「樹木医」という仕事をご存知ですか?
樹木医とは、その名の通り樹木を専門にみるお医者さん。樹木の調査や研究、診断や治療などを通して、樹木の保護・育成・管理や樹木に関する知識の普及・指導などを行う専門家のことです。テレビなどで、枝が折れてしまった巨木の治療などをしている樹木医の姿を見たことがある方もいるかもしれません。まだあまり知られていない樹木医というお仕事ですが、ここ北海道にも樹木医として活躍する若者がいるという噂を聞きつけ、くらしごと編集部はさっそく取材へ!
取材を受けてくださったのは、樹木医の崎川哲一さん。崎川さんのお話を伺うと、樹木医としての活動だけでなく、教育や福祉など様々な形で森と人をつなげる活動をされていて、そのバイタリティには驚くばかり。そこには、「将来の世代へ意味のあるものを残していきたい」という崎川さんのとても熱い思いがありました。
こちらが崎川哲一さん
木を守りたくて目指した樹木医。想像と違った現実。
崎川哲一さんは、現在32歳。石川県白山市の出身で、大学入学を機に北海道にやって来ました。現在は樹木医として活躍しつつ、NPO法人ezorockの事務局スタッフ、合同会社森のピタゴラスの代表社員としても活動しています。
「樹木医」というお仕事は一般的にはあまり聞いたことのない職業ですが、崎川さんがそもそも樹木医を目指したきっかけは何だったのでしょうか?
「私の実家は米農家で、祖父が米を育てていました。農家の環境で育ったので、なんとなく自分も大人になったらこの田んぼを継いで農家になるんだろうなあと思っていたんです。ところが、私が中学生になった頃に祖父が亡くなり、違う仕事をしていた父が農家を継ぐことは難しく、田んぼを手放すことになりました。そこからはあっという間で、小さい頃から私の生活の中にあった田んぼが、ものの1〜2年でアパートや道路に変わり、無くなってしまったんです。自分が守ろうと思っていたものが無くなってしまったこの体験は、かなり大きなショックでしたね」
大黒柱のようだった祖父が亡くなり、田んぼも無くしてなんとなく元気のなかった崎川さんとご家族。そんなみんなを元気づけようと、父が連れて行ってくれたのが縄文杉で有名な屋久島でした。そこで見た光景が、崎川さんにとって樹木医を目指すきっかけになりました。
「屋久島ってすごいじゃないですか。そこら辺に生えている木すら1,000年、2,000年生きていて、巨木に見惚れていたらふいにヤクシカが現れたり、隣にいる観光客は感動して涙を流していたり。そんな屋久島の光景を見ていると、こういう森や巨木を守れるってすごくかっこいいなという気持ちになりました」
そんな時にたまたまテレビで流れていた樹木医の特集で、巨木を守る樹木医の姿が崎川さんの目に入りました。
「こういう仕事があるのかと、高校1年生くらいから樹木医になりたいと考えるようになりました。田んぼを守るという漠然と思い描いていた将来を失ったことで、ものがなくなってしまうことに寂しさを感じていたので、自分は良いものを残し、守る仕事をしていきたいなと思ったんです」
高校卒業後、崎川さんは北海道大学農学部森林科学科に進学。この進路を選んだ理由は、森林科学科で必要な授業を修了すると、樹木医補(※)の認定が受けられるためでした。
(※樹木医補として1年の実務経験を積むことが、樹木医の資格試験を受けるために必要)
こうして樹木医という夢に向けて一歩を踏み出した崎川さんでしたが、そこに待っていたのは、想像とは異なる樹木医という仕事に対する認識でした。
「大学で『樹木医になりたい』と話すと、『樹木医だけでは生活するのは難しい』と言われて。実際に周りを見ても、森林科学科の卒業後の進路は林業か行政が一般的で、樹木医はとてもマイナーな職業でした。授業も樹木一本に向き合うというよりは、森林生態学や林学が中心で、自分が目指すものとのズレを感じていました」
そんな違和感を抱いてもやもやしていた崎川さんが大学3年生に進級する直前の春、東日本大震災が起こります。
「当時誰もがそう思っていたように、大きな震災を受けて自分も『何かしなきゃ』と思っていました。でも実際は、自分の日常も、大学で受ける授業の内容も、震災前と全く変わらずに過ぎて行く。そんな日常を過ごすうちに、『森や樹木を守ったって、日本がこんなに大変な時に何もできないなら、何の意味もないんじゃないか』と思うようになってしまったんです」
森や木を守りたいという夢と、実際に自分がいる現実とのギャップに戸惑い、自分の将来に悩む崎川さん。次第に樹木医への思いは薄れていきました。
再び信じることができた、森や木のもつ可能性。
自分の将来に悩みふさぎ込んでいた崎川さん。しかし大学4年生になる前の春休み、崎川さんにとって大きな転機が訪れます。それは、福島第一原発事故の影響で生活に制限を受けている子どもたちに、安心できる場で過ごしてもらおうという「ふくしまキッズ」の活動でした。七飯町の大沼で福島の子どもたちを受け入れるためのボランティアに誘われたのです。
「大学の先輩から誘われて、福島の子どもたち30人ほどが滞在する大沼へボランティアに行きました。10日ほどの滞在期間中、ひたすら約50人分の食事を作り食器を洗うという裏方の食事担当だったんですけど。それでも、日に日に子どもたちが変わっていくのが目に見えて分かるんです。それを見てものすごく感動しましたね」
校庭で遊べない、プールにも入れない環境にいた子どもたちに中は、はじめは外で遊ぶことに戸惑う子、マスクを外せない子、夜眠れない子もいたそうです。しかし、毎日森の中で遊んでいるうちに、どんどん開放的に変化していく子どもたちの様子を見た崎川さんは、かつて屋久島で感じたような、森や木がもつ力のすごさを再び感じたと言います。
「子どもたちの変化はもちろんですが、『子どもたちのために』という思いで一生懸命動く大人たちの姿にも心が動きました。やっぱり森や木には人の心を動かす力があって、そこに集まる人たちにも思いや力があると、改めて気づくことができましたね」
大学のコミュニティにいるだけでは、樹木医か、行政か、林業か。その3つしか将来の選択肢がなかったという崎川さん。しかし、このふくしまキッズの活動を通して、その閉塞感も取り払うことができたようです。
「今まで森を守っていきたいという思いがあっても、樹木医だけでは生活できないとか、就職は行政か林業しかないとか、そういう周りからの声にモヤモヤしていたけど、そういうことじゃないんだなと。森や木の力を信じて出来ることがきっとあるはずだと思えました」
こうして再び、森や木の力でできることを探し始めた崎川さんは、このふくしまキッズのボランティア事務局であり、今現在も事務局スタッフとしての活動を続けるNPO法人ezorockでの取り組みに、積極的に参加していくこととなるのでした。
ここが札幌市中央区にあるNPO法人ezorockの活動拠点です
多様な森とのつながり方を学べた、ezorockでの経験。
NPO法人ezorockは、北海道最大級のロックフェスティバル「RISING SUN ROCK FESTIVAL(RSR)」における環境対策活動をきっかけに2001年に設立されました。現在は、野外音楽フェスや地域のお祭りで出たゴミの分別を行う「Earth Care」、札幌のシェアサイクルサービス「ポロクル」の運営、未利用材や林地残材を活用して持続可能な薪づくりを展開する「プロジェクトNINOMIYA」など、2,000人以上の若者と共に北海道各地の課題解決に取り組んでいます。
崎川さんはふくしまキッズ以降、大学4年生から大学院2年生まで、ボランティアとしてezorockの活動に関わり続けました。ezorockに関わるきっかけとなったふくしまキッズや、コープさっぽろと連携した植林活動など、多様な人や場所と繋がりながら「こういう森との関わり方もあるんだ」とたくさんのことを学んだという崎川さん。それは大学のコミュニティだけでは得られないものでした。
今やRSRには欠かせない「Earth Care」のゴミの分別
「ezorockは、『何かしないと』という思いをなんとなくで終わらせません。学生から大人までが真剣に話し合って、その思いを行動に移していく。それが自分にとってはとても心地よい環境でした。それまでは『何かしないと』と思っても、面倒臭い奴と思われて終わりそうだと口をつぐんできたけど、自分の本音でぶつかれる場所があってよかったです。もちろんその分大変だし、辛い時もありますけどね」
崎川さんがずっと抱いていた「何かしなきゃ」という思いを、仲間と一緒に形にできる場がezorockだったようです。
そんな崎川さんが大学院修了後に就職したのもezorockでした。とはいえ、「ezorockはあくまで視野を広げる場で、就職先としては全く考えていなかったんです(笑)」と言います。
「プロジェクトNINOMIYA」で作られた薪は、一般の方でも購入できます
「まずはちゃんと働こうと思い就職活動をして、建材業者や林業会社など4社から内定をもらっていました。でも、一般企業はまずは利益を出さなければいけないですから、自分の森や自然に対する思いの強さとはギャップがあって、どうしてもしっくりこなくて...。11月くらいに4社全ての内定を断ってしまったんです」
なんとも思い切った行動に出た崎川さんが、これから先の将来を相談したのが、ezorockの代表・草野さんでした。
「信頼できる大人に相談しようと代表の草野に相談したら、『じゃあお前が思ってることで一緒に仕事を作ろう』と言ってくれて、ezorockに就職することになりました」
こうしてezorockに就職した崎川さんは、子どもや若者に農産漁業体験をしてもらう「子ども農山漁村交流プロジェクト」というプロジェクトを担当し、石狩市の浜益地区を中心に活動していました。地元の人との信頼関係を構築しながら、若者と地元を繋げる仕事にやりがいを感じていたものの、農業体験、漁業体験がメインとなる中で、やはり森や木への思いは募っていった崎川さん。
「それなら資格を取ればいい」と草野代表からも背中を押され、ezorock入社一年目、ついに樹木医の資格を取得したのでした。
2001年4月に設立されたezorock
ついに樹木医に!自分なりの森や木とのつながり方。
ついに高校生の時からの夢であった樹木医となった崎川さん。そして偶然にも、崎川さんがezorockスタッフとして活動していた石狩市浜益地区で、崎川さんの樹木医人生を加速させる出会いが起こります。
「ちょうど私が樹木医の資格をとった頃、浜益地区の『千本ナラ』という巨木が強風で折れてしまったんです。自分も子どもや若者を連れて巨木ツアーを実施していましたし、石狩市にとっても重要な観光資源をなくしたことは大打撃でした。それもあって石狩市役所で、地域の巨木を保全していこうという気運が高まって。そこで『最近石狩をちょろちょろしてる若者が樹木医になったらしい』という噂を聞きつけた市役所職員が、私を呼んでくれたんです」
こうして導かれるように崎川さんが出会ったのが、浜益地区の「黄金山のイチイ」という巨木でした。推定樹齢1,500年といわれる立派なこの巨木を、保全したいと市役所から相談されたのです。
「普通なら資格を取ったばかりの樹木医には任せないほどの立派な巨木で。当時、私は何も分からなかったので樹木医会の理事の方々をお呼びして見に行きました。そのうちの1人の方が『とても立派で縄文杉に似ているね。北の縄文杉と呼んでもいいかもしれないね』という話をされて。自分が樹木医をめざす原点となった縄文杉の話がここで出てきて驚きましたし、しかも、その木に自分が樹木医として関われることが、すごく嬉しかったですね」
なんとも運命的な出会いに、取材陣も驚きです。それまでも浜益地区で活動していた崎川さんですが、「樹木医」として浜益地区に関わり出した崎川さんは、「イチイの木を見に来てる人だね」と地元の人からの「木の人」と認識され、受け入れられるようになったと言います。それからは、イチイの巨木に会いに行く観光ツアーを企画するなど、樹木医として関わるイチイを軸に、森と人を繋げる活動を広げています。
「自分を変えるきっかけをくれたふくしまキッズのような活動を、今度は企画する大人側として自分ができるようになりました。自分がやりたかったことを実現できた感じです」と笑顔の崎川さん。
一度は諦めかけた樹木医という夢。それでも森や木のもつ可能性を信じて活動してきた結果、今こうして樹木医としてだけでなく、森と人をつなげる役割を崎川さんなりのやり方で実現できている。崎川さんの思いの強さと行動力が、こうして運命のような流れを引き寄せたのかもしれません。
待つだけじゃなく、届ける。「森のピタゴラス」
樹木医になりひとつの目標を達成した崎川さんですが、活動を続けて行くうちにひとつの疑問をもつようになりました。
「基本的にこうしたイベントは土日や長期休みにしか開催できません。実は、こんなイベントに参加できる子どもたちは、時間があったり、お金があったり、親が自然を好きだったり、わざわざ私たちのところに来なくても森や木に触れ合うチャンスがあるんじゃないのかなと。でも、自分が本来届けなきゃいけない子どもたちって、もしかしたらこうした機会すらない子どもたちなんじゃないかと思ったんですよね」
それではそんな子どもたちに、どうしたら森や木と繋がる機会を作れるだろうと考えた時に、崎川さんが行き着いたのは木のおもちゃを作ることでした。
「子どもが集まるところに話を聞きに行こうと札幌市内の児童会館を訪れると、木に触れ合う機会といえば館内にある海外製の木のおもちゃくらいだと聞かされて。こんなに北海道には自然がいっぱいあるのに、少なくとも札幌市内の子どもはこんなにも森や木に触れ合う機会がないのだと、そこで初めて気がつきました」
それならば「この子たちに届ける北海道の木のおもちゃを作ろう」と、構想から1年かけて完成したのが北海道の木と学ぶおもちゃ「森のピタゴラス」です。
森のピタゴラスは、次代を担う子どもたちがこれからどんな課題に直面しても失敗を恐れず、あきらめず、何度も繰り返し挑戦して、立ち向かってほしいという想いを込めて作られた木製知育玩具です
「児童会館のように子どもたちが集まる場所に、北海道の木でできたおもちゃがあれば、子どもたちの日常に北海道の木と触れ合う機会が増えるんじゃないかと考えました」
遊びやすいけど難しい、でも楽しく遊べる「森のピタゴラス」は大成功。
これだけ素晴らしい自然がある北海道で、森や木の良さを知らずに育つ子どもたちがいるのはもったいない。その考えに札幌市の児童会館の団体が共感してくれて、今では札幌市内の児童会館100ヶ所以上に「森のピタゴラス」が配置されているそうです。それまでは自分たちのフィールドに来てもらって成り立つ活動でしたが、2018年7月からは合同会社森のピタゴラスとして木のおもちゃを届けるという、自分たちから働きかける方法も手に入れたのです。
「森のピタゴラス」というコンテンツが増えることで、崎川さんの森や木に携わる活動も広がりを見せていきました。
「森のピタゴラスが注目されて児童会館以外からもお声がけいただくことが増えて、それをきっかけに森に連れて行く機会も増えました。それに伴って、樹木医の仕事も増えて...。木のおもちゃをきっかけに森に連れて行くし、その森の管理を樹木医としてやらせてもらう。最近ではそんな流れができてきていますね」
意味のあるものを残し、守り、未来に託す。
崎川さんの活動はさらに広がりを見せ、2022年7月には札幌市南区駒岡で、自然体験や木育を軸とした放課後等デイサービス「もりぴた」を開所しました。障害や発達に特性のある児童にも、森や木と触れ合う機会が等しくあってほしいという思いから、自分たちでもそんな場を作ろうと始まったプロジェクトです。
「教育も福祉も、『未来に託す』仕事です。すぐに結果は出ないけど、少し先の未来や次の世代に投資をしている。それは森や木も同様で、樹木医としての治療もその結果は自分が生きているうちには見られないことが多く、次の世代に託すことになります。教育も福祉も、森も木も、次の世代に託すものであるとすれば、その託すものは次の世代にとって意味のあるプレゼントのようなものにしたいと思うんです。長期的に未来を見据えて、次の世代に良いものを守り、残し、手渡す。これが私が森や木を軸にして子どもと仕事をさせてもらっている意味だと思っています」
こちらが放課後等デイサービス「もりぴた」
樹木医として呼んでもらう機会も増え、今後は樹木医としても研鑽していきたいという崎川さん。
「樹木医一本ではない、かなり特殊な樹木医なんですけどね(笑)」と笑います。
木のおもちゃを届ける、人を森に連れて行く、樹木医として木を守る。そしてさらに、誰でも森と木に触れ合える場所を作って行く。樹木医でありながら、樹木医であることにこだわらない。崎川さんにしかできないこの働き方は、森と木の可能性を信じ、それを社会に活かしたいという熱い思いがあってこそ辿り着いたものなのでしょう。
崎川さんが信じる森や木の力は、まだまだいろんな可能性を秘めているようです。崎川さんの話を聞いていると、私たちもその力の可能性をもっと信じたくなりました。
- NPO法人 ezorock/合同会社森のピタゴラス(崎川哲一さん)
- 住所
北海道札幌市中央区南9条西3丁目1番7号(NPO法人ezorock)
- 電話
011-562-0081(NPO法人ezorock)
- URL
合同会社森のピタゴラスHP:https://morinopitagoras.life/