しますが、1年目から着実に先を見据えた取り組みを進めています。

富良野での新しい働き方

ふたりはなぜ青果店承継に手を挙げたのでしょうか。その魅力のひとつは「働き方」にありました。

「藤林商店は夏から秋にかけてがオープン時期で、地域で農作物が採れない冬場は店のシャッターは閉じています。7月から8月は無休で毎日お店が開いていて、僕らに休みはありませんが、冬にお店が閉まる時期に遊ぶ時間もとれますし、このオンオフの切り替えがはっきりしている仕事は自分たちのライフスタイルとして合いそうだと感じていました」と原野さんは話します。

ふたりのこれまでのキャリアを振り返ってみると、原野さんはインフラ施工やIT関連などの仕事に従事し、奈奈さんはというと病院事務やコールセンターなどで働いてきました。青果店経営が「理想の仕事」として選択したのかというと、そういうわけではないようです。

「富良野の暮らしが好きで、働き方が合っていそうだと感じました。この地で腰を据えて働くならば、藤林商店での仕事がしたいと思いました。後継者不足の地域を救うんだ、過疎化を食い止めるぞ、なんて、大層な意義からはじめたわけではないんですよ。あくまで、自分たちが面白いと思うか、で考えて、ピンときたという感覚です」と原野さん。

なるほど、後継者不足や地域活性といった言葉はかっこよく映りがちですが、あくまでふたりの暮らしの選択の中で自分たちが好きな方へ、冒険したい方へと舵をきった結果が事業承継というかたちになったというわけです。

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「この時期だけ採れる新鮮な農作物がありますから。メロンのことを考えると休んではいられないでしょう」と原野さんは笑います。地域のため、といった大義名分は口にしませんが、青果店の仕事は地域経済や住民の暮らしを守るためにまちがいなく重要な役割を担っています。有言実行ならぬ、無言実行なふるまいで奮闘しているふたりが印象的です。

北海道で暮らすということ

北海道は地域ブランド調査にて都道府県の魅力度ランキングで15年連続1位を誇る地域です。そのなかで富良野市は全国的にも知名度が高く、農業と、観光・サービス業などが産業の中心であり、道内でも人気エリアのひとつであるといえます。

一方で道内の他地域と同様に、都市部への人口流出や後継者不足による店舗閉店などが課題でもあります。北海道が気に入って引っ越してきた働き盛りの工藤さん夫婦がお店を引き継ぐことになることは、地域としても大歓迎する話だったことでしょう。

奈奈さんは友人たちに、移住先で新しい仕事をはじめる話をしたときを振り返ります。

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「2年前は青果店を継ぐことになるとは、1ミリも想定していませんでした。偶然の出会いでしたが、先代夫妻の人柄に触れ、私たちでやってみたいと手を挙げました。遠くに住む友人たちに青果店を継ぐことを話すと驚いてはいましたが、もう驚き慣れていましたね。そういうふたりだよねって。それに今の時代、どこに住んでも話したい友人とはデジタルを介して交流することもできますし、困ることはないです」

移住したことで遠方の友人たちが「北海道に遊びに行きたい!」と訪ねてくることも多いのだとか。「北海道に移住してからの方が、泊まりに来る友人が増えてますね」と奈奈さんは笑います。

産地と食卓、いまと未来。架け橋になるお店づくり

今年3月には事業承継を記念して店先での餅つきを企画したところ、予想以上の100名もの参加者が集まりました。中には新聞を見た先代の長年のお客様が駆けつけてくれるなど、承継を歓迎されたことがうれしかったとふたりは語ります。そして工藤夫妻は、冬場には富良野のスキー場近くでゲストハウス経営など新しいチャレンジも検討しているそうです。

ふたりが新しく制作した店舗紹介リーフレットには、こんなメッセージがあります。

「藤林社長夫妻の『正直』で『誠実』なスピリッツと共にお店を引き継ぐ」

furano_hujibayashi12.jpgリーフレットにはこれまでのお店の歴史も記されています

70年の歴史を継ぐためにまずは目の前のことに一生懸命でありたいと店頭に立ち、汗を流すふたりは、青果店の店主として正直さと誠実さも承継し、チャレンジを続けています。

ふたりが北海道に住むことになったのは、コロナ禍という社会情勢の変化がきっかけでした。大きな流れの中で、たゆまなく考えていたのは自分が「楽しそう」「興味がある」と思う方へ舵取りをしていくこと。ふたりは青果店承継という新しい一歩を踏み出しています。

その人生の進め方は決してメラメラと燃えあがるような気負いや、一か八かの覚悟を問うような選択をしているわけではなく、どこか伸びやかで心に余白を残したようなスタンスが印象的です。

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生産者と消費者、産地と食卓、先代からの歴史と次世代をむすぶ青果店の事業承継という選択をしたふたりは、その架け橋となるお店を富良野の麓郷で営んでいくことでしょう。

株式会社藤林商店 工藤原野さん・奈奈さん
株式会社藤林商店 工藤原野さん・奈奈さん
住所

北海道富良野市麓郷市街地2

電話

0167-29-2116

URL

https://www.instagram.com/furano.fujibayashi/

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仙台から移住して事業承継!70年続く青果店の3代目に

この記事は2024年7月31日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。