
九州から北海道へ。きっかけは父と先代の縁
横浜・長崎とともに、日本で最初の自由貿易港として開港した「箱館」。時代は江戸から明治へと移り変わり「蝦夷地」は「北海道」、そして「箱館」は「函館」と改称されました。いち早く西洋文化を取り入れたこのまちの菓子作りの歴史は古く、さらに近年では函館市内および近郊市町の洋菓子店が一同に集まるイベントが開催されるなど、函館のスイーツ業界は盛り上がりを見せています。そんな函館のまちに、菓子職人を志して九州・佐賀県出身の山本拓実さんがやって来たのは4年半前のこと。実は山本さんの実家は、祖父母の代から和洋菓子店「シェ・ヤマモト」を営んでいます。
では、九州の実家の店ではなく、なぜ北海道・函館で修業を?
「実は、父が東京・新橋にあったペシェ・ミニョンで、同店創業者の先代と一緒に働いていたことがあるんです。そこで父から、『菓子職人を目指すなら、北海道にペシェ・ミニョンの本店があるから紹介してやるぞ』と言ってもらったことがきっかけでした」。
なるほど、先代と父との縁がその時に結ばれたのですね。
父の紹介を経て、山本さんは高校卒業後、フランス菓子に特化した、伝統的な焼き菓子をメインに製造・販売している「ペシェ・ミニョン」本店がある新天地・函館へと向かったのでした。
知らないからこそ、素直に受け入れられた
実家は和洋菓子店を営んでいたものの、山本さんは小さいころから「菓子職人になりたい」とは思っていなかったとのこと。山本さんいわく「父は菓子店を経営していくことの大変さを身をもって知っていたため、息子には違う道を歩んでほしいと望んでいたように見えました」と、その心の内を感じ取っていたからでした。それでも山本さんは菓子職人となる道を選びます。
祖父母が始めた店を終わらせたくない、そして、より多くの人たちに「シェ・ヤマモト」を知ってもらいたいと思ったからでした。
専門学校などで知識を付け、技術を磨くという道筋ではなく、就職を選択した山本さん。実家は菓子店ですから、やはり小さいころから菓子作りを教えてもらっていたのでしょうか?と聞いてみると、
「父は材料や商品に触れてほしくないという雰囲気を出していたことから、教えてもらったことはありません」と、意外な答えが返ってきました。
続けて、「何も知らない状態から現場で学んでいったほうが、教えていただいたことがスッと自分の中に入ってくると思ったんです」。
なるほど、学校で学んだことと違うと思った時、素直に受け入れられないことってあるものですよね。でも、知らないから苦労したこともあったでしょう。
「確かに戸惑ってしまうこともありました。それでも、一つひとつ知らないことを覚えていく楽しさのほうが大きかったですね」。
函館の人はとてもフレンドリー。海産物も最高です
予想はしていたものの、函館へ来てビックリしたのは地元・佐賀県との気温の違い。3月末だったこともあって、函館では雪も残っていました。「佐賀県ならば、例え雪が降ってもお昼くらいには溶けてなくなってしまいます。『これが北海道なんだ』って実感しました」と笑います。
取材したこの日は6月。花と緑に囲まれたテラスで心地良いひととき。
それでも、函館は四季がハッキリしているところが気に入っている様子。
さらに海鮮好きの山本さんにとっては、食べ物がこのまち一番のお気に入りです。特に特産物であるイカが大好きで、休みの日にはいろんなお店へ食べに行っているのだとか。
「調べて気になるお店を見つけたら、つい行っちゃうんです。もちろん海鮮だけでなく、菓子店も何軒も行きましたよ」。食べ物の話になると、山本さんの表情が緩みがちになっていくのが印象的でした。
このままでは食べ物の話だけになってしまいそうなので、函館の『人』の印象も伺ってみることに。「最初は自分が余所者だからと、ちょっと遠慮をしていたところがありました。しかし、思い切って相手の懐へと入っていくと、すぐに打ち解けていき、とてもフレンドリーな印象です」。今では自分が住むアパートの隣人たちも、顔を見ると「おはよう」、「お帰り」などと気軽に声を掛けてくれるそうで、すっかり函館のまちになじんだようです。
たくさんの人に食べてもらえることがうれしい
菓子職人を目指しているからといって、未経験の新人がいきなり菓子作りを教えてもらえるわけではありません。山本さんも最初はひたすら洗い物を担当する日々。しかしこれには、まず現場になじんでもらうためという意図もあったそうです。
さらに、なかなかの重労働となる、材料の粉を細かくする『ふるい』の作業も黙々と行ってきました。
「小・中学校ではサッカー、高校ではラグビーとスポーツをやっていたので、体力には自信があります。仕事は先輩方から一つひとつ丁寧に教わりながら、分からないことがあればその都度自分から聞いて覚えていきました。おかげで先輩方とコミュニケーションがとれて、職場の雰囲気になじめました」。
では、現在はどのような仕事をしているのでしょうか?「最近はスポンジの生地作りもやらせてもらっていますが、メインは焼き菓子作りです」と、同店の看板商品作りを任されるまでになりました。
山本さんがつくった焼き菓子。「ダックワーズ(焼き菓子)は本当においしいから食べてほしい」とアピールする山本さん
中でも、一番思い入れのある商品は「ずっと作らせてもらっているパウンドケーキですね。注文がたくさん入った時は、いろんな人に食べてもらえると考えただけで頑張る力がわき上がってきます」と目を輝かせます。
人はおいしい物を食べている時は幸せな気持ちになれるもの。そんな心の豊かさを生む商品作りに携われているのがうれしく、だからこそ、より技術を高めたいという向上心につながっているようです。
お父さん、家業を継ぐために頑張っています
山本さんの最終的な目標は、家業を継ぎ、地元のまちだけでなく、県全体、さらにはもっと多くの地域の人たちにお店のことを知ってもらうこと。「今はとにかく学びの日々です。函館のスイーツは新しい発想や商品が生まれて盛り上がりを見せていますので、しっかりと学んでこれからの自分の菓子作りに生かしていきたいと思っています」。
シュー生地作りを行う山本さん。
地元へ戻るのは一人前になってからと覚悟を決め、遠く離れた函館でひとり暮らす山本さん。そんな彼から、なかなか会って話すことができない父へ、最後にメッセージがあるそうです。「お父さん。いつになるかはまだ分かりませんが、一日も早く、地元の人たちにおいしいお菓子を食べさせられる職人となれるように頑張っています」。一人前となって帰った時に、父が嬉しそうな顔で迎えてくれることを思い浮かべながら、これからも山本さんは修業の日々を送ります。