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85年の歴史に幕。えりも岬地区唯一のスーパーのお話です20210226

この記事は2021年2月26日に公開した情報です。

85年の歴史に幕。えりも岬地区唯一のスーパーのお話です

えりもと言えば、皆さんは何をイメージしますか?
多くの方は、やはり襟裳岬を思い浮かべるのではないでしょうか。
襟裳岬の名を全国区にしたのは、言うまでも無く、その名をズバリタイトルにした『襟裳岬』という歌です。
最初に歌ったのは島倉千代子。昭和36年のことだそうです。そして、昭和49年、森進一が同タイトルの曲を発表。(こちらは「えりもの春は何もない春です」で有名ですね)。
すると何と、昭和49年のNHK紅白歌合戦は紅組のトリが島倉千代子の『襟裳岬』、白組のトリが森進一の『襟裳岬』という快挙を達成し、えりもは一気に有名になり、一大観光地になっていったのでした。

それから約50年、当時のにぎわいは落ち着きましたが、新たに建てられた「風の館」を中心に、風をキーワードとした唯一無二の自然体験スポットとして、またはキャンプやアウトドアレジャーのスポットとして、今もえりもは人気を集め続けています。
特に、岬から望める初日の出を求めて、お正月には全道・全国から人が集まるそうです。

丸忠(マルチュウ)鈴木商店の歴史

さて、そんな襟裳岬のほど近くに、その名もえりも岬地区という人口500人ほどの集落があります。
(住所で言うと北海道幌泉郡えりも町字えりも岬)
その住人の多くがコンブやサケを獲る漁師さんとその家族です。以前は漁師さん以外では、灯台守さんとその家族も約30人ほど住んでいたのですが、灯台が自動化してからは地区を離れてしまったそうです。
町の中心地より13キロほど離れているため、普段の買い物は、地区唯一のスーパーである丸忠(マルチュウ)鈴木商店が頼りです。
地域の人たちは親しみを込めて「マルチュウさん」と呼びます。このお話は、そのマルチュウさんが閉店した!というところから始まります。

marutyuusuzuki16.JPGこちらが店主の鈴木隆人さん。鮮やかなセーターが良くお似合いです。ちなみに某大手ビールメーカーの名誉顧問からのプレゼントだそう!
約85年の歴史に幕をおろす決断をしたのは、店主の鈴木隆人さんと奥さんの範子さんです。
二人ともこのまちで生まれ育ち、人生の大半をこのまちで過ごしてきました。
えりもが大好きだと言うお二人に、ここまでの歴史とお店のこれからや地域への想いについて聞きました。

丸忠(マルチュウ)鈴木商店は、栃木県から入植した鈴木さんの祖父、忠平さんの饅頭と豆腐売りから始まりました。
当時は、店舗を構えない、大道と呼ばれる商売の形式だったそうです。運動会や、お祭りなど人の集まる場所に出向いては必要とされるものを売っていたのでした。
苦労の甲斐あって、徐々に品揃えを増やし、店舗を構えて商店のカタチになり、やがて、隆人さんのお父様が、地区の郵便局に勤めるかたわら、そのお店を継ぐ頃には、並びあう他の店舗とともに商店街の一店舗として順調に成長をしていきました。
「隣が郵便局でさ、おやじは郵便局を16時に終わるとそのまま前掛けかけてお店に立ってたね (笑)」と隆人さん。

お店毎に、海産物や塩・砂糖など免許を持って販売していたなかで、鈴木商店が特化していたのはお酒とたばこでした。
「うちは商店街に参入するのがちょっと遅くて、お酒の免許しか持てなかったんですよ」と隆人さんは言いますが、しかし、それこそがお店を成長させた、今も続く地域の人たちの大きなニーズでした。

marutyuusuzuki10.JPG代々受け継ぐ、ロゴ入り前掛け
苫小牧の高校を卒業して、実家に戻った隆人さんは、そこから本格的に家業に参加し、地域の人たちの求めに応じて、仕入れや商品探しに奔走します。というのも、札幌や帯広といった大きな都市からは距離があり、さらにえりもの中心地からもかなり離れているという立地のため、他の店舗などの配送ルートにのれず、独自で商品を仕入れなくてはならなかったのです。
しかし、これは逆にいえば、強みでもありました。コンビニや大手スーパーの入り込めない地域だからこそ、地域の人のニーズに応じて臨機応変に商品を揃えることができたのでした。

地域のパパママストアとして

名曲『襟裳岬』が大ヒットし、近くにキャンプ場がオープンし、さらに当時日本中に巻き起こった離島ブームの影響などもあいまって、えりもに観光客が押し寄せた昭和50年ころに、お店の売り上げはピークを迎えます。
スーパーと、近くの景勝地に出したレストハウスと合わせて、その額なんと年間1億5000万円以上! 
「そのころは、もうお昼食べる時間もなかったもんね」と話されるように、範子さんと二人ではとても手がまわらず、社員2人、パート3人の7人体制で大忙しだったそうです。

しかし、その嵐のようなにぎわいもやがて落ち着き、観光客も以前ほどには訪れなくなっていきます。
そんな時代の流れに翻弄されながらも、地域の中で培った本来のニーズは揺らぐことなく、マルチュウさんは地域の人の頼れるお店として、ブームが去った後もかわらず365日オープンし続けていました。

marutyuusuzuki11.JPG奥様の範子さん
「うちはパパママストアだからね」、とお二人。
その言葉には、大きなお店ではないけどね、という意味と、地域の人に必要とされてきたという自負の、2つの意味が込められているように聞こえました。

それではここで、通常営業していたときのお店の様子を聞いてみましょう。

「今のこの店舗に建て替えたのは平成5年かな。昔から言う生鮮3品の魚・肉・野菜に今はデリカを加えて生鮮4品だね、とにかくそこは充実させて地域の人が喜んでくれるようにしたね。特に野菜と肉が人気でね。あと魚はここで獲れない魚を探して仕入れては売ったね」

何でもないことのように言いますが、このお店の場合、仕入れとは片道3時間や4時間の距離を自ら買い付けに行くことを意味します。立地的に、まとまった量でも無い限り配送してもらうのが難しいのです。札幌中央市場に行くのにも、恐らく片道4時間はかかります。隆人さんはそれを何十年も続けてきたのです。

「まだ自分が若ければ、もっとうまくやって続けられたかもね。実は、あるスーパーチェーンさんなんかも、何回もチェーン店として加盟しませんかって誘ってくれて、そうすれば仕入れも随分楽になっただろうけど、それはできなかったね。自分もあと何年続けられるかわからないから迷惑かけるかもしれないし、何より独自の仕入れができなくなるからね。ありがたい話だったけどね」

marutyuusuzuki2.JPG
そうしたスーパーチェーンや、大手小売企業が声をかけてくるのも当然です。
ライバルのいないこの商圏は、商売するにはもってこいなのです。住民の数だけで見ると、えりも岬集落の約500人+周辺の集落の300人+α、と全部で1000人足らずなのですが、売上金額は意外なほど大きなものになります。
その理由は、ストレートに言ってしまうと一人一人の消費額が大きいからなのですが、天然コンブや、鮭、毛蟹などの高級食材を扱う漁師さんたちのまちですから、それも納得ですね。
さらには地区の行事やお祭りなどの際には、酒類やドリンクなどが大量に購入されますし、そもそも普段から、保存がきくものやアイスクリームなどは箱毎購入が当たり前という土地柄もあるのかもしれません。

そうした営業当時のお話を聞いてから改めて店内を眺めてみると、今は空っぽですが、ぎっしりと配置された商品棚や冷蔵・冷凍コーナーに商品がいっぱいに並ぶ様子が目に浮かんできます。

隆人さんは、店舗だけでなくバックヤードも案内してくれたのですが、そこにも大きな冷凍・冷蔵庫や、各種パッキングの高額な機械、鮮魚、精肉それぞれのスペース、大きな流しやまな板など、ほぼ大手スーパーと変わらない設備が備えられていました。
これを、ほぼご夫婦二人でやって来たなんて、本当に頭の下がる思いです。それと同時に、もし自分がここに住んでいたならば、このお店がなくなっては相当困るだろうな~と実感したのでした。

marutyuusuzuki4.JPGすぐにでもまた使用できそうなバックヤード設備

閉店の予定でしたが、、、

さて、現在の状況についても聞いてみます。
実は、空の商品棚が並ぶ店内にあって、レジ周りと入り口周辺だけには、日本酒・焼酎・ビールなどの酒類が豊富に並んでいるのです。
これは完全閉店はしていないということなのでしょうか?

「実は、閉店はお店を引き継いでくれる方が見つかるまでの一時的なことと思ってたんだけど、意外と決まらなくて。完全に事業をやめてしまうと、お酒とタバコの販売免許がなくなってしまって次の方に引き継げないので、それを防ぐためにも今は実質、毎日1時間だけお店を開けているような状況なんです。個人のお客さんの他にも、地区内の飲食店やスナック、旅館とかにもビール樽とかを納品してるから、勝手にやめられないんだよね~」

と、そんな話をしている間にも注文の電話が鳴り、範子さんが対応します。聞けば、2リットル入りの焼酎を6本、後で取りに行くという常連さんからの電話だそうです。
そんな調子で今でも日に10人ほどのお客さんが訪れるそうで、このままでは、お二人がゆっくりと休養出来る日は当分先のことになりそうです。

「通常営業してたときも、イベントがあれば早朝でも開けたし、元旦は一応休みなんだけど、知り合いとか来たら開けちゃうし、休みは365日ほぼ無いも同然だったね。でも、それが好きなの。楽しかったよね!」
と、ニコニコ話す隆人さんからは、この仕事がほんとに好きなんだな~ということが伝わってきます。

marutyuusuzuki1.JPG充実のお酒コーナー。今も昔もニーズは絶えません
ちなみに、お客さんとのやりとりで何か覚えていることを聞きたいとお願いすると
「 こんなの食べたいから探してくれってたまに言われるんだけど、それを言われるとすごくはりきっちゃうよね!例えば、〇〇というメーカーの生ホルモンをどうしても食べたいという人がいて、何とかそれを探して来て店に置いたらすごく喜んでくれてね。自分でも食べたけど、確かに美味しくて、そのあと他の人にも随分売れたんだよ(笑)。それからやっぱりお酒のリクエストは多かったよね。以外と道内のメーカーでもロットが小さいと卸してくれなかったり、お酒のニーズには苦労したかな。でもそのおかげで、大きなスーパーにも置いてない品もあるほどお酒の種類は充実したね」

それから、こんなことも話してくれました。
「知らないお客さんが来ることもたまにあるけど、1回来た人はわかるよ、絶対忘れません!近くのキャンプ場に来たお客さんも、あ、去年も来ましたよね、って言えるもん。あと、顔が似てれば、あ、誰々さんの娘さんなのかな、とかってわかるからね」

マルチュウさんは、一人一人のお客さんと向き合い、コツコツと努力を重ねてきた結果出来上がったお店なのでした。建物こそ時代の流れとともに、コンビニ風な現代の店舗になりましたが、そこで交わされるお客さんとのやりとりの中には、85年前の創業当時とかわらない商売の原点や、商売の楽しさが生き続けているようで、第三者ながら、この貴重な場が、何とか良いカタチで受け継がれていくことを願ってやみません。

受け継いでくれる方への想い

ちなみに、事業承継を望む方がえりもに来た場合、住むところはどうなるのか、ふと思いついて聞いてみると、何と、今お住まいの店舗2階の住宅もそのまま引き継ぐつもりとのことで、ここからは場所をそのご自宅に移してお話を聞くことにしました。

marutyuusuzuki13.JPG50年以上、二人三脚でお店を続けてきました
玄関から入ると、そこには明るいリビングキッチンの広い空間が広がっていました。奥にはさらに和室も続いているようです。
テーブルの上には、売上のレシートが積み上げられ、お店がまだまだ必要とされていることを物語っています。

「自分たちはもう、もっと小さいところでいいからさ。ここは鉄骨だからね、かなり頑丈なおうちだよ。どんなに風吹いても大丈夫!」

と、ちょっとリラックスしたところで、隆人さんに、どんな方に継いで欲しいのか、本音のところをうかがってみることにしました。

「そうだね、理想を言えば家族で来てくれたら嬉しいかな。お店のこといろいろ家族で協力してできると思うし、お子さんいれば、近くに小学校もあるしね」

聞けば、おふたりのお子さんは、娘さんが看護師資格を持ち、息子さんは警察官になり、それぞれの道を歩んでいるとのこと。お店を継ぐことはかないませんでしたが、立派になられたことを写真を見せながら嬉しそうに教えてくれました。

marutyuusuzuki15.JPGリビングには想い出のお写真がたくさん
そして、こう続けました。
「毎日誰かが来てくれるから、自分たちはほとんど休み無しでお店やってきたね。夫婦そろって、家族そろって、どっかに出かけたりは中々難しかったけど、でも好きでやってきたことだからね。
でも、これからやってくれる人は、その人のやり方でいいと思う。地域の人に周知さえしてくれれば、木曜は休みだとか、日曜は休むだとか、そこは自由にやってもらっていいと思うよ。
そして、必ずしもこの生鮮スーパーという業態でなくてもいいと思ってる。若い人はその感覚で新しいことしてもらえれば。例えば、この地域にはパン屋さんがないから、ベーカリーのコーナーとかあっても喜ばれるかもね! あと、独自の品揃えの酒屋さんとか? 大事なのはここの生活を楽しんで、ここでずっと暮らしていくんだという気持ちだと思うよ」

なるほど、そのまま承継したり、事業を拡大するのももちろんありですが、考え方や工夫によって、今までなかった新しいことを始めるというのも何だかワクワクしてしまいますね。そのお店に今度は、鈴木さんご夫婦がお客さんとしてやってくるということもあるのでしょう。

最後に、ここが大好きだといいうお二人に、えりも地区という地域の魅力についても改めて聞いてみました。
すると、取材陣の知らない情報が出るわ出るわ。そのほんの一部をお伝えしてみようと思います。

隆人さんはお祭り好きとのことですが、特に、4月末のウニ祭りと、えりも神社の秋の例大祭はお薦めだそうです。ウニ祭りは、春ウニで有名なえりもならではのお祭りで、日高のコンブをたっぷり食べて育った絶品のウニや、ツブやたこ飯などが大集合。秋の例大祭は、漁師さんたちが大漁を祈願して、御神輿をかついでずぶ濡れになりながら浜辺をかけまわる、その迫力ある姿が名物で、カメラ愛好家たちの被写体としても大人気だそうです。

marutyuusuzuki5.JPG御神輿の様子を捉えたお写真
そして意外と知られていないのが、50年以上の歳月をかけて緑化に成功した、100人浜という約15キロにわたる美しい砂浜です。
町外から来た人が、こんなにきれいな砂浜あるなんて知らなかった!と口を揃えるその場所は、一旦は原生林が切り開かれ砂丘となってしまいましたが、試行錯誤の末、防風林の形成に成功し、今では絶好のレジャースポットとなっています。
「サーフィンする人も多いけど、中にはカリフォルニアから来た人もいたんだよ」と隆人さんが教えてくれます。

また、サーフィンだけではなく、海に囲まれたこの環境は、シーカヤックなどにも最適で、近くの老舗旅館のご主人がガイドを務めていらっしゃるんだとか。

「あと、自分たちは見慣れてるけど、えりも岬は確かあざらしの生息数が日本一だね。1000頭くらい住んでて、いくらでも見れるよ」と驚きの情報も。

その他、海の物はなんでも美味しいが、特にツブは驚くほどうまい、という話や、絶景に困らない地区だけあって、某CMや、某映画の舞台になった、という話や、地域の20〜80代の全ての世代が通うというスナックの話などなど、最後はほとんど取材というより楽しく雑談という感じになってしまいましたが、鈴木さんご夫婦や、取材に同席して頂いた商工会の方など、皆さんがいかにこの地域に愛着を持っているのかが伝わってきました。
もし、ここで新たに挑戦しようとする人が現れたなら、きっとみなさんが全力で応援してくれるのは間違いありません。

marutyuusuzuki6.JPGえりもの自然を表したマルチュウさんの看板
取材中、隆人さんは何度か看板の話をしてくれました。今の店舗にするときに、お知り合いにデザインしてもらったというその看板は、とても明るい色使いが印象的で、えりもの太陽のオレンジと海の青と山の緑を表現しているのだそうです。
たとえ業態が変わっても、この看板にこめられた想いは受け継いでいって欲しいものです。

えりも岬で漁師さんたちを相手に商売する。えりも岬から世界を相手に商売する。ここでしかできないことがきっとあります。
興味のある方や何かアイディアをお持ちの方、それをカタチにするチャンスかもしれませんよ!

丸忠(マルチュウ)鈴木商店
丸忠(マルチュウ)鈴木商店
住所

北海道幌泉郡えりも町字えりも岬181番地

マルチュウ鈴木商店さんの事業に興味がありましたら、公的機関の北海道後継者人材バンクさんがお問い合わせを賜ります。


北海道後継者人材バンク

(北海道札幌市中央区北1条西2丁目 北海道経済センター5F)

https://www.hokkaido-jigyoshokei.jp/bank/


85年の歴史に幕。えりも岬地区唯一のスーパーのお話です

この記事は2021年2月2日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。