札幌市中央区、国道230号線沿いの藻岩山がよく見えるあたりにある一軒のカフェ。名前は「TRAILHUT(トレイルハット)」といいます。タイル貼りのレトロな外観、店内は白を基調としたナチュラルな雰囲気。香り高いコーヒーと、店主こだわりのレモンケーキやキャロットケーキが味わえるお店です。
店名にある「TRAIL」は自然の中の未舗装の小道やアウトドア活動を行うためのルートのことで、「HUT」は山小屋や小さなお店の意味。お店はまさに自然の中にある山小屋のようなイメージです。
今回お話を伺ったのはTRAILHUTの店主、佐藤薫さんです。晴れやかな笑顔が印象的な薫さん。実は薫さんはカフェの店主という枠を大きく飛び越え、多くの人を巻き込みながら、アウトドアで遊ぶ楽しさを発信しています。自然の中で遊ぶ楽しさ、そして薫さんが今取り組んでいることについてお話を聞いてきました。
フィットネスクラブで働きながらマラソンに挑戦。そしてアドベンチャーレースに出会う
薫さんの出身は札幌市。高校を卒業した後は、札幌YMCA英語・コミュニケーション専門学校の生涯スポーツ学科に進み、地域の健康づくりについて学びます。そして札幌市内のフィットネスクラブに就職。スポーツ一色の道を歩まれてきましたが、実は高校時代は弓道部で「そんなにバリバリにスポーツしてた訳じゃないんですよ」とのこと。
「YMCAも本当はビジネス系の学科に入りたかったんです。でも先生からスポーツ系の方が向いてそうって言われて。当時はそんなにやりたいこともなかったので、流されるようにそっちに進んじゃいましたね」
フィットネスクラブで働き始めてからも、そこまでスポーツにははまらなかったそうですが、たまたま仕事の繋がりからマラソン大会に誘われます。ご本人曰く、苦手だけどとりあえずやり始めたとのこと。その後、薫さんは「アドベンチャーレース」に出会います。アドベンチャーレースとは、複数の競技を組み合わせた長距離レース。チーム戦で行われるのが一般的で、山野を走るトレイルランニング、マウンテンバイク、ボートで川を下るラフティングなど、異なるスキルを駆使しながら、地図を読みつつゴールを目指します。自然環境の中で夜間行動もある非常に厳しいレースで、ゴールまで数日かかるようなものもあります。
走ることが苦手だったのに、いきなりアドベンチャーレース!?と驚きましたが、しっかりとこの世界にはまってしまったとのこと。薫さん25歳の時のことでした。
アドベンチャーレースの面白さとは
過酷な環境の中で長距離・長時間活動するアドベンチャーレース。めちゃくちゃキツそう、としか想像できなかったんですが、思い切って「何が面白いんですか?」と聞いてみました。
「まずはチーム戦っていうところが面白いですよね。いつも仲良くしてたメンバーと出場するんですが、人って究極に疲れると、いつもは隠してるものが出てくるんですよ。そこが面白くって!」と、ケラケラ笑う薫さん。
極限状態の中で見えてくる、その人の素の部分。良い部分も悪い部分も全部見えてくる、そのやり取りが一番面白いと薫さんは語ります。また、競技内容が変わる部分にも面白さがあるそうです。
アドベンチャーレースに挑んでいた頃の写真。中央が薫さん。
「トレイルランニング・マウンテンバイク・ラフティング、それぞれ得意なことや不得意なことがあって、一人じゃ無理だけどチームで支え合って強みを持ち寄って挑むのが楽しいんです」
チームでメンバーを支えながらゴールを目指すアドベンチャーレース。
「自転車を後ろから押してもらったり、トレイルを走ってるときに紐をくくりつけて引っ張ったりしてもらったりしてましたね。でもそれが楽かと思いきやめちゃくちゃキツくて」と、当時を振り返るのが本当に楽しそう。薫さんはアドベンチャーレースに出会ったことで、自然の中で遊ぶことの楽しさを知ったそうです。
「箱(トレーニングジム)の中で体を動かすよりは、外に出たいっていう気持ちがどんどん強くなっていきましたね」
ずっと考えていたことを形にできたこと
アドベンチャーレースやトレイルランニングを楽しみながら、12年ほどフィットネスクラブで働いた後に、「ごはんやはるや」という飲食店で働き始めます。お料理を作る仕事はとても面白かったと、しみじみ当時を振り返る薫さん。しかしはるやで働いていたある年末のこと。飼っていた愛犬と山を散歩している際に、愛犬が走り出しつられて走ったところ転倒、骨折してしまいます。しばらくお店を休むことになりました。
その後しばらくして復帰しますが、勤務シフトの関係もあって、もう一つかけ持ちできる仕事を探します。そんな中、たまたまコーヒーを買いに来たのが、現在のTRAILHUTの前にこの場所にあったコーヒーショップでした。そこでスタッフを募集していることを知り早速応募。しばらくはるやとそちらのお店でかけ持ちで働くことになりました。そしてある日、そのお店のオーナーに「何かやりたいことはない?やりたいことやっていいよ」と声をかけられます。
そこで薫さんの頭に浮かんだのは、ずっと頭の中にあったランニング中の補給食でした。長距離レースに挑む上では、レース中のエネルギー補給は必要不可欠です。しかし、効率よくエネルギーを補給するゼリーなどの補給食は、甘くて飲みにくいものが多いのが現状。
「もっと飲みやすくてリフレッシュできるような補給食があれば」と考えていた薫さんは、補給食としてのコーヒーゼリーの開発に取り組みます。この頃、はるやを退職しコーヒーショップの仕事に専念。この時にできたのが「ENERGYJELLY<COFFEE>」です。
発売から7年経ち、今ではTRAILHUTの看板商品となり、全国各地のトレイルレースで愛用されているENERGYJELLY。エネルギー補給だけでなく、本格コーヒーの風味で疲れた体と頭をリフレッシュさせてくれてます。筆者もこの商品のファンで、山に行くときには持って行くことが多いのですが、こんな背景で誕生していたとは驚きです。
ENERGYJELLYを開発していた頃、薫さんは40歳を越えていました。なにかやりたいとは思っていながらも、それは難しいかなと半ば諦めていた頃で、それがたまたま叶ったと薫さんは語ります。
「自分のやりたいことをやらせてもらったことが、本当に良かったと思います。あのお店と出会ってなかったら、全然違う道に進んでたんじゃないかな。」
その後、働いていたこのお店を自分でやってみないかという話が舞い込みます。そして2019年、現在のTRAILHUTがオープンします。なかなかのドラマチックな展開。薫さんは当時を振り返ります。
「きっと運命通りだったんだろうなと思います。流されるままに来てる感じ。その中に自分の好きなものを連れてきてる感じですね」と、感慨深そうに語る表情がとても印象的でした。
TRAILHUTを外遊びの入り口に
TRAILHUTはすぐに評判となり、トレイルランニングやアウトドアに興味のある人や関わりのある人が、自然と集まるお店になりました。お店を引き継いだ当初は、ENERGYJELLYを作るのも、ケーキを作るのも、コーヒーを淹れるのも全部一人でやっていて、目の前のことやるだけだったそうですが、3年ほど経ったあたりから少しずつやりたいことができるようになってきたとのこと。
「最初から変わってない思いとしてあるのが、アウトドアとか登山とかトレイルランニングとかをやったことがない方が、気軽にそういった遊びに触れて欲しいなっていうこと。ここに来れば一緒に遊ぶ仲間ができたり、そういう世界に入っていく入り口にしていきたいですね」
薫さんはお店を運営しながら、初心者や、ゆるくランニングをしたい方向けのイベントなども企画しています。一人ではなかなか始められなくても、みんなでおしゃべりしながらゆるく走ってみたり、ゴミ拾いをしながら走ってみたり、なんなら歩いて帰ってくることもあったり。運動が得意じゃない方でも、外でゆるく楽しく活動する機会を作っています。
「やりたい!」が全部詰まった八剣山Easymiles
薫さんがやりたいと思っていたこと、そして形になったことがもう一つあります。
それが「八剣山Easymiles(イージーマイルズ)」というスポーツイベントです。薫さんがやりたいと思ったことがぎっしり詰まったイベント。2022年の8月に第1回目が開催されました。これもまた多くの方との繋がりの中で生まれたものでした。
たまたま数年前に、札幌市中央区から南区へ引っ越した薫さん。それまで運動するフィールドは藻岩山が中心でした。しかし、南区に住んでみてその土地の魅力、南区にある山の良さに気づきます。また南区での新たな人の繋がりも生まれます。
「お店の繋がりでなんとなく知っていた方もいたんですけど、みんな犬を飼ってて、それでみんなで犬の散歩に行くようになったんです。八剣山の近くでお店をやっている方とか、そこでいろんな話をするようになって。それで、ここで何かやってくれない?って言われたりして」
何をしようかとあれこれ考えているときに知り合ったのが、「八剣山果樹園」の櫻井学さんでした。櫻井さんも地元に人を呼び込もうと様々な企画を考えていた方。薫さんがやりたいと思ったことやアイデアを全て受け入れて、場所も快く提供してくれました。
昨年の八剣山Easymilesの様子ⓒ2022 MediaFilterMag
「学さんは私がやりたいって思ったことを全部受け入れるし、それ以上のアイデアも出してくれて、私がストップをかけちゃうくらい。ダメって言われたことが一つも無くって、それが本当にハッピーでした」と、薫さんの話に熱がこもります。
これまで多くのスポーツイベントやレースに関わってきた薫さん。理想のイベントを作ることの難しさを何度も感じてきました。しかし、自分のやりたいことを全部詰め込んだ八剣山Easymilesは「こんなに楽しいんだ!」と、驚くほどの感動があったそうです。
関わる人みんなが楽しめるイベントを
八剣山Easymilesのテーマは自然を楽しむこと。初心者や子どもでも楽しめる3㎞ほどの短いランニングと、上級者でも楽しめるロゲイニングが主なアクティビティです。ロゲイニングとは、地図を見ながら指定されたポイントを周り、制限時間内にいかに多くの得点を取れるかを競う長距離のレース。文字通り初心者から上級者まで楽しめる内容です。
「このイベントをアウトドアの入り口にしたかったんです。自然の中で活動することの楽しさを伝えたくって。3㎞くらいだったら無理なく楽しめると思ったんです。もちろん経験ある人やガチでやってる人も楽しめるようにちょっとキツい種目も用意して。子どもたちも楽しめるし、上級者も満足できるような、そんなイベントにしたかったんです」
また、薫さんは走る以外にもいろんな競技があることを知ってもらいたいという思いから、自転車でロゲイニングを行うサイクルロゲイニングも用意しました。これは札幌市内ではまだあまり見かけない競技です。愛犬と一緒に走れたら楽しいからと、トレイルラン愛犬ペアの部門も用意。応援する人や出場している人を待っている人も楽しめるように、地元のお店が集まるマーケットも開催。会場にはキャンプ場もあって、イベント後にそのままキャンプできたり、夜にはトークショーもあったりと本当に何でもあり。
実際昨年の開催では、親子で手を繋いで走ったり、0歳児をおぶった親御さんが走ったり、運営する人や出店する人も走ったり、予想以上に盛り上がったイベントになったとのこと。
「参加したみんながこんなにも笑顔でいてくれたっていうことが本当にありがたくってハッピーで、本当にやってよかったって思いました。参加者も予想以上で、大人が104名、子どもが36名、犬も12匹集まったんです!応援する人とかふらっと遊びに来てくれた人も合わせるともうどれくらい来てくれたのか分からないくらい」と、薫さんの笑顔がはじけます。
薫さんの中には「壁を作らない」という思いがあります。大人も子どももおじいちゃんもおばあちゃんも赤ちゃんも、初心者も上級者も、走る人も自転車に乗る人も犬だって、みんな楽しんで欲しい。そんな思いが伝わります。
今年の8月には第2回目が開催予定で、今年はもっと多くの方に来ていただけるようにと準備を進めています。今年はどんな内容になるんでしょう。きっと昨年よりももっとグレードアップした、さらに何でもありのワイワイ楽しいイベントになっていくんだろうと思います。
外で遊ぶ楽しさを知って欲しい
薫さんは「札幌には遊べるフィールドがまだまだいっぱいあります。わざわざ遠くに行かなくても、すぐ近くにとっても素敵な自然の遊び場があるんです。せっかくいい場所があるんだから、ゆるく楽しく地元を遊んでほしいですね」と語ります。
「TRAILHUTや八剣山Easymilesが、アウトドアを楽しむ入り口になってくれれば嬉しいですね。外で遊ぶ楽しさを知って欲しい。そして地元を好きになってもらえればいいなと思います」
TRAILHUTというお店に至るまで、そしてTRAILHUTというお店を介して、多くの人との出会いがあり、働くフィールドも楽しむフィールドも変わっていく様子はまさにアドベンチャーレースのよう。今も精力的に動き続ける薫さんは、まるでそのレースを楽しんでいるように見えました。
- TRAILHUT 佐藤薫さん
- 住所
札幌市中央区南18条西11丁目2-2
- 電話
011-521-0177
- URL
- 八剣山EasymilesのHPは