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日本初の発酵ドリンクをつくる、人気料理人の挑戦と進化の物語20231102

日本初の発酵ドリンクをつくる、人気料理人の挑戦と進化の物語

数年前から見かけることが増えた洗練されたデザインラベルのボトル。ラベルにはさりげなく「HAKKO GINGER(ハッコウジンジャー)」と書かれています。「発酵好き」としては、もちろん手に取らないわけがないドリンクでして、見つけるたびに飲んでは、「なんだ?ジンジャーエールとも違うこのおいしさは...」と思っていました。

hakkoginger_20230926_4.jpg7つの有機素材に8個目の「Passion!」を加えてハッコウジンジャーが完成!

ニセコで製造しているのは知っていましたが、一体、誰が、どうしてこんなおしゃれな発酵飲料を作るに至ったのだろうか...と気になっていたところ、その会社が札幌にセントラルキッチンを置き、「食べるハッコウジンジャー」をテーマに発酵キーマカレーを作っているという情報が!早速、桑園にあるセントラルキッチンにおじゃましてきました。

300年以上の歴史がある発酵健康飲料・ジンジャービア

「うちで作っているハッコウジンジャーは、ジンジャーエールではなく、ジンジャービアと呼ばれるもの。日本初のオリジナルジンジャービアです」

ニコニコ笑顔でハキハキ話すのは、ハッコウジンジャーを製造販売している株式会社デリシャスフロム北海道の代表取締役を務める前田伸一さん。エネルギーの塊といった印象です。

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ジンジャービアとは、イギリスが発祥。生姜を使った健康飲料で、300年以上の歴史を誇ります。「ビア」と付きますが、実はノンアルコールの発酵飲料。その昔は各家庭で作られていたそうです。ジンジャーエールとの違いは、発酵。150年ほど前にジンジャービアに似せて作られたジンジャーエールは、生姜シロップと炭酸水でできており、発酵はしていません。

「ジンジャービアは、生姜、唐辛子、レモン、はちみつを酵母で発酵させたもので、ビタミンやミネラル、アミノ酸が豊富。カプサイシンやジンジャーオールという成分が、芯から体を温めてくれます」

前田さんは、オーストラリアでレストランを経営していたときにこのジンジャービアに出合い、そのおいしさに驚いたと言います。これをたくさんの人に味わってほしいと、ハッコウジンジャーの製造を始めるわけですが、実はそこに至るまでの話がスゴイ。面白い話があまりにもてんこ盛りで全部は書ききれませんが、前田さんの物語を少し紹介させていただきます。

hakkoginger_20230926_2.jpg飲んでいるとほんのり紅茶のような香りを感じる瞬間も

食べること、作ることが大好き。好奇心旺盛な学生時代

前田さんはもともと料理人(正確には今も料理に携わっています)。北海道旭川市のお隣・深川市出身で、7歳のときには料理の仕事に就きたいと思っていたそうです。両親が共働きだったこともあり、ホテルでシェフを務めていたこともある祖母とよく台所に立っていたのが料理の原点。

「家に畑もあったので、畑から野菜を取ってきて、小さい頃から祖母の料理の手伝いをしていました。食べるのが大好きで、いつも台所にいましたね。小学校に入って柔道を始めたんですが、学校が終わって柔道に行く前にお腹が空くわけですよ。それで、柔道の前に自分で料理を作って食べるように。はじめに作ったのはチャーハンで、友達にも振る舞ったら、めちゃくちゃ評判が良くて(笑)。それからずっと料理を作っていました」

hakkoginger_20230926_1.jpgキーマカレーに使用するたくさんの有機スパイスが厨房に並びます

この頃、料理のほかにも英語を極めたいと子ども心に思っていたそう。

「家族でハワイに行ったけど英語が通じなくて、家族にダサいと言われているお父さんのテレビドラマを見て、英語をちゃんと話せるようになろうと思ったんです。ああはなりたくないなって(笑)」

とはいえ、多感な10代は何かに感動するたびにその職業に就きたいと思っていたという前田さん。アートや絵を見て感動すれば画家や芸術家に憧れ、もともとの器用さを生かして造形物を作ったり、絵を描いたりもしていました。また、歌も得意で、15歳でバンドを組んでライブも開催。旭川で観客を300人近く集められるほどの人気バンドだったため、ミュージシャンになる夢も抱いていたそう。その一方で、理数系が得意だったので、プログラミングにも興味があり、旭川高専へ進学します。

24歳に海外で起業という夢に向け、銀座の寿司屋で修業

「高専を卒業して、とりあえず東京へ行ってみようと思って、20歳でプログラマーとして東京の会社に就職しました。でも、自分の中で、24歳に海外で起業する!という目標がずっとあったので、とりあえず4年間はいろいろなことを学ぼうと、仕事が終わったら寿司屋で仕込みの手伝いをさせてもらい、深夜には音楽活動をしていました。1年間、3足のわらじ状態で生活をしてみて、結局プログラマーと音楽を辞めて、寿司に専念することにしました」

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なぜ寿司を選んだのかという理由は、「海外に行ったら、絶対に『SUSHI』って言われると思ったので、寿司を学んでおこうと思ったから」だったそう。さらに、寿司屋で手伝いをする中で、職人のレベルの高さを目の当たりにし、これはきちんと修業しなければと思ったと言います。

海外に行ったら必ず飲食で起業しようとあらためて決意を固め、銀座にある寿司店に見習いで入ります。そこは、ドラマでしか見たことがなかったような厳しい料理人の世界だったそう。

「でも、楽しかったんですよ。一番下っ端を演じているような気分でいたので。そして、学ぶこともめちゃくちゃあったんです。先輩たちが厳しいのは、心を読む修業だと思って接していました。下っ端たちが賄いを作るんですが、それも率先してやらせてもらいました。毎日築地に行き、自腹で買い物をし、20人分の賄いを作ってましたね。でもこれもすごくいい経験でした」

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とにかく気が利く前田さんを先輩たちもかわいがるようになり、苦しくも楽しい日々を過ごします。しかし、24歳の誕生日に「あ、海外で起業するんだ!」と思い出し、翌日「辞めます」と店に伝えます。引き留められましたが、3年間でひと通りのことは学んだという実感もあり退職。

オーストラリアの高級リゾートエリアで人気のレストランを経営

オーストラリアへ渡る準備をし、2003年、ワーキングホリデーでゴールドコーストへ。包丁と砥石を持って渡豪したその日に、町の寿司屋を回って働く場所を決めます。語学学校に4週間通いながら、ゴールドコーストの寿司屋で2カ月勤務。その間に、スポンサー探しを行いました。

「その寿司屋に来ていた投資家たちに『自分の店を出したい』って話をしていました。その頃のオーストラリアは経済が上向きで、若い人を育てようという投資家マインドがあちこちで溢れていたんですよね」

hakkoginger_maedafb_2.jpgオーストラリアで日本の料理人として大活躍していた前田さん

投資家たちのうち、アメリカ人とオーストラリア人のカップルが、ヌーサという高級ビーチリゾートにある邸宅で40人ほど集めてパーティーを開くから、寿司を頼めないかと声をかけてきます。これはチャンスだと思った前田さんは、包丁とまな板、そしてサーフボードを持ってヌーサへ。どっさり用意された食材を使って40人分の仕込みを徹夜で行い、ビュッフェ形式で提供すると、集まったセレブたちからは大絶賛。翌日には、カップルの投資家がスポンサーとなり、ヌーサのビーチ沿いにある物件で「WASABI」というレストランをオープンさせることになります。

「WASABI」のオープニングパーティーには100名近い人が集まりました。すると、有名雑誌の編集長が挨拶に訪れ、「ぜひ取材させてほしい」と。巻頭特集で取り上げられたこともあり、オープン早々3カ月先まで予約でいっぱいという状況になります。さらにオープンから3年目には、オーストラリア国内のレストランアワードで、クイーンズランド州で1番に選ばれ、5年目には全豪で1番に選ばれるという快挙を成し遂げます。ずっと右肩上がりの状態が続く中、2011年、日本で東日本大震災が起こります。

hakkoginger_maedafb_3.jpg有名雑誌でも巻頭特集として掲載されました

「もう、日本に戻れないかもしれないとどこかで一瞬思いました。でも、一時帰国してみると、復興へのエネルギーがすごくて驚きました。僕も何か役に立てることはないだろうか、僕も何か日本でできないだろうかという気持ちに駆り立てられました」

当時、ニセコにはオーストラリア人が所有するコンドミニアムなどが多数あり、世界的な一大リゾート地へと変貌を遂げ始めていました。前田さんの顧客であるオーストラリア人がたくさん訪れていたこともあり、「生まれ故郷の北海道で、よく知るお客さまたちが大勢滞在するニセコなら、自分の力を役立てることができるかもしれないと思い、帰国を決めました」と振り返ります。

活躍の舞台はニセコへ。「ないなら作る」で生まれたジンジャービア

2014年、ひらふエリアのホテル「木ニセコ」の1階にレストラン「杏ダイニング」をオープン。その際、お酒と同等レベルのソフトドリンクを料理と一緒に提供したいと考えます。そこで思い出したのが、オーストラリアで出合った農家さんの自家製ジンジャービアでした。日本でジンジャービアを製造しているところを探しましたが、作るのに手間がかかるという理由で製造しているところはありませんでした。

hakkoginger_maedafb_5.jpg「杏ダイニング」時代

「それなら自分で作ろう」と思い立ち、前田さんはどうやればある程度の量を作ることができるかを考え、行動を起こします。北海道で作るなら、道産の食材で作りたいと思いましたが、当時、北海道で生姜を作っている農家はほとんどなく、作っているところも契約先以外には卸せないということでした。とにかく思い立ったらすぐに行動に移す前田さん、生姜の特産地である高知に連絡し、「生姜留学」をします。高知へ飛び、生姜栽培について学び、タネ生姜を購入し、自ら実験的に栽培を行ってみることに。2年ほど取り組み、北海道でもうまく栽培ができると分かると、周囲の農家さんたちに栽培法を伝授し、生産を依頼。ジンジャービア製造に向かって進めていきました。

「レモンだけ、どうしても北海道産が見つからなくて、広島の三角島(みかどじま)のレモンを使っていますが、実は千歳で実験的にレモン栽培も行っています。まだまだかかりそうですが、いつか道産レモンができたら、オール北海道でジンジャービアの完成です」

hakkoginger_maedafb_4.jpg栽培を試みた生姜はみごと大成功!

ちなみに、レモンの代わりになるものがないかと考え、いろいろなフルーツを用いたのがきっかけとなり、今はそれらがハッコウジンジャーのフレーバーとして商品化されています。

有機食材をムダにしたくない。発酵の力を使って加工プロジェクトを展開

レストランのオーナーシェフの傍ら、倶知安町に作ったハッコウジンジャーの製造所も稼働させ、とにかく多忙な日々。ハッコウジンジャーは、発酵健康飲料ということもあり、あちこちで話題になり、ファンも増えていきました。

そのような中、前田さんが引っかかっていたのが、ジンジャービア作りで出る生姜やレモンの搾りかす。これをなんとかできないかと思案するようになります。

「ジンジャービアで使うのは生姜もレモンも搾り汁。3トンの生姜とレモンを使って、汁は1トン、搾りガラが2トン。どれも有機素材なので、もったいないですよね。1グラムも捨てずに使う方法はないかなと、加工するプロジェクトを始めました」

発酵の力を用いていろいろな実験を行い、レモンからは発酵レモンシロップを作り、レモネードにして提供。さらにシロップにしたあとのものをパウダー状に加工し、焼き菓子やキーマカレーなどに用いて商品化。「どうせやるなら、それを入れたからおいしいと言われるものを作りたいと思って」と、料理人としての経験やアイデアをフルに生かしました。

最新調理機器を導入。3つのテーマを掲げた、実験的セントラルキッチン

今もいろいろな発酵の実験をセントラルキッチンで行っているという前田さん。このセントラルキッチンは今年1月に札幌桑園に完成しました。「せっかくだから、キッチンを見学してください」と前田さんに案内され、建物の中に入ると、一般的なセントラルキッチンに比べると随分シンプルに見えます。よくよく見ると、ガス台がありません。ドイツ製のコンベクションオーブンと、煮る、炒める、揚げるを1台でできる同じくドイツ製の調理機器で、全てができてしまうそう。

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「このキッチンのテーマは3つ。1つはアップサイクルを行う。うちで使っている食材は有機のものばかり。1グラムもムダにせず、責任を持って使い切りたいと考えています。2つめが、エネルギーコストを最大限抑えるシステム。3つめが、新しい働き方の実践です」

ここでは発酵キーマカレーを作っていますが、「僕が考えたレシピをプログラミングした調理機器にセットすれば、女の子1人で、1時間で60人分のキーマカレーが作れます。スピードも速いし、エネルギーコストも相当カットされます」と前田さん。味もまったく問題ないそうです。

また、子育て中のママたちの働き方について、今はいろいろ模索中なのだそう。能力のあるママたちがその力を存分に発揮できる場を作りたいし、子育てが終わったあとも一緒に楽しいビジネスをやっていきたいと考えていると話します。

hakkoginger_20230926_9.jpgキッチンから子供たちの様子が見えるようにとつくられたキッズスペース

「子育てで一時的に働き方がパートになったとしても、子育てが終わったあとにフルで頑張りたいという人にはそういう働き方が可能であることを示したい。また、基本給を払う分は基本の仕事をしてもらい、もしおもしろいことを一緒にやってみたいというスタッフには、個人事業主としてプロジェクトに参加する契約を結んでもらい、プロジェクト費用は別で払うという働き方もやってみたい。いろいろな働き方をここで実験的にやっていきたいと考えています」

子連れで仕事に来てもいいようにと、ガラス張りのキッチンの横にはキッズスペースも。学級閉鎖などがあった場合も、ここに連れてきていいとしているそうです。

ミネラルウォーターやグラッパ。新しい事業の構想も着々と進行中

昨年5月にニセコのレストランを売却し、前田さんは、倶知安のハッコウジンジャーの製造所と桑園のセントラルキッチンを往来する日々。さらに今年はキッチンカーで道内各地のイベントに出店し、発酵キーマカレーやレモネードを提供。今年の猛暑で、さすがに一度熱中症になってしまったと苦笑します。

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前田さんと話していると、時間があっという間に経ってしまいます。「まだまだ話せますよ」と笑いますが、これからニセコの新しい工場の打ち合わせがあるということでいつまでも引き留めておくわけにはいきません。ちなみに、近々ニセコにミネラルウォーターの工場がオープンするそう。「3年後には、ニセコにグラッパの醸造所も作る予定です」とニッコリ。驚かされることばかりですが、挑戦しようというその行動力やアイデアは幼少期から変わっていないようにも感じます。

「個人としてやれることは限られてくるし、これからは組織を作って、育てていくことにも力を入れたいですね。ここで実験的にやっている働き方も含め、次世代のチーム作りもしてみたいかな」

前田さんの周りでは、これからも何か楽しいことがたくさん起きそうです。次の物語は、またそのうちに...。

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株式会社デリシャスフロム北海道
HAKKO GINGER (ハッコウジンジャー)
代表取締役 前田 伸一さん
住所

HAKKO GINGER Lab.…北海道虻田郡倶知安町字岩尾別44-55
ハッコウキッチン桑園…北海道札幌市中央区北9条西18丁目35-89 第7藤栄ビル 1階

電話

080-6085-2019

URL

https://hakkoginger.theshop.jp/


日本初の発酵ドリンクをつくる、人気料理人の挑戦と進化の物語

この記事は2023年9月26日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。