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標津から全国へハッシン!進化し続ける新時代の漁師たち20210517

この記事は2021年5月17日に公開した情報です。

標津から全国へハッシン!進化し続ける新時代の漁師たち

根室中標津空港に降り立ったくらしごとチームを迎えてくれたのは、仲の良さそうな牛の親子(のモニュメント)。いやいや今回向かうのは牛ではなくサケのまち。空港から車で約25分、街灯やカントリーサインにはサケのモチーフが使われ、北海道遺産「サケの文化」構成施設に選ばれている「標津サーモン科学館」を有する道東・標津町。
「豊かな漁場」というイメージが強いこのまちで、2018年から活動を始めた「波心会」(はっしんかい)という若手漁師の会を運営するお二人を訪問します。

波心会と標津漁師会

まず取材陣が最初に向かった先は、目の前に国後島を望む野付半島の海岸沿い。定置網の手入れをしているお二人に会いに行きました。
sibetuhassinnkai11.JPG番屋のある海岸からは国後島が驚くほど近くに見えます
sibetuhassinnkai15.JPG野付半島は、オホーツク海と野付湾に挟まれた非常に細長い半島。国後島を望むオホーツク海側の反対には野付湾の独特な景色が広がります

波心会の代表を務めるのは、林漁業部代表で刺し網漁を行う林 強徳(つよのり)さん。ご両親が青森県出身で、漁師であるお父様の仕事の関係で、保育園までは標津と青森での2拠点生活だったそうです。幼い頃から海や川で遊び、漁をするお父様の背中を見て育った林さん。その背中のカッコよさに憧れ、自分も漁師を志しました。

sibetuhassinnkai.26.JPGこちらが波心会 代表 林 強徳さん
副代表の浅野将太さんは生まれも育ちも標津町。丸五水産で定置網漁を生業としながら、波心会とは別に「標津漁師会」の会長としても活動。標津の漁業のPRを行なっています。まちの催事にも積極的に参加してきましたが、一つだけ決めていることがあるそう。それは、「漁業者として参加する」こと。出店依頼の打診を受けた場合も、単なるイベンターではなく、あくまでも標津の漁業の発展に寄与できるかどうかを見極めているとのこと。ちなみに林さんは標津漁師会の副会長です。

周囲から「素面でチュウができる関係(笑)」との呼び声高いお二人ですが、それもそのはず。ほぼ毎日一緒に仕事をしているそうです。

sibetuhassinnkai6.JPGこちらが 波心会副代表、標津漁師会会長 浅野将太さん
しかしなぜ刺し網漁の林さんと定置網漁の浅野さんが一緒に仕事を?
その理由は、漁業の現状の厳しさにあります。

ここ10年、浜値の下落は鬼気迫るものがあります。例えば刺し網で獲れるゴソガレイは3円/kg、高級魚のイシモチが50円/kgという、聞き間違いかと思うような価格で取引されているそうです。これではとても人を雇ってまで漁に出ることはできません。
そこで林さんと浅野さんは漁の出方にひと工夫。「自分の漁に出ない期間」を作りました。刺し網漁と定置網漁、2つの漁業をうまく組み合わせ、お互いに漁を手伝える体制を作ることで、年間を通して魚に関わる仕事を安定的に行なうことができるようになりました。

sibetuhassinnkai2.JPGこの日は定置網のメンテナンス中。地面に広げて繕ったあと、再び船に積み込むためにトラックで移動させます
ところで、標津ではサケのほかにどんな魚が獲れているのでしょうか?お二人の一年間を簡単に教えていただきました。

1~2月   カレイ、スケトウダラ (刺し網)
3月    ニシン (小定置網)
4~5月   ツブ  (つぶかご)
6月     休み
7月     マス、ホッカイシマエビ (えびかご)
8月    マス、サケ (小定置網)
9~11月   アキアジ (定置網)・タコ漁
11~12月  カレイ (刺し網)

この他、野付(標津町のとなりの別海町尾岱沼という地区にある漁協)の漁師仲間のところでホタテ漁を手伝うこともあるそうです。

sibetuhassinnkai33.jpg今年はニシンが大漁!!!一度では積みきれず、複数回、港と往復する日も。
波心会より2年早い2016年に発足した標津漁師会は現在9名。これまでに「浜ピザ」や「漁農食堂」など、食を通じて標津の魚を発信してきました。イベントで出た収益は漁業の発展のための活動費として地元に還元しているそうです。

これに対して波心会のメンバーは、林さんと浅野さんを含むわずか3名。少人数ならではのフットワークを生かした、より実践的な団体として始まりました。
波心会の目標と現在の活動について伺ってみましょう。

漁師の6次産業化

林さんと浅野さんは、標津産の魚のおいしさに絶対の自信をもっています。このおいしさをもっと多くの人に知ってもらいたい。その方法の一つが、漁師が自ら獲った魚を加工して販売する6次産業化でした。

sibetuhassinnkai32.jpg波新会の提供するニシンは刺身もなめろうも最高!と地元の飲食店からも熱い支持
その方法を模索する林さんが、2年前にご両親の地元青森に帰った際に出会ったのが、青森市にある(有)塩谷魚店の塩谷孝さん。
こちらの塩谷さん、魚の劣化を遅らせる「神経締め」と呼ばれる技術を青森で研究・普及させ、地元の漁業関係者だけでなく、三ツ星レストランや料理自慢の高級宿からも絶大な信頼を得ている方なのだそう。それぞれの料理人のどんな細かいオーダーにも応えてしまう、まさに達人です。

素晴しい技術を学んだ林さんですが、なにより心に刻まれたのは「(神経締めなどの)技術よりも、一番大事なのは魚との向き合い方」という言葉だそうです。

「塩谷さんとお話しできたのはわずか2時間程度でしたが、本当に多くのことを教えていただきました。漁師は一番最初に魚と接する立場です。自分たちが獲った魚をどのように扱うのか、つまり僕たちの魚への接し方がおいしさのカギを握っているんだということに気づかせてくれたんです」

1B2A4644.JPG
そしてもう一つ、

「『自分たちの仕事があるのは漁師さんのおかげ』、という言葉をすごく強調して伝えて下さったんです。塩谷さんの周りには、『獲る人と売る人』の信頼関係がすごくあって、『資源を守るためこの時期は獲らないようにしよう』などの会話がされるほど、地元の漁師さんとの連携ができていることに感銘を受けました」

その当時の印象について塩谷さんに聞いてみました。
「林さんが来られた時の事は強烈に覚えています。地元の漁業を良くしたいという意思を強く感じました。そういう思いがある人は、小手先の技術や人から教わったことに満足することなく、自分やまちに合ったやり方に進化させることができます。それに同郷の仲間が北海道の土地でこんなに頑張っているというのは、やはり嬉しいものです」
思いをもつ者同士の強い絆が、遠く離れた標津と青森を固く結んでいます。

こうして多くの達人や同業者との出会いを重ね、学びを深める林さんですが、そうした柔軟さはもともとだったのでしょうか?

「いえそうでもなかったですね。人の意見を取り入れるとしても、自分のためでした。自分のスキルを上げたい、とか、大漁をしたい、とか。それも悪いことではなかったと思いますが、今のような考え方になったきっかけは、標津漁師会と息子が生まれたこと、ですね」

林さんのお子さんは5人、4人目に男の子が生まれたとき、「この子がもし漁師になりたいと言ったときに、残せる海をつくっておかないと」と思ったのだそうです。

sibetuhassinnkai38.JPG未来の漁師。
それと、もう一つ話してくれました。
「今まで一番やってこなかったし、やらないといけないのは、女性の意見を取り入れること。そうゆうところが農業との差だし、うちの奥さんと漁に出ることも多いからなおさら思いますね」

実際、一緒に取り組みをすすめている地域の協議会(後述)の担当者は女性。波心会と活発な意見のやりとりがされているそう。

さて、取り組みのお話の中に、先程からしばしば「活越」(いけこし)という聞きなれない言葉が出てくるのですが。。どんなワザなのか教えてもらいました。

「魚にとって海の中は常にストレスに晒されている状態。活越は、水揚げした魚を水槽に移し、魚の緊張を取り除くことで元来持つおいしさを引き出す方法です。餌は与えずに大体10日間程度おき、胃や腸の中のものを排出させることで臭みもなくなるんですよ」

ふむふむ。え、2週間?そんなに長い間なにも食べさせなかったら、せっかくの身が痩せてしまうのでは?

sibetuhassinnkai27.JPG痩せるどころか、身がぷりっぷりなのがおわかりいただけるでしょうか
「そう思いますよね?ところが、水槽の中では敵に襲われる心配もありませんし、魚の活性が下がり、ほとんど動かなくなるんです。なので不思議なくらい身は痩せないんです。魚には申し訳ないのですが、水槽内の状態はいろいろと実験して、今の最適な状態を見いだしました。ちなみに1カ月間活越をして出荷にならなかった魚は海に放しています」

なるほど、これも新しい「魚との向き合い方」ですね!
カレイのほかソイやアイナメなど、青魚以外はほとんど活越でおいしくできるそうです。

また、6次産業化は良い商品をつくれば終わりではありません。
地域事業者の販路拡大や商品開発などを支援する「南知床4町地域雇用創造協議会」の支援事業を活用し、波心会の課題解決に沿った専門家から販路拡大の方法や、販売のノウハウについてアドバイスを頂き商品造成を進めています。

林漁業部の作業庫にある、手作り干物を作る装置は専門家からのアドバイスを受け自分たちで作製しました。気になる商品の数々は、2021年7月頃から販売開始予定(※変更の場合有り)とのことです。楽しみに待ちましょう!

sibetuhassinnkai.230.JPG作業庫は、さかなを美味しくするための研究所でもあります

「持続可能な漁業」へ

「サケのまち標津」、ですがその漁獲量は年々落ち込んでいる現実があります。そしてそれはサケに限ったことではありません。原因を一つに特定することはできませんが、大きな要因となっているのが資源そのものの枯渇です。

「たとえば2月になると産卵時期のタラが来る場所があるんですが、僕たちはそのタラを目掛けて漁をしません。卵を産みに来たタラを獲るということは、当然来年・再来年のタラがいなくなってしまう未来につながります。水揚げした金額にするとうらやましくなることもありますが、それをやってしまうと標津の海は痩せていく一方だと思うんです」と浅野さん。

獲れば稼げるけれど獲らない道を選ぶのには、このままだと「海がだめになる」という切実な思いがあります。

「『漁師が漁にも出ないで...』と批判を受けることもありますが、これから漁師になりたいという世代に引き継げる海を守ることは、僕たちの世代で何とかしないといけない課題。今はまだ波心会として大きなことはできていないですが、定置網にかかってしまった小さな魚は逃がすなど、できることを地道に続けて行きます」

林さんの下で漁師の修業を積む京谷 陸さんは、現在20歳。
漁師の家で育ったわけではありませんが、刺し網漁のカッコよさに憧れて漁師の道を志しました。今は網の修繕や漁の補助、魚のさばき方など、日々漁師のイロハを学んでいます。
sibetuhassinnkai26.JPG真剣なまなざしでカレイをさばく京谷さん。何度も何度も練習したそう

しかし現在の標津では、京谷さんのように新規参入を希望する漁師が自ら漁業権を持ち、自分の船で漁をする許可を得るのは、組織の仕組み上非常に難しいのだそう。
上の世代が培ってきた漁の技術や伝統への敬意を持ちながら、標津の漁業を未来につなぎたい。京谷さんなどの若い世代や、子どもたちがこのまちで漁師として暮らしていけるようにするのも、自分たちがやるべきこと。
林さんは来年までには自分も組合員になり、しっかりと組合で実績と信頼を積み重ねて、標津の漁業を次世代に引き継いでいくため道筋を作っていきたいと、話してくれました。

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「道東ブランド」の普及

波心会発足当時は全国に「標津ブランド」を轟かせることを目標の一つにしていました。しかしその考えはもう過去に置いてきたそうです。
きっかけは豊洲市場。市場関係者の話で「標津で獲れても羅臼で獲れても野付で獲れても、向こうの市場では全て『北海道産』として認識される。日本で唯一個別の地名でブランド力があるのは『大間のマグロ』だけ」という話を聞かされたそうです。

それならば!と方向転換し、「北海道・道東」の知名度アップを新たな目標に掲げました。身軽な波心会ならではの決断の早さに驚きです。

「『標津』と聞いてピンと来る人は少ないでしょうし、調べてくれる人もおそらく少数だと思います。でも『道東』であればもしかしたら調べる人がいるかもしれない。調べた先で標津を知ってもらえることに期待しています。ゆくゆくは自分たちでブランド名を考えて発信していきたいです」

sibetuhassinnkai30.JPG未来の漁師も含めると、、頼もしい6人の漁師たち
そのためにまずやりたいことは?と訪ねると、「8人の仲間集め」という答えが返ってきました。羅臼・標津・野付・根室から2人ずつ、儲け以外の想いを共有できる仲間で、今のフットワークを維持しながらより広域で連携するという構想です。

漁師がまちを元気にする

道東の厚岸町でかごえび漁を営む高田清治さんは、林さんが最も尊敬する人です。
「資源を自分たちで管理して魚を得るのが『漁業者』、自然にあるものをつないで漁をしてきたのが『漁師』。高田さんはかごえび漁が不漁に見舞われた際、漁業者でありながら漁師の心を持つことの大切さを説き、漁獲量を減らしながらブランド化を実現し、漁業者の収入増を実現された方。高田さんのおかげで僕は自分が目指すのは『漁師』なんだと、目の前のモヤが晴れました」

あとは走り続けるだけ!

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ときに軽妙でときにブラックなジョークも交わす波心会のお二人。インタビュー中もまるで漫才を見ているようです(笑)。しかし、漁業の未来の話になると引き締まった表情になるのがとても印象的。真剣な熱い思いが溢れているのを感じます。
「僕たちがやろうとしていることは、今の標津の漁業を古くから支えてきた、僕たちのお父さん世代にはなかなか理解されにくいかもしれません。ですが、行政を含め若い世代には徐々に評価してもらえるようになってきました」

浅野さんによると、まちでも「ようやく標津でも若手が動き出した」と声をかけられることが増えてきたそうです。
標津は漁師町、漁師が元気になればまちも元気になるはず!

動き出した、標津と道東ブランドの今後に要注目です。

sibetuhassinnkai.212.JPGこの日は商品開発のためにコンブを探しにやってきました。すべての過程が、あうんの呼吸で流れるように進んで行きます。さすがのチームワーク!

...ところで道東には、他にも真剣に漁業の未来を考える仲間がいます。
尾岱沼(おだいとう)地区でホタテ漁師として漁を行う藤村さんもその一人です。
次回の記事(5/20公開予定)では、藤村さんのお話を中心にお届けしますので、そちらも是非お見逃し無く!

標津 波心会 代表 林強徳さん・副代表 浅野将太さん
標津 波心会 代表 林強徳さん・副代表 浅野将太さん
住所

北海道標津郡標津町

◎現在波心会ではネットショップを準備中。それまでは波心会のFacebookでもおいしい魚を注文可能なので、ぜひ標津自慢の逸品をご賞味ください!

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◎標津漁師会では移動販売車を導入するそうです。車両は商工会議所で使っていたものを譲り受けてピザ窯仕様にカスタム。帯広のますやパンから習ったピザ生地に標津産の魚介をトッピングした「浜ピザ」を積んで、各地のイベントや移動販売車が集まるフェスなどに参加していく予定なので、見かけたら是非立ち寄ってみてください。

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標津から全国へハッシン!進化し続ける新時代の漁師たち

この記事は2021年4月1日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。