十勝管内の最東端にある浦幌町。海も山もある自然豊かな町で、特に町の7割を森林が占めており、林業が盛んです。大正時代から町の木を原料とした木炭製造が行われ、昭和15年ころには10カ所以上の製炭所があったそう。しかし、ガスや電気が一般家庭に普及すると、家庭で木炭を使う機会は激減。浦幌で木炭製造を行うところも少なくなり、町内唯一の製炭所が2021年に廃業することになった際、100年の伝統を引き継ごうと手を挙げたのが、背古円(せこまどか)さんです。(株)浦幌木炭を立ち上げた背古さんに、木炭に対する想い、浦幌町への想いを伺いました。
林業の町、浦幌。曾祖父の代から、木にまつわる仕事を営んできた
浦幌町で生まれ育った背古さん。曾祖父の代から林業や製材業に携わっており、実家が営む(株)エムケイは、おが粉やウッドチップ、木質ペレットの製造販売を行っています。
「中学生の思春期、親元を離れたくて、高校は札幌のすぐそばの江別へ。やったー!と思ったのも束の間、すぐにホームシックになってしまいました(笑)。高校を卒業したあとは、経理を学ぶために専門学校へ通い、再び浦幌へ戻ってきました」
実家の経理を担当する傍ら、営業回りもして、工場にも出るという日々。新商品の開発やパッケージデザインなども手掛けていたそう。「当時はなんでも自分でやらなければならないと思い込んでいたんですよね」と振り返ります。
その華奢な体からは想像もできませんが、お子さんが4人いる背古さん。出産したあともほとんど休むことなく働いていたそう。「出産で入院している5日間だけがお休み。退院したあとは、すぐに事務仕事をしていました」と笑います。
こちらが背古円さんです
炭焼きの伝統が途絶えてしまう...。自ら手を挙げ、継承することを決意
仕事に子育てに多忙な日々を送っていた背古さん。ある日、町で唯一の炭焼き職人であった佐藤行雄さんが、脳梗塞を患ったことを機に引退すると知ります。仕事での取引もあった「浦幌木炭」が幕を下ろすことに、「このままでいいのだろうか。町から歴史ある木炭作りが消えてしまう。なんとかできないだろうか」と家族に相談します。
すると、夫で浦幌神社の宮司の宗敬さんから、神社の境内社である乳神神社の信仰は町の炭焼き職人たちが各地に広めてくれたという話を聞きます。そして、「乳神神社のおかげで浦幌町に訪れてくれる人もたくさんいるわけだし、恩返しだと思って跡を継いでみたら?」と背中を押されます。また、曾祖父が製炭の立ち上げにも関わっていたこともあり、「木炭と縁があるのかもと思い、自分が後継者になりますと手を挙げました」と背古さん。
取材の日も、佐藤行雄さんが手伝いに来られていました
そしてもうひとつ、製炭に携わろうと思った理由がありました。
「10年くらい前から、浦幌町では大阪の高校の修学旅行生を農業や酪農をやっている家で数名ずつ受け入れ、いろいろ体験してもらうという取り組みをしています。うちも林業の枠で受け入れをしていたのですが、農業や酪農と違って、体験がなかなか難しかったんです。山に入ってチェーンソーを持たせるには危険すぎるし、せいぜい薪割りくらいしか体験させてあげられなくて、いつもかわいそうだなと思っていました」
林業のことを知ってもらいたいという思いはあるものの、1日や2日ではなかなか伝えきれず、体験できることも少ない。でも、林業について知ってもらうきっかけの一つとして、炭焼き体験をしてもらえたらと閃きます。
「炭を作る際に生の木にも触るし、うまくいけば炭が完成したのを見ることもできます。最後に自分たちで作った木炭を使って、浦幌町でとれた新鮮な野菜や肉を焼いて食べられたら、いい思い出にもなるなと。食材だけでなく、木炭もすべて浦幌産という経験はほかではできませんし、木炭と林業について学べる滅多にない機会になると思って」
ここで浦幌木炭が生まれます
多くの人に浦幌の炭焼きを体験してもらいたい。
後継者になると決心したものの、実家のエムケイの仕事、神社の手伝い、空手の指導者、家事に育児もとなると、炭焼きの作業をすべて背古さんが一人でやるのは難しいのが実情。と、ここで「空手?」と思った読者の方も多いはず。実は背古さん、ご主人と一緒に町の人たちに空手の指導も行っているのです(ちなみに黒帯です)。
「こういう状態でしたので、佐藤さんには1年間、時間を欲しいとお願いをしました。できる範囲で炭焼きをやりながら、一緒にやってくれる人も探し、発信もしていくのでと」
自分の代で終わると思っていた浦幌木炭を引き継いでもらえるなら、と佐藤さんは背古さんに炭焼きの指導を行い、自身も頻繁に通って手伝ってくれています。「実はもう約束の1年は過ぎていて、いつになったら新しい人が来てくれるの?といつも佐藤さんに言われています」と苦笑い。と言うものの、取材中も佐藤さんは楽しそうに炭焼きの話をしてくれていました。体の心配があるため、無理は禁物とのことですが、佐藤さんもできるだけしっかり継承していきたいと思っているようです。
冗談を言いながらお話しするお二人の姿を見て、取材陣も自然と笑顔になりました!
背古さんが引き継いでからちょうど10カ月くらい経ったときに、友人の夫であり鍼灸師の森泰文さんを浦幌木炭の仲間に引き入れます。「大雪の日に窯の火入れがあって、小屋で一晩過ごしているとき、そろそろ誰か一緒にやってくれる人が来てくれないかなと考えていたら、ふと森さんの顔が浮かんで(笑)。一緒にやりませんかとすぐに連絡しました」と笑います。現在は、本業である鍼灸師の傍ら炭焼きに携わってくれています。
さらに、背古さんがSNSや浦幌町の就業促進のWEBサイト「つつうらうら」などを通じて発信をするようになると、炭焼きを体験してみたいという大学生や若い人たちがたくさん訪れるようになります。取材時も札幌の大学生が5日間の体験に来ていました。また、背古さんが代表を務めていると知り、「女性でも炭焼きができるんだ」とやって来る女性も多いそう。
「実は、10月から浦幌町に移住し、仲間として携わってくれる女性がいるんです。最初は体験で来て、そのあと定期的に手伝いに来てくれていたのですが、大学時代に炭の研究をしていた方で、ぴったりの人材だなと。人手が増えると作れる木炭も増えるので、もっと仲間が増えてくれたらと思っています」
佐藤さんから直々に指導を受ける大学生
気温や天候に左右される木炭作り。いつも違うからこそおもしろい
浦幌木炭は、十勝産のミズナラを使用。発する遠赤外線が強く、火力も良いと評判です。また、火入れで薪を燃やす際に、塗料などがついた廃材は決して使用しないというのが佐藤さんの代からのこだわり。そのため、炭から木の良い香りがします。実際、イタリアンレストランのシェフが香り良く食材が焼けると浦幌木炭を使っているそう。
木炭作りは、そのときの木材の水分量、気温や天候などの条件によって微調整が必要で、この辺りは経験と勘が頼りになるとのこと。まさに職人の世界です。「でも、そこが製炭のおもしろいところ」と背古さんは話します。
さて、その工程ですが、炭焼きには水分を含んだ生木が適しているそう。窯の高さに切りそろえられた丸太は、一本ずつ薪割りの機械を用いてカットしていきます。これらを窯の中に運び入れ、隙間のないように立てていき、窯に蓋をし、火入れします。蓋をすると言っても、入り口にブロックを積み上げ、泥で隙間を埋め、木の板を立て、しっかりとふさぐというもので、まるで壁を作っているよう。そして3日ほどかけて、昼夜問わず薪をくべ、窯の温度を少しずつ上げ、炭材を乾燥させていきます。煙突から白い煙が上がったら、匂いや味、温度で窯の中の状況を確認し、煙の温度が80度を超えたら薪をくべるのをやめ、薪をくべていたところもブロックでふさぎます。そうして、木の炭化が始まります。煙が透明になり、500度を超えたら炭化が完了したという合図。煙突もふさいで、窯を完全に密閉し、消火させていきます。約2週間かけて窯を冷ましたら、中から木炭を取り出します。
窯の中で、できたてホヤホヤの浦幌木炭
「炭焼きは体を使うから、暑いし、疲れますけど、やっぱり面白いんです。窯からできあがった炭を運び出すと、笑っちゃうくらい本当に顔も鼻の穴も全部真っ黒になります」
でき上がった炭はカットし、袋に詰めて完成です。紙製の大きな袋の中に入った木炭のほか、背古さんが見せてくれたのは何やらカラフルな箱。この中にも木炭が入っていて、「浦幌はお土産になるものが少ないので、お土産として木炭を購入してもらえたらと思って、こういうパッケージも作ってみました」と話します。デザインなどは、浦幌の地域おこし協力隊の隊員だったアーティストの鹿戸麻衣子さんが担当してくれたそう。
大好きな浦幌を元気に。木炭と組み合わせた企画で町に人を呼びたい
背古さんの話を聞いていると、林業、製炭の火を絶やしたくない、盛り上げたいという想いはもちろんですが、浦幌町を魅力ある町にしたいという想いが根っこにあるのが伝わってきます。
「自分が生まれ育った町というのもありますが、すごくいい町なんです。漁港があるから朝獲れた魚も、採れたての野菜もすぐに手に入るし、和牛を育てている人もいるから肉もあります。そして、山があり、木材も炭も。暮らしていくのに必要なものがすべて町でそろうし、循環しているんです。そして、何よりこの町に暮らす人たちがいい。昔からここに住んでいる人はもちろん、最近は若い移住者の方も増え、町が活気ついています。浦幌は高校がないから、町の子どもたちは中学を卒業すると町外へ出てしまいます。それでも、浦幌っていいよねって戻ってきてもらえるような町にしていきたいなと思っています。そして、大切なものをきちんと継承していきたいです」
そういう想いで木炭作りにも取り組んでいる背古さん。パワフルに活動するのは、宮司の夫の影響もあると言います。
バイクに特化した社が設けられている浦幌神社は、今やライダーたちの聖地と呼ばれ、全国からたくさんのライダーが訪れます。子宝や安産、婦人科系の病気平癒にご利益があるといわれる境内社の乳神神社には、各地から女性たちがやってきます。また、神社主催でアートイベントやコンサートなども開催。人が集まると町が活気つくと、精力的に活動しています。
「町の人の拠り所でもある神社を残していくため、どうやったら町が活気つくかを考え、勉強し、活動している夫の頑張りをそばで見てきました。その影響は大きいですね。私も自分ができることをやっていきたいと思っています」
取材中にもライダーの方が訪れていました
取材時、背古さんのところを訪ねてきた女性がいました。浦幌で100%オーガニックのクラフトビール造りに取り組んでいるRIKKAの菅野小織さんです。「同じ町内で頑張っている者同士、コラボをすることになったんです」と背古さん。ビールに使う大麦栽培を行っているRIKKAの畑に木炭の粉炭を用い、醸造過程でも木炭を使うそう。「大麦の草取りや収穫、脱穀などをイベントとして行い、脱穀のあとにはビールと木炭を使ったバーベキューでお祝いをしようと企画しています」と菅野さん。背古さんは、こうした異業種とのコラボ企画もどんどんやっていきたいと考えていると話します。
RIKKAの菅野小織さん(写真右)とイベントのチラシを持ってパシャリ!
「浦幌木炭の窯があるのは、道の駅の目と鼻の先。国道からすぐの場所にあります。今後はこの珍しい立地を生かし、観光と木炭を組み合わせた企画もしていきたいと考えています。炭焼き体験をしたあとに、新鮮な浦幌の野菜や魚、肉を木炭で食べてもらう体験ツアーなどを組んで、五感で浦幌を楽しんでもらいたいなと。そして、町に魅力を感じて移住してくれる方が増えたらもっといいですね」
精力的な背古さんの話を聞いていると、こちらも元気がもらえます。そして、何よりも町への大きな愛がひしひしと伝わってきました。
空手黒帯の背古さん。こんな無茶ぶりにも応えてくださる、とても気さくで素敵な方です!
- 株式会社浦幌木炭
- 住所
北海道十勝郡浦幌町北町16-7
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