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家族の絆で一から築き上げたホタテ養殖業。変化と波を乗り越えろ!20220510

家族の絆で一から築き上げたホタテ養殖業。変化と波を乗り越えろ!

はじける笑顔。ストーブの上であふれる至福

カキが「海のミルク」なら、濃厚なホタテは「海のクリームチーズ」「海のベイクドチーズケーキ」「海の味玉」...? いや、なにか違う。

そんな風に延々と悩んでしまうほどのホタテとの衝撃的な出会いが、日本海に面した羽幌町でありました。荒波の中で養殖すること20年。ある家族が丹精した絶品です。

4月中旬の昼すぎ、編集部の取材チームは静かな漁港に着くと、香ばしい潮の香りに包まれました。手を振って出迎えてくれたのは、ホタテ一筋の「宮田漁業部」を切り盛りする宮田美由記さん。そしてなんと、「お父さんが、ホタテ焼いて待ってますから」とおっしゃるではないですか。自慢の船が目の前で係留されている、作業小屋へとご案内いただきました。

miyatagyogyoubu2.JPGわざわざ、到着のタイミングに合わせて焼いて頂きました。とにかく味が濃い!
そこにいたのは、夫の誓志さんと長男の雷斗さんです。2人はともに細身で、すらっとした出で立ち。腰に手を当てて立つ姿は、そっくりです。

すると今度は取材チームの鼻が、幸せな匂いに反応していました。「よかったらどうぞ」のお誘いでストーブに目をやると、きれいに開いた白い貝殻の間から、ぷりぷりの貝柱や卵巣がこっちを見ているではありませんか。

「いやいや、こんな贅沢な思いをしていいのか...」と恐縮しつつも、気づいたら箸が伸びていました。口に含んだ瞬間に弾ける、潮の恵み。噛めば噛むほどに濃厚な旨味があふれ、弾力を楽しみたくて、飲み込むのが惜しくなりました。まさに調味料いらず。余計な味付けはいりません。

「おいひい~!」と悶える取材チームの顔を見て、ひと際、くしゃっとした笑顔を見せてくれたのは雷斗さん。弱冠24歳で、1児の父です。小樽水産高校を卒業し、ご両親が立ち上げた「宮田漁業部」の将来を背負うべく、漁業の世界に足を踏み入れました。誓志さんがいない所でこそっと聞くと、「憧れはありましたね。かっこいいな、って」と教えてくれました。

miyatagyogyoubu12.JPGこちらが長男の宮田雷斗さん。
羽幌町といえば「水揚げ日本一」を誇る甘エビが知られていますが、地元の水産関係者が「ホタテ御殿やニシン御殿が建つかもよ(笑)」と冗談めかして言うほど、高単価で取引される他の魚種も豊富なのです。
ニシンは日本海側のまちに繁栄をもたらし、一時期は漁獲量が激減しましたが、近年では急回復しています。そのため、宮田さんの周囲でも、ニシンで人手が足りないほど浜は大忙しとなっているようです。

雷斗さんが漁業の道に憧れたのも、仕事のかっこよさに加えて、しっかりとした収入が見込めるという点がポイントだったそうです。生まれ育った地元で暮らし続けるために、この上ない安心材料です。

手間こそ愛情。一年を通した、多彩な仕事

雷斗さんの母の美由記さんは、取材チームにホタテのイロハを丁寧に教えてくれました。

木の年輪のように、1年成長するごとに貝殻に同心円状に線が入ること。大きく成長させる成貝の育て方と、オホーツク地方や宗谷地方に出荷する稚貝のそれは違うこと。宮田さんは成貝、半成貝、稚貝のそれぞれを育てていること。多くの人の手が入る仕事の流れ...。

miyatagyogyoubu9.JPG宮田漁業部を切り盛りする、美由記さん
指先でつまめる、数センチの可愛らしい稚貝がカゴの中でパタパタと動き、立派な「3年貝」は水の中で元気に動いていました。カモメの鳴き声も届く水揚げ場。その元気なホタテを見ていると、いかに手間と愛情を込めて仕事をしているかが伝わってきました。

実際、ホタテの養殖の仕事は一年を通して多岐にわたります。無数の丸めた網を海に投げ入れ採卵し、数か月後に稚貝を回収。出荷と並行して、選別や異物の除去をしてカゴを入れかえて海に戻します。これを繰り返し、海中に吊るして3年ほどかけ、ゆっくり育てます。

取材でお邪魔した4月中旬は、この地域の春の風物詩である、稚貝の水揚げが盛んなころ。波の状態がいい日の早朝から、大量の稚貝を水揚げして輸送カゴに入れトラックに積み込み、大きく育てるために、オホーツク地方や宗谷地方へ出荷されます。

7月ごろには、育った稚貝を一度水揚げしてから選別などをして、海に戻します。美由記さんは
「最近は温暖化で暑いでしょう。早く沖に戻してあげないと、赤ちゃんが死んじゃって、3年貝まで持っていけないんです」。
無事に成長するよう、細心の注意を払いつつスピーディーにこなします。

miyatagyogyoubu6.JPGホタテの年輪
水中に吊るして育てるためのカゴは、どうしても付着物があり、経年で傷みます。そのため、水揚げ場のすぐ近くの屋内作業場も使って、カゴを洗ったり修繕したりと、根気のいる作業が多くあります。

雷斗さんは小さなころから「英才教育」を受けていて、スムーズにこの世界に入れたといいます。幼稚園のころから仕事を手伝っていて、船の上で「ここまでカゴを運んだら10円」「(古いタイプで稚貝の定着率が悪い)色の違う網を見つけたら50円」という風に、楽しく仕事を覚えていきました。

中学3年生の時に新造し、当時は港で一番大きかった船を見て、「急にスイッチが入りました」と振り返る雷斗さん。「船ってすごい」「自分もやりたい」と思い、水産高校に進んで、卒業後に「宮田漁業部」に入社しました。

相手は自然。環境の変化に合わせ仕事も変化

実は「宮田漁業部」は先代から引き継いだわけではなく、宮田さん夫婦が20年前に立ち上げた会社です。誓志さんは実家がかつて農家でしたが、札幌に出て自動車関係などいくつかの仕事を経験し、「稼げるイメージがあった」という漁業の道へ入ろうと、また両親のことも考えて、地元の羽幌に戻ってきました。

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美由記さんは羽幌の隣町の苫前町の出身で、高校は誓志さんと同じ羽幌高校。学年が違い、ほとんど面識はありませんでしたが、札幌で出会いました。

誓志さんは羽幌に戻った当初は漁協の組合員ではなく、エビ篭漁船の乗組員として8年経験しました。美由記さんは
「体は細くてヒョロヒョロだし、絶対船で酔ってしんどくなって、札幌に戻るだろうと思ってました」
と笑って振り返ります。しかし、その後は独立して組合員となり、3年間はタコを獲り、途中で先輩漁師からホタテ養殖のノウハウを学ぶと、その後高齢でホタテ漁をやめる人の後を継ぐ形で「宮田漁業部」をつくりました。

組合員になれる条件は地域によって違いますが、羽幌町を含む「北るもい漁協」では親などから引き継がなくても後継者になれます。誓志さんは
「オホーツク出身の若者も(羽幌で)ホタテをやっています。気持ちがある人ならやれる環境ですね」と言います。
地域の水揚げ量をキープする上で、「よそ者」のチャレンジは心強いものです。

「宮田漁業部」はホタテ一本ですが、知り合いの漁師さんは数十年獲れなかったニシンで忙しくしているといいます。自然相手の仕事だけに、魚種や海の環境が変化したり、気候変動の影響を受けたりと、予測できないことも多く起こります。それだけに、人手を融通するなどで助け合う関係性がものを言います。

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4、5年ほど前、3年かけて成長した成貝が原因不明で大量死したことがありました。危機的な状況は3年ほど続き、漁協のホタテ部会として手を携え、独自に研究を重ねました。
その結果、ここ1、2年は成貝も死なず順調に推移。成長がよく、お客さんからの評価も高いといいます。

「前の年に赤ちゃんを仕込めば安定している養殖業も、『獲る漁業』と同じように変わってきていると感じました」と美由記さんが言うように、海の変化に合わせて、自分たちもやり方を変えてきました。
「夏は夜の12時半くらいから仕事を始めるようにしました。暑すぎると貝にもよくないけど、自分たちも大変なので、『働き方』は変えています」とのこと。

幸せを招く「おいしい」が一番のやりがい

北海道が全国一の水揚げを誇り、どんな料理にも合う「万能食材」として好まれるホタテ。多くの人が幸せを噛みしめる貝だけに、「おいしい」という声が原動力になっています。

宮田漁業部を含む羽幌のホタテはうまいと評判で、漁港にある「北るもい漁協」の直売所でも人気。厳しい基準でハネ品を選別しているため、品質の高さにも定評があります。浜での作業が多い美由記さんは、
「変形せずにきちんとホタテが成長しているのを見たら、『手のかけ方が良かったのかな?』とうれしくなります」と言います。

miyatagyogyoubu18.JPGホタテの赤ちゃんを採取するためのネット。やり方を丁寧に説明してくれました
誓志さんは
「稚貝を出荷しているオホーツク地方や宗谷地方の組合からも『いいホタテだ』って言われると、作っていてやりがいはありますね。仕事終わった後の酒が一番!」
と言います。

ホタテを頬張った取材チームの幸せそうな表情に、くしゃっと嬉しそうな笑顔を見せてくれた雷斗さん。
波の状態や季節に左右されるため、「土日休み」のような確約は難しいですが、
「早く始まって早く終わるので、気持ち的に楽ですね。日中の自由時間が多くて、たくさん遊べるのがいいところです!」
と力を込めて教えてくれました。

ご両親の背中をどんな目で見ているのでしょうか。

「沖でも浜でも手間をかけ、こだわって丁寧に仕事している背中を見ていて、ずっと『すごいな』と思っていました。安定した収入があり、家族と暮らす上でも10年後、20年後を考えたら、この仕事を継いでいくのがいいかなって思っていました」
とのこと。

すると美由記さんが
「自分たちで始めた商売だから、タイミングが来たらやめようと思ったけど、やめられないじゃない」
と横で笑いました。

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大切に育てる心があれば、経験は問われない

美由記さんによると、羽幌はかつて炭鉱で栄え、人口規模の割には飲食店などが多くあります。天売・焼尻という人気の離島にアクセスできるフェリーターミナルがあり、道の駅や「はぼろ温泉」もあります。なじみのない人にとっては遠く感じますが、旭川からは車で2時間、札幌からもバスで3時間ちょっとのアクセスです。

宮田漁業部として借り上げている従業員向けの戸建てや、個人で契約する町営住宅といった受け皿も充実しています。どのような住まい方にするかは、働き手によりいくつかの選択肢がありますが、3ヶ月程度は2万5000円の実質的な「住宅手当」が共通して用意されます。

「宮田漁業部」を支えるのは宮田さん親子3人の他、正規の雇用契約を結んでいる30~60代の4人で、うち1人は社保完備の通年雇用。これにインドネシア出身の実習生を加えた8〜11人体制で回しています。他に、浜での作業に限定したアルバイトさんが3、4人います。

美由記さんは「もともと季節労働の色合いが強い職場ですが、希望によって通年雇用も歓迎です。最初は旅人のような形で短期間経験して、ゆくゆくは長く働いてもらう、というのも大歓迎です!」と言います。

誓志さんは「できれば長くやれる人と一緒に仕事をしたいですね。体力に自信があればベストですが、未経験でやれる難しくない作業が多く、沖に出ても危険な仕事はさせません」と話します。

一からでも飛び込める職場だといいますが、とはいえダラダラしたり、ボーっとしていては務まらない世界でもあります。ホタテにとって大切な温度や、鮮度の管理で手を抜くと、すべて自分たちに跳ね返ってきます。誓志さんは「生き物相手だから、急ぐ時は声が大きくなる時もあります」と断ります。

美由記さんも「漁師の世界なんで『ごめんなさい』って、あらかじめ説明します。怒ってるんじゃないんです。忙しくなったら口調も早くなったりするけど、でもそれは貝のためだから。貝が死んじゃったら、あなたたちも給料をもらえないんだよ、って」と明かします。

取材中も、誓志さんは電話を受けたり、漁協の会合に出たりと、テキパキと立ち回っていましたが、穏やかで声を荒げる様子は想像だにできません。
美由記さんはおっとり感と安心感を兼ね備えた雰囲気で、これでもかと丁寧に仕事の魅力を教えてくれました。
雷斗さんは、水揚げ場で見せてくれた、自分の子どもを褒められて喜ぶ親のような表情がとても印象的でした。

さまざまな料理と相性が良いホタテは「帆立」と書き、「順風満帆」と重ねられます。貝殻の形は末広がりで、縁起が良いとされています。その養殖とは、ボールペンの先端ほどの小さい赤ちゃんから、手のひら大の成貝にまで育てる、息の長い仕事。
ホタテに愛情をかけられる人なら、充実の暮らしはもちろん、きっと縁起の良い幸せな未来が開けるかもしれません。
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有限会社 宮田漁業部
有限会社 宮田漁業部
住所

北海道苫前郡羽幌町北4条4丁目12番地の3

電話

090-9521-8856

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家族の絆で一から築き上げたホタテ養殖業。変化と波を乗り越えろ!

この記事は2022年4月19日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。