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秘境への憧れ、その気持ちを満たしたのは遠軽町の自然でした。20180719

秘境への憧れ、その気持ちを満たしたのは遠軽町の自然でした。

遠軽町に2016年、一人の青年が地域おこし協力隊としてこの地にやってきました。

彼の名前は「金丸太一」。なんと当時22歳の大学新卒。フレッシュさをたずさえて見知らぬ秘境へと足を踏み入れたのでした。

金丸さんは山梨出身。大学進学で横浜へ上京。大学では環境学と野生動物についての勉学に励み、主に鹿について研究をしていました。この知識を活かして働ける場所を探したときに、遠軽町の地域おこし協力隊の募集を見つけたそうです。仕事内容は、農政林務課にて野生動物に関連する業務。まさにこれだと、金丸さんは応募。

面接も東京で行われ、初めて遠軽の地を踏んだのは、働き始めるその時でした。

遠軽町のファーストインプレッションは「都会すぎた!」?!

一度も行ったことのない土地で働くことへの不安があったのでは?と聞くも「いえ、ワクワクの方が大きかったです」と金丸さん。 実際に来てみると、なんでも揃う都会だと感じたのだとか。


「このまちは大きいスーパーが3店舗もあり、美容院やカラオケもあるし、JRも通ってるし空港も近い、北見や旭川などの都市も近くて、利便性もよくて、飲食店もたくさんある。コンビニもたくさん揃ってる。セイコーマートだけじゃなくてセブンイレブンやローソンもある(笑)大きい病院もある。あれ?都会だなってちょっと肩すかし」。

そんなギャップを感じながらもすぐそばにある自然を相手にお仕事をスタートさせました。

kanemarutaichi12.JPGこれは実際に野生動物を見つける際に使っている道具。いつもこのようにして使用しているとのこと。金丸さん、なんだか表情がイキイキしています。

シカ・クマについて勉強する日々、ゼロからのスタート

野生動物について大学で学んでいた金丸さんは、遠軽町の野生動物に関しては一任されています。

クマが出たとなると現場へ向かい、農業被害が出ていないかなどの状況を確認します。鳥が怪我をしたとなるとこれまた現場へ急行し保護するなど、野生動物に関することで何か起これば駆けつけます。

大学で学んでいたとはいえ、実践で相対する野生動物たちとの共存は、試行錯誤の日々でした。

しかも金丸さんの前に業務を行っていた方は異動してしまい、引き継ぎはなくすべてゼロからのスタート。先輩もいない状態で、法律を読み込みながら行政としてどう対処するのかなど、初めてのことばかりでどうしたらよいものかと悩む日々もあったのだとか。

地域おこし協力隊としての最後の年

現在金丸さんは地域おこし協力隊3年目。最後の任期となりました。

実はさきほど述べた現場での業務や外に出て行う作業は約3割。残り7割は基本的に事務仕事が多いのだとか。地元のハンターさんと打合せしたり、道庁や振興局の調査物を作成したり、捕獲した野生動物の調査データをまとめたり。そして今後の事業計画にも積極的に携わっているといいます。

この仕事のやりがいは働き始めたその時から感じていたという金丸さん。
農業の収穫や林業の発展に直接影響する野生動物の食害問題、住宅地域での野生動物の出没応対など、担当者として最前線にいることへの誇りとやりがいを感じています。

kanemarutaichi11.JPG町有林の間伐体験など、野生動物以外の活動も積極的に参加をしています。

「ありがたいことに、とても責任のある仕事をやらせてもらえていると感じています」。
丁寧に取材陣の質問に答えてくれる金丸さん。だからこそ、お仕事を任せたくなるような安心感が彼の持ち味なのかもしれません。

任期後の就職先についても、いろいろな所から声をかけてもらっているのだとか。
「ありがたい悩みで、任期後のお仕事もどうしようか悩んでいる状況で、今後の人生に関わってくることなので、慎重になっています。が、北海道とはこれからもずっと関わっていければと思っています」。

何もない遠軽町?地元の人の諦め感がやるせない

遠軽町にやってきた当初はいろいろな人に「こんな何もないマチに来てもしょうがない。早くふるさとに戻りなさい」なんて言われることもあったそうで。

「悔しかった。思ってたよりも都会だな(笑)って思っていたのに。そして結局若者は、大都市に行ってしまうと思われて、どうせ帰ってしまうだろうって思われてしまうのも仕方なかったのです」。

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そこまで遠軽町に想いをもつ理由って何でしょうか?

「だって北海道のシカって大きいんですよ!その大きさに僕は憧れていました。そして僕はこのオホーツクを『この世の果て』って呼んでいるんです勝手に。日本に残された最後の秘境だと思っていますよ。日本ではここしかないシカの大きさ。大地の広さ。人の懐の深さ。小さいときに憧れていたものが詰まっている『この世の果て』。まさに秘境なんです」。

幼いときに抱いた憧れが、まさにここにある喜びを金丸さんは噛みしめていました。

遠軽町での生活。3年目の今、町民になれてきた!

お仕事に没頭する傍ら、自らの冒険心を満たすためにいろいろなところに顔を出しているという金丸さん。

巨大な黒曜石で有名な白滝ジオパークの推進協議会ワーキングチームの役員になっていたり、遠軽商工会議所青年部の委員長にもなり、まちのイベントの計画をしたりとまちづくりの事にも関わり合いながら、かなりまちの人たちにも知ってもらえるようになったそうです。

kanemarutaichi1.JPGこれは講演会での一枚。堂々としている姿はとても貫禄があります!

さらに狩猟の免許も持っているという金丸さん。興味を持ったのは高校卒業・大学進学を視野に入れた頃。

「小さいときから動物が好きでしたが、祖父母が果樹農家を営んでいたこともあり動物の被害にあっていたことから、なんとかしたいという気持ちを持っていました。
そんなときにテレビのドキュメンタリーでハンターが森や畑を守る活動を出来ることを知り、普通の人がやらないことをしたい!それに社会貢献にもなる!という想いに目覚めたんです」

20歳になったときにはすぐに免許を取得。お金も時間もかかる資格と許可を手に入れたことにより、社会的責任を噛みしめた出来事でした。
そんな狩猟の免許が遠軽町での人との繋がりを結びつけたのでした。

ご両親からの想いと自分の想い。その想いたるや・・・

ここまで強い気持ちで北海道にやって来た金丸さん。ご両親の反対はなかったのでしょうか。

「両親は大反対でした(笑)今でも反対していると思います。でも最終的にはいいよって言ってくれています。・・・いつも連絡くれているのに無視してごめんなさい。着払いで遠軽町の特産品送りつけてごめんなさい。僕は元気でやっています」と苦笑いしながら話してくれた金丸さん。

この想いは絶対にくらしごとでご両親に伝えなければならないと感じた取材陣。
ご両親、金丸さんは元気にこの世の果てで楽しくやっていましたよ。

kanemarutaichi2.JPG時には子どもたちとの自然学習も担当します。

聞くと金丸さん、3年前アフリカ大陸に3週間滞在したり、モンゴルに2週間行って砂漠に植樹したりといろいろなチャレンジャーです。モロッコでの暴動に危うく巻き込まれそうになったり、モンゴルではミサイル発射を目撃してしまったり。

嵐を呼ぶおとこ金丸太一。

これはご両親、彼の行く未来をとめようというのも無理な話です。
取材陣が望むのは遠軽町に嵐が起きぬことだけ。
それにしてもこのアグレッシブさが遠軽町に良い風を巻き起こす気がしています。

kanemarutaichi9.jpg

今後やっていきたいことは?という質問に
「このオホーツクの自然の事を記録に残したいです。調査して、そして学会で発表していきたい。とても貴重な自然が遺されているのに、今まであまり記録に残されていなくて。それをなんとかしたいと思っています。他にも冬のアクティビティをまだ楽しめていないのでクロスカントリーとかやりたいですね。あと、サハリンに行ってみたいと思っています」。

このバイタリティとメンタリティが遠軽町を少しずつ変えていく一歩となるかもしれない。
そんな予感を感じさせる金丸さん。今後の活躍に期待しています。

遠軽町地域おこし協力隊 金丸太一さん
住所

北海道紋別郡遠軽町1条通北3丁目

電話

0158-42-4816

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秘境への憧れ、その気持ちを満たしたのは遠軽町の自然でした。

この記事は2018年5月28日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。