一目ぼれした「絵になる景色」と、牛たちと
ここは道北の中川町。車を走らせていると、広い空と牧草地が流れていきます。中心部から15分ほど行くと、廃駅のホームが静かに佇んでいました。その近くから分岐した、どこまでも続くかに見えた道が90度カーブした先に、放牧酪農をする「川和牧場」がありました。スケールの大きな風景に目が慣れていたからか、人の営みを感じると心が落ち着きます。辺り一面は牧草地で、程よく木々も立っています。「これは絵になりますね...!」。映画に出てきそうな牧歌的な風景に、取材チームはため息を漏らしました。
2020年11月に新規就農した川和秀仁さんは、この物件を初めて紹介されたとき、周囲の美しい景色に一目ぼれしました。離農者が手放し、住宅と牧場がセットになった物件の候補はほかにもありましたが、ロケーションが大きな決め手になったそうです。
住宅に加えて牛舎や納屋など複数の建物を引き継ぎ、放牧地の総面積は20ヘクタールに及びます。親牛は40頭、子牛は13頭。道路を挟んだ牧草地も借り受けて管理していて、牛たちが道を横切ることもあります。川和さんは「たまに車も通りますよ」と笑います。
自宅の隣にある、なだらかに傾斜した放牧地に案内してもらいました。わたあめのような雲が浮かび、淡いオレンジ色のおひさまの光が注ぎます。ポスターのような家族写真を撮っていると、牛たちがそばに並んでくれました。
川和さんの次女の小学1年生、つばきさんが牛を指さして言います。
「うち一番に嫌いなのはね、ハナコ。だってね、ハナコね、うちのこと逃げる」。元気いっぱいのつばきさんを前に「ハナコ」も圧倒されているのかもしれません。家族みんなで牛に愛情をもって接しているのが、その距離感から伝わってきました。
牛乳配達で頭に浮かんだ、酪農家という仕事
東京生まれの川和さんの実家は牛乳配達屋さんです。中学生の頃は親と一緒にトラックに乗り、スーパーに卸すのを手伝っていました。高校生になると離農する酪農家が多いと知り、「酪農家がいなくなるとうちの商売もできない。自分が酪農をやってもいいんじゃないかな...」と漠然と考えるようになりました。
中高生時代は部活に打ち込んでいて、将来のことをはっきり意識していませんでした。それでも「やりたいことを見つけなきゃ」と過去を振り返ってみると、小学生の頃にシミュレーションゲーム「牧場物語」に夢中になり、「牧場主になりたい!」と思っていた記憶がよみがえってきました。
朝早いのは苦手なタイプでしたが「牧場やれるかな...。やってみたいな」という気持ちがムクムクと芽生えました。指定校推薦で網走の東京農大に進み、卒業後は十勝・上士幌町の牧場で従業員として働きました。放牧ではない、300頭ほどを育てる牧場で経験を積み、29歳ごろになると「独立」という道が頭に浮かんでくるようになりました。
このとき一度は本州での就農も検討しましたが、のびのびとストレス少なく育てる放牧の魅力は捨てられませんでした。「自分なら、やっぱり放牧の牛乳が飲みたい。牛乳パックのパッケージにあるような放牧といえば、北海道の酪農だ」。本州への大移動は家族の負担が大きいこともあり、上士幌に残ることにしました。
その後、たまたま従業員を募集していた別の牧場に転職しました。ここは、放牧や手広い加工事業で知られていました。社長に直談判して加工品の販売も経験しましたが、その難しさを目の当たりにしました。物産展や店舗を飛び回って売ることに憧れていましたが、「牧場をやるだけで大変。自分は牧場にいるタイプの人間だな」と痛感しました。オホーツク地方の別の酪農家からは、「加工品を売りたければまず牧場をしっかり回して、子どもが継いでくれたら、その代でやるぐらいがいいよ」というアドバイスも。
安心できるおいしい牛乳をつくるというのは、息の長い仕事。はじめから余計な欲は出さず、じっくり牛に向き合おうと誓いました。
「中川がいい」。幸せな先輩の言葉を信じて
そんな川和さんを中川町につないだのは、放牧酪農家たちのネットワークでした。
根釧地方を拠点に「マイペース酪農」を提唱し、放牧のモデル的存在として知られる酪農家の勉強会に、ある時顔を出しました。するとその場で、「中川町がいいぞ」とプッシュされ、離農者が手放した空き物件の情報も舞い込みました。
興味をもって調べた川和さん。十勝と違って、畑作の需要が小さい中川町は土地が安く、まとまった面積が手に入りやすいと分かりました。「この人が『いいぞ』って言うんだったら、いいんだろうな。まずは見に行ってみよう」と思い立ちました。
道北にも「もっと北の国から楽農交流会」という放牧酪農のコミュニティーがあり、各地の牧場を訪問しては飼育方法や草地の管理などを学んでいます。2022年9月は中川町で会合が開かれ、新規就農者や酪農を志す若者が参加しました。2008年に中川町で新規就農し、川和さんにとっては兄貴分の、丸藤英介さんも牧場見学を受け入れ、参加者と語り合いました。
同世代を含め、常に切磋琢磨している先輩酪農家の話を聞くうちに、川和さんは「テレビで取り上げられるような目立つ商品を作っていなくたって、時間にゆとりがあって幸せな酪農家はたくさんいるんだな」と気づくことができました。
そしてその「幸せな酪農家」の1人、丸藤さんとの出会いに背中を押されました。
地域一丸。新規就農者をサポートする土壌
中川町に初めて足を運んだ川和さんは、丸藤さんや町役場の職員らに案内されました。丸藤さんは放牧の技術を伝えるだけにとどまらず、空き物件の情報も集めるなどして新規就農者を呼び込んでいる立役者です。マッチングやスムーズな参入へ、丁寧に下地を整えてくれている空気を川和さんは感じていたといいます。
その日紹介された1つ目の物件が、いま川和さんが住む家であり、仕事場としている放牧地や牛舎です。すぐに気に入り、ここを拠点にする前提で研修することになりました。どこで就農するか分からずに研修を始めるよりも安心でき、研修にも身が入るというもの。十勝とは気候も風土も違いますが、川和さんはあまり不安を感じることなく、夢だった放牧酪農の一歩を踏み出せました。
「信じられる人の言葉を信じて行ったほうが、家族を巻き込むような失敗をしないですむ」。多くの先輩酪農家に会い、生の声を拾い続けた先にある決断でした。
研修は町内の牧場で2年間あります。川和さんは転入した当初は町営住宅に暮らし、農協の組合長をしている酪農家のもとに通いました。そこでは労働力として仕事をするわけではなく、独立に向けて細やかな指導やフォローを受けることができ、近くで寄り添ってくれるような感覚があったといいます。
川和さんによると、新規就農をするとなると300万円ほど必要になりますが、ご自身の場合は、実質的に自己資金ゼロでスタートできたといいます。国や町から助成や研修費の支給があったため、生活に困ることはありませんでした。
近くの農家さんも「とても優しいんです」と川和さん。農地をめぐってつばぜり合いをするなんてことはなく、ゆとりがあるからか、フレンドリーな人が多いといいます。町内の酪農家の間では、「ホルスタイン改良協議会」や丸藤さん主導の「soil」といった、情報交換や研鑽をするグループが複数あり、町や農協からも有形無形のサポートを受けています。
子どもはのびのび、仕事は自分のペースで
従業員として上士幌で働いていた時は仕事に追われているような感覚がありましたが、中川町に移り、自身で経営すると、ゆとりがでてきました。
もちろん生き物を世話する以上、朝夕の搾乳やエサやりなど欠かせないものはあります。ただ畑の管理や機械の整備といった日中の仕事は、雨が降ったら減らしたり、子どもの行事や通院を優先させたりできます。「何をやるかと、そのペースは自分で決められます。わざわざ上司に言わなくてもいいので、気が楽ですね」と川和さんは笑います。
中川町では放牧酪農のヘルパーも活躍していて、川和さんは年に2回ほど仕事を依頼し、家族旅行に出かけます。例えば旭川のスタジオで家族写真を撮ったり、買い物したり。遠出をするというよりは、近くで疲れをゆっくり癒す貴重な時間です。
奥さまの久美子さんも東京生まれで、秀仁さんとは小学2年生まで同じ学校に通っていた幼なじみです。成人式で意気投合し、当時から「将来は牧場をやりたい!」と聞いていたそうです。久美子さん自身は子どもの頃に北海道旅行をした経験から「北海道はいいな!」と思っていたそうです。
上士幌にいた時からストレスなく北海道での暮らしを楽しんでいましたが、中川町で3人のお子さんはのびのび育っています。「周りに本当に家がないので...。余裕がありますね」
長女で小学4年生の優月(ゆづき)さんとつばきさんは自宅まで迎えに来るスクールバスで登校し、夕方は学童保育が終わってからバスで帰宅します。「便利でありがたいです」と秀仁さん。三女の雨莉(あめり)ちゃんはまだ1歳で、目が離せないお年頃。保育所に通うことになると朝夕の送迎で慌ただしくなりそうですが、にぎやかで幸せいっぱいです。
買い物は週に1~2回は中川町の中心部で、週に1度は稚内や名寄ですませます。病院は1時間以上かかる名寄市まで出向くため、都市部と同じようにはいきません。それでも秀仁さんは、「自分の家族のことですから、そこは苦ではないですね」と言います。
大規模化は目指さない。自分らしい牛づくり
念願の独立を果たして2年。川和さんは牧場の経営者として、将来のことに思いを巡らせています。家畜にとって快適で優しい環境で育てる「アニマルウェルフェア」の普及にも取り組んできましたが、ゆとりを持って、丁寧に牛に向き合いたいという考えがベースにあります。必要以上に規模を大きくするつもりはありません。
その上で、家族同然の牛たちとの今後をどうするのか。「淘汰」という決断に迫られる時が来るかもしれません。今いる親牛は40頭で、幸いどの牛も健康に大きな心配はありませんが、生まれた年は同じです。成長するにつれ、高齢化も一気に進むことになります。事業のことを考えると、長期間飼育することで収益性が高まるわけですが、世代間のバランスをどう取るかが悩みの種といいます。
もう1つは、酪農経営を取り巻く環境が厳しくなる一方で、どう「安心」を担保するかという課題です。生乳の需給見通しは楽観できないにもかかわらず、資材や燃料代は上がるばかり。牛のエサは複数種類を混ぜた配合飼料を使っていますが、海外産の割合を徐々に減らし、国産化を進めることを考えています。海外産は「遺伝子組み換え」でない高価なものを使っていますが、円安下では割高になってしまいます。
そんな中で心強い存在は、中川町内で生産されている飼料用トウモロコシ「デントコーン」です。割安な価格で買えて、もちろん為替には左右されません。
川和さんの実感では、このデントコーンを食べている牛の健康状態は良く、自分で作らないことで畑仕事が少なくてすみ、専用機械を所有する必要もありません。道産のてん菜の搾りかす「ビートパルプ」も入手できるので、デントコーンや放牧草を組み合わせ、安心できる理想的なエサづくりを進めています。
ベテラン酪農家の「中川町がいいぞ」の言葉を信じ、中川町に移住して夢をかなえた川和さん。大きな負担や不安を抱えずに、自分の信じる「牛づくり」に打ち込めています。「絵になる風景」の中で、家族や牛に囲まれるその姿からは、ゆとりのある幸せが感じられました。
- 川和牧場 川和秀仁さん
- 住所
北海道中川郡中川町