北海道札幌市。まだ6月だというのに夏のような日差しを浴びながら向かった先はジャズバー「JAMUSICA(ジャムジカ)」。ここでライブを控えていたタップダンサーの近江悠季(おおみ ゆき)さんにお話をお聞きしました。
北海道は道東、北見市出身の近江さんは今、北海道でタップダンスの文化を広めるべく奮闘中。しかし、近江さんの今日に至るまでの日々は決して平坦なものではありませんでした。
「最終的には大好きな地元北見をはじめ、北海道中をまわりたい」そんな夢を持つ彼女のこれまでに迫ります。
バレリーナになるという夢を抱いて
北見で生まれ育った近江さんは、4歳の時にバレエと出会いました。きっかけは、バレエの衣装である「レオタード」の可愛らしさに魅了されてしまったから。「私もあれを着たい!」そんな理由から、北見にあるバレエ教室に通うこととなりました。
そうして次第に「バレリーナになる」という夢を抱いて、真剣にバレエに打ち込むように...。
ゆっくりと過去を思い出すように話してくれた近江さん。タップダンサーの前身はバレリーナだったようです。
小学校6年生の頃「もっとバレエを頑張りたいのであれば、札幌の先生を紹介するよ」と、当時の教室の先生に声をかけてもらい、札幌のバレエ教室に通うことになりました。
とは言え、北見から札幌までの距離約300キロほど。もはや北海道横断するその距離を、なんと毎週末片道4時間半かけて通っていたと言うのです。金曜日の5時間目を毎週早退してはJRに飛び込み、金曜日から日曜日にかけて札幌へ泊まり込んでレッスンに通うという日々を1年間続けたそう。
ここまでするのであれば、もういっそのこと札幌の学校へ通った方が良いのでは、ということで中学から札幌へ。実家は北見での事業があるため、家族総出での引っ越しではなく、札幌の家に近江さんと、そして、ご家族の方が交代制で共に泊まり込み。
ある程度生活にも慣れてきた頃「もう大丈夫だろう」と、なんと中学生にして一人暮らしもスタート!ご家族のその決断に関しては、よくまわりから驚かれると言います。
しかしご両親は、近江さんの将来を想ってのこと。いつだって夢を叶えるためになら、と応援してくれるご両親がいてくれてこその今があるのです。
取材中何度も言葉にしていた、ご両親への感謝の想い。
そんな生活を送っていたある日、中学2年生の頃です。バレエのレッスン中に靱帯に係る大けがをしてしまいました。それは、今後の近江さんの人生を左右するほどの大きなケガ。
「もうバレエを続けるのは厳しい」
そう宣告された足で、それでも「バレリーナになる」という夢を諦めることを恐れ、高校卒業まで必死に続け、先の見えない闇の中でもがき続けていました。
「ケガをしてから高校卒業まで、本当にずーーーっと苦しかったです...」
その苦しみから来る精神的なものは、体への支障もきたし、バレエはもちろん学校へ通うこと自体もとにかく必死な毎日だったそう。近江さんにとって「夢を諦める」ということは、一番怖いものだったのです。
もがきながらも高校を卒業後、このままバレエの道というのもやはり厳しく、もともと興味のあったミュージカルに挑戦するため上京します。4年ほど東京で過ごしていたのですが、ここでも葛藤の日々でした。
憧れていたミュージカルという舞台。
しかし「本当に私がやりたいことはこれなのだろうか?」とふと立ち止まります。
「私は、歌や演技で表現するよりも、踊りで表現する方が好きだって気づいたんです」
いよいよこの悶々とした日々に終止符を打つべく、最後にもう一度だけ挑戦してみようと単身ニューヨークへ渡り、ダンス留学を果たします。
「これが最後のチャンス、もしダメなら就職しようって考え、きっぱり諦めをつけるために6カ月という期間を決めての挑戦でした」
出会ってしまったタップダンス
ニューヨークへ行ったばかりの頃は様々な壁にぶち当たったそう。「環境に馴染めず、英語もそこまで話せないし、友達もいない...。甘い気持ちで来てしまったんだなって落ち込むこともありました」
ニューヨークでの一枚。
渡米当初はバレエやジャズダンスをメインに学んでいたそうですが、ある時タップダンスの教室へ行き、講師のフェリペ先生が発した一言が、近江さんの人生を180度変えました。
「やあ、また来てくれたんだね」
フェリペ先生はそう近江さんに声をかけたのです。
それはなんでもない一言だったのかもしれません。
それでも、ニューヨークに来てから孤独と必死に戦い続けていた近江さんの心にその一言がじんわりと染み渡って行きました。
「私をひとりの人間として認識してくれた」
近江さんはそう嬉しく思ったのだとか。
その喜びは、ニューヨークでの心の支えとなり、気づけばバレエやジャズダンスではなく、タップダンスのレッスンばかり受けるように。
こちらがフェリペ先生。
「英語も話せない、人見知りの私が、足音ひとつ一生懸命鳴らしたら『今の良かったじゃん!』って言ってくれる人たちがいる。笑顔を向けてくれる人たちがいる。そこでもう友達になれちゃうんですよね」
タップダンスはコミュニケーションツールのひとつ。言葉も、人種も、国籍も違っても、足音ひとつで心と心が繋がることができる、そう近江さんは教えてくれました。
「その人の個性が、足音に出る」と語るように、タップダンスの始まりには諸説あるそうですが、19世紀の中頃、祖国で音楽やリズム溢れる生活をしていた黒人奴隷の人たちは、会話を禁じられ、楽器を取り上げられました。そこで足を踏みならし、自分たちの感情や言葉を足音で表現したことが始まりと言われているそう。
そんなある日、中学時代からの心知れた親友との電話でまたまた人生を変える一言が...。
「ゆき、最近タップの話ばっかりしてるよね。本当にタップが好きなら、そっちの道に行った方がいいんじゃないの?」
ハッと気づかされたその言葉。
私は、バレエを学びにここへ来たのに...?
ここに来て、タップダンサーへの転身...?
この時23歳。
同い年の友人たちが、ちょうど就職し社会に出ていく頃でした。
みんなが社会に出ようとしている時に、自分はいきなりタップダンサーへ転身なんて良いのだろうか?そんな不安が頭をよぎります。
しかし、悩む近江さんの背中を、親友はぽんと押してくれたのです。きっと近江さん自身の中でも、心は決まっていたはず。タップダンサーになりたいと...。
ただ、ひとつ引っかかっていたのがご両親に対しての想いでした。バレリーナになりたいという夢をずっと応援してきてくれたからこそ、今更違うジャンルの道へ行くというその想いをなかなか言えずにいたのです。しかし、いざその想いを伝えてみると「あなたが一番にやりたいことなら、もちろん私たちは応援するよ。芸事とは縁の無かった私たちに、そうした楽しみをくれてありがとう」そういった言葉を近江さんにかけてくれたのだとか。
親友、そしてご両親からのプッシュもあり、ついに「タップダンサーになる」と心を固めてからはずーっとタップダンス漬けの日々。当初は6カ月間だけと決めてやって来たニューヨーク生活も、気づけば2年の歳月が流れていました。
ニューヨークで心に残っていることは?と聞いてみると「タイムズスクエアで踊ったこと!」と満面の笑み。
タイムズスクエアと言えば、ニューヨークの外せない観光地。世界中の人々が集まるそのパワー溢れる場所で、タップダンスのイベントに参加できたと言います。
これがタイムズスクエアで踊ったその時のイベントの様子。右から2番目が近江さん。
そのイベントは、世界中から100人以上のタップダンサーたちが集まってみんなで踊るというものなのですが、イベントへの出演だけではなく、各国から集まったダンサーに振りつけ指導をするチームリーダーにも指名してもらったのです。
またとないチャンス!
近江さんはこの時、40人ほどのダンサーをまとめあげました。
「この時私のタップダンス歴はまだ1年くらい。それを正直に言ったら舐められると思ったので、とにかく堂々と指導しましたね。本番当日はチームのメンバーから『すごく楽しかった!素敵なチームリーダーだったわ』って声をかけてもらえて本当に嬉しかったです」
「学生の頃から、学校祭とかみんなでダンスをする時にも振りつけ指導とかしていたんですが、それも役に立っていましたね(笑)」と笑います。
本当はまだまだこの地でタップダンスに打ち込みたい、そんな強い想いとは裏腹にビザの関係で泣く泣く帰国。
こうして2016年の夏に日本、地元北見市へと帰ってきました。
帰国後、北海道で新たな道を拓く
「帰って来てからは不安でした。日本でタップをしたことがないから、この先どうしていこうかって。それに、なんだか燃え尽き症候群みたいになってしまって...」
少しだけ、抜け殻状態となってしまったのです。
そして、戻ってきた地元北見市のタップダンス人口は恐らく0人...。
このままでは、自分の中からタップダンスが遠ざかってしまう!そんな不安を抱えながら、札幌のタップダンス教室へと行ってみることにしました。
そこは吉田つぶらさんという方が設立した「Sapporo Tap & Music Lab.」というスタジオ。
これもまた、近江さんの日本でのタップ人生に大きな影響を与える出会いとなりました。
「つぶらさんのレッスンを受けた2週間後くらいに『うちの教室でタップを教えない?』ってオファーが来たんです。それはもう喰い気味で『はい!!』って答えましたね(笑)」
日本での、それも大好きな北海道でのタップの道が拓けた瞬間でした。もともと、講師になりたいという想いも抱いていたため、これは願ったり叶ったりなお誘い。
今では近江さんのレッスンを求めて通ってくれる生徒さんも増え、順調の様子。さらに最近別の方からも「うちのスタジオでもタップダンスを教えて欲しい」というオファーが入るなど、活動の幅を順調に広げています。
冒頭でもお話した「JAMUSICA」さんでのイベントも、以前つぶらさんが主催したライブに出演した際にお店のオーナーから声をかけてもらうなどして、チャンスをしっかりと掴んできています。
近江さんが想う、タップダンスとは
「私にタップを教えてくれた人たちは『タップをしている人はみんな家族だよ』って教えてくれたんです。バレエをやっていた時は正直、他人に負けないようにと常に競い合っていたけれど、タップは違います。こんなオープンな気持ちで踊れるんだって嬉しくなっちゃうんです」とタップの話をしている時の近江さんの表情はとってもイキイキ。
しかし、北海道でのタップダンス文化はまだまだ発展途上。それに関しての想いも熱い近江さん。
「私がニューヨークで出会ってきた素晴らしいタップダンサーたちを講師として北海道に招いていきたいと思っています。ニューヨークのタップ界と北海道の架け橋になりたいって思っているんです!」
タップダンスシューズに手を突っ込むお茶目さも兼ね揃える近江さん。
またもうひとつ、忘れていない地元北見市への想い。
「私はバレエやタップダンスに真剣に打ち込むために札幌へと出てきました。だからこそ、地方でも本格的に習える環境をつくりたいんです。全道に、タップダンスを広めたい!」と意気込み、9月には北見での凱旋ライブの他、同月に網走でもライブが決まるなど念願の道東ツアーを予定しています。
「2019年は活動の幅を広げる年にしたいですね。夢はでっかく、生徒100人!全道中につくりたいです!」とニコリと笑った笑顔は、何かから解き放たれたような、それでいて決意に満ちあふれた爽やかなものでした。
タップダンサーYuki Omi。北海道でのその活動はまだまだ始まったばかりです。
関連動画
- フリータップダンサーYuki Omi
- URL
Sapporo Tap & Music Lab.の詳細は下記をご確認ください。
http://tapandmusiclab.com