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占冠村

狩振岳の麓で、半・自給自足で生きる家族。20220920

狩振岳の麓で、半・自給自足で生きる家族。

山頂から伸びる尾根が左右両側に緩やかな弧を描いています。その姿は天空へと巨大な翼を広げる鳥の姿のよう。痩身の農場主は美しい山容を眺めながらこうつぶやきました。
「あの狩振の山に守られているんです、この農場も、うちの家族も」
舞台は、占冠村狩振岳の裾野に広がるカリフリ農場。半・自給自足で働き、暮らす四人の家族のお話です。

畑と森と家畜小屋と、四人の働き手。

自給自足と聞くと、俗世間と乖離したストイックな生活を想像してしまいます。けれど出迎えてくれた家族の表情は一様に明るく、何にもしばられていない奔放さに満ちていました。
占冠村上トマム、カリフリ農場。その働き手は、一家の長である江頭謙一郎さん、奥様の恵美さんと二人の子どもです。
まずは農場の紹介から。広さは35ha。そのほとんどは山林と放牧地で、畑は2haほど。そこで少量多品目の野菜を無農薬無化学肥料で栽培するほか、自宅を囲む小屋のいくつかで鶏や山羊、豚、さらに羊やウサギを飼っています。また近年、山から切り出した丸太や薪を運び出すために馬も飼い始めました。家畜の飼育は放牧が中心で、鶏や豚やウサギには、畑から出たクズ野菜なども与えているそう。

karihuri9.jpg写真真ん中が江頭謙一郎さん。奥様の恵美さんが右から二番目。そして一番右が娘のひかるさん。一番左が息子の一馬さん。左から二番目の後ろ姿の子は、いつも遊びに来る近所の子。

ここで営まれる半自給自足とは? 家族の奔放さの理由とは? 疑問が矢継ぎ早に浮かびますが、その前に江頭一家がこの生活に至った経緯を紐解いていきましょう。

農業に適していない荒れ地からの幕開け。

新規就農を夢見て、謙一郎さんが埼玉から北海道へと渡ったのは、今から26年ほど前のこと。資金は限りなくゼロに近く、ツテも知り合いもわずか......。という厳しい条件下での土地探しは難を極めましたが、数カ月すると知人を介して「占冠村の上トマムに1ヘクタールほどの借地がある」という情報が届きました。価格も格安だと。期待で胸をパンパンに膨らませ現地に足を運んだ謙一郎さんでしたが、雑木林の向こうに広がった空間は、農地とは名ばかりの荒地。硬く水がはけない土壌に加え、日照時間が短く積雪期間が長いという、これでもかと言わんばかりの悪条件を備えていました。
「いうなれば、最高に農業に適していない土地。地域の人も村役場の人もあそこじゃ無理って口を揃えました。だからこそ燃えたんです」

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労働力は二本の腕と足腰だけ。まずは暗渠を掘り畑を整え、古材を集め掘っ立て小屋を建てました。水道こそ引くことができましたが、電気も電話線もこの山奥にまでは辿り着きません。ただ移住を決意した時から、不自由や不便は覚悟の上。
「狭い室内はランプを灯せば隅々まで見渡せましたし、急用があれば郵便局で電報を打てばいい。なんてこと、ありませんでした」

春には痩せた土地を起こし、野菜の苗や種を植えました。当面の生活費を稼ぐために合間を縫って郵便配達や牧場のバイトにも精を出しました。一人また一人、増えていく知り合い。上トマムの暮らしに体も心も馴染んでいきました。
「秋には初めての収穫。自分の食べる分は蓄え、残りはトマムの市街地で売りました。金額よりも、生産者となれたことがうれしかったんです」
手元に残った幾ばくかのお金。謙一郎さんは、それで来春のための種と苗を揃えたと回顧します。

「つくる」「たべる」「いきる」が、身の丈で回る日常。

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入植の翌年、謙一郎さんは南富良野の祭りで、後に伴侶となる一人の女性と出会います。カヌーやキャンプが好き、農業にも関心があり、謙一郎さんの就農物語にも熱心に耳を傾けてくれました。瞬く間に二人は意気投合します。

意を決した謙一郎さんの渾身の決め台詞『人は壁と屋根があれば生きていける』が、彼女のハートを射抜いた...かどうかは不明ですが、ほどなく二人は結婚。上トマムの畑のほとりに建つ(電気も電話もない)小屋が、謙一郎さんと恵美さんの愛しのスイートホームとなりました。

平成8年。働き手が二人になり一気に活気づいた農場でしたが、それでもトマムの自然や風土は相変わらず手強いまま。当時から恵美さんが綴り続けている「カリフリ農場だより」には、こんな一節があります。

〈6月に霜が降りヘンテコな夏が来てすぐに去ってしまいました。(中略)小鳥に占拠された蕎麦、いつまでたっても青いままのトマト(中略)でもこういうときだからこそ元気でありたいと思うのです〉

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荒天に振り回されたり、厳しい自然に弄ばれても決してへこたれない夫婦。それどころか二人は今の生活をさらに楽しもうと考えます。まずは廃材を集めて小屋を建て、そこで山羊やウサギや鶏を飼育。山羊の乳を搾り、鶏の卵を集めそれを食卓に並べました。その側には厳しい気候風土を乗り越えた野菜や根菜たち。土と太陽が織りなす深い味。それまで食べたどれよりもおいしかったと2人は語ります。

食べるために種を蒔き、生きるために収穫する。残渣や家畜の糞は堆肥にして畑に還元する。「つくる」「たべる」「いきる」が身の丈で回っていく日常、気づけばそれが二人が実践する自給自足でした。

「でもね、そこに主義主張があったわけじゃないんです。都会が嫌いなわけでも他人と接するのが億劫なわけでもない。一生懸命働いて、お腹いっぱい食べて、泥のように眠る。この何にもしばられない自由さ、広い大地に自分たち二人だけがいるという開放感が心底楽しいと思ったんです」恵美さんが言い、謙一郎さんが継ぐ。
「だけどお米も調味料も服もいるし、電報を打つのにも、車に乗るのにも代金がかかる。やっぱりお金も稼がなきゃ(笑)。このあたりのゆるさが自給自足未満。つまり半自給自足なんです」

収穫した野菜は、地元トマムの住宅地で引き売り販売しお金に。謙一郎さんは相変わらず合間のバイトや出稼ぎにも精を出しました。

依存するのは自然だけ、という考えを貫いて。

翌年には息子が生まれ、その二年後には娘も授かります。
「その頃には念願の電気や電話線も通りました。ファックスが届いてからは、口コミで広まったお客様から、野菜のオーダーも舞い込むようになりました」

新鮮でおいしく安全で安い、それがカリフリ農場の野菜の評判。しかし客先が増えても二人はむやみに作付けや家畜の飼育数を増やしたりしませんでした。『身の丈での生産』から『自分たちの食いぶち』を引き、残った分だけを『売る』。この不文律をかたくなに守り続けたのです。その理由を謙一郎さんはこう言います。

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「生産量が身の丈を超えると働くのが義務になるし、売ることを目的にすると金やお客さんに依存する暮らしになります。それがルーチンになると、農場内の循環のバランスが崩れ、少量多品目栽培や自然に委ねた飼育が難しくなる。それじゃ本末転倒です。自分たちにとって一番大切なことは、大自然以外への依存度を極力減らすことなのです」

この不文律は、農が軌道に乗った二十数年前から今日まで脈々と続いています。
「野菜の販売や冬の出稼ぎで得たお金で畑を広げたけれど、それは農場内の自然サイクルを安定させるためです」
年を追う毎に自給自足にも拍車が掛かる一方。現在では薪などの燃料まで自分たちで調達し、大自然と調和した持続可能な農業を確立させています。
「最低限のお金は得るけれど、稼ぐことに執着はしない。それが半自給自足を続けるための決めごとです」
他に依存しなければ自ずと家族の結束が強くなる。収入にこだわらなければ見栄も生まれないし、その分生きるのも楽になる。これが冒頭に感じた、江頭家の奔放さの理由なのです。

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昼時、恵美さんがつくってくれたカレーライスを家族と食べました。米と調味料以外は全てカリフリ農場産だとか。
「さすがにカレー粉は無理だもんなぁ」恵美さんが笑顔を振りまき、謙一郎さんと子どもらが笑い返します。四人がこの暮らしを心から楽しんでいるのが伝わってきます。

愛おしい生命が、自分たちの生命を支える暮らし。

次は子どもの話を。兄の一馬さんは23歳、妹のひかるさんは大学生で21歳。両親は自ら選んだ道ですが、子どもたちは生まれながらの半自給自足。畑作業から家畜の世話、水汲み、掃除に至るまで幼い時分から江頭家の大切な働き手として育ちました。

例えばウサギの飼育はひかるさんの担当。つい先ほども飼育小屋にこもり、一羽一羽の名を呼びながら水や餌を与えていました。かわいいよね、話しかけた取材陣にひかるさんはニコリと笑って「でしょ。かわいくてかわいくて、とってもおいしいんです」と返します。薄っぺらな感傷などどこ吹く風。ここでの暮らしが培った生命力と自立心は、まだけなげさが残る彼女の心にもがっしりと根付いています。

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兄妹に半自給自足について尋ねてみました。どう感じてきたのかと。
「特に何も、だよね」ひかるさんが答え「それがずっと当たり前だったから」と一馬さんが言葉を継ぎます。
「家の野菜を採るのも、世話した豚やウサギを食べるのも、仕事を持つのも当たり前。仕方ないからとかじゃなく、それがうちの普通。普通だから、何とも思わないです」
実は二人とも地元の中学卒業後は帯広の農業高校に進学し寮生活を送りました。コンビニもカラオケも揃う便利で愉快な街の暮らしに、その「当たり前」の気持ちが揺らぐことはなかったのでしょうか。

しばらく考え「結局、なんか、逆かなぁ」一馬さんがポツリ。「帯広の生活は確かに面白かったですけど、このまま続けていくと飽きてしまうって思いました。ゲームみたいに」
街では雑踏の中の一人、まるでゲームの背景を行く通行人の気分でも、上トマムに戻れば世界に一つの家族の、世界に一人だけの一馬とひかるになる。幼い頃から身についた半自給自足の暮らしは、兄妹の心に自分という存在の確かさを感じさせたのかもしれない。ふと、そんな思いがわき上がってきます。

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一馬さんは高校卒業と同時に上トマムに戻り、再びカリフリ農場の働き手となりました。聞くと「それも僕にとっては普通のこと」とさらり。ちなみに両親は何の進言も嘆願もしなかったとか。実家への就農は、他ならぬ彼自身が望み選んだ道なのです。

しばられない家族を、しばるものとは。

取材の終盤、撮影も兼ねて収穫作業に同行しました。軽トラで乗り付けた畑は綺麗に整えられ、かつての荒れ地の名残は微塵もありません。今日は間引きニンジンの収穫。一列に並ぶニンジンを四人家族が腰をかがめ手作業で抜いていきます。

「遅いぞ」謙一郎さんが子どもらに声をかけます。「やってるって」一馬さんが応え「なら新しいスマホ買ってよー」と父親には届かないボリュームでひかるさんが返します。たはは、笑い合う兄妹。そんな他愛ないやりとりに目尻を下げながら、恵美さんは三人が収穫したニンジンを束ねています。

愛おしい家族の風景。そこに都会にあふれる便利さは何一つないけれど、それを凌駕してありあまるほどの美しい空間と濃厚な時間が、静かに横たわっています。

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かつてここに入植した若き夫婦は【何にもしばられない暮らし】を想い描きました。しかし二十数年の歳月が過ぎた今、この家族を強くしばるものがあるとするならば、それは絆です。親が子を子が親を、家族が家族を想う心。何にも断たれない結びつき。そしてその絆はこの農場を継ぐと決意してくれた兄妹が、次の世代へとつないでいくのでしょう。

見上げた空には茜色の雲の群れ。その先には狩振岳が今日も大きな翼を広げています。土にまみれて笑い合う家族をやさしく包みこむように。

(※この記事は2020年2月1日発行の「いいね!農style」vol10から抜粋し、加筆・修正を行い掲載しています)

カリフリ農場
住所

勇払郡占冠村字上トマム

URL

http://karifurifarm.blog.fc2.com/


狩振岳の麓で、半・自給自足で生きる家族。

この記事は2019年8月7日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。