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えりも町

地域のため、北海道のために走り続ける。銀聖を生んだ漁師のお話20220602

この記事は2022年6月2日に公開した情報です。

地域のため、北海道のために走り続ける。銀聖を生んだ漁師のお話

北海道の東南端。演歌にも登場する襟裳岬で有名なえりも町は、良質な昆布などの海産物を特産品とする、漁業のまちです。そんな同町が誇る海の幸の一つが、鮭。その中でも美しい銀毛(銀の鱗)に覆われ、重さが3.5kg以上、さらに体に脂が十分に残っていて鮮度が高いといった厳しい基準をクリアした天然の銀毛鮭は、「銀聖」というブランド鮭として市場で取引されています。
北海道内各地でとれる鮭がブランド化されるようになった先駆け的存在とも言われているこの「銀聖」ブランドを育てた漁師の佐藤勝さんにお話を聞くべく、えりも町に行ってきました。

3歳から船に乗っていた!?海が大好きな三代目漁師

札幌から車で約3時間半。高速を降りて海沿いの道をひたすら走ると、キラキラと光る太平洋に浮かぶたくさんの漁船が見えてきました。
待ち合わせの場所に着いて待っていると、空色の車で佐藤さんがさっそうと現れました。時は丁度ランチタイム。着いて早々「おいしいもん食わせてやるから、ついておいで」と、初めて会うくらしごと取材班を行きつけのお寿司屋さんに連れて行ってくれる、なんとも太っ腹な方です!
地元の方からも、まちを訪れる方からも評判の「いさみ寿し」で、穏やかな笑顔の大将が握る新鮮なネタのお寿司に舌鼓を打っていると、佐藤さんが早速話し始めます。

0405erimo_ginsei_5.JPG地元でしか食べられない魚や最近とれる魚種についても教えてくれる佐藤さん

えりも町で生まれた佐藤さんは祖父の代から続くサケ漁師の三代目。

「船は3歳のころから乗ってたよ!えりもの海も好きだったけど、とにかく一度、まちを出てみたかったのさ。それで千葉にある全国漁業協同組合学校に1年間通ったあとに、築地でね、鮮魚のプロを目指して丁稚で入ってさ、朝の5時くらいから番頭のセリについていって働いてたよ。すごいなと思ったのが、やっぱ皆プロでね。目の付け所とか。そして本州の漁師は魚1匹に対する神経の使い方が違う。鮮度保持とブランドに関しては、やっぱり築地にいた時の知識が役に立っているなと思うよ」

19歳から24歳まで築地に勤めたあと、えりも町に戻りサケ漁師となった佐藤さんは、築地で得た知識を地元漁師に伝えながら、魚の扱い方や選別の仕方などの改善を促してきました。

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鮭の価格下落に危機感

そんな佐藤さんが自慢のえりもの鮭をブランド化しようと考えたのは、2001年ごろのこと。鮭の価格下落が続いていたことが背景にありました。日高管内でとれる銀毛鮭は北海道内でとれる鮭のなかでも一番上質と言われており、その銀毛鮭も当時は、1kgあたり100円をきるほどの低価格が続いていたそう。

「以前は道内一の価格だったのに、輸入や養殖でどんどん下がっていったわけさ。これじゃあ、いくらとっても生活が成り立たない。他の鮭としっかり差別化して、どんな鮭なのか関心をもってもらうためにも固有名詞をつけてブランディングしたほうがいいと思ったのさ」

0405erimo_ginsei_18.jpg佐藤さんが乗る「第六十一明神丸」

そこで日高定置網漁業組合に、日高管内でとれる鮭をブランド化しよう、と提案した佐藤さん。最初は生産者仲間からも、それで本当に高く売れるようになるのか、と不安な声があったそうですが、それでも佐藤さんはめげません。「何かを始めるときには、必ず色んな意見が出るもんだからな」と、同じ意志を持った漁師仲間たちとともに、動き出しました。

外の視点をいれながら、自分たちの足で売り歩く

ブランドをつくるなら、北海道内はもちろん、日本全国の人に知ってもらいたいと思っていた佐藤さん。

「俺らは長年鮭をとって、食べているから鮭に対して固定観念があるはずだと思って、外の人の視点を入れた方がいいんでないかと思ったんだよね」

そこで、鮭のブランド名は、道内だけでなく全国に向けて公募しました。実に1万3千を超える応募があり、3日ほどかけてすべてに目を通したという佐藤さんも「たくさん応募があってうれしかったな」と当時を思い出して笑顔に。料理人など有識者を集めて選考を行い、「銀聖」に決めたそうです。

名前が決まったあとは、鮭の魅力を一番知っている自分たち漁師が直接自慢の銀聖を売り出そうと、漁の繁忙期の合間をぬって、テレビをはじめとする様々なマスコミへの広報活動や、札幌、東京、仙台、九州と、全国の百貨店で開催される物産展への出店など、仲間5人で手分けしてPR活動に走り回りました。と同時に出店する度に消費者へアンケート調査を行い、そのデータをもとに事業展開していくと、銀聖の知名度はどんどん上がっていきました。

ここで2006年からえりも漁協の職員として在籍している岩船博之さんに、佐藤さんの印象を聞いてみると

0405erimo_ginsei_12.JPGもともと様似町の漁協職員だった岩船さん。2006年の3漁協合併以降、えりも漁協で働いています

「佐藤さんは、自らいろんな人に会い、どこでも足を運ぶ行動力が本当にすごいんです。銀聖のブランド化成功例を見て、ほかの地域でも、自分たちもやろうかという働きかけになったと聞いてますから。私は以前所属していた販売部署で魚を売る仕事をしていましたので、仲買人さんたちから『銀聖としていくらで売れたよ』という話を聞くと、そこはやはりブランド力が影響していると現場で実感していましたね。それが今も継続してできているということは、素晴らしいことだと思っています」と胸を張ります。

地域のため、北海道のために走り続ける

とるだけでは、いつかなくなってしまう限りある資源。えりも町でも年々漁獲量は減り、近年は不漁や赤潮の影響も受けています。そんななか、佐藤さんたちは、町内の「えりも歌別さけ・ますふ化場」で将来銀聖になるかもしれない稚魚たちを育てて川に放流し、水産資源保護の取り組みを行っています。

「後継者がいても、将来的に漁業が商売として成り立つのか成り立たないのか、正直厳しいところに来ている。魚がとれなきゃ漁師はやっていけない。だからこそ今は全集中で増殖事業に力を入れているよ」と佐藤さん。
次世代に向け、持続可能な漁業を目指して日高管内全体で取り組んでいます。

そして実は佐藤さん、銀聖プロジェクトや増殖事業のほかにも、町の小学校への給食の導入や、校舎に木材を使うよう働きかけて実現するなど、これまでさまざまな局面でまちのために奔走してきました。

0405erimo_ginsei_9.JPG佐藤さんの提案で、木のぬくもり溢れる校舎となった、えりも小学校

銀聖プロジェクトを進めるときもそうだったように、その時々で意見がぶつかることもあったそうですが、「出る杭は打たれる。それなら一寸釘でなくて五寸釘になればいい。太く強ければ打たれても引っ込まない」との信念で走り続けてきました。
なぜそんなに情熱をもっていろんなことに取り組めるのですか、と尋ねた取材班に、佐藤さんがひとこと。

「やっぱり使命感だな。地域のため、北海道のため、皆のためにと考えて事業展開をしていけば、おのずと自分の利益として返ってくることを学んだからね」

折しも取材時期は4月の入学シーズン。取材の合間に、「まちの新一年生にランドセルをプレゼントする受領式にちょっと行ってくるから、まってて!」「明日は一人一人に交通安全の鈴をつけてあげるんだ!」と終始いそがしく走り回り、まちの子どもたちからは「まさるさん!」と呼ばれ、どこに行っても顔見知りの佐藤さん。
例え忙しくても、取材に快く応じてくれるどころか、必要だと知れば、資料となるパンフレットを取りに行ってくれたり、ふ化場へ案内してくれたりと、その優しさと行動力を目の当たりにすれば、えりも町のたくさんの方々から慕われているのも納得です。

0405erimo_ginsei_19.JPGえりも小学校の校長先生と教頭先生と

最後に銀聖プロジェクトの今後を聞いてみると、「ブランドの知名度はあがったけれども、まだまだこれからも忘れられないように、事業展開していくことが大切だと思う」と一層気を引き締めている様子。過去に、視察先でたまたま話をした山形の農協の方々と意気投合し、山形のお祭りに鮭を持って参加したことがある例を挙げて、道内外問わず、ほかの地域とともにそれぞれの特産品をもっと盛り上げていける取り組みを増やしたいとも教えてくれました。
佐藤さんの行動力とフットワークの軽さが生み出す地域活性化が、これからどのように発展していくのか、ますます楽しみです。

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えりも町から、日高管内、そして北海道を元気にしようとがんばる佐藤さんに、たくさんの元気をもらったくらしごと取材班。美しい夕日を見ながらえりも町を後にしたのでした。

有限会社菱栄協栄水産 佐藤勝さん
住所

北海道幌泉郡えりも町大和366-3

電話

01466-2-2223


地域のため、北海道のために走り続ける。銀聖を生んだ漁師のお話

この記事は2022年4月5日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。