北海道のほぼ中央、十勝岳連峰の山麓に位置する丘のまち・美瑛町。畑地が彩る美しい景観を求めて、毎年多くの人がまちを訪れます。そんな美瑛町の基幹産業は農業。小麦や豆類などの畑作が盛んに行われているなか、養豚業を営んでいるのが「有限会社 辻農場」です。「日本一おいしい豚肉を作ろう」という同じ志を持った全国の養豚農家が集まり、出資をして作った統一ブランド「和豚(わとん)もちぶた」を生産しています。今回は、この辻農場の代表取締役を務める辻大輔さんに、これまでの歩みや養豚への思い、これからの展望などを伺いました。
疎開がきっかけで東京から美瑛の地へ
辻農場があるのは、美瑛の市街地から車で20分ほど、美園(みその)と呼ばれるエリアです。小高い丘の上にあり、眼下に広がる畑の眺めは思わず両手を広げて深呼吸したくなるような絶景。晴れている日は十勝岳連峰が一望できるそうです。
養豚場のすぐ近くでこの絶景が目の前に広がります!
「うちは美瑛の中でも歴史が浅いほうの農家なんです」と辻さん。もともと辻さんの祖母が第二次世界大戦時に東京から美瑛へ疎開したのが始まりだったそう。
「疎開してきたとき、祖母のお腹の中にはうちの父がいて、父は美瑛で生まれました。終戦後、祖父母がこの辺りを開墾して、畑を始めたと聞いています。なので、明治期から美瑛で農業を営んでいたところに比べると、だいぶあとから農業を始めたことになります」
最初から養豚農家だったわけではなく、畑をやりながら、兼業で養豚をしていたそう。母豚10頭ほどの小規模な養豚で、「今から40年くらい前は、うちと同じように兼業で養豚をやっていたところが美瑛にもたくさんありました」と辻さん。
辻農場が本格的に養豚を始めたのは30年ほど前。辻さんの父親が、豚肉ブランド「和豚もちぶた」を生産するグローバルピッグファーム株式会社のグループに入ったのがスタートでした。
グローバルピッグファームのグループに入っている養豚農家は全国で60軒以上。南は九州から北は北海道まで、全国どこで育った豚であっても同じおいしさを提供するという考えのもと、独自配合の飼料や徹底した生産管理で「和豚もちぶた」の生産に取り組んでいます。辻農場でも、日々丁寧かつ真剣に豚たちと向き合っています。
被災して実感した仲間の大切さ
辻さんは4人兄弟の末っ子で、上はすべてお姉さん。「姉たちにずっと跡を継ぐんだよと言われて育って、旭川の高校を出たあと、養豚のことを学ぶために江別の酪農学園大学へ進学しました」と辻さん。「そうは言っても、大学時代は遊んでばかりいましたが」と笑います。
辻農場代表取締役 辻大輔さん
大学卒業後は、福島県にあるグローバルピッグファームの直営農場で2年間研修を受けますが、あと2カ月で研修を終えるという矢先に東日本大震災が起き、辻さんは被災します。
「豚たちは命を落としはしませんでしたが、豚舎は半壊し、電気がすべてストップしました。それまで機械で行っていた何千頭もの豚のエサやり、水やりを人の手でやるしかなく、スタッフ総出で対応にあたりました。自分はこのとき研修生でしたが、仲の良かった同年代の社員は豚たちを守る責任もあるし、気持ち的にも本当に大変だったと思います」
海沿いにいた農場長が津波に巻き込まれて亡くなるという辛い経験もしましたが、そのときは悲しみに暮れてばかりもいられず、電気のない中で豚たちの命を守るためにとにかくみんな必死だったそう。
「あのとき、仲間って大事だなと思いました。ほかの地域の養豚農家から発電機が届いたり、支援があったり、仲間の力やありがたさを実感しました」
震災から1カ月弱、福島に残って仕事を続けていた辻さん。心配した家族からすぐに戻ってくるようにと何度も連絡がきたそう。研修期間は残り1カ月ありましたが美瑛へ戻ることに。辻さんにとっては苦渋の決断でした。
大事なのは毎日豚たちをよく観察すること
辻さんは美瑛に戻ってすぐ、65歳になる前に代表を代わると宣言していた父親から辻農場の代表を引き継ぎます。
代表を引き継いだ際、母豚は250頭。現在は300頭の母豚と17頭の種豚がいます。「少し増えたという感じですね」と辻さん。これからもう少し規模拡大をしていきたいと考えているそう。
「豚ってかわいいんですよ。頭をごしごしすると寄って来たりして」と笑顔で話す辻さん。豚という動物自体が好きだと言います。「豚はデリケートな動物。毎日、豚をしっかりよく見て、大切に育てることに注力しています。大事な商品でもありますから」と続けます。
肉として市場に出される豚は生まれて約半年で出荷されますが、種豚は4年ほど農場の豚舎にいるため、「やはりずっと見てきた豚がいなくなるときはちょっと寂しい気持ちになることも...」と話します。
「生産者として、胸を張っておいしい和豚もちぶたを出せるよう、スタッフにはとにかく豚たちをよく観察し、決して乱暴に扱わず大切に育て、安全第一で仕事しようと話しています」
同じときに生まれた豚でも、ほかよりも体が弱い子や食が細くて体重が増えない子などさまざま。1頭ずつの様子を毎日つぶさに観察し、その変化に迅速に対応していくことが大事になります。また、仔豚の頃は抱きかかえられても、成長した豚たちの体重はゆうに100㎏を超えます。母豚で200~250㎏、種豚は350㎏近くになることも。体当たりされるだけで大けがをしてしまいます。
なんとも貫禄のある種豚。仔豚と比べて体格差の違いに圧倒されます
特に、繁殖させるための種場と呼ばれる場所では、種豚の気が立っていることもままあるため、油断しないように注意をしながら作業をしていると言います。
観察・分析・改善して結果に繋げることがやりがいに
現在、辻さんをはじめ、社員2名、パート社員3名、そして辻さんの両親で現場の仕事にあたっています。中でも辻さんのお母さんは豚たちの扱いがとても上手で、「父よりうまいと思いますよ」と辻さん。豚たちを移動させる際、「曲がれー」とお母さんが大きな声で言うと豚たちが自然と曲がりながら進むなど、辻さんたちにはできないことがお母さんにはできてしまうそう。「どうしてなのかはいまだに謎です」と笑います。
せっかくなので、仕事中の社員の方にもお話を伺いました。社員のひとり、中村真悟さんは美瑛出身。山梨県で機械関係の設計の仕事に10年近く携わったのち、農業に従事するように。畑作の経験を経て、2020年に辻農場に入社しました。実は辻さんの中学の同級生なのだそう。
取材中もテキパキと撮影同行や案内をしてくださった社員の中村真悟さん。本当に農業が好きなことが伝わってきます
「山梨にいたときはずっとデスクワークで、マウスより重いものを持ったことがない生活をしていました。美瑛に戻って農業に携わるようになり、最初は体もきつかったんですが、今は外に出て太陽の日を浴びながら体を動かす仕事っていいなと思います。日が沈んだら帰って、また日が昇ったら元気に動いて...という規則正しいサイクルなので、ある意味、人間らしい健康的な生活を送っています。体が疲れているからぐっすり眠れますしね」
現在は繁殖を担当している中村さん。辻さんが話していたように、しっかり豚の観察をして、安全には細心の注意を払って作業にあたっていると話します。
「豚たちの様子を見て、データ管理しながら、常にどうすれば生育の数値、出荷の成績が良くなるかを考えています。課題を見つけたらそれを改善するための策、エサの量だったり、環境の整備だったりを考え、それを実践。もちろん時にはうまくいかないこともありますが、改善したことで成績が上がるとやはりうれしいですし、やりがいを感じますね」
豚舎の中は常に20度ほどの温度設定。少し動くと、じんわりと汗ばみます。豚たちはストレスに弱く繊細なので、常に環境を整えておくことも重要。安全でおいしい豚肉を食卓へ届けるため、スタッフの皆さんが日々汗をかきながら、細かい部分にまで注意を払い、たくさんの豚たちを育てていると分かると、あらためておいしい豚肉をいただけるありがたさを感じます。
また、豚舎に入る際は新しい作業着または洗濯済のキレイな作業着に着替え、作業を終えて帰るときは必ずシャワーを浴びてから帰るのが決まり。外からの菌を持ち込まない、持ち出さないというのは養豚業界では当たり前のルールなのだそう。これも安心安全な豚肉を出荷するためです。
豚舎は常に清潔に保たねばならないため、洗浄や消毒はかかせません
価値ある養豚場として成長させたい
こだわりの飼料や徹底した農場管理のもと生産される「和豚もちぶた」。肉の特徴について辻さんに尋ねると、「臭みがなく、肉質は柔らか。うまみと甘みが感じられ、脂身もさっぱりしているのが特徴ですね」と話します。一般的な豚肉に比べると、うまみ成分のグルタミン酸や脂身の酸化を防ぐビタミンEの含有量が多いそう。
そのおいしさがよく分かるおすすめの食べ方は、「しゃぶしゃぶか、塩コショウだけのステーキかな」と辻さん。余計な味付けをせずとも十分うまみが感じられ、「脂身がくどくないので、毎日食べても飽きませんよ」とニッコリ。
トウモロコシと大豆ミールが主体の飼料
道内で「和豚もちぶた」が購入できるのは、美瑛の花輪食品店のほか、札幌、千歳などの道央アークスの店舗。「本当においしいので、もっとたくさんの方に食べていただければと思っています」と話します。
そのためにも農場の規模拡大に踏み出していきたいと考えている辻さん。規模を大きくして人手を増やすことで、今より休みの取得がしやすい、働きやすい環境も整備したいと構想を練っています。
「あと2人社員が増えたら、完全週休2日制にしたいと考えています。年齢に関係なく、ここでの養豚の仕事に興味をもってくださった方には、応募する前段階での見学や1日体験の用意もしますので、是非職場を見にきて頂ければと思います。実際に見たり、やってみないとわからないこともあると思いますので」
札幌出身の社員さんや近郊のまちから通うパートさん、辻さんのご両親含め、現在8名が辻農場で働いています
グローバルピッグファームのグループに入っている道内の養豚農家は辻農場を含め6軒(2024年7月現在)。2021年に、この6軒で「株式会社ファームサービス北海道」という会社を立ち上げました。辻さんはここの常務取締役も務めています。
「どこも後継者問題などが課題になっています。北海道の和豚もちぶたの生産量を減らさないようにしていくためにも、道内のメンバーで一致団結してやっていこうと会社を作りました」
各養豚農家の若手従業員の研修会を行ったり、経営や養豚に関する勉強会や飼料工場の見学会、交流会なども主催している辻さん。「1軒だけでやるには難しいことも、6軒集まっていればいろいろなことができるので」と話します。
昨今は、円安やウクライナとロシアの戦争により飼料が高騰し、養豚業を営む上でも大きな痛手に。それでもこの状況がずっと続くわけではないと考え、先を見据えながら経営についても考えを巡らせています。
取材時、「パパ―」と駆け寄ってきた辻さんの息子さん。後ろには看護師として仕事をしているという奥さまの姿もありました。6歳になる息子さんはパパが大好き。辻さんに抱きかかえられるとうれしそうな顔をしています。
息子さんに跡を継いでほしいですか?と辻さんに尋ねると、「これからの時代、息子が跡を継ぐ必要もないと正直思っています。ただ、誰が継ぐ、継がないに関わらず、自分はこの辻農場を維持し、より価値のある養豚場として成長させていきたいと考えています」と最後に話してくれました。
- 有限会社 辻農場
(グローバルピッグファーム㈱「和豚もちぶた」生産グループ) - 住所
北海道上川郡美瑛町美園
- 電話
0166-92-4482