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札幌市

日本で世界でご近所で!出会った人を魅了する女将のお話20200722

この記事は2020年7月22日に公開した情報です。

日本で世界でご近所で!出会った人を魅了する女将のお話

3階建て家屋の下でゆらゆらと風に揺れる暖簾をくぐりぬけ大きな蔵戸を開けると、藍色の壁にあざやかな朱色のタペストリーが目を引くカフェバースペースが現れます。

札幌市の中心部から地下鉄で10分程の南平岸エリアにあるゲストハウスOYADO SAPPOROは「平岸ローカルと旅人が笑顔で集える場でありたい」という願いのもと、1階に誰でも利用できるカフェバースペースが備えられた宿泊施設です。お伺いしたのは2019年4月のオープンから1年少し経ったころ。全14床のこじんまりとしたOYADOには、女将・奥田 泰永(おくだ よしえ)さんとゲストとのさまざまな思い出がすでにたくさん詰まっていました。

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世界を広げてくれた「よさこい」

奥田さんは北海道石狩南高等学校の卒業生。当時を振り返る奥田さんの口から「私、夢がない子だったんですよ」と意外な言葉が。明るくバイタリティに溢れるその様子からは想像できません。

「高校卒業時、具体的にやりたいことがなかったんですね。そんな状態で大学に行っても意味ないなって思って、団体職員として働き始めたんです。入社してすぐに自分には合わないって感じてはいたんですけど、当時は世間を知らなかったから働くってこういうことなのかなって、結局それから20年間勤務しました」

自分に合わないと感じながらも20年間働くなんて、奥田さんの並々ならぬ忍耐強さがうかがえます。そんな団体職員として働く19歳のころ、「よさこい」に出会い魅了された奥田さんは、社会人として働くかたわら自らも「よさこい」の踊り子として活動をはじめます。

「みなさんが大学時代に経験するであろう、いろんな地域の人やいろんな年齢、職業の人との出会い。その人たちとの触れ合いを通して視野を広げていける場が私は『よさこい』だったんです。日本のよさこいチームとしてアジア圏の国に呼ばれることもあったんですけど、日本とルーツが同じだったりするから見た目も食べものも建物もどこか私たちと共通する部分がありますよね。そんな中メキシコに呼ばれることがあって、そこですごいカルチャーショックを受けたんです」

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メキシコと言えばテキーラにタコス、色彩も人もにぎやかでパワフルなラテンの国...確かに想像するに何から何まで日本とは違う(というか真逆?)であろうメキシコ。そこで開催されていたイベントに日本のよさこいチームとして招待されていた奥田さんたちは、同じくそのイベントにアーティストとして参加していたあるグループに出会います。

「滞在していたホテルの屋上で飲んでた時に、イベントで見かけたグループもそこにいて『あ!さっきの人たち~』って意気投合したんですよ。そのグループはマヤ民族の末裔の方々がマヤ民族の言葉でロックを歌うバンドだったんですけど、すっごく仲良くなって」

日本に戻ったのち、彼らの村を訪れるため再度メキシコを訪れた奥田さん。それははじめての海外一人旅でした。そうして一気に「一人旅」熱に火がついた奥田さんは休みを取っては世界中あちこち旅をしてまわり、大好きなメキシコには計6回も訪れます。

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先住民族が多く住むメキシコ・チアパス州でバンドのメンバーと再会。

広い世界を見始めた奥田さんはやがて、今よりお給料が下がったとしても大好きな旅行にまつわる仕事をしたいと思い、旅行会社への転職を目指して夜間学校に通いながら旅行業の資格を取得。さらに英語を習得するため次の転職先を探し始める前にフィリピンへ5週間の短期留学に行くことに決めました。

ゲストハウスオープンを決意させたイタリア生活

「留学先のフィリピンの学校が超スパルタで!悔しくて泣きながら勉強していたある日、ミラノ万博の日本館フードコートでのバイトの話をもらったんです。それで留学期間終了後、すぐイタリアに飛んで4カ月半イタリアにいたんですけど、実はそこで壮絶な嫌がらせにあって(笑)。帰りたかったけど...でも泣いて帰るのは絶対嫌だったんです」

それは奥田さんを雇用していた会社のシステムに不満を持っていた日本人スタッフによる理不尽な嫌がらせでした。「これでちょっとやそっとイヤなことがあっても屁でもなくなりましたよ」と笑いながら話す奥田さんでしたが、さぞ体力的にも精神的にも辛い状況であったことでしょう。
しかし、そんな苦境に立たされたイタリア生活の中でも奥田さんのまわりにはいつも心の支えになってくれる人たちがいました。

「同じ日本館のフードコートで働く同僚たちや他のパビリオンのスタッフたちには良くしてもらいましたし、私の境遇や気持ちを理解してくれる人もいて当時は本当に救われましたね。
同時に、万博を訪れるたくさんの人たちが日本人や日本文化を賞賛し、感動してくれているのを見て、こんな風に日本のことを思ってくれている彼らがいつか日本や札幌に来てくれたときには、私が持ち合わせている情報と私なりの接し方で存分におもてなししたいという想いが日に日に強くなっていって。そのときに『日本に帰ったらゲストハウスをやろう!』と腹を決めました」

イタリアで生活するなかで感じていた「会社に雇われて働くのではなく、自分で自分の思うサービスを提供したい」という想いと、「いつかやりたい。でも夢のまた夢」だと思っていたゲストハウス経営が実現に向かって動き出した瞬間でした。

4年かかった物件探しと予期せぬ出来事

イタリアから戻ってきた奥田さんはまず、ゲストハウスオープンに向けて物件探しを始めます。
しかし運命の物件に出会うまでかなりの時間を要した様子。

「ちょうど良い物件がほんとに見つからなくて...。これまで自分が長く住んできた平岸地区は、中心部から少し離れているけどどこに行くのにもアクセスはいいし、近くには豊平川や天神山緑地もあって自然も感じられる。そして何よりも商店街に入りたかったのでこのエリアをメインに探していたんですけど全然見つからなかったんですよね...。『良いかも!』って思う賃貸物件を見つけても、大家さんにゲストハウスをやりたいと伝えると『外国人泊まるんでしょ...?』って偏見を持たれて理解を得られなかったり、都市計画に沿わなきゃいけなかったり、『好きに使っていいよ~』って言ってくれる大家さんに出会えても家賃が高かったりで...」

この頃の奥田さんは物件探しと同時に、アクティビティ会社での事務業務や旅行客の送迎業務、お歳暮やお中元の時期には配送の仕事、ゴルフ場のレストランでの接客の仕事やホテルでの朝食スタッフの仕事など、さまざまなアルバイトをかけもちしていました。そうこうしているうちに探し始めてから4年(!)もの月日が経とうとしていたときに、ようやく今の物件をインターネットで発見したそうなんですが...

「もうね...廃墟っていうかお化け屋敷みたいだったの。1階は椅子とかソファとかテーブルとかが散乱してて、小さい窓が1つしかなくて真っ暗で、カーテンなのか何なのか分からないような布がデロ~ンって垂れ下がったりとかしてて(笑)。不動産の人も渋い顔で案内してましたね。だけど、『もうここしかない!』と思って。立地は最高だし、本当はもう少し大きい物件をイメージしていたんですけど一人で運営していくことを考えると、『このくらいでいいのかな』って思って、ここに決めました」

そんなお化け屋敷のような物件を購入したあと、ゲストハウスとしてオープンさせるため奥田さんは先輩の大工さんと一緒にリノベーション工事にとりかかります。すると2019年2月、ちょうど雪祭りの時期に予期せぬ出来事がおこりました。

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「冬の寒い中工事していたらドアが開いて、ふっとみたら見知らぬ男性がでっかいスーツケースを持って立っていて。え!?と思ったけど、あ。そっか!この辺りって民泊できるところ多いし、場所聞きたいんだと思って、『どうしたの?』ってきいたら、『これってここですか?』って住所を見せられて。そしたらうちの住所なんですよ。オープン前でどこのサイトにも載せてないのに...でもその後も3組くらい来て。中国人のカップル、大阪の4人の親子、東京の男の子グループって...」

なんと、どこかの民泊サイトに勝手に登録されていたことがその後に判明。そんなトラブルに見舞われたこともあったようですが、まだ泊まれないのに来てしまった人たちに奥田さんは「ひとまず寒いから中入んなっ」と一緒に代わりの宿を探したり、ホテルが見つかった後はそこまで車で送っていったりと持ち前の優しさとホスピタリティで乗りこえ、オープン前にもかかわらずOYADOの女将ファンが誕生していきました。その証拠に大阪から来た4人とは今も連絡を取り合うほど仲良しで、出張などで札幌に来たときにはOYADOにふらっと遊びに来てくれるんだとか。

スナックみたいなゲストハウス!?

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OYADOに飾られている大正時代の照明や歴史を感じさせる蔵戸。「和」や「古さ」を感じさせるものが好きな奥田さんは、旅をするときにはいつも繁華街から少し外れたレトロな雰囲気のある場所のゲストハウスに泊まっていたそう。南平岸にゲストハウスをオープンさせたのは、そういった雰囲気のある街だと思ったことも理由のひとつ。

「古さを感じながらリラックスしてもらうっていうのが理想なんです。もう少し広さがあったら畳の小上がりとかもしたかったんですけどね。今、オシャレなゲストハウスがたくさんあると思うんですけど私にはかなわないから...。でも40代だからこそ出せる色を出したくて。そしたらたまにスナックみたいなゲストハウスになるときがあるんですよね(笑)。そんなコンセプト、最初は考えていなかったのに」

奥田さんの飾らない人柄や優しさ、その場を和ませる話し方や雰囲気に心地よくなってしまった私たちも取材の最中何度もビール片手に人生相談したくなりました。ですから「スナックみたいなゲストハウスになるときがある」っていうのは、ものすご〜く分かります。

「この間長崎の男の子とシンガポールの男の子と韓国の男の子がゲストハウスに泊まったことがあって、話を聞いていくと3人それぞれのお母さんと私が同い年だったっていう。もう~各国の言葉で『お母さん』って呼ばせましたよね(笑)。ときとしてそういう子たちの『札幌のお母さん』にもなれるってところはこの年齢でオープンして良かったなと思うことのひとつではありますね」

大人たちにとっての「ママ」、そして若い世代には「母親」のような存在の奥田さん。そんな奥田さんが女将のOYADOには一度訪れるとリピーターになる人たちが大勢。

「まだ1年しか経ってないけど、日本からも海外からもリピーターになってくれる人がいて本当に嬉しいんですよ。オープンしたてでお客さんが少なかった頃も、ミラノ万博で働いていた時に出会ったシェフの子が彼女を連れてOYADOに来てくれたり、去年の夏に来た韓国のお客さんもその年の冬にまた来てくれたり」

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奥田さんの人気ぶりは予約サイトをはじめとする口コミを読んでも明らか。みんな口を揃えて奥田さんの人柄を絶賛しています。
ご本人曰く英語が堪能にしゃべれるわけではないとのことですが海外ビジターからも「Yoshi was just amazing!(ヨシは本当に素晴らしい人でした)」や「Best Guesthouse Owner Ever(今までで最高のゲストハウスオーナー)」など数々の口コミが寄せられています。例え英語が流暢にしゃべられたとしても、それだけでこのような評価にはならないはず。奥田さんの魅力が言葉を超えてゲストの心を虜にしているのでしょう。中でもとある日本人の方がコメントに残していた「Super Icebreaker オーナーのよしえさん」というこの言葉。Icebreaker(アイスブレーカー)とは「初対面の人同士が出会うとき、みんなを和ませ、コミュニケーションをとりやすい雰囲気を作る人」のことなのだそう。
OYADOを訪れた人と女将だけでなく、ゲスト同士の素敵な出会いにも奥田さんは欠かせない存在なのです。

OYADO支える商店街やたくさんの人との繋がり

カフェバースペースに飾られている水引タペストリーやオリジナルカレンダー、ロゴマークは全て奥田さんがこれまで出会ってきた人たちがOYADOのためにしつらえたもの。

「昔外国人が集まるバーに飲みに行ったときに、そこで働いていたバーテンの女の子と仲良くなったんですけど、その子がニセコで日本を訪れた海外の方に日本文化を教えるのと同時に人と人を結んでいくっていう意味を込めて、水引のアクセサリーのお店を立ち上げたことを知って。だからOYADOがオープンしたらそこで彼女の商品を販売したり、制作体験を開催したりしたいなって思ってたし、宿の壁に飾る水引のタペストリーも作って欲しいとお願いしていたんです。ロゴマークもよさこいチームに所属していたころの先輩が作ってくれたものなんですけど、2人ともほとんど打ち合わせをせずに思い通りのものを作ってくれました。タペストリーに関しては『こんな大物はじめて作った』って言われましたけどね(笑)」

他にもゴルフ場でのバイト時代に出会った設備会社の社長さんがOYADOの改修時に安く設備を卸してくれたり、配送バイト時代の先輩がコロナ禍で大変だろうと「カネおとしにきたぞー!」とビールを飲みに来てくれたり。これまで奥田さんと出会ってきたたくさんの人たちがOYADOを支えています。

「一度出会うとその繋がりが切れることってあまりなくて、みんな末永く良くしてくれるんですよね」と教えてくださった奥田さん、まさにそれを証明するかのようなお話しは他にも。

「まだ物件が見つかってなかった頃、どうしても平岸でゲストハウスがやりたくて平岸にある2つの商店街に話に行ったんです。そしたら南平岸商店街の方が『今、南平岸商店街の総会をやってるんだけど、終わったらみんなで飲みに行くからもし良かったらおいでよ』って誘ってくださって。ずうずうしくも飲み会に参加させてもらったら、いろいろ話を聞いてくださって仲良くなったんです。そしたらその後すぐにこの物件が見つかって!嬉しくて南平岸商店街に連絡したらすごい喜んでくれて。南平岸商店街はもともとフットワークが軽い人が多いことで有名らしいんです。だいたい商店街の理事長さんって高齢の方が多いんですけど、うちの理事長さんは私の一個下で42歳。美容師さんをやっているんですが、組織での動き方や仕組みとかをすごく勉強している方で素晴らしいんですよ。ときどきバカなことして場を和ませてくれたりもして、そこがまたいいんです(笑)」

そんなコメントから、南平岸商店街組合と奥田さんがとてもいい関係を育んでいらっしゃることが伝わってきます。

「商店街の人たちはみんな個人事業主なんだけど、商店街でひとつの会社というか組織というか。そういうのがとても有り難い存在で、いつも心の支えになります。全く宿業を知らない第三者の意見も参考になるので大事な存在です」

地域活動に積極的に携わりたかった奥田さんにとっても、フットワークが軽いメンバーがまたひとり増えた南平岸商店街にとっても、いい出会いとなったようです。

これからのOYADO

オープンから2年目を迎える今年は「通常の1年」の閑散期・繁忙期のリズムを知って売上や今後のプランを立てていこうと考えていた奥田さんでしたが、新型コロナの影響で「通常の1年」を迎えられるとは到底思えない状況に。宿泊予約が軒並みキャンセルされる中、近所に住む方々にもOYADOに来て貰おうと地元のおいしいケーキやお菓子を置いてテイクアウトもできるようにしました。

「もともとコーヒーとビールだけは提供していたんですけど、9割方泊まり客専用みたいな雰囲気になっていたし、泊まるわけじゃないからってご近所さんたちもずっと入りづらかったみたいなんですよね。私の理想としてはゲストとご近所さんがここで一緒に気軽にビールを飲んだり、おしゃべりしたりして欲しかったので、カフェとして改めてオープンさせたときに、想像していたよりもたくさんのご近所さんたちが来てくれて嬉しかったです。前から気になっていたって言ってくださる方もいて、今は地域の方々との交流が少しずつ広まっています」


宿泊客が激減してしまった今、経済的にかなり苦しい状況であることは事実。しかし今は地域の方々にもOYADOや奥田さんの魅力を知ってもらうのに大切な期間と言えるのかもしれません。
最近はどうされているかなとOYADOのSNSをのぞいてみると、札幌市内・近郊の農家さんから仕入れた新鮮な野菜を軒先に並べ「農家のマルシェ」を開催し、順調に「ご近所さん」との触れ合いを深めてらっしゃいました。しかも既に常連さんもできているみたい!さすが人を瞬時に虜にする女将、奥田さんです。

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そう遠くない将来、またたくさんの宿泊客がOYADOを訪れる頃には、奥田さんが理想としていた平岸ローカルと旅人が笑顔で集える場として「ゲストとご近所さんがここで一緒にビールを飲む」風景があたりまえのように見られることでしょう。
Super Icebreakerの奥田さんの手に掛かれば、国籍・年齢・性別に関係なくゲストもローカルもたくさんの人がOYADOで素敵な出会いを経験できるはずです。

関連動画

Guesthouse OYADO SAPPORO
Guesthouse OYADO SAPPORO
住所

北海道札幌市豊平区平岸4条10丁目5-1

電話

011-312-6590

URL

https://www.oyado.jp


日本で世界でご近所で!出会った人を魅了する女将のお話

この記事は2020年6月29日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。