
1947(昭和22)年から北海道帯広市に拠点を構え、長きにわたり北海道内外の建築物を支えてきた河合鉄工。歴史のあるものづくりの会社で常務取締役・製造部長を務める河合洋貴さんは、未来の鉄工業界と職人の職場環境を見据え、職場の風土改革やDX化を推進しています。
河合さんの想いを体現するかのように、22歳の先輩と57歳の後輩をはじめ、数多くの従業員が笑顔で生き生きと現場で仕事に就いています。河合鉄工の軌跡と未来を探るべく、河合さんと従業員のお2人にじっくりお話を伺ってみました。
難易度の高い技術で差別化を図った河合鉄工
河合鉄工は終戦直後に創業をした当初、水道管工事を主な事業としていました。その後、高度経済成長期の建築需要の増加に伴い、建物の骨組みとなる鉄骨製造へと事業の中心を移して水道事業からは離れました。現在は建築鉄骨と土木金物を主体とした製造業ですが、事業の約95%を鉄骨製造が占めています。
かつてバブルが崩壊した後の厳しい経営環境においては、本州の難易度の高い物件を積極的に受注する戦略をとり、他社との差別化を図ってきました。また、ロボット化が進む建築鉄骨業界の中で、単純な量産品ではなく、職人の経験と技術が不可欠な複雑な案件に特化することで競争力を維持してきました。
そんな河合鉄工が手がけた建築物は数知れず。十勝地方のさまざまな建築物をはじめ、千歳市のラピダス第1工場、神奈川県の湘南地区にある明治記念大磯邸園など、道内外の著名な公共事業の鉄骨製造に携わるなど、高い技術力と実績は多岐にわたります。
予期せずUターンで入社した河合鉄工での気付き
製造部長を務める河合さんは、東京でのキャリアを経てUターンし、家業の変革を力強く牽引しています。ただ、もともとは家業に就くどころか、鉄工業界に携わることはまるで考えていなかったそうです。
河合鉄工株式会社、常務取締役・製造部長の河合洋貴さん
河合さんは、大学進学を機に東京へ出て、卒業後は人材派遣会社で営業として働いていました。目標達成に向けた相当厳しい数字管理が求められる環境で、スピード感がとにかく重要という仕事スタイルでした。しかし、入社した年にリーマンショックが直撃し、人材派遣業界全体が混乱。社内で希望退職を募るという流れになり、わずか1年で職を失ってしまいました。
失業し、就職活動をする中で仕事が決まらない日々が続く中、故郷の帯広では、河合鉄工で長く勤めていたベテラン社員が病気で長期入院するという事態が発生。この予期せぬタイミングが重なり、社長である父親から「仕事がないなら地元に戻ってアルバイトでもいいから働いてみては」という声がかかります。
それまで、家業に入ることも東京を離れることも考えていなかったという河合さん。
「今まで父親から『家業を継ぎなさい』と言われたこともないですし、 家業がどのような仕事なのかも全然知らなかったです。当時再就職のために就職活動 をしていたのですが、求人の絶対数が少なく、就職活動にかなり苦戦していました。その時 に地元に戻ることを提案されて、それも良いかもしれないという気持ちになり、戻ってきました」
半ば「仕方がないか」という気持ちで、25歳の時にアルバイトとして入社しました。入社後まず担当したのは、材料の仕入れや経理、労務管理など、会社運営に関わる多岐にわたる事務仕事でした。
数ヶ月後にはアルバイトから正社員として登用されたものの、東京で就いていた仕事とは全くの異業種で、鉄骨製造に関する知識は皆無。しかし、前職との大きなギャップに驚きと新鮮さを感じます。
「人材派遣業は、何よりも契約を取ることが重要、という考え方で、個別の案件に時間をかけて検討することができませんでした。一方で河合鉄工はより良い製品を作るぞという考え方の人間が多く、仕事に対してこのような世界観があることに驚きを感じました。コス ト意識よりも、とにかくその製品の品質を向上させることが第一という考え方です」
自分たちの製品をよくしようという会社の風土や社員の意識に触れるにつれ、今までの仕事のスタンスとの違いに戸惑いつつも好意的に捉えたそうです。入社してから約5年間は主に事務方の仕事に携わりつつ、会社の全体像を把握していきました。
その後、製造部長が病気で退職したことを機に、製造部長として工場全体の管理を担うことになります。溶接などの技術どころか現場の経験もなかった河合さん。職人さんを相手に製造現場の取り仕切りは大丈夫だったのでしょうか。
「現社長が若い頃は専門的な知識で職人と渡り合い、工場長として製造を仕切っていたよ うです。私は同業者で修行をして帰ってきたわけでもないですし、不安な面はありました。一方でキャリアを積んでいく中で製造に必要な資格を取得し、自然と鉄骨の知識も習得できていたので、理論の部分では問題なかったと思います。時代も変わりましたので、協力的な社員も多く、むしろ社員から教わる部分も多いですね」
現場作業の経験はほとんどなかったものの、軽く見られたり邪険に扱われるようなことはなく、工程管理や製造管理、品質管理を中心に、工場運営の指揮を執っているそうです。
職場改革の一つは、ものを言いやすい雰囲気作り
製造部長となって以降、河合さんが特に力を入れていることは大きく2つあります。そのうちの一つは「会社に行くのが楽しい」と思えるような職場環境づくりです。
「強いプレッシャーの中でやる仕事は、あまりいい仕事にはならないと思います。それよ りは伸び伸びと仕事に取り組めるような環境のほうがやりやすいと私は考えています」と河合さん。従業員がポジティブに仕事に取り組める環境を重視しています。そのために意識していることは、社員が自由に意見を言えるようにすること。職場でものを言いやすい雰囲気にすることだそうです。
「『こういうのってどうなんですか?』というように、担当者から意見があがってきます。製造でトラ ブルが起きた際には集まって、担当者、役職者を交えて解決方法を話し合うとか、規模にかかわらず頻繁に行っています。私が製造部長になって5年になりますが、 徐々に以前より意見が出やすくなってきたのかなと思います。また、ベテランのメンバーが引退に近づいてきて中堅・若手のメンバーがどんどん前に出るようになってきて、世代的に変わってきたのもあると思います」
働きやすい職場作りの一環として、真夏はこんな取り組みも。
「お好きなの一つどうぞ!」
私たち取材陣が訪れたのは、気温36度の猛暑日。従業員の方が私たちにアイスを一人一つずつくださったのです。
「うちの会社、気温30度を超えたら従業員みんなにアイス1個ずつ支給なんです。今日はみなさんにも」と河合さん。年々高温の日が増えている昨今、アイスの経費だけでもバカにならないかもしれませんが、これも大事な取り組み。仕事をしやすい職場の環境を作るためです。
ITを活用した業務の効率化でも職場改革を進める
働きやすい職場環境作りとともに取り組んでいることが、ITを活用した会社の業務効率化です。例えば、従業員からの「休み届け」は多い日で1日10枚くらい紙で提出され、それを経理や専務、社長へと回覧し、承認印を押すという手間のかかる作業でした。河合さんはこれをWeb上で申請・承認できるシステムに作り替え、試験運用を進めています。工場部門では導入することに抵抗があるかもしれないと考え、まずは事務職から展開し、将来的には全社的な運用を目指しています。
また、以前は紙の図面を見て行っていた検査業務も、現在は全てタブレット端末でPDF形式の図面をチェックする方式に移行しています。これによりペーパーレス化が進み、データ管理も容易になりました。在庫管理や発注書、納品書の管理もデジタル化を進めています。
「コードは生成AIを活用して作成しています」と、AIを活用して自らシステムの開発も行う河合さん。生産性向上と業務の円滑化を図ることで、ひいては従業員の働きやすさにもつながっていくはずです。「いずれは製造現場でも1人1ダブレットを持ち歩くくらいになれば」と夢を語ります。
AIやロボットが普及しても職人の技術は不可欠
昨今の鉄工業界では溶接ロボットが主流となり、生産効率は飛躍的に向上しました。ただ、ロボットの強みは定型作業での製品の量産。河合鉄工が他者との差別化を図ってきた難易度の高い構造物では熟練の職人の技術が不可欠です。特に「あぶり」と呼ばれる火を使って鉄骨の歪みを修正する作業は、「感覚だと思いますね。一応メソッドとかセオリー的なのはあるんですけど」と河合さんが語るように、経験に裏打ちされた高度な判断力が求められます。
例えば、鉄鋼材料には個体差があるため、一様に見える鉄板でも場所により硬さが異なっているのがあたり前なのだとか。
「ドリルでここは穴あくけど、ここは固くてあきにくいとか。組織形状が違ったら当然歪み方もそれぞれなので、個別の状態を見極める力が重要です。うちベテランの人間なんか本当、上手ですよ」と、長年の経験から培われた職人の技術を高く評価しています。ロボットが対応できない複雑な形状や予期せぬ歪みへの対応などは、職人の経験値が頼り。職人の技は高品質な製品を生み出す上で欠かせない要素です。鉄工職人は、AIがより進歩した未来でもきっとなくならない仕事なのでしょう。
河合さんのもとで働く22歳の先輩と57歳の後輩
管理職である河合さんのお話を受けて、実際に現場で働く従業員の方のお話も聞いてみました。まずは、入社5年目で22歳の川上冬馬さんです。川上さんの主な仕事は、建物の柱や梁などの骨組みを作る上で不可欠な作業、鉄と鉄をつなげる溶接業務です。
地元帯広出身の川上冬馬さん
もともとプラモデルなどものづくりが好きだったという川上さん。「溶接自体に興味があって、高校3年生の時に見学に来て面白そうだなと思って入りました」と、高校卒業後すぐに入社し、入社してほどなくして溶接の資格も取得したそうです。
溶接作業は集中力と精密さが求められる仕事。特に、梁と梁をつなぐプレートの溶接には何時間もかかることがありますが、川上さんは「なんか没頭できるんですよね」と、それが魅力と語ります。また、技術の向上にも意欲的です。
「鉄は均一ではないので、例えば熱の収縮で曲がらないようにするために作業の順番を考えるとか、ただ溶接するだけではなく常に最適な方法を考えながら作業をしています。先輩たちはそういう溶接が上手いんですよね。先輩みたいな溶接ができるようになるには、経験を積んでいくしかないです」
技術の習得に貪欲な川上さんは、会社の中では一番年齢が若い社員ですが、後輩がいます。入社1年目で57歳の伊藤新二さんです。伊藤さんは道内外で長年、型枠大工職人として働いてきましたが、故郷の帯広で、カレンダー通りの休日が保証されていて働きやすい職場環境を求めて河合鉄工に転職しました。職人経験は豊富ですが鉄工の業界は未経験。しかも57歳での転職という大きな決断についても「不安はあったけど、前に進まないから。チャレンジしようと」と、貪欲に挑戦する決意で鉄工の世界へ飛び込んできました。
伊藤さんの現在の主な仕事は、鉄骨の梁と梁をつなぐためのプレートにネジ穴を開ける作業や、製品の仕分けです。川上さんが手がける溶接業務の前段階の工程を担います。入社当初は機械の扱い方や作業の流れに戸惑いもあったようですが、半年ほどすると「一人でちょっとできるようになった」と、着実にスキルを習得しています。
こちらが伊藤新二さん。趣味はなんとサーフィン!
57歳の新人、伊藤さんに指導をする先輩の一人が22歳の川上さんです。作業手順を教えるだけではなく、どうすれば効率的にできるかなどの知識や経験も伝えつつ、工程間の連携を意識したレクチャーをしています。「みんな嫌がらずに教えてくれます」と伊藤さん。新卒の新人のごとく謙虚で貪欲に学ぼうとする伊藤さんの人柄もあり、先輩たちからも慕われる存在です。
教える姿勢やチームワークのよさが根付いた生産現場の風土は、河合さんが心がけている働きやすい職場環境が浸透している証でしょう。仕事の日は職人同士で切磋琢磨していい製品作りに励み、休日は暦通りしっかり休むのが河合鉄工の仕事のしかた。ちなみに休日は、川上さんは愛車の整備やチューニングをして時にはサーキットに出走。伊藤さんは太平洋沿岸まで出向きサーフボードで波乗りに励んでいるそうです。仕事もプライベートも充実した日々を送っています。
創業100周年を見据える河合鉄工の未来
河合さんは2025年の初頭、従業員に対して「創業100年を目指したい」と宣言したそうです。河合鉄工は、戦後間もない昭和時代から積み重ねてきた職人の技と伝統を守り継承しつつ、令和の時代に即した職場環境や業務スタイルの改革を進め、業界内での差別化も図ってきました。これから新しく入社する方はきっと、創業100周年の時に職人として第一線で活躍しているに違いありません。
鉄工の仕事は建物内部の骨組みを作る業務なので、なかなか外からは見えづらく、わかりにくいかもしれません。ただ、世の中から建物などの構造物がなくなることはありませんし、AIが進化しても職人の経験値と技はとってかわることが難しい世界です。すべての技術を総動員し、質の高い鉄工製品を提供しつづける河合鉄工。ものづくりに真摯に取り組む姿勢と、それを支える職人たちの実直な思いがそこにありました。