競走馬として競馬界で活躍した馬や、乗馬クラブ、観光牧場などで活躍した馬たち。現役を引退したらどこへ行くのだろう?と考えたことはありますか。彼らが余生を穏やかに幸せに暮らせるようにと活動しているのが、「NPO法人ホーストラスト北海道」。現在47頭の馬が暮らすという牧場へおじゃましました。
子どもの頃の夢は馬に乗ること。馬好きが高じてニセコの観光牧場へ
積丹半島の西側の付け根部分に位置する岩内町。かつてニシン漁でとても栄えた町です。港のほうから約3キロ山側へ行ったところに「ホーストラスト北海道」の拠点となる牧場のひとつがあります。プレハブの建物の周りには厩舎があり、周囲の草地には馬の姿も見えます。
敷地内にある厩舎のひとつ
今回お話を伺うのは、ホーストラストの立ち上げスタッフでもある土舘麻未さん。福島県出身の土舘さんは、子どものころから動物が好きで、特に馬に乗ることが夢だったそう。そんな土舘さんが馬の世界に入ったのは24歳のとき。きっかけは乗馬教室でした。
「地元の競馬場で無料の乗馬教室をやっていたんです。それに1カ月ほど参加していたら、競馬場の方から競馬場の中でアルバイトをしないかと声をかけられて」
土日の競馬開催時、競馬場を訪れた子どもたちをポニーに乗せる引馬の係のアルバイト。馬に触れられるならと喜んで引き受けます。その後、競馬場の誘導馬の支度なども手伝うようになります。
20代から馬のお仕事ひとすじ、土舘麻未さん
「ちょうど30歳を過ぎたころかな、やっぱり馬が好きで、アルバイトではなく、仕事として馬と関わりたいと思い始めて、乗馬の雑誌などで求人を探すようになりました」
たまたま乗馬雑誌で観光農場のスタッフ募集の記事を見つけて連絡をしますが、すでに採用が決まってしまったと言われます。ところが、ほかで募集しているところがあるからと、逆に紹介してもらうことに。それが、「ホーストラスト北海道」の代表・酒井政明さんが運営するニセコの観光牧場でした。そして、ホテルの敷地内での引馬体験の担当としてニセコへやってきます。
大好きな馬たちが穏やかに余生を送れるようにと立ち上げた「ホーストラスト」
もともと地方競馬の厩務員をやっていたという酒井さんは、その頃、引退した馬を引き取ってニセコで預かっていました。競走馬や乗馬クラブ、観光牧場の馬の大半が、引退して行き場がないと殺処分されてしまうのは土舘さんも知っていました。実際、土舘さんはかわいがっていた馬が処分されると聞いて、個人で引き取りたいと手を挙げたこともありましたが、規則などがありそれが叶わず、辛い想いを経験していました。そんな現実を何とかしたい、年老いた馬たちにゆっくり余生を過ごしてほしい。酒井さんも土舘さんも同じ想いを持っていました。
「専門的に引き取れる場所を作れないかという話をいつも2人でしていました。当時、全国的に見てもそういう場所があまりなかったのですが、たまたまテレビのドキュメンタリー番組で鹿児島のホーストラストを取り上げていて、『これだ!』と思って、酒井に話をしたんです」
代表の酒井政明さん。先輩に頼まれた馬券を買いに行った競馬場で見た馬に魅せられ、馬の世界に
すると、鹿児島のホーストラストの代表である小西英司さんと酒井さんが昔からの知り合いだったことが判明。それを機に、鹿児島のように北海道でもやってみようと、酒井さんと土舘さんで「ホーストラスト北海道」を立ち上げます。2009年のことです。
酒井さんの実家は共和町で農業を営んでおり、そこの敷地を使ってスタート。現在もそこは分場として使用しています。鹿児島との交流も続けており、北と南で情報交換をしたり、互いに行き来しているそう。
体力的にもハードな仕事ですが、丁寧な観察で馬たちを日々サポート
さて、馬の寿命を皆さんは知っていますか? 土舘さんに伺うと、「だいたい25~30歳と言われています。25歳を超えると、一気に弱くなっていく馬が多いかもしれません。今、うちにいる馬の中で最高齢は33歳ですね」と教えてくれました。
年齢を4倍すると人間の年齢になるそうで、33歳の馬は人間でいうと132歳! ここには、引退したばかりの若めの馬もいますが、人年齢で100歳超えの馬たちもたくさんいます。
「人間と一緒で年齢を重ねると、免疫力も低下していきますし、内臓の働きも鈍くなります。歯も弱ってくるので、草をしっかりすりつぶせないこともあります。馬は腸が長いので、腸の詰まりが原因で死に至ることも...。少しでも早く異変に気付いて、対処することが大事なので気は抜けません」
元気に見える馬も、人間なら100歳に相当!
人間のように話せるわけではないので、馬からのサインを見逃さないようにしていると土舘さん。前足で土をかき続けていたり、転がってみたり、痛い部分をずっと見つめているなど、サインはいろいろ。「観察する力がとても大切になります」と話します。
現在スタッフは4人。牧場から一番近いところに住んでいる土舘さんが最初に出勤し、エサ作りを行い、厩舎の掃除を始めます。みんなが出勤すると、それぞれエサやりや検温を行います。ブラッシングをしながら、ケガや異変がないかのチェックもします。
ここは、基本的に昼夜放牧スタイル。馬が馬らしく自然な形で過ごせるように環境が整備されています。
「放牧しているところには、草地のほかに砂場や水場もありますし、林や木陰もあります。馬たちはそれぞれ気に入った場所で過ごしていますね」
中には病気やケガ、あるいはほかの馬とうまくなじめないといった理由で、厩舎で暮らしている馬たちもいます。
元気な馬ばかりではないため、いつ何があるか分かりません。もし調子の悪い馬がいれば、夜もカメラで様子を見て、急変すれば夜中でも駆けつけます。「馬の具合が悪くなって倒れたのを起こすとか、支えるとかもあるので、自分もケガをしないように注意しなければなりませんし、体力も必要です」と土舘さん。献身的な介護や看病を行っても、亡くなってしまうケースもあります。命と携わるため、精神的にも体力的にもハードな仕事です。
馬への愛が感じられる、ここへやってくる馬たちと人とのさまざまな物語
「ホーストラスト北海道」は、馬主からの預託料(月額45,000円)、あるいは活動に賛同してくれるスポンサーさんたちからのスポンサー料などで運営しています。スポンサー料は月額1口3,000円からで、競馬ファンや馬好きという方たちが里親のようになって、好きな馬たちのスポンサーになるそう。土舘さんたちは、馬の世話のほか、こうしたスポンサーさんや馬主の方たちへ毎月、写真や日々の様子、健康管理の記録も送っています。
スポンサーの方たちの中には、ある競走馬のファンだった方が、引退後どこにいるかを探してここまでたどり着き、スポンサーになってくれるケースもよくあるとか。「その馬のおかげで楽しい時間を過ごすことができたのでとか、夢を見させてもらったのでとかおっしゃって。本当にその馬のことがお好きだったんだなと思います」と土舘さん。
馬たちは、関わる人間の様々な想いや、背景があって、ここにやってきます
ほかにも、こんなケースがあったそう。5歳という若さの元競走馬は、引退後に乗馬クラブに引き取られましたが、人を蹴ってしまい、殺処分が決定。そのとき、乗馬クラブで教育を担当していた方たちが殺処分は心苦しいと、みんなでお金を集めてスポンサーとなり、ここへやってきました。それぞれの馬とそこに関わる人たちの物語に心が打たれます。
また、土舘さん自身も自分が気にかけていた馬を引き取った経験があります。福島の競馬場にいた頃に面倒を見ていた馬が、引退後に東京の大学の馬術部に引き取られます。ケガをしたと耳にし、殺処分となるならと自ら引き取ることに。ホーストラストができる前に、個人では引き取れないという辛い経験をした土舘さんにとって、「やっと」という想いもありました。
その馬は、土舘さんが福島で見ていた頃は手がつけられないような馬で、乗ることもできなかったそう。「でも、こちらへ来てお世話をしているうちに乗せてもらえました」とニッコリ。その馬は28歳まで生きたそうです。
1日でも長く、のんびり、穏やかに生きてほしい。それを支えるのが役目
馬もいろいろなタイプがいて、面倒見のいい馬、優しい馬もいれば、弱いものいじめをする馬や気の弱い馬もいるそう。1頭でいるのを好む馬やグループでいるのが好きな馬、カップルになる馬もいて、まるで人間社会のようです。そうしたことに気付けるのも、馬たちへの愛情と丁寧な観察があってこそ。スタッフの皆さんの馬たちへの愛情がよく分かります。
「毎日馬たちと接していると、優しい馬などは私のことを気遣ってくれたりもします。前に寝違えて首を痛めたときがあったんですが、馬がそれに気付いて、痛いほうの首や肩の辺りに優しく鼻息をかけてくれて...。言葉は交わせないですが、気持ちの部分でコミュニケーションが取れている、意志疎通ができていると感じることもよくあります」
新たな戦力も加わって、頼もしい限り
土舘さん、酒井さんのほかのスタッフは、20代の女の子が2人。それぞれ道外出身者ということですが、2人とも馬が好きでここへ来たそう。「すごく仕事はハード。男性でもキツイと感じることもあるのに、2人とも一生懸命頑張ってやってくれています」と土舘さん。来春には、新しい事務所棟も完成する予定で、スタッフの数も増やしていきたいと考えています。「馬を預かってほしいという依頼はたくさんあるので、受け入れるためには人手が必要。体力的にきつくても頑張れるくらい馬が好きという方にぜひ来てもらいたいですね」と話します。SNSやホームページでの発信ももっと積極的に行いたいと考えているそうですが、なかなかそこに時間を割けないため、「そういうのが得意な人も来てくれたらいいですね」とのこと。
スタッフの新郷ももなさん。小柄ながら、驚くほどの作業量です
新たに建てる事務所は、スポンサーさんや馬主さんたちが馬に会いに来た時に寝泊まりできるようにもする予定。今後、馬と触れ合う体験や研修会的なことも行い、たくさんの人にこういう場所があると知ってもらえたらと考えているそうです。
最後に仕事に対する想いを尋ねたところ、「馬たちには、1日でも長く、のんびり、穏やかに過ごしてもらいたいと思っています。その手助けをし、最期まできちんと看取ってあげるのが私たちの仕事」と土舘さん。寄ってきた馬のたてがみをやさしく撫でる姿から、いかに馬を愛しているか、この仕事に誇りを持っているかが伝わってきました。
- NPO法人ホーストラスト北海道
- 住所
北海道岩内郡岩内町字野束463番地の1
- 電話
0135-62-3686
- URL