北海道中頓別町。みなさまこの地名...読めますか?「なかとんべつ」と読みます。場所は、道北エリア。北海道の一番てっぺんの稚内から南へ、車で2時間かからないくらいの場所にある、正直...とっても行きづらい場所です(笑)。
そんな場所に、今回の記事の主人公でもある生まれも育ちも札幌市の鎌田桂介さんはやって来ました。
人生の大きな決断
中頓別町に来るまでは、札幌で金融系のお仕事を経て、コールセンターのお仕事をしていたという鎌田さん。接客経験があるからでしょうか、人当たりがよくお話上手な印象です。
笑顔がとっても素敵な鎌田さん。
このままコールセンターで働き続けようかどうしようか...と、鎌田さんの頭の中にぼんやりと「転職」という文字が浮かび上がった頃、自然と転職サイトを通じて次の職探しをはじめました。
数ある転職情報の中から、鎌田さんの目に留まったのは中頓別町の地域おこし協力隊の募集。
業務内容としては、中頓別町にある「食彩工房もうもう」という食品加工体験ができる施設での、なかとん牛乳の製造業務、食品加工体験の補助員の募集
「地域おこし協力隊」と聞くと、まちのPRをするべくイベントを企画したり、SNSを運用したり...なんてことを想像される方もいるかもしれませんが、今回の募集はこうした食品加工の場で、中頓別の名産品をつくる側のお仕事内容でした。
ここが町民たちからも親しまれている食彩工房もうもう
鎌田さんにとって、これまでとは全くの異業種ですが、このお仕事のどんなところに惹かれたのか聞いてみると第一声「食べることが好きなんです」とニコリと笑う鎌田さん。
「食べることが好きということもあって、仕事内容に興味を持ったんです。あと、これまでずっと実家暮らしをしていたのでそこから脱却もしたいという思いもありました」
中頓別町は札幌からも、ぐんと離れた距離にあります。簡単には実家に帰れないエリアです。
逆にそれは、鎌田さんにとっては好都合。実家に甘えないぞ、という強い意思表示の表れでもあったのでしょう。自分のことを「優柔不断」だと話す鎌田さんですが、それを感じさせない大きな人生の決断でした。
親御さんからの「自分で決めたことならいいよ」という背中押しもあり、鎌田さんの新生活がこのまちでスタートしましたのは2019年9月のことでした。
それまで、中頓別町にはこれまで一度も足を踏み入れたことがありません。協力隊の面接も札幌で実施してくれたこともあり、鎌田さんが初めてこのまちを訪れたのは、協力隊の応募の面接が終わってからでした。
働きやすい、過ごしやすい日々に癒やされて
こうして地域おこし協力隊として、そして「食彩工房もうもう」の一員としてのお仕事がスタートしました。
食彩工房もうもうは、農産加工室以外に、乳加工室、畜産加工室を備え、牛乳や精肉の製造や加工までできる施設です。中でも、このまちの名産でもある「なかとん牛乳」は鎌田さんイチオシ。
こちらの牛乳は道の駅での販売はもちろん、町内の学校給食でも提供されているのだとか。作り手である鎌田さん、この牛乳の美味しさについて熱く語ります。
「市販の牛乳とは味の濃さが全然違うんです!12〜3月の冬は脂肪分があって深みがあって美味しい。夏は逆にあっさりとした味わいです」
その牛乳を、中頓別町のこどもたちは小さい頃から味わえているのですね...!なんと、贅沢な。
こちらが噂のなかとん牛乳!
「ここの職場では、与えられたミッションに対してどうクリアしていくか相談したり、トラブルがあった時もすぐ連絡すれば大丈夫だよと言ってくれる環境なんです」と話す通り、鎌田さんにとってはとても働きやすかったご様子。
職場は4名と少数精鋭。だからこその、風通しの良さもあったのかもしれませんね。
そして、皆さんご存知でしょうか?地域おこし協力隊の任期は3年だということを...。
その3年MAXで働いた鎌田さんは、協力隊卒業もこのまちに残ることに決めました。その理由を聞いてみると...
「当初は3年と決まっている以上は3年間辞めずに絶対頑張るぞ!!という気持ちでやってきました。そして、その3年間の中で、このまちの心地よさも感じていました。町内の人たちとの話しやすさなどから、居心地の良さを感じています」
まちの仲間たちと楽しそうなショット。
忙しなく過ぎる札幌での日々に比べ、お世辞にも都会とは言えないこの道北の田舎まちのゆったりとした時の流れ、そして田舎まちだからこその人々との関わりが、鎌田さんにとっては心地良かったのかもしれません。街灯も少なく、夜になると星や月がキレイに見えると語ります。
観光スポットのひとつとしても有名な鍾乳洞では、森林浴もできるのだとか。
札幌にいたら知ることのなかった世界が、このまちにはたくさんありました。
「不便なことと言えば、買い物くらいですね(笑)」と笑います。
町内に個人商店は何軒かあれど、手に入らない食品調味料などは、隣町の浜頓別町まで車を走らせます。初めての一人暮らし、自炊を頑張っているという鎌田さん。料理が好きになった、と話します。
時には片道1時間以上かけて、名寄市まで足を運ぶことも。
「名寄市ではユニクロとかもあるので、そこで服を買ったり靴を買ったりしています」
そんな田舎での生活も、鎌田さんには合っていたご様子。そんなに田舎だと、住むところはあったの?なんて、ちょっと親心のような気持ちで質問してみましたが、町内に物件は色々あるとのこと。こちらに越してくる時も、役場の方と一緒にまわってお家を決めたのだとか。
協力隊卒業時の決断
2022年9月に任期を終えた鎌田さん。
卒業前には3つの選択肢がありました。このまちを離れるか?食品工房もうもうの職員として残るか?組合に入るか?
鎌田さんは「組合に入る」という道を選択しました。この組合ですが正式名称は「特定地域づくり事業協同組合」といいます。
無期雇用の組足職員を、複数の事業社それぞれの繁忙期に人材派遣する制度を町として運用。鎌田さんはこの組合職員として、さまざまな人手不足で困っている場所へ赴き、そこでの仕事に従事するマルチワーカーになるという選択をしました。
なぜこの道に?と問うと理由はただひとつ。
「このまちは、人手不足が顕著に出ています。その町内の人手不足に貢献したかったからです」
その姿はまさに、中頓別町のヒーローのようです。
町内にあるヤマフクコーヒーというカフェでの接客を始め、福祉施設に行ったり、建設業に行ったり、お話を聞いているとまさに「マルチワーカー」。現在も食品工房もうもうでのお仕事も引き続きやっているそう。
もちろん、専門知識がないとできないことも多々あります。そんな時は、道具のお片付けなど、自分ができることを真摯に取り組んでいるそうです。
ヤマフクコーヒーでピザをつくる鎌田さん。
「いろんなところを経験して人手不足から出る問題を解消していきたい」と鎌田さんは話します。
鎌田さんがこのまちに残ろうと決めた理由のひとつとして、まちの人たちの存在がありました。よそ者扱いせずに、ウェルカムな雰囲気で迎え入れてくれたり、飲食店で出会うと「どこから来たの〜?」と話しかけてくれたり、そんな気さくな人たちが多いのだとか。
そんな心地良さがあるこのまちには、鎌田さんのように協力隊として外から入ってきている人も増えてきています。この地に定住し、新たなに自分のビジネスを始める人も多いのだとか。
「誰もが住みやすい環境になってきている、もっともっと、誰かが何か新しいことに挑戦する人がたくさん来てくれる環境になっていって欲しいですね」と鎌田さんは語ります。
ヤマフクコーヒーで働いている時の一枚
- 鎌田桂介さん