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鶴居村の夫婦がつくる新しい旅のカタチ【前編】20211209

この記事は2021年12月9日に公開した情報です。

鶴居村の夫婦がつくる新しい旅のカタチ【前編】

北海道の東側。釧路市から1時間程度。
阿寒湖と釧路湿原の間に鶴居村はあります。鶴居村は人口約2,505人(2021年7月時点)の小さな村です。鶴居村の主な産業は酪農業。乳牛の飼育と牛乳の出荷で生計を立てている人たちが多く住んでいます。

また、その名の通り特別天然記念物の「タンチョウ」が生息している地域を四方に囲まれ、「鶴が朝、家にきていました!」なんて日も多くあるそうです。

そんなひがし北海道の、自然豊かな村の鶴居村で子連れワーケーションや、旅育の誘致を図っている人たちがいると聞き、早速取材に向かいました!

夢は赤毛のアンみたいな生活

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鶴居村の市街地を抜け、牛の放牧地を走り抜けた更にその先にある小高い丘の上に、赤い屋根の可愛らしいお店があります。お店の前にはハーブが沢山植えられ、大きな木にはブランコが。少し進むとヤギが3頭、仲良くご飯を食べています。

そのお店の名前は「カフェ、レストラン&ステイ ハートンツリー」です。

「おかえりなさーい!」と私たち取材陣を優しく迎えてくれたのは、オーナーである丘の上のわくわくカンパニー代表取締役の服部佐知子さんです。

生まれは同じ釧路管内の阿寒町。
進学で道外に出た後、約25年前に鶴居村に移住して来られました。

「子どもの頃から読書をするのが大好きで、中でも赤毛のアンや大草原の小さな家のような、大自然を舞台にした本がすごく好きだったの。それに出てくる自然と共生する生活や、料理が本当に好きだった。鶴居の景色はその本の世界観にとても似ているのよ」と、幼少期を振り返り、鶴居村へ移住を決めたきっかけを教えてくれました。

tsurui_heart3.JPGこちらが佐知子さん。身につけているものも全てこだわりが詰まっているのが伝わってきます。

子どものころから料理が好きだった佐知子さんは、NHKの「今日のお料理」という番組が大好き。いつか「そのお料理番組に出る先生になりたい」という夢を叶えるために、『料理界の東大、No1!』と言われている大阪の調調理師学校への進学を決めます。

「どうせ進学するなら、一番の所がいい!って思って選んだんだよね。今覚えば、なんで東京じゃなかったんだろうって思うけど」

その後、大阪で旦那さんと出会い結婚。
子どもが二人生まれ、幸せな生活を送っていましたが、子育てにより良い環境は?と考えたとき、脳裏に釧路管内の大自然が浮かんだというのです。

「やっぱり私自身が大自然の中で育ってるのもあったし、その当時まだ食の安全とか地産地消とか当時言われていない時代だったけど、子どものことを考えるとすごく気になって。北海道だったら、昔憧れた赤毛のアンみたいな自給自足に近い生活ができる」と、北海道に帰ることを決意。

自分が子ども時代を過ごした、釧路管内の標茶町へ一旦移住した後、現在の鶴居村へ酪農ヘルパーとして移り住みます。

酪農ヘルパーとして働きながら、大好きなヨーロッパのような青い空と緑の牧草地が広がる鶴居村の生活を満喫していたある日、「すごく気になる道を見つけたの」と、今のお店と自宅が建つ場所を見つけた時のことを教えてくれました。

冒頭にお話したように、お店と自宅があるのは市街地や大きな道から離れた、丘の細い道を3分ほど登った先にあります。眺めはとても良いのですが、現在も周囲に家や建物は何もなく、辺り一面牧草地が広がります。

tsurui_heart12.JPGまるで絵本の世界のようです

「たまたま、この坂が気になって登ってきたら、すごーく良い景色が広がっていて。ここに住みたい!この場所が私を呼んでる!ってなったの。もう思い込みが激しいからね、私(笑)」

そこから行動が早いのが佐知子さん。

当時同じく酪農ヘルパーとして働いていた夫の政人さんに「この土地が誰の土地なのか探してほしい」とお願いをし、土地の持ち主を見つけ「自宅を建てたいから売って欲しい!」と交渉をしたといいます。

しかしながら、もともとこの場所は牧草を育てる用の土地。いわゆる「農地」と言われる場所です。住宅を作る場所ではなく、電気も、水道も有りません。

「いろんな人にここに家を建てて欲しい!って頼んだんだけど、みんなから『こんなところに建てられません』って断られてしまって」周囲に何も無い高い丘のため、風も強く「家を建てても風ですぐ壊れる」とも言われたそうです。さすがに行動力があったとしても誰も家を建てられないとなると、その場所に住むことを諦めなくてはいけません。

好きという思いで駆け抜けた

「でも、やっぱり諦めきれない。そうだ。テントでも張ってあの丘に住もう」


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嘘でしょーーー!!!と、思うような決断をするのが佐知子さんの良いところでもあります。

その後すぐ、家を建てられるかどうか相談をしたうちの一人、友人のお父さん(大工さん)にたまたまスーパーで会ったのです。その時に「やっぱりあそこに住むことを諦めれないから、テントを建ててでもあの場所に住もうと思っている」と伝えると大工さんから思いがけない答えが返ってきました。

「あそこ、俺もあれから気になってもう一回色々と調べてみたんだ。あの丘、すごくきれいな水が出るよ。住める場所だよ。家、建てよう!!」

そこからその大工さんは、ハウスメーカーが「家を建てられない」と言った土地に水を掘り地下水を引いてくれました。さらには、電力会社に掛け合って電柱を建て、電気を引き人が住める土地にしてくれたのです。

まるでドラマのような展開をこう言います。「色んな人たちが繋がりで助けてくれて、すごく温かかった。未だにその大工さんに『佐知子ちゃんは、平成の開拓者だよね』って、笑いながら言われるの」そうやって笑いながら当時のことを振り返ります。

住む場所が整い、さらなる赤毛のアンのような自給自足生活を目指すため、羊ややぎ、ヨーロッパの食には欠かせない牛乳を生産してくれる牛を飼って自給自足を目指したそうなのです。

tsurui_heart14.JPG真っ白なかわいいやぎがいました

しかしながら、一頭の牛が1日に生産する牛乳の量は約40L。個人の家で飼ったところで、消費できる量ではありません。牛を飼うことは諦めて周りの農家さんが生産した牛乳を買い取ることに。

「それでも、自給自足には憧れて羊の毛を刈って、毛糸を作ってセーター編んだりしてたんだよ」

ヨーロッパのような自給自足での生活をしていた中、なぜカフェをオープンさせることにしたのでしょうか?

ある日、家にあそびに来た友人にこんなことを言われたといいます。

「いろんな友達を佐知子さんの家に連れてきたいけど、普通のお家だったらなかなか連れて行きづらいから、お店にしたらいいのに」

tsurui_heart18.JPG白と赤がとってもかわいい外観です

もともと食の仕事はやりたい!お料理教室の先生になりたいと思っていた佐知子さんにとって、ご友人からのこの話は、とても大きな後押しになり、今の「ハートンツリー」の原型となるカフェを作ることに決めたといいます。

10年近くこの土地に住んでいたとはいえ、起業をするのは初めてのこと。

一人で創業するとなると、何をどうして良いのかわからず、まずは資金調達だ!と創業支援をしている場所に相談に行ったそうです。

「旅行の人たちが休憩したり、休める場所を作りたい」と、相談時に伝えるも当時流行っていたのは、大きな道路の脇にあり長距離運転の際に休憩ができ、お土産も買えるドライブイン。『カフェ』という形態を理解してくれる人はおらず『ドライブインを作りたいのか、ドライブインならその場所に作ってはダメだ』となかなか、支援をしてくれる機関にめぐりあうことができませんでした。

それならばと、銀行に自分で足を運び、お金を借り創業に至ったというのです。

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創業しよう!とか、なにか新しい事にチャレンジしよう!としている時、少しでもアイディアに賛同してくれたり、後押ししてくれる人がいると、とても心強いですよね。そんな中、味方をしてくれる人が居ない状態で、ともすれば夢を諦めたくなる状況でも、諦めずにただまっすぐ前を見て、佐知子さんが走り続けられたのは、どうしてなのでしょうか。

「私には、『これが絶対すき!』っていうものがすごくあるの。古いものが好きだったり、手作りが大好きだったり。ハートンツリーも同じで、この場所でやりたいっていう思いが源で、自分が大好きだと思ったこの空間の中で、お客さんに美味しいケーキとか食べ物を作って、おもてなしをしたかったの」

「好き」という気持ちで、がむしゃらに走り続けた結果、ハートンツリーは創業当時から多くのお客さんに来てもらえる繁盛店になりました。

「丘の上のカフェ」「隠れ家のようなおしゃれなお店」そんなキャッチフレーズで、テレビや雑誌などで沢山紹介してもらえるようになったのです。

紆余曲折を乗り越えて強く

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順風満帆に思えたハートンツリーですが、ある出来事をきっかけにお店を開けることができなくなり、長期の休業をしたことがあるといいます。


それは、お子さんが小学校に入った頃に起きました。都会から田舎に移住をしてきて、カフェをやっている佐知子さんの生活が全国放送のテレビで取り上げられ、放送されるやいなや、大反響。お店には毎日長い列ができ、今までよりも一層大繁盛店へとなったのです。

しかしながら、ハートンツリーはパンも、ピザも、ケーキもすべて無添加、手作りにこだわっているお店です。そのため、大繁盛の影響で家に戻る時間よりも、厨房で仕込みをしている時間が長くなってしまう生活が始まりました。

家に帰るのは一瞬で、子どもたちのご飯はお茶漬けだけをだし、お風呂も宿題も、「自分たちでやってね」と言って、レストランに戻る日々。それでも、喜んでくれるお客さんの為にと、寝る間も惜しんで仕事を頑張る日が続いたといいます。

tsurui_heart20.JPGハートンツリーから見える夕方の景色

ある日。
お子さんの小学校の先生から特別な手紙が佐知子さんに届きました。

「お母さん、息子さんが最後にお風呂に入ったのはいつだったでしょうか?すこし、汗の匂いが強くしています。この年代は、多感な年頃でそういう少しのことから、いじめに繋がったりもします。もう少しお子さんを見てあげてください」

手紙を読んだ瞬間、涙が止まらなかったといいます。

「私は何をやってるんだろう。なんのために仕事をしてるんだろうって。お店も大好きだったから仕事はすごく楽しかった。でも私は母親でもあり、妻なのに、仕事が楽しいってダメなことなんじゃないだろうかって。当時は平成も中頃。まだまだ結婚したら女性は家庭に入ることが当たり前で、お母さんは子育てに専念して子どもの教育を一心にやりなさい。そんな時代だった」と当時の状況を語ります。

好きなことを一生懸命やることで、移住した本来の目的である子育てや、家族を大事に出来なくなっている。母親として妻として失格だ。そんな烙印を押されたような気分になったとも言います。

当時、家のすぐ目の前に建てたカフェで仕事をしている佐知子さんに対して、家族の理解や協力がある状態ではなかったことも、状況に拍車をかけたと言います。

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「自分の好きなことをやっていて、家がすぐ近くなんだから、家事ぐらいしに家に戻ってきなよっていう風に思われていたんですよね。この(手紙)出来事があって途端に好きなことを仕事にして働いていることが、ものすごく後ろめたく思えるようになってしまったんです。張り詰めていた糸がプツリと切れてしまったそんな感じだったかな」

極度のストレスから調理師として、なによりも大事な味覚を失ってしまい、何もかもが嫌になりすべてを辞めてしまいたい、もう何もしたくないという状態になってしまったといいます。

お店の休業を決め、大事にしていたお裁縫道具や調理道具などもすべて捨て「何もしたくない」「もう何もできない」と毎日泣きながら過ごす日々だったと当時を振り返ります。

良い母親で有りたい。
良き妻でありたい。

でも、自分の好きなことも大事にしたい。

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当たり前の想いなのに、当時そのような働き方をしている女性が周りに居なかったこともあり、その当たり前の想いが自分自身を苦しめることになってしまいました。

人生においてのどん底とも言える経験をした佐知子さんですが、ひとしきり休んだあと、「家の近くで仕事をしているから、家族も『趣味の延長でしょ』と言ったような形で理解をしてくれないんじゃないか。私もオフィスに出勤して、仕事をする生活をすれば『ちゃんとした仕事』として、認めてもらえるんじゃないだろうか」そんな思いから、市街地で事務の仕事を始めてみたといいます。

「やってみたらわかったんだけど、私本当に事務の仕事が苦手で。でも、事務仕事をや ってみたからこそ『私はハートンツリーが大好きで、人生の限られた時間の中で同じ時間を使うのであれば、私はお客さんの笑顔の為にハートンツリーで時間を使いたいな』 と気づいた」というのです。

ハートンツリー休業から2年が経った頃のことでした。

そうしてお店を再オープンさせることになり、復帰当時は土日だけお店を開け、体調の調整や事務の仕事との両立をしながらお店の運営をしていきました。そのうち事務のお仕事は辞め、毎日オープンする営業形態に戻したといいます。

「当時は売上〇〇万円あげるぞー!なんて考えてなくって、商いをどうするかってことも考えてなかったんだよね。仕事だけど。でも、復帰したタイミングでカフェブームが来て、雑誌とかテレビで紹介してもらったり、隠れ家カフェとして本で紹介をしてもらったり。ここまで来ると心が強くなったのか、どんなに忙しくなってもくじけることなく営業を続けることが出来た」といいます。

こうしてまた軌道に乗ってきた佐知子さん。彼女を支えてきたのは、紛れもなく旦那さま。そんな佐知子さんの夫、政人さんについては、【後編】でお話をしていきたいと思います。また、ここを舞台にした「子連れワーケーション」も後編でたっぷりとお話していきますよ!

ハートンツリー
住所

北海道阿寒郡鶴居村字雪裡496-4

電話

0154-64-2542

URL

https://heartntree.jimdo.com/

ランチ/11:00〜14:00

ディナー/18:00〜19:00の間に開始

(3日前までに要予約)


鶴居村の夫婦がつくる新しい旅のカタチ【前編】

この記事は2021年7月21日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。