SDGsという言葉ができるよりもずっと昔から、持続可能な世界を追求した住宅・環境づくり、コミュニティづくりを実践してきた会社が札幌市の隣の当別町にあります。辻野建設工業株式会社は、「自然との共生」を掲げた里山ならではのライフスタイルとコミュニティを提案する「当別田園住宅プロジェクト」を25年前から行ってきました。
離農した土地や旧小学校の跡地などを活用した分譲地では、札幌では考えられないような広い敷地で、ヤギやヒツジを飼ったり、広い自家菜園をつくったりとスローライフを楽しむ人たちが暮らしています。札幌中心部まで車やJRで40~50分とアクセスが良く、札幌の会社に通勤する子育て世帯もいます。薪ストーブの煙突が印象的な切妻屋根の家並みは、周囲の緑とも見事に調和して、まるで風景画のような眺望。2019年には、日本建築学会の学会賞を受賞しました。
辻野建設工業社長の辻野浩さんは、創業百年以上になる「辻野商店」や、不動産事業、燃料事業、農業法人などのグループ会社も営み、近年は当別まちづくり株式会社の代表として、商店街の空き家問題や起業支援などにも取り組んできました。さらには、当別町森林組合の組合長もしているのだとか。
なぜ、こんなにたくさんの事業や肩書きをお持ちなのでしょうか。「当別田園住宅プロジェクト」が生まれた経緯や、当別に抱く思いについて、また、会社の歩みとこれからについて、町内を案内していただきながらお話を聞きました。
持続可能性を追求する家づくり
当別町は人口が1万5千ほどの農業が盛んなまち。スウェーデンのレクサンド市とは姉妹都市で、同市との交流をはじめ北欧を意識した行事やまちづくりが行われています。札幌市からも近い「北欧の風 道の駅とうべつ」は、駐車場がいつも混んでいる人気ぶり。レストランや特産品のショップはもちろん、農産物の直売コーナーをお目当てに来るお客も少なくありません。地元の農家さんが生産した自慢のコメや野菜、また、道内有数の生産量と品質の高さで知られる花卉(かき)がお手頃な値段で買えるのも魅力的です。
北欧テイストの三角屋根に、木をふんだんに使った道の駅の建物は、辻野建設工業が手掛けたもの。自然素材を使った高性能の建物づくりに定評がある同社は、北海道大学の敷地内にある元レストランをファカルティハウス(交流施設)に改修する工事も行いました。開放感と程よいナチュラル感を併せ持つメインラウンジは、広い天井に道産ナラ材のルーバーを曲線状にあしらっていて、大工さんの腕の確かさを感じさせます。
辻野建設工業の本社オフィス
道内各地に手掛けた物件がありますが、基本は地元密着型で、トラブルがあってもすぐに対応することができるようにと、当別町内の物件を主に手掛けているそう。辻野建設工業の家づくりは、例えば外壁には道産木材やお隣の江別市で生産するレンガを、室内の壁は調湿効果のある珪藻土の壁を、フローリングは足ざわりの良い道産のナラ材を使うなど、自然素材を多く使用しています。また、暖房はじんわりと暖かさが長続きする薪ストーブ、換気は地中熱と空気の循環を利用した「パッシブシステム」を提案。高断熱・高気密の施工を行うことで、健康的で心地よく、環境になるべく負荷をかけない建物を目指しています。
オーナーさんの夢を着実にかなえるべく、打ち合わせを密に行いながら設計・施工をするため、完成時には社長や社員さんたちと知り合いのような関係になっているそうです。
辻野社長に町をご案内いただくなかでご紹介いただいた「KOKOCHIYA」さん。山の麓で持続可能な暮らしを目指し、地域資源や自家栽培の植物・野菜を活用し販売できるものをつくる。小さな収入で愉しく暮らす生き方に挑戦されています。
また、当別田園住宅では、住民同士が交流する場も会社が設定しているのだとか。「最初のうちは会社が主催で行っていましたが、もう皆さんは顔見知りになっているのでおまかせしていますね。移住希望の方も参加します」と辻野社長。定期的に新巻鮭やロケットストーブ作り、自社所有の森を歩くツアー、専門家の話を聞いたりする「まちなか暮らし研究会」や「薪割り体験会」などのさまざまなイベントを企画し、住民の方たちも楽しみながら参加しているそうです。
通常、建築会社では協力会社の大工さんが施工することが多いのですが、辻野建設工業では、大工さんはほぼ全員が自社の社員なのだとか。社長がこう話してくれました。「ちょうど今日、新しく入社した大工がいるんですよ。当別高校出身で、ほかのところで働いていたんですが、『当別町の発展に貢献している御社で働きたい』と、こちらに来てくれました」
大学時代、エコビレッジに興味を持つ
辻野社長はまちづくりの事業も行っていますが、「当別田園住宅プロジェクト」が分譲住宅地としてだけでなく、住人同士が緩やかにつながるコミュニティの意味を持たせてきたところに、その原点があるようです。まずは会社の歩みと辻野社長の経歴についてお伺いしてみました。
「うちは大正3年(1914年)、福井県から移住した五右衛門さんという人が初代で、小豆を栽培しながら辻野商店を創業しました。2代目は商才のある人で、肥料や農業機器、雑穀業と事業を広げていったんですね。建築業に参入したきっかけは、当時の従業員にとても器用な人がいて、農家さんの納屋から住宅づくりを行うようになったことです。1962年には、建築部門の専門企業として辻野建設工業を立ち上げました。先代である私の父親は新しいものが好きで、住宅建築にツーバイフォー(2✕4)の技術をいち早く取り入れたり、輸入木材を使ったりと時代を先取りしていました」(現在の辻野建設工業は、柱と梁で建物を支える「木造在来工法」を中心にしています)
辻野社長は長男でしたが、先代から後を継ぐようにとはあまり言われなかったそうです。
「大学受験では、北海道大学の工学部で電子工学と建築の2つの専攻を受けたんです。そうしたら、建築だけ受かった。この時点で、自然と後継ぎになることが決まりました」と辻野社長。ゼミでは農村計画を研究し、自らも地元の当別町で地域性を生かした田園型のエコビレッジをつくりたいという思いを強くします。卒業後は大手建設会社に勤めた後、当別町に戻って辻野建設工業に入社、約20年前に代表取締役社長になりました。
使われなくなった土地を田園住宅に活用、その思い
廃線跡地にある小屋と、みなさんがよく知るあのドアがアート的に置いてあります。廃線の暗い話題が多いなか、あらたな価値として住宅地に造成していくのは珍しい取り組みです。
1997年に「当別田園住宅 つじのムラ・プロジェクト」をスタート。大学の先輩で札幌市の「あいの里コーポラティブ住宅」を手掛けていた建築家の柳田良造さん、持続性可能な放牧型酪農に関する事業を行うファームエイジ(株)の小谷栄二さんとともに立ち上げました。
「里山の四季を身近に感じながら、環境に負荷をかけることなくシンプルに暮らす」「広い敷地でやりたいことを実現する」「住民同士の緩やかなコミュニティをつくる」といったプロジェクトの理念に共感した人たちが町外、道外から集まってきました。
当別田園住宅の敷地は、減反政策で離農が進み、空いていた金沢地区の農地や、旧金沢小学校跡地を宅地用に転用したものです。住民は、ヒツジやヤギを飼う人、畑をつくる人、ものづくりやアートに打ち込む人、子どもに良い生活環境を与えてあげたいという人など年代も職業もさまざま。そのなかには、理想の土地と住まいを求めて道内をあちこち回り、最終的に理想的な場所としてここにたどり着いたという人も少なくありません。
廃校となった小学校跡地に、住宅街を造成していますが、その歴史を残すため、校門の学校名は今も残されています。
「私は、過去の資源を生かすことが割と得意なんじゃないかなと思います」と、辻野社長は語ります。
「人間の都合で開拓したり、つくったりしたものを使われなくなったからといって放置するのではなく、使い方を考えて工夫して持続的に活かしていく。そのための努力は惜しんではいけないと思っています。後世に対してということもありますし、もっとモノや場所に対する愛情やもったいないという気持ちを持ってほしい。ただ、思っているだけでもだめで、行動に移してほしい。だから、私としては当たり前のことをしているだけなんですよね」
この10月には、「新・当別田園住宅」の第1号となる家の完成見学会が行われました。
この分譲地は、廃線となった旧札沼線の線路跡の土地を活用し、居住するための「住宅用」と、線路敷地を生かした週末のショートステイや菜園づくり、ショップなど自由な発想で使う「小屋用」のゾーンがあります。国道近くにもかかわらず静かで、林を背に眺望が開けたロケーション。「自分ならここで何をしようか」と、いろんなアイデアが浮かんできそうです。
地域課題を解決していくプラットフォームとして
会社の側にある古民家を改修したカフェにて。賃貸物件として取り扱われています。
そんな社長の元には、さまざまな役職が舞い込みます。当別まちづくり会社の社長として、商工会の理事として、森林組合の組合長として......。そんな辻野社長の強みは、フットワークの軽さと経営者としての先見の明、そして創造力。必要と思った場所にはすぐに視察や見学へ行き、人と会って対話をし、話し合いの場や学びの場を立ち上げて課題解決の方法を見いだしていきます。会社の2階には、起業支援や学生支援も行いながらまちの課題を出し合い、解決に向けていく集まりの場を設けました。このスペースはシェアオフィスや自習室としても開放しています。「会社自体がプラットフォームですね」と辻野社長は話します。
札幌や東京に本社機能を移すことはしないのですか?と尋ねたところ、このような答えが返ってきました。「私は地元に密着したやり方に魅力を感じています。当別田園住宅のコミュニティも含めて私の興味は社会全般にわたっていますし、例えば少子高齢化など、そこで起きる社会問題を解決していくことが好きなんです。当別には、専門分野を持った方たちがたくさんいますし、そういった人たちとつながっていくことで、いろんな面で人脈が広がり、課題を解決したり、新しいアクションを興したりすることを得意としています」
そう話した後、「やはり田舎志向なんですよ、私は。居心地が良いと思うんですよね」とも教えてくれました。
辻野社長は、自宅の敷地にヤギを2頭飼っています。プレイスペースにあるヤギ用の遊具は辻野社長の手づくり。「名前はクロとチャといいます。爪を切るのが大変で、体を押さえるのと爪を切るのと3人がかりでやるんですよ」と、大変そうに言いながら口元を緩める辻野社長。自宅の庭の草刈りをしていると、つい近隣の伸びた草地まで刈ってあげてしまうとのこと。アポイントが詰まった多忙な日々ながら、体を動かすことをまったく厭わない方とお見受けしました。
「辻野建設工業にしても、当別まちづくり会社にしても、新しい人が来てくれるなら、『この会社でこんなことをやりたい』という積極的なアイデアを持つ人材がいいかなと思いますね。会社を自己実現するひとつのベースとして使ってもらえればとも思っています」
まちづくりの場でも活躍する新入社員
インタビュー中に、ちょうど今年入社したばかりという社員の安田隼人さんが入ってきました。役職は設計だそうですが、手に持っていたのは当別まちづくり会社用のチラシやポスター。「当別の若い人たちが、横のつながりを持って誰かを講師にしながら話を聞く会を月1回行っているんです」と安田さん。
商店街の空き店舗を会場に、鉄板焼きやお好み焼きを食べながらカジュアルに行われる集まりだそう。「買い出しにも行ってもらうし、彼は料理がうまいんですよ」と辻野社長。「この前は、カナダ出身でメープルシロップを扱うお店を札幌で経営されているギャニオンさんの話を聞きました」と安田さん。ギャニオンさんは当別の森にあるカエデから樹液を採取してメープルシロップをつくるチャレンジをするそうで、その実現のために当別まちづくり会社もひと役かったのだとか。
安田さんは中標津町で生まれ育ち、釧路工業高等専門学校に進学。釧路高専の先生が辻野社長の先輩だったことから、紹介してもらったそうです。「会社の名前も、当別町のことも知りませんでした。チラシをつくるイラストのソフトウエアも入社してから初めて使ったものです」と話しますが、製作物を見るとクオリティが高い!辻野社長は安田さんのスキルの高さを見込んで、動画編集にもチャレンジしてもらっているそうです。
「いまは会社の社宅に住んでいます。最初はホームシックになったけれど、すぐ慣れました。冬を迎えるのはこれからで、みなさんに脅されていますけど...」と、少し苦笑いを見せる安田さん。冬の季節はスキーやスノーモービルなどのアクティビティ、お祭りや花火大会などのイベントがある当別町、きっと周りの人たちと雪の楽しさも共有していくことでしょう。
商店街にヤギが!地域のコミュニティスペースに
辻野社長はJR当別駅に近い商店街にも連れていってくれました。かつて呉服店だった建物を、クリエイターの活動拠点「CREATORS in the STREET」として活用。アーティストやものづくり作家の支援もしています。空き店舗探索ツアーも開催して、飲食店経営や映像制作、農産物の加工品製造などを考えている人たちが興味を持って参加しました。当別高校の生徒たちが道の駅の冷凍自販機で商品を販売するプロジェクトも進行中と、次々とまちの活性化への仕掛けを行っています。
さらに歩くと、商店街の一角に2頭のヤギを発見しました!「やぎ小屋」と呼ばれる建物の壁にはカラフルな絵がペイントされています。これは、画家と一緒に当別高校の生徒たちが描いたものだとか。「最初のうちは、地元のみなさんもびっくりされたようですけどね」と笑う辻野社長。
子どもたちが、お年寄りが、学生が集まり、ヤギを眺めながら何気ない会話が生まれる。笑顔が生まれる。辻野社長が目指す暮らし、目指すまちづくりが、少し見えてきた気がしました。
- 辻野建設工業株式会社
- 住所
北海道石狩郡当別町末広380
- 電話
0133-23-2408
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