とんでもない人が札幌に住んでいました。
当サイト「くらしごと」では、コロナの影響下で通常の営業を続けられないゲストハウスのみなさんと、今だからこそ多くのことを伝えていきたいとクラウドファンディングのプロジェクトを一緒に展開させてもらいました。そのチームにいらっしゃったひとり、奈良 亘(なら わたる)さん。とんでもない方でした。
記事をこれから読むという方にとっては身も蓋もありませんが、絶対お会いしてお話したほうがいい方でした。でもお会いする時に絶対に役に立つ、奈良さんの生き様を、記事を通じて感じとっていただけたら幸いです。
旅好き、山好き、そして北海道大好きっていう方には、絶対におさえておいてもらいたい方のお話になっています。そしてコロナの影響下の閉塞感がある状況のなか、考え方や生き様に、多くの人を前向きにさせてくれると思います。
北海道のSappolodge、世界のSappolodge
2020年6月某日。まだコロナの影響が長引いて、CLOSEとなっているゲストハウス SappoLodge(サッポロッジ)の前で待ち合わせしていると、渋いハイエースのロングに乗ってやってきた奈良さん。
すごい人であることは、ネットを調べていてわかっていたのと、正に山の男!という風貌で、ちょっと怖い人だったらどうしよう...という、妙な緊張感を持っていたのですが、物腰の柔らかい、とても優しい口調で語りかけてくださるダンディな方でした。...そして、ご本人には怒られちゃうかもしれませんが、お笑い芸人のようなエンターテイナーでもありました。
「どうぞ、あがって、あがって、自由にくつろいでください」そう言われておじゃましたのが、カフェバーとなっている1F。
「ここは45年くらい前に建てられた旅館を改築してるんですよ」と説明いただいた店内は、木の素材感がでまくってる雰囲気のいいスペース。バーのスタイルでありながら、小上がりもあって、お店を形作る小物ひとつひとつにもストーリーが込められています。
「全部北海道じゃないとイヤなんですよね(笑)。バーカウンターは、アカエゾマツの1本木を自分で持って帰ってきて、加工してあるんですよ。こっちのテーブルもそう。階段もそこの木の壁だって...」という感じで、全て道産材で仕上げていました。
まず目にとまったのが壁にたくさん掛けられたスノーボードの板。
「あぁ、これね。パウダースノーを滑るのに、めっちゃいいんですよ。このメーカーからもサポートをいただいてるんですよね。山岳ガイドしてると、『どこの装備を使ってるんですか?』って言われることも多いので、スポンサーさんでもあるこの板を宣伝するんですよね(笑)。3,000円でレンタルもしてるんで、どうですか?」と奈良さんは笑いますが、こんな雪板を眺めながらお酒を飲めるってことを想像すると、それだけでも楽しそうです。そう、飲みながらネタになるグッズで店内は溢れているんです。
GENTEMSTICK(ゲンテンスティック)という国産スノーサーフブランド
「1Fがこんな感じで飲食店をやってるんですけど、お店の奥や2Fはゲストハウスとして泊まれるようになっています。まぁ、今はこの状況なんで、お客さんは誰もいないんですけど...」そう話された奈良さん。6年ほど前にオープンさせ、2~3年前の状況と今年は全く状況が変わってしまったと。でも悲観的な感じを一切出しません。
「昨日も今日も山菜とか筍とか行者にんにくを取りに行っててさ。それをさ常連さんとかが『買ってやるか!』って言ってくれる人もいて、お店は休業してますけど結構忙しいんですよね。朝から家でて採ってきても洗ったりラッピングしたり、発送だって手間かかるし。他にカレーとかも通販で売ってるんですよね!」と豪快に笑います。
1F部分がカフェバーとして、道産食材をふんだんに使った料理と共に、お酒を飲みながら交流も楽しめるようなつくりになっていました。普通の飲食店としての利用だけでなく、スポーツ観戦のパブリックビューイングや、企業が少しお酒を入れながらディスカッションする場としてだったり、ブライダルの2次会などでも活用されることも多いそうですが、外国の方々やアウトドア関係の方も多くお見えになるそうで、こんなことも教えてくれました。
「ある日、『ニューヨークのクラブで、SappoLodgeっていうところに行ったらいいよ!』って言われて来たよ!っていう外国のお客さんがみえました。『まじ?NYで噂になってる!?』って思って聞いてみたら、『ロンリープラネット(注1)』に書かれてるよって言うんです。ロンリープラネットは、行ってみればミシュランのようなガイドブックで、たぶん調査員がお忍びで店とかを調べてて、いいところだと思ったら紹介してるんですよね」
実際にその本を手に入れた奈良さん。「読んでみたら、『外からやってきた移住者が立ち上げたのではなく、ネイティブの北海道人がやってる。ローカルガイドとしてここの奈良に相談したらいい』って英語で書いてあったんですよね。でも最後に書かれてたのが『話すことはオヤジくさいけどね!』って。めっちゃ合ってるじゃん!本当に調査員がきてるじゃん!って(笑)」
注1)ロンリープラネット...1973年に最初のガイドブックを発行し、現在英語による旅行ガイドブックのシェアは25%で世界一。Wikipediaより。
旅という冒険に魅了された半生
そんなノリでお話をしてくださる奈良さんの名刺には「山岳ガイド・ゲストハウス・CafeBar運営」とあります。もう少し紐解いていきましょう。
奈良さんは1973年、札幌市白石区に生まれました。
「山岳ガイドとかやっていると、えっ!ってよく言われるんですけど、住むのは都会がいい!って思ってるんですよね(笑)。職場がアウトドアだから、帰る家も山の中だったらイヤでしょう?(笑)。ススキノのネオン街も大好きだし!飲みまくって明日は1日寝てよう...みたいなのいいじゃないですか!」これまた豪快なお話ですが、それはそれで格好つけてない感じが伝わってきて身近さを感じさせてくれます。
「アウトドアに目覚めたのは、小さいころかなぁ。親がよく連れて行ってくれたんで、海・山・川で遊んでたからですね。そして、キャンプするようになって、一人旅をするようになって、世界を目指して旅してたら40カ国くらいになって、就職して仕事でお客さんを連れて旅をするようになって、山に目覚めたっていうのが僕の人生っすね」
奈良さん流にご自身のことをまとめられるとこんな感じにコンパクトになるのですが、アウトドア好きの方の、人生のモデルケースのひとつなのかもしれません。...といっても、こんな単純なストーリーではないのですが。
高校を卒業後、キャバレーでバイトしたお金でバイクを買って、バイク旅行にはまり、その後、大学に入って旅好きなことから旅行代理店に就職します。それが北海道のコアな旅好きな人なら誰でも知っている「株式会社ノマド」という会社でした。いわば「秘境の旅」などのニッチなツアーを企画している企業で、奈良さんの思いにはぴったりだったそう。就活では「新卒採用はしていない」と断られたことに対しても、そこをなんとか!と粘りまくって、ついに採用してもらったというエピソードも。
「ノマドには14年間務めさせてもらいました。強引に入社させてもらったのにも関わらず、1ヶ月連続で有給ください!その代わり11ヶ月は連続で働きますんで!売上もちゃんと達成しますんで!みたいなことお願いしたりして働いてました(笑)。グリーンランドにカヤックの旅をするのに、ほんとに1ヶ月休みもらって行ったんですけど、そのときは結局45日間会社休みましたね(笑)」
30日超えてんじゃん!っていう取材陣からのツッコミの嵐(笑)。
「あ、でもどうしてもアラスカのマッキンリーに登りたくて、それは3ヶ月は休まないと行けなかったんすよね。登りきってスノボで山頂からどうしても滑って降りたくって。入社3年目のときですね。でもさすがにそれは会社にも怒られるっしょって思って、辞表を出したんです『僕の、世界に行きたい!って気持ちを抑えられないんです!』って(笑)」
がっちり社長に怒られたそうです(笑)。
「で、その時は怒られただけで、辞めたんだか辞めてないんだかよくわかんないまま、念願のマッキンリー登頂を終えて、帰ってきました~!って感じに会社に戻ってきてみたら、また社長から『このバカヤロウ!』って。でも『あれ?まだ僕の席あるじゃないですか!』って言ったら社長に『そんなこといってないで、もういいから働けっっ!』って(笑)。それでまだ社会人を続けられました(笑)」
とんでもないエピソード。奈良さんも奈良さんですが、ノマドという会社の懐の大きさにもびっくりします。
「もともとが山岳部のOBばっかりみたいな会社でしたから、社長にも『腹立つけど、羨ましい!社長になったらそんなことできないんだぞ!』って言われました(笑)。それからというもの、ネパールに行こう、オーストラリアのあの島の1周ツアーをつくろう、北海道の山と美味いものをくっつけた企画をつくろう!なんてやっていくなかでも、信条としては『誰もお客さんがツアーに参加しなくても僕だけで行きますから!』って感じでした(笑)」
まず自分が行きたいと思うかどうかっていうところを大事にしていたそうです。
「でも真面目な話、旅慣れて誰も行っていないようなニッチなところに行きたい、まだ誰も経験していないような体験をしたい!っていうプロのようなお客様が相手だからこそ、こちらはさらにプロであり続けなきゃいけないっていう大変さもありましたね。それで行きついたのが『南極』でした。南極のツアーを商品企画したんですよ。当時200万円くらいのパッケージだったんですけど、あっという間に売れました」
南極での生活
(奈良さんご提供写真)南極の写真です。
南極! 取材に伺う前から事前情報で知っていましたが、その経緯は知りませんでしたので、なるほど納得でもあります。それにしても南極という発想に至るのはすごいお話です。そして、会社の企画室長にまでなっていた奈良さんが、本当に(?)退職することになった理由もまた南極でした。
「南極越冬隊に参加するために会社を退職したんですよね。それは2年間の任務でしたから、さすがに有給お願いします!っていうわけにはいかないですよね(笑)」
南極越冬隊とは、夏隊・冬隊と呼ばれる期間が短めの滞在ではなく、さらに過酷な越冬して南極で観測を続ける隊のこと。隊員の多くは政府機関の研究員や職員が多くを占めるという本当に限られた人だけが参加できるものです。そこに山岳のプロという肩書で奈良さんは参加したのでした。
(奈良さんご提供写真)第53次隊のみなさん。
「僕は第53次隊として参加。昭和基地に2年間住んでたんです。山岳での経験を活かして南極をガイドするっていう仕事でした。30人しかいない集団生活を南極で送ってたんですけど、面白かったですね~。周りは地質の研究者だったり、生物の研究者だったり、普通に生活していたら出会わないような超トップクラスの人たちばっかり。参加したメンバーが、大学の授業を個別に受けてるみたいな話をいっぱいしてくれました(笑)。新聞もテレビもラジオもない世界だから、そういう会話が楽しくって。30人しかいない生活のなかでも、いろんなことをやってたんですけど、『南極BAR』を開きました。っていっても、お客さんが外からくるわけもなく、30人を10人がバーテンダー、20人をお客さんってことで見立ててやってました。ちゃんとバーテン役は蝶ネクタイもつけてやってたんですよね。実際にお金をもらうわけじゃないですけど、伝票も書いて計算してて、『ちょっと今月飲みすぎですよ!実際なら○○円っすよ!』とかって(笑)」
まさに映画の「南極料理人」の世界ですね。さらに面白いお話も教えてくださいます。
(奈良さんご提供写真)南極観測船 しらせ
「僕らは通年で過ごしてるわけなんですけど、夏隊がくるときは、『しらせ』って船がやってきて、一気に200人くらいになるんです。ベッドも足りなくなるんじゃってくらいに人で賑わうんですよね(笑)。南極で活動できるのは『白夜』のときだけ。4ヶ月間だけその時期があって、ちゃんと太陽が上るんです。もうその期間だけは外でちゃんと活動できるっていうんで、ここぞとばかりいろんな作業するんです。研究者も何も関係なく、みんなで建物建てたり、そりゃもう大忙しなんです」
(奈良さんご提供写真)南極で一生懸命作業するみなさん
「その4ヶ月が終わると、みんな船乗って帰っちゃって、また30人の生活に。そりゃもう寂しいのなんのって(笑)。さらに、今度は『極夜』っていう1日中太陽が出ない日が何ヶ月も続くんです。もう真っ暗。やることもなくなるから、もう酒を飲むしかないんですよね(笑)。外で氷割ってきて、『南極の氷でオンザロック』って感じ(笑)。10万年前の氷ってうまいな~って(笑)。実はその南極の氷は持って帰ってきたので、今も冷凍庫にあるんですよね。ここぞって時にはこれを砕いて飲むんです。あ、飲みたかったら相談してくださいね、商品としてお出ししますよ(笑)」
(奈良さんご提供写真)南極のペンギン。かわいいですね。
もうお話をずっと聞いていたいくらい面白い生活。ここには書けていないこともまだまだたくさんあるので、それは実際にお店で聞いてみてください。そして、「また南極に行きたいと思いますか?」という取材陣からの質問に。
「そうだなぁ。うん。行ってみたいと思いますね!...でも、今じゃないかな。もっと面白いことを北海道でつくりだしていかないといけないから」
(奈良さんご提供写真)南極での奈良さん
奈良さんのこれから
そんなお話をしてくれた奈良さん。
ゲストハウスのこと、コロナのこと、これからのことなどを語ってくれました。
「ゲストハウスをやってるけど、それは自分の一部。そもそも自分がいなくても運営できるように最初からつくってて、むしろ自分がやっちゃだめって思ってるんです。だからゲストハウスなのに正社員が6人もいるって珍しいでしょう? まぁ、カフェバーもやってるからっていうのもあるけど。これまで話しててわかると思うんですけど、企業に所属しててもしてなくても、自分がやりたいことって変わんないですよね? だから面白いことをやっていきたくって。それはウチで働いてくれるスタッフにも同じことが言えて、『自分たちも旅人であるべき』だと常々言ってるんです。だから『アウトドアトリップ支援休暇』っていうのもつくってて、休んでどんどん旅に行ってきなさいって。運営に役立つんだったら、会社として支援もしてますしね。例えば、ウチのシェフは『台湾で小籠包を学んできたい!』って言うんで、行かせました。現地のおかあさんたちに小籠包の作り方を学ぶ旅に出て、帰ってきて『小籠包ナイト』を開催したら大盛況でしたね。SNSでその旅行の過程も発信してたから、そこにファンもついてくれて、ストーリーを共感できるから、食べたいって思ってもらえたんですよね。それって本人にもお客さんにとってもいいことだし、商売として考えてもアリなんです。スタッフにはやりがいを持ってて欲しいし、プロになって欲しいんですよね」
ご自身の破天荒にも見えるこれまでを、奈良さんなりに噛み砕いで後人につないでいるのがとてもよくわかりました。さらにそれを裏付けるお話も。
「ウチで働いてくれてた子たちが、『コロナでSappoLodgeが休業だって、やばいって、つぶれちゃうって!』ってなって、セルフクラウドファンディングって感じで、募金してくれたんです。封筒に8万円入ってました。『今、千葉にいます、頑張ってください』とか『つぶれないでください』『就職活動の時に面接の練習をしてくれてありがとうございます!』とかのメッセージもあって、本当にただアルバイトしてくれてたような子も参加してました。みんなだってお金もないはずなのに。感動しましたね。実は、SappoLodge単独でクラウドファンディングをしようって思ってて、あとはボタンひとつ押すだけだったんですけど、やめました。『大変だから助けてください』って違うだろ、僕らって夢を語れる場所をつくることだろって。そんな後ろ向きなメッセージは違うって思ったんですよね。最初、ここを立ち上げたときもそうだった。『札幌の観光に目玉をつくるんだ!札幌に観光で寄った人にSappoLodgeに行ってないの?』って言われるくらいの場所にするんだって思ってたことを思い出したんですよね。札幌でゲストハウスを運営しているオーナーたちはみんな仲がいんですけど、カタチは違えどみんな同じような想いなんですよね」
2Fのゲストハウススペース
かつて働いていたところがピンチとなって、こんなことがおこるんでしょうか。奈良さんはたくさんの歴史やすごい経歴をつくってきましたが、世の中にはでてこない、こんな人と人とのつながりが、もしかしたら1番の功績なのかもしれません。そして少し恥ずかしそうに、僕みたいな親父が前に立って引っ張っていくのは悪いから...といって、北海道でゲストハウスを始めだした若いオーナーたちへの期待と想いにも溢れていました。札幌のゲストハウスオーナーのみなさんとは、「札幌もそうだし、北海道全体を盛り上げて、それこそ『新しい北海道スタイル』をつくっていこうぜ!」って感じになっているそうです。
1Fから2Fまでボルダリングもできるようなつくりになっていました。
そしてこっそりと今関わっていることも教えてくれました。
「○○半島をまるごと遊びのワンダーランドにする!」そうお話された計画は、すでに動き出していて、アウトドアコンテンツやお酒、ワーケーションなどを絡めて、過疎地域を救うような企画になっていました。現在進行中のこのお話はまた別の機会にいたしましょう。
お店で筋トレもできちゃいます(笑)
最後に、奈良さんってどうしてそんなにお話が面白いんですか?っていう質問にも的確な答えがありました。
「もうずっとガイドの仕事してるじゃないですか。ガイドの仕事って商品がないんです。モノもカタチもないものを喜びに変えるのが僕の仕事なんですよね。だからですかね。職業病とも言えるかな(笑)。山岳ガイドっていっても、ただ山を登るだけじゃない、歴史とか自然のことも説明しながら登っていくんですよ。だから勉強もしないといけないんですよね。お客さんが普通の1日だったのを、お金をいただいて、最高の1日として返してあげるっていうところが大事なんですよ」
お話しを聞いていても、どこか笑いに変えてくれる奈良さんですが、お話していてわかるのは、1本筋が通っているところ。奈良さんに惹かれる人がたくさんいるのがとても理解できました。
「世界中をガイドしてきたけど、これからは北海道で、世界中の人をガイドしていきたいですね」
そう締めくくった奈良さんの日焼けした笑顔には、こんな大変な世の中になっていても、未来に向けた眼差ししかありませんでした。
旅人のことをとことん知っているからこそ、細かなコダワリに溢れたドミトリー。
1F奥にあるのは、とってもキレイな2人部屋。
- GUESTHOUSE SappoLodge(サッポロッジ)
- 住所
北海道札幌市中央区南5条東1丁目1-4
- 電話
011-211-4314
- URL