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滝川市

北海道に来たから僕ならではの磁器が生み出せた20170626

この記事は2017年6月26日に公開した情報です。

北海道に来たから僕ならではの磁器が生み出せた

陶芸家・大野耕太郎さんが滝川を選んだ理由

磁器といえば、指ではじくとキンとはじけるような高い音がして、硬くて冷たい印象がするもの。ところが、滝川市在住の陶芸家・大野耕太郎さんの作品は、どことなく陶器のようなぬくもりを感じます。「青白磁(せいはくじ)」や「黄瓷(おうじ)」などの釉薬(ゆうやく)による柔らかさ、流れるような稜線を描く「鎬手(しのぎて)」という技法は、洗練されたシャープさの中に、ほっこりするような温かみを生み出しています。

陶芸に興味を持ったきっかけは、京都の炭山工芸村を取り上げていたドキュメンタリー番組。学習院大学の部活で念願の陶芸を始め、のちに妻となる淳子さんともそこで知り合いました。卒業後、陶芸家への夢を実現するため、岐阜県の多治見工業高校に入り直し、本格的な窯業を習得します。当時、制作していたのは美濃焼や織部焼など、粘土が原料の陶器。先生に「君の作品は硬い」と言われ続け、どうしたら温かみを表現できるのか、悩みの種でもありました。

ある日、先生から「滝川市陶芸センターの指導員として働く気はないか」と持ち掛けられます。大自然に恵まれた北海道は、本州育ちには憧れの地。「自分のオリジナリティを出していくには、釉薬の研究しかない」と感じていた耕太郎さんにとって、自由に研究ができる職場への誘いは願ってもない好機でした。こうして、滝川に移り住んだのは、1978年、25歳のときでした。

oruno2.JPG「このカップでコーヒーを飲むと宇宙を飲み込んでいる感じがする」と人気の星座シリーズ

oruno3.JPG「鎬手」の技法から生まれる耕太郎さん独特の流線美

滝川で生まれた、僕ならではの「青白磁」

陶芸センターで釉薬の研究を重ねて出合ったのが、透き通るような「青白磁」。この釉薬の色を生かすために、耕太郎さんは陶器から白い肌の磁器に転向しました。「道内で磁器を焼く陶芸家はほとんどいなかったので、独学で試行錯誤するしかなかった。それが、かえってよかったのかもしれない。普通、磁器の場合は、いかに薄く焼くかを目標にしてしまう。でも、それは僕の道ではない。誰もやっていないものを作ろうと土をこねて削っているうちに、美しいフォルムが見えてきて、なんとか自分らしい作品になってきた」といいます。

「青白磁」と「黄瓷」は兄弟みたいなもの。釉薬には微量の鉄分を含む中国黄土を使い、空気を入れて焼くとクリームのような「黄瓷」の色になり、一酸化炭素を入れて焼くと澄んだペイルブルー「青白磁」の色になります。
耕太郎さんは、もともと「青白磁」の作品を焼くうちに、黄色くムラになってしまう失敗作ができ、その色の柔らかさに惹かれて「黄瓷」も焼くようになったといいます。

oruno4.JPG彫刻のように美しい形を生み出すために、最初は道具も手づくりでした

oruno5.JPG毎朝4時から出勤時間まで、週末の午前中は自宅の工房で過ごします

移り住んだ頃は、全道的な陶芸ブームで、趣味で始める人も増えた時代。陶芸教室や小さな工房も各地にできましたが、北海道は陶芸の産地とはいえません。通常、陶芸家をめざす場合は美大の工芸科に進んだり、益子、多治見、信楽など、一大産地で修業する道を選びます。「我われの時代は、やりたいと思えばどんな世界でも飛び込めたけれど、今は生活することを考えたら難しい道なのかもしれません。それでも産地に行けば若い人はいるし、外国からも修業に来ています。ただ、ものづくりをする人は、北海道のようなのびのびとした環境で作りたいと思う人は多いと思います。東京にはない景色や風土からインスピレーションを受けますから」

耕太郎さんの仕事のサイクルは、平日は陶芸センターで初心者から上級者までの受講者を指導し、週末は創作活動、札幌や東京などで個展も開きます。1989年にはスペインのモンクロア陶芸学校にて研修、2002年には益子陶芸展の最高賞「濱田庄司賞」に輝くなど、全国展でも数多く受賞。作品の一部はポートランド、ニューオリンズ、ウォルターズ、オークランドなど海外の美術館に収蔵されるほど、国際的にも高い評価を得ています。

oruno6.JPG工房には、釉薬をかけて焼かれるのを待つ作品が並んでいます

「今日は外食」と言って、畑や山で食べる暮らし

北海道の第一印象は空が広いこと。空気が澄んでいて、色が鮮やかなこと。当初は、滝川で一生暮らすつもりはなかった耕太郎さんですが、実家の旭川に戻っていた淳子さんと再会し、結婚をきっかけに、この地に永住する覚悟ができました。「江部乙は春になるとリンゴ園の花が咲き、丸加高原からの眺め、暑寒別岳に沈む夕日も美しい。しかも、日本画家の岩橋英遠や洋画家の一木万寿三を生み出した文化的な地域です。創作活動をしながら暮らす場所として、とても気に入りました。ここで子育てしたい、と心から思いました。結局、息子3人とも札幌や東京に出て、誰も残らなかったけれどね」と笑う耕太郎さん。それでも東京から2カ月に1回、野球観戦後に江部乙に立ち寄る息子がいるということは、幼少期の思い出が心地よかったに違いありません。


oruno7.JPG庭先の草花も、耕太郎さんの器にいけると品格がでます

夫婦揃っての趣味は、畑仕事。トマト、バジル、ナス、キュウリ、ズッキーニ、枝豆、大根、ニンジン、ニンニクなどを植えたり、収穫したり。「土をいじっているだけで気持ちが救われる気がする。北海道は四季がはっきりしているので、気持ちがリセットされるんでしょうね」と耕太郎さん。「最初は農家さんの古民家を借りていたので、農作業を手伝いながら覚えました」と、淳子さんは自家製で堆肥も作ります。結婚当初から大野家のルールは、どんなに忙しくても一緒にご飯を食べること。「今日は外食しようか」と言って、畑を眺めながらベランダで、時間があれば、おにぎりやサンドイッチを作って丸加高原で朝食をとることもあるそうです。

oruno9.JPG陽だまりの中で表情豊かな器たち

週3日だけカフェをOPENします

自宅の横にギャラリー陶居&caféオルノをオープンしたのは2007年の夏。「もともと主人のギャラリーでしたが、実際に料理を盛りつけたり、花をいけたり、気軽に暮らしの中で使える器であることを知ってほしくて始めました」と淳子さん。メニューは農薬や除草剤も使わずに自分で育てた野菜をはじめ、近隣の農家から雪割菜花やアスパラ、カボチャなど直に仕入れた食材をふんだんに使ったサラダ、パスタやピザ、デザートも手づくりです。
「これからの旬は、隣の農家さんが作るアスパラ。太くてジューシーで甘い。店で出しても、どなたに贈っても、催促されるほど喜ばれます」


oruno11.JPG「全部1人で調理するので時間はかかりますけれど...」と淳子さん

oruno12.JPG耕太郎さんの作品と旬野菜のおいしさを楽しめるカフェ

淳子さんがいま夢中なのは、月に2、3回開いているチーズレッスン。チーズの種類、製造・栄養・歴史について、おいしい食べ方、保存方法など、6回の講座で基礎知識とテイスティングを教え、生徒さんは芦別、深川、奈井江からもやって来ます。お店を始めるときに日本ソムリエ協会認定のワインエキスパートの資格を取得した淳子さんは、マリアージュとして世界各国のチーズを勉強するうちに「熟成していく過程、味が変化していくおもしろさにハマってしまった」といいます。CPA認定チーズプロフェッショナルの資格も取り、東京のセミナーに出かけたり、「フランスのシャビニョール村に研修に行き、そこで食べたチーズが忘れられない。私もいろいろ食べたいので、お店は休んでも、レッスンは休まない」というほど熱心。耕太郎さんも淳子さんも、とても穏やかで大らかなのに、好きなものに対する姿勢はよく似た極め人でした。

oruno17.JPGレッスンを受けるうちに生徒さんの口も肥えていくとか

ギャラリー陶居(とうきょ)& caféオルノ
住所

北海道滝川市江部乙町832-1

電話

0125-75-6568

金・土・日曜・祝日 ※菜の花のシーズン5、6月は他の曜日も営業

<4~9月>11:00~18:00

<10~3月>11:00~17:00

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公式HP


北海道に来たから僕ならではの磁器が生み出せた

この記事は2017年5月8日時点(取材時)の情報に基づいて構成されています。自治体や取材先の事情により、記事の内容が現在の状況と異なる場合もございますので予めご了承ください。