道北の中核都市である名寄市。夏は暑く冬は寒い、昼夜の寒暖差も大きい盆地特有の気候で、生産量日本一のもち米や、多品目の作物が生産されています。また、市内どこからでも行き来がしやすく、コンパクトさが魅力的なまちです。
そんな名寄市へ約10年前に移住し、農業を営む及川勇一さん夫婦に、移住のいきさつや名寄での暮らしのこと、そして気になる移住後の生活費について聞いてみました。
及川さんご家族 基本データ
<家族構成>
夫・及川勇一さん、妻・綾さん、10歳と6歳の男の子の4人家族
(取材時)
<移住情報>
夫婦共に神奈川県出身。勇一さんが33歳、独身の時に佐呂間町に移住。網走市、伊達市を経て一度神奈川県に戻り、結婚して36歳の時に再び伊達へ。38歳で名寄市への移住を決め、40歳で独立。
<移住時の不安要素>
最初の移住時は、北海道の冬の寒さに耐えられるか自分を試す意味で、ひと冬限定で住み込みのアルバイトをした。その後は、農業で生活ができるかどうかを考え試行錯誤の末、一度神奈川に戻り、北海道に再び移住することを選択。
<現在のお仕事>
夫婦で農業を営む。4.7haの土地で、露地栽培と10棟のハウス栽培を行い、メロン、スイートコーン、カボチャ、ミニトマト、大豆、薬草を生産。
移住してみての感想
- 田舎暮らしでゆるやかな時間の中、好きなことを仕事にできたことの価値は大きい!
- 住宅性能の良さや車移動が多いため、冬の寒さは想像していたほど苦にならない。
- 野菜は自分で作ったり、近所の人と物々交換をするので食費が抑えられる。
- 山と緑に囲まれた環境の良さ、市街地にも20〜30分で移動できる利便性のバランスがよい。
- 地域の人間関係も濃く、市や地域のイベントにも参加するようになった!
- 物が溢れている都会と違って選択肢は少ないが、無駄なく物を買い大切に使うようになった。
移住前の生活費と移住後の実際の生活費(月額)
※左側は移住前の家計調査による平均的な数字、右が及川さんの実際の生活費。
※家計調査の数字も含め、実態よりやや高めに見えますが、賞与等も勘案して1年間を平均的なところでならしています。
※交際費・嗜好品等の出費は含まれていません。
食費は自分たちで家庭菜園で作った野菜や出荷した余り、近所の人との物々交換等で賄えることもあります。住居は移住時に購入しているのでゼロ。冬は暖房に使う灯油代はかさみますが、及川さんの住む地域は地下水を利用しているので安価です。被服費はほとんど作業着しか着ないのでかからないとのこと。医療費は、夫婦は無理をしない生活で健康になり、子どもの医療費は未就学児まで無料なのでほぼかかっていません。教育費は、小学生の長男の教科書や学習教材が大部分を占めており、次男の保育料は無料となっています。
都会での会社員生活に疲れ、北海道へ
こちらが及川さんご夫婦です。
「学生時代にツーリングで訪れた北海道の大自然に圧倒され、ここで農業をしながら生活してみたいな、と思いました」
と、ここまでは、都会の方がよく抱く北海道への憧れかもしれません。しかし、それを実際に、さまざまな葛藤や紆余曲折を乗り越えて実現したのが、及川勇一さんです。
神奈川県で生まれ、自動車修理の仕事をしていた及川さん。そのころは厳しいノルマや長時間の肉体労働で、心身共にすり減らす生活を送っていました。「この生活はずっとは続けられない。思い切って北海道に移住し、やりたいことをやってみよう」と思い、33歳で会社を辞め、知人のつてを頼りに佐呂間町の民宿で冬季の住み込みの仕事をすることにしたのです。
「まず、北海道の寒さに耐えられるか自分を試してみようと思って。実際は、住宅性能が本州のものとは違うし、移動も車なので、無理をしなければ十分やっていけると思いました」
冬のアルバイト期間が終わり、今度はご縁があって網走市の農家で仕事を体験させてもらえることになりました。
北海道農業の現実の一端を見ることに
そこの農家は、大規模な敷地で原料作物の小麦、ビート、馬鈴薯を作っており、機械作業が基本。天候や生育状況など自然に左右され、忙しい時は食事もとれない。及川さんは憧れではない農業の現実を目の当たりにしました。
「規模が大きすぎて、自分が真似をするなど想像もつきませんでした。慣れない機械作業でトラクターを壊したりと足手まといになり、受け入れてくれたご主人には迷惑だったと思いますが、農業は甘いものではないと背中を見せながら教えてくれていた気がします」
秋に収穫作業を終えると、今度は農家のご主人が伊達市の農業法人を紹介してくれました。そこはキャベツやブロッコリーなどの野菜を栽培しており、手作業も多く、一生懸命働くうちに少し農業が身近に感じられるようになったと及川さん。
当時は北海道で農業経営ができるなんて思ってもみなかったと話す及川さん。
「作物が育つことの嬉しさ、収穫のありがたさ、誰かの手にわたり食べてもらえる喜びを感じることができました。作物が育つにつれ、景色が刻々と変わるのも魅力的でしたね。ここでは、農作業のことは勉強できましたが、北海道で広い土地を取得して機械を何台も入れて...という農業を自分がするのは無理なのではないかと思いました。そこで、小規模農家が多い神奈川ならできるのではないかと思ったんです」
故郷の神奈川県に戻り、県立の農業アカデミーに入学して1年間勉強。30代での入学は異例だったため、先生方も気にかけてくれ、農地を売りたい人を紹介してくれましたが、入手できる畑の面積と経営面を考えてみたところ、兼業でもやっていくのは難しいという結論に至りました。
ゆっくりと名寄市内を流れる天塩川。取材の日は天気も良く、樹氷を綺麗に見ることができました。
人生の伴侶を得て、再び北海道へ
一方、奥さんの綾さんとは、及川さんが会社員時代に社会人のキャンプやアウトドアのサークルで知り合いました。及川さんが佐呂間町の民宿で働いている時には、友人として仲間と一緒に尋ねて行ったことも。
「中学生のころに交流イベントで函館に、高校では修学旅行で富良野を訪れ、短大生の時は、交流イベントのスタッフとしてまた函館を訪れました。涼しさや広大な土地に良い印象を持ちましたね」と当時北海道に抱いたイメージを綾さんが教えてくれました。
笑顔でお話をしてくださる奥さんの綾さんです。
看護師をしていた綾さんは、街中で育ったものの、人混みが苦手でのどかな場所が好き。就職後も人口が少ない湯河原町に住んでいました。そうして、及川さんが一度神奈川県に戻って農業の勉強をしている時に綾さんとのお付き合いが始まりました。「神奈川で農業をやるのは難しい。やっぱり北海道に戻ろうかな」と考えた及川さんは、綾さんに「結婚して一緒について来てくれないか」と申し出たところ、綾さんも快諾!二人で北海道に移住することになったのです。
新規就農者が勇気をくれた、名寄との出会い
及川さんは以前働いていた伊達市の農業法人に就職することができ、そこで働きながら、道内での農業人フェアなどに参加し、情報を集めました。特に、違う業界から転職して、苦労しながらも農業を続けている人に話を聞くことに。その中で、魅力を感じたのが名寄市でした。
「新規就農で頑張っている人が親身に話を聞かせてくれ、勇気が出ました。その人たちは今でも心強い仲間です。また、自分が作りたい野菜を多品目にわたって作れるのも魅力でした」
及川さんの作るメロンはふるさと納税の返礼品としても提供されています。
名寄に移住してからは、国や市の研修支援制度を利用して2年間、夫婦で別々の農家で研修生として学び、その傍ら土地探しをしていました。すると、移住して就農していた50代の農家のご主人が急に亡くなり、その農地を購入しないかという話が舞い込んだのです。小さな土地でハウスを建てて価値の高いものを作りたいという考えを持っていた及川さんにはちょうど良い広さの土地でした。
さらに、通常であれば農地に付いていた住宅は取り壊すことが多いですが、その土地に付いていた家はまだ十分住むことができ、壊さずに購入すれば前の家主を亡くした奧さんにもお金を渡すことができると地域の農業委員と話し合い、住宅も購入することに。及川さんにとっても住宅費を抑えられる結果となり、土地や機械の購入には無利子で借り入れができる制度資金などを利用しました。そして購入した2.7haの土地から、いよいよ及川さんの農家としての人生がスタートしたのです。
お金には換えられない価値のある今の生活
メロンやスイートコーン、ミニトマトなど多品目の野菜を作り、忙しく働く生活。畑やハウスの作業がない冬場は、及川さんは市営のスケートリンクの管理、綾さんは名寄市立大学の実習の補助員として臨時の仕事をしています。
「正直に言って、神奈川での会社員時代に比べて収入はかなり下がりましたが、今の生活には、それとは比べものにならないほどの価値があると思っています。都会とは違うゆったりとした時間の流れを感じることができ、会社勤めで抱えていたストレスがなくなり、やりたかったことを仕事にして生活ができています。だからこそ、朝早く夜遅い日が続いても納得して一生懸命頑張れるんです」
名寄駅周辺の商店街。
二人の男の子にも恵まれ、山と緑に囲まれた環境で子育ても安心してできると二人はいいます。未就学児の保育料や医療費が無料なのも、子育てしやすい理由となっています。また、「無駄に物を買わなくなった」と及川さん。名寄にも店がたくさんあり、都会ほどの品ぞろえではないけれど、それで十分だそう。都会ではすぐに何でも手に入るので、買ったものの使わずに放置、ということもありましたが、今は必要な物だけを買い、壊れたら直すという生活になったといいます。
雪なんてなんのその!名寄の豪雪も二人にとっては絶好の遊び道具!
選択肢は数えられる位が分かりやすいし使いこなせる
物だけでなく、まち全体がシンプルなのも、及川さんが暮らしやすいと感じる点です。
「都会で会社勤めをしていたころなら役所に行くこともほとんどありませんでしたが、今では市のイベントなどにも参加しています。行政職員やまちの人に何か相談をすると、結局一つのことや人に結びつきます。まちがシンプルだからこそ地域のつながりが身近に感じられますし、人のつながりも濃くなりますね。自分の存在感も濃くなる気がします。市長が自分の名前を知っているなんて、都会では奇跡ですよね」
名寄市役所。
名寄市に来る道標となってくれた仲間の存在にも支えられています。
「彼らの話を聞いているうちに、自分もできるかなと思えたことで、決断できました。今も良き相談相手、友人としての付き合いが続いています。地域の集まりに参加する機会も増え、自営で時間も自分でコントロールできるため、地域の行事や子どもの学校行事にも参加できます」
現在の環境は移住前と比較にならないほど住みやすいといいます。
今度は、移住希望者を受け入れる側に
これからは畑の面積を増やすとともに、内容も充実させて、人を雇用していけるようにとビジョンを描いています。移住前の自分と同じように、北海道で農業をやってみたいと考えていても実態がわからない人に、体験してもらう受け入れ活動も積極的に行っています。名寄市立大学や養護学校の体験や実習の受け入れもしており、学生にとっては勉強になり、及川さんにとっては戦力にもなるというお互いにプラスな関係もできつつあります。
「自営業は自由。でもそれは自分で決めて自分でやらなきゃいけない」ということも改めて伝えていきたいと話す及川さん。
「移住を考えている人には、まずいろいろな農家のスタイルを知ってもらい、農家のハードルを下げたいと思っています。その助けになれればいいですね。一方で、収入がなくなるリスクもあるのが自営業です。そういったリアルな部分も伝えて、感じ取ってほしいと思っています」
自身がさまざまな選択と決断を重ねてここに至っているだけに、この暮らしの価値の大きさもリスクも身をもって実感している及川さん。これからは、同じ目標を持つ後輩たちにそれを伝えていく役目を果たそうとしています。
ここがポイント、移住して良かったこと!
- 名寄市 及川さんご夫婦